僕は、匿名さんとは逆の意見になります。
伝道者時代、JWを信じていた、とは言え、やはり母親から強制された信仰ですから、「会衆のために仕えたい、エホバに仕えたい」などと思ったことはありません。得意なほうだった割り当てをこなしていた理由は、「何だか続けないと助言が恐い、母の面子が立たない、割り当てをこなす程ハルマゲドンで滅ぼされる可能性が低くなるかも」そんなものでした。
それから、
僕が宣教学校に入ったのは割と遅いほうでしたが、もともと文章を書くのが好きだったので、話を作るのは得意なほうでした。会衆のみんなから誉められるのが、僕の自己顕示欲を満足させるものでした。特に大学時代は、講義で得た情報とものみの塔ライブラリを駆使して、かなり凝った話を作っていました。演題に立つ快感みたいなものを感じていたのかも知れません。
野外奉仕は、嫌いでした。だいたいにして、子どもや若造が偉そうに宗教の話をしたって相手にされないし、怪しまれるだけでしたから。家の人が怪訝そうに僕を見る目が恐くて仕方ありませんでしたね。でも、頭をJWモードに無理矢理切り替えて奉仕していました。
僕みたいな2世は、嫌々ながらor何となく惰性で、やっていた人は「特権の重圧」って感じていたんじゃないかな〜?と思いますがどうでしょう?
by 特権が恐くてバプれなかった2世
伝道者時代、JWを信じていた、とは言え、やはり母親から強制された信仰ですから、「会衆のために仕えたい、エホバに仕えたい」などと思ったことはありません。得意なほうだった割り当てをこなしていた理由は、「何だか続けないと助言が恐い、母の面子が立たない、割り当てをこなす程ハルマゲドンで滅ぼされる可能性が低くなるかも」そんなものでした。
それから、
僕が宣教学校に入ったのは割と遅いほうでしたが、もともと文章を書くのが好きだったので、話を作るのは得意なほうでした。会衆のみんなから誉められるのが、僕の自己顕示欲を満足させるものでした。特に大学時代は、講義で得た情報とものみの塔ライブラリを駆使して、かなり凝った話を作っていました。演題に立つ快感みたいなものを感じていたのかも知れません。
野外奉仕は、嫌いでした。だいたいにして、子どもや若造が偉そうに宗教の話をしたって相手にされないし、怪しまれるだけでしたから。家の人が怪訝そうに僕を見る目が恐くて仕方ありませんでしたね。でも、頭をJWモードに無理矢理切り替えて奉仕していました。
僕みたいな2世は、嫌々ながらor何となく惰性で、やっていた人は「特権の重圧」って感じていたんじゃないかな〜?と思いますがどうでしょう?
by 特権が恐くてバプれなかった2世