昼寝するぶた 掲示板過去ログ:#8368

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No.8368 懐かしいなぁ、こんなコアな話が出来ると思わなかった 投稿者:ゆーじ 投稿日:2005/10/29 10:39 元2世兄弟 排斥でーす 昔壊れてたけど今元気 40代中盤 宗教がなくても平気な人
>「ぉおおおぉぉお前らのバイク調子がえぇじゃないかい!!」
わははは、呉はおおらかだよなぁ。横須賀で護衛艦の上甲板でそんなこと
したらマスコミに証拠写真撮られて新聞で叩かれて大変な事になりますよ。

私が入隊する半年ぐらい前に護衛艦あやせの旗甲板で、真夏に正座させら
れた2分隊の海士が足に大やけどして、怒った親が海自を訴えて裁判になっ
てましたので、横須賀での整列は公式に禁止されていました。ですのでマス
コミ向けの公式コメントでは「海自では親からあずかった大事な隊員にそんな
ことはさせていない。」ということになっていました。特に主犯だった護衛艦
あやせでは艦長命令で整列が禁止されていて、(当時はそんな命令は一切
知りません) 整列する時は1分隊は前部弾薬庫か運用庫、2分隊はCICの奥、
3分隊は操縦室、4分隊は調理室の奥で整列することになってました。

そんな事情なので整列にもいろいろとお約束があって、説教の後半で古手の
海士長が、「今日は前ささえ30分にしようかなぁ・・・それとも腕立て伏せ40回
にしようかなぁ・・・」ってぼそっと言うわけです。その時に「どっちも嫌です」って
言うと、いきなり胸ぐらつかまれて「なんだとこの野郎!てめぇ俺をなめてんの
か!」って頭をひっぱたかれましたから、整列している海士達が話し合って、
「今日は腕立て伏せがいいです!」と言うと、「そうか、お前達そんなに運動不
足なのか、そんなに体を鍛えたいのか。お前達物好きだな。お前達がそんな
に腕立て伏せをしたいならこれからすることにしよう。言っておくが、これは俺
が言ったんじゃなくてお前達からの発案だからな・・・・・」、「・・・・あ、はいっ!」
「よしっ!ではこれより自衛官の体力錬成を開始する、腕立て伏せ40回!
腕立て伏せ用意!」「いち、にっ!」ってパターンでした(^^)

正座してたり腕立て伏せをやってる最中に甲板士官が見廻りに来て、幹部命
令で整列をやめさせてくれるのかなーって思ってると、ちらっと見ただけで通り
過ぎるか、声を掛けてきても、「お前達やりすぎるなよ、ほどほどにしておけよ」
「大丈夫でーす」で帰っちゃうし、腕立て伏せの途中で姿勢が崩れると、「そん
なことだから1分隊の奴らに3分隊の海士は気合いが入って無いって言われる
んだ、おめーら気合い入れろ気合い!」ってぷるぷる震えながら腕立て伏せ
してる最中の尻を安全靴で踏まれて踏み潰されるし、 その時は苦労でも
過ぎれば笑い話ですね。

現在は海士の数が少ないし、何かあるとすぐに辞めちゃうから個人的に呼び
出されて「お説教」される時代だそうで、海士が集団で整列するのは廃れた
そうです。


>あさぐも一分隊時代の当直(見張り員)のきつさからはすっかり開放され、
>ソーナーの探信儀の前でコーヒー飲みながらウダウダ言ってました。
いつもお茶飲んでお喋りしててとことん楽そうな「電子整備」、いつも暇な癖に
いつも威張ってる「魚雷」、何をやってるんだか一切教えてくれない「水測」と
「通信」、同じ給料をもらってるのに全然割りに合わない「航海」と「内燃」。
そんな感じでしたね。

最初に1分隊の「射撃」に配属されて、その後で2分隊の「水測」に行ったって
事は、まさ吉さんの方が私よりちょっと先輩みたいですね。私は初級海士課程
の第1期ですから、最初に3分隊の「内燃」配置だったら配置換えがあっても
最後まで3分隊の中だけでした。私が横須賀教育隊にいたのは4ヶ月強で、
その後で第2術科学校に2ヶ月強でしたけど、まさ吉さんは教育隊に6ヶ月いた
口じゃないかと思います。


>実は艦首底部にあるバウソナー室にはワッチや戦闘配置の時には入れません。
長年の疑問が氷解しました。ありがとうございます。「秘」がほとんどない機関科と
違って2分隊はなんでもかんでも防衛秘密なんで、聞いても教えてくれないことば
っかりでしたよ。


>探信儀が発する音波をわざとミドルレンジでピーーーーっとやってました(´∀`*)
ソナーの音は後部居住区では子守歌でした。(前部居住区はうるさかったんだろ
うけど) たまにソナー音が大きくなると食事の時に食堂で1分隊と3分隊と4分隊
の2曹3曹達が、「こら水測っ!おめーらのソナーの音がうるさくて眠れねーよ!
ソナーの音をもっと小さくできねーのか!上の命令でもあの音をなんとかしろ!」
って水測の若い衆をつるし上げてました。だからソナーは戦闘訓練中に短時間
うるさい時があっても航海中はいつも静かなので子守歌でした。米海軍の頭蓋骨
に響くようなやたらうるさいソナーの音に比べて日本のソナーが静かなのは日本の
ソナーが優秀だからと思ってたけど、うるさい下士官達の努力のたまものだった
のね(苦笑)


>自衛隊時代の自慢と言えば、水測員としてアスロックの引き金を引いた経験と
>そんなことくらいでしょうかw 
それは凄いな。魚雷のマーク持ちでもないのにアスロック撃てるのはちょっと無
い経験ですね。私は艦橋で撮ったアスロックを発射した瞬間の写真しか持って
ません。

アスロックと言えば陸奥湾で撃ったら魚雷が行方不明になってしまい、艦長が
ぶち切れて「最初に魚雷を見つけた者には特別上陸3日!」ってのを思い出し
ます。特別上陸に釣られて必死になって海面を見ていても魚雷を見つけられず、
そうこうしてるうちに内火艇の奴らが見つけてしまって特別上陸は彼らのものに。
「あいつら自分の仕事やってただけじゃねーか!魚雷の回収にもたついた上に
特別上陸3日ってどういう意味だよ!」って怒ったのを思い出します。内火艇の
機関長は第一機械室の受け持ちで、私は整備受け持ちの第二機械室。2機が
苦労したおかげで1機が楽をするのが毎回のパターンでした。


>ゆーじさんは当初船酔は如何でしたか?
幸いなことに子供の頃にJWの大会で東京と北海道を行き来するたびに、函館
と青森の間を4時間30分でつなく青函連絡船に乗り慣れてたのでそれほど苦し
まずに済みました。(つーかほとんど酔った記憶がない)40度ぐらいの大時化で
も頭が頭痛で痛くなって腹がやたら空くぐらいでしたね。後部居住区や機械室は
水面下ですからローリング主体でピッチングが少ないので助かりました。前部居
住区や艦橋はピッチングのせいで無重力の宇宙遊泳状態でしょ。人ごとながら
大変だなぁって思ってましたよ。(内燃に比べて普段楽してるんだからざまみろ
とも思ってましたが)


>地方隊の護衛艦は監視業務の出航が多いと聞いてましたが、如何だったんですか?
体験航海専用艦の33護衛隊には監視業務は無かったと思います。そういう
のは他の艦が行ったんじゃないのかな? 機関科の3分隊は艦橋から情報
が降りて来ませんから普段でも何やってるのか全然知りませんし、2分隊に
聞いてもまず教えてくれないから、いつもまにか無駄な興味をもたない癖が
ついちゃいましたよ。

米海軍との初めての合同演習で、(あれが一番最初のリムパック訓練だった
のかな?)硫黄島沖で米空母ミッドウェーを中心とする米海軍の輪形陣の中
に33護衛隊の「てしお」と「あやせ」が組み込まれて、45度まで傾く大時化の中、
米海軍の基準速力が30ノットなのに日本側は最大戦速の26ノット出してもつ
いて行けないので空母の離発艦の邪魔になってしまい、米軍側から「遅いか
ら帰れ!」って言われたのに、司令と艦長は大張りきりで意地でもついて行っ
たらソ連の情報収集船が演習海域の中に入ってきて演習中止。

結局足手まといの33護衛隊が情報収集船をマークすることになって演習再開、
ソ連船のおかげで大時化の演習からおいてきぼり食らってラッキーってのは
ありましたね。ソ連の情報収拾船には女の船員がいて、若い海士達が「おー
女だ女だ、ソ連は女を船に乗せるのか、かーのじょー!今度横須賀でデート
しょうねーぇぇ!」とか言うバカまでいました。


>広報の一群、訓練の二群、どうでもいい三群というように艦隊勤務にも差が
>あったようですねw
みたいですね。毎月ある体験航海と1回2週間程度の訓練航海の記憶しかな
いですよ。呉は鬼のように訓練が厳しくて、佐世保は無駄に規律が厳しくて、
舞鶴と大湊は上陸しても何もない。一番いいのが横須賀と言われてました。


>あんまり書き込むと今から自衛隊員を希望する人たちの出鼻をくじく事に
>なりかねませんので、あまり厳しい事ばかりは書けませんね。
ははは、そうかも。今まで私のサイトを見て自衛隊に入ることにしましたって
メールが来たのが5人ぐらいいます。(元2世3人、一般人2人)その功績で私
に5級賞詩の赤線1本くんないかな。私は1士の時に後発航期やってますから
減俸30分の1ヶ月食らったおかげで海士長なのに精勤章が2本しかないんで
すよ。もしくれたらみんなと同じ3本になれるなぁ。とかってね(^^) 
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