お返事してくださった…のかな?
それともひとり言?
どちらであっても、なるほど、と思いました。
>彼らは末端の何も知らない知らされていない国民とは違い、日本がもはや戦争に勝てるはずもないことは十分分かっていたが、それでも選択の余地のない状況、親を思い家族を思い故郷を思い国を思う気持ちから(最後の抵抗を試みるかそうしないかだけで講和の条件も違ってくる、というようなことを言っていた人もいる)、散っていった。特攻隊員に限らず、軍隊教育を受けた将校のみならず赤紙をもらった兵隊たちみな天皇陛下のためなどではなく、愛する家族や故郷や国のために戦ったのではないでしょうか。
講和に有利になるように、という先見を持っていたということには、胸にジンと来るものがありました。素敵なお話をしてくださってありがとう。
当時の兵士の少なくない人たちは、あとに残すものを持っていて、自分たちの死を同胞の将来の礎にしようっていう覚悟を持っていたのですね。ほとんどみんなが若い人たちだったんですよね? 今日のエホバの証人の若い「奉仕のしもべ」とか若き「長老」たちは、あとに続く世代への使命感を持っているのでしょうか。どちらかというと、自己満足の世界に浸っているのではないかというのが、わたし個人の印象ですが…。もちろん、ここに書きこみをしてくださっている現役の方々は、その点で一線を画しておられるとは思います。
輸血拒否のことがマスコミで取り上げられたときには、群れの集会のあとで時間を取って、輸血のことを家の人から言われたときには、こういいましょう、ああ言いましょうと討議したものですが、そのときによく言われたのが、復活があるから今ある命を惜しまない、というようなことは「言わないように」ということでした。「一般の」人たちには理解しがたいことなので、「狂信的に」受けとめられかねないからだと言うのです。
でも今振り返って思うのは、「復活」はエホバの証人自身でも、心情的なレベルでは理解、納得するのが難しいことだったのではないでしょうか。少なくともわたしは当時から、自分に輸血の必要性が生じたら、復活があるからって、にっこり笑って拒否して死ねないなあ、と感じていました。もちろん、そんなことを口に出して言えば、ナチス・ドイツの強制収容所の経験とかを引っぱりだされて、説教されていたでしょうけれど…。
いえ、逆に死が現実のものとしてのしかかってくれば、「復活」を本気で信じれるのかな…。人間って、やっぱり生きることに執着するものですから、そんなときに「復活」を信じるというのは、組織やエホバへの忠節といよりは、死にたくないという気持ちの表れだと思います。それこそ、特攻隊員の本音のように、ね。
さ、明日からまた仕事ですね…。来週になればちょっと忙しくなりそう…。がんばろう!
では。
それともひとり言?
どちらであっても、なるほど、と思いました。
>彼らは末端の何も知らない知らされていない国民とは違い、日本がもはや戦争に勝てるはずもないことは十分分かっていたが、それでも選択の余地のない状況、親を思い家族を思い故郷を思い国を思う気持ちから(最後の抵抗を試みるかそうしないかだけで講和の条件も違ってくる、というようなことを言っていた人もいる)、散っていった。特攻隊員に限らず、軍隊教育を受けた将校のみならず赤紙をもらった兵隊たちみな天皇陛下のためなどではなく、愛する家族や故郷や国のために戦ったのではないでしょうか。
講和に有利になるように、という先見を持っていたということには、胸にジンと来るものがありました。素敵なお話をしてくださってありがとう。
当時の兵士の少なくない人たちは、あとに残すものを持っていて、自分たちの死を同胞の将来の礎にしようっていう覚悟を持っていたのですね。ほとんどみんなが若い人たちだったんですよね? 今日のエホバの証人の若い「奉仕のしもべ」とか若き「長老」たちは、あとに続く世代への使命感を持っているのでしょうか。どちらかというと、自己満足の世界に浸っているのではないかというのが、わたし個人の印象ですが…。もちろん、ここに書きこみをしてくださっている現役の方々は、その点で一線を画しておられるとは思います。
輸血拒否のことがマスコミで取り上げられたときには、群れの集会のあとで時間を取って、輸血のことを家の人から言われたときには、こういいましょう、ああ言いましょうと討議したものですが、そのときによく言われたのが、復活があるから今ある命を惜しまない、というようなことは「言わないように」ということでした。「一般の」人たちには理解しがたいことなので、「狂信的に」受けとめられかねないからだと言うのです。
でも今振り返って思うのは、「復活」はエホバの証人自身でも、心情的なレベルでは理解、納得するのが難しいことだったのではないでしょうか。少なくともわたしは当時から、自分に輸血の必要性が生じたら、復活があるからって、にっこり笑って拒否して死ねないなあ、と感じていました。もちろん、そんなことを口に出して言えば、ナチス・ドイツの強制収容所の経験とかを引っぱりだされて、説教されていたでしょうけれど…。
いえ、逆に死が現実のものとしてのしかかってくれば、「復活」を本気で信じれるのかな…。人間って、やっぱり生きることに執着するものですから、そんなときに「復活」を信じるというのは、組織やエホバへの忠節といよりは、死にたくないという気持ちの表れだと思います。それこそ、特攻隊員の本音のように、ね。
さ、明日からまた仕事ですね…。来週になればちょっと忙しくなりそう…。がんばろう!
では。