昼寝するぶた 掲示板過去ログ:#8367

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No.8367 おぉ〜レス早いですねw 投稿者:まさ吉 投稿日:2005/10/29 00:37 ただの一般人 ♂    部外者です 40代後半 神がいても無宗教な人
>当時は何かあると
>整列して説教されて最後に腕立て伏せだし
ですな〜。あさぐもには初任海士の時代から1士になるまでの約1年間乗務だったんですけど、一番砲(3インチ砲)の柵のところに整列させられ、「よぉ〜し、お前ら今からバイクに乗せてやる!まずはハンドルを握れ!!」(水平に腕を上げる)「次にシートに腰掛けろ!!」(中腰になる)・・・・・経過すること30分・・足がブルブル震えて腕もガクガクぶるぶる・・・「ぉおおおぉぉお前らのバイク調子がえぇじゃないかい!!」でした・・・その後、たかつきに乗り組んだのは士長になってからでしたから、あさぐも一分隊時代の当直(見張り員)のきつさからはすっかり開放され、ソーナーの探信儀の前でコーヒー飲みながらウダウダ言ってました。
>艦首の垂直ハッチを何段も降りた艦底の一番下に
>ありますよね。あれって戦闘訓練の時はソナー室に配置があったんで>すか?
実は艦首底部にあるバウソナー室にはワッチや戦闘配置の時には入れません。あの地獄の底の部分にあるソーナーの発信機室に入れるのは我々ソーナーマンでも年修か特定修理の時くらいしか入らないのです。ちくご型護衛艦の三分隊の人たちの居住区は多分艦尾の方に位置していたと記憶しているのですが、ソーナー発信機が発する音波はとても強力なものでして、バウソナー室やその近辺で人間が聞くと人体にとても悪影響があると教えられていました。対潜訓練の時、水測員はみなヘトヘトになるまで不眠不休の訓練となるのですが、対空訓練時には射管室にソーナーマンは呼び出されて、弾道計算盤の記録員なんぞをやらされていたんです。(発砲時の弾道計器の読み取り記録ですな)ですから反対に対潜訓練の時は砲術関係者は暇にしていましたし、
自分がソーナー室でワッチに付いている時はベッドに潜り込んでいる奴らを安眠させないようにするため、探信儀が発する音波をわざとミドルレンジでピーーーーっとやってました(´∀`*)
(当時のソナーはアクティブソナーだったので潜水艦探知のために音波をガンガン発信して捜索していた。ソナーにはショートレンジ、ミドルレンジ、ロングレンジの発信があったのです。そぅ航海中に海の中から聞こえる、あのピッという音ですね/憶えてるかなぁ)

ゆーじさんは当初船酔は如何でしたか?今は機関士ということで当然強いのでしょうけど、当時私の勤務していた2護群の艦隊は、台風シーズ真っ只中に南西航路帯でよく訓練していました。初任海士時代の苦い思い出ですが、見張り員で艦橋ワッチに付いていたのですが、台風で激しいローリングピッチングの動揺の中、海水をザブンザブンと浴びて、ふっと横を見ると、なっなんと僚艦のスクリューがカラカラと回っているのが見えるのです。ピッチングも激しくなると艦内は30度位の傾斜の連続でまさに無重力状態・・・3000t強の船体がこれだけ激しく動揺する訳ですから、映画パーフェクトストームは懐かしく拝見しておりました。最後は艦橋横の見張り場所から据付の双眼鏡にヘドを浴びせてました。。それでも艦橋の中には誰も入れてくれず2時間ずっと海水と自分で吐いたヘドを浴び続けていた経験は今も強靭な精神力となって私の体内に生きています(~~)
それと私は一番最初のリムパック訓練(環太平洋米国合同演習)に参加した組ですので、自衛隊時代の自慢と言えば、水測員としてアスロックの引き金を引いた経験とそんなことくらいでしょうかw 地方隊の護衛艦は監視業務の出航が多いと聞いてましたが、如何だったんですか?私達艦隊乗組員は訓練訓練に明け暮れておりましたが、その代わり監視業務に付くことは無かったと記憶しています。
今も言われているようですが、広報の一群、訓練の二群、どうでもいい三群というように艦隊勤務にも差があったようですねw
あんまり書き込むと今から自衛隊員を希望する人たちの出鼻をくじく事になりかねませんので、あまり厳しい事ばかりは書けませんね。

上陸している時はマイカーでとにかく暇があったらナンパしてましたね。これもゆーじさんと同じw でも私は1000人も声かけてませんけど??今の自分があるのは本当に自衛隊員としての勤務経歴があったからこそだと本当に思っています。自分の将来に付いて向上心と野望があったからこそ3年満期で別の道を歩んでいますけど、これはゆーじさんと一緒ですね。
これからのご活躍を祈念しております。これからも宜しく〜
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