「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう」(創世記11:4)
エホバの証人(ものみの塔)は、その昔、シヌアルの平原に
人々が天まで届くバベルの塔を建て、
目に見える形で神に近づこうとした人間らと
なんの変わりがないように、ますます思えてきた。
彼らは、その塔(ものみの塔)に唯一の神がおられると信じて
そのもとに集まる。
実際には、その塔は神をも恐れない人々の手らで造られた
まやかし物にすぎなかった。
それと同じような方法で、
現在も何百万人というエホバの証人らが
神に近づこうとしているようにしか私には見えない。
聖書的に言うと、人間は自分で神への架け橋なんぞ
造ってはいけないのでは?
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」(ヨハネ14:6)と書いてある。
最近、ものみの塔誌の無理やりな解釈ばかり理解しようと勤めているので、もともと変だった私の日本語が、ますます妙な具合になって来てます。「〜が」「〜は」「〜の」「〜に」の区別が出来なくなっちょるけん。私からのメールが来た人にとっては、不幸の手紙状態かもしれません。この場をお借りしてお詫び致します。ゴメンネ!
以上:一般人で、エホバ・オタクの主婦からでした。