>当時も今もそうじゃないかと思うのですが、水測は基本的に一分隊なんですよね。
そうだ水測はCIC勤務だけど1分隊だったんだよな。他の分隊の事はすぐ忘れてしまいます。
>少術校出身の若い三曹がいて(19歳程度)海士長になっても、
>こいつらにアゴで使われるという配置が嫌で辞めたのかもしれません。
>私は現在45歳で、ゆーじさんよりは少し年下なんですよね。
てことはまさ吉さんは20歳以上になってから入隊ですか?私は19歳入隊だったから、
中卒で入隊した少年術科学校出の同い年だけど1級下19歳の3曹に命令されてたけど、
1級下でもとりあえず自分と同い年だし、自衛隊はメシの数だからそういうのはしかたが
ないって納得出来たんですが、20歳以上になって入隊すると、年下で純粋培養された
世間知らずの少術校出のバカに命令されるから頭に来ますよね。それが原因で辞め
ちゃうのはよくわかります。当時は曹候補生の第1期と第2期でしたが、全員漏れなく
少術校出にいじめられて、みんな辞めてしまって全滅だったなぁ。
>教育隊の修業式と別れで激しく涙したことを憶えています。彼らは今、どうしているのだろうか・・
本当ですね、特に航空隊に行った奴らなんか完全に別世界ですからねぇ。
私が辞める時に人事課に聞いたら人事課も何人辞めるのか把握してないんだよね。
以前、なだしお裁判の時にTV見てたら同期が証人として呼ばれているのを見つけて
懐かしくなりました。
>二護群のたかつき時代に「特艇員」に選ばれて、2ケ月間、カッターばかり漕いでいました。
>最後には、あのオールをバキバキと何本も折る位まで全員鍛えられていた訳ですから・・・
私は右舷しか漕げないんですよ。カッター漕ぐのは好きでしたけど体力無しですから
カッターは全然駄目でしたね。背が高いからって一番最初にストロークさせられたら、
体力無いからオールがついていけなくて速やかに3番に変更、そしたら1番の奴が
爪竿ともやい索の取り扱いがへたくそで、艇体を痛めるからって事で私が1番に。
おかげでオールが軽くて漕ぐのが楽でしたよ。体力が無かったのでストロークが出来
る奴は人間じゃ無いと思ってました。でも教育隊の最後の頃にはオールを1本折って
班長に誉められたから少しは体力付いたのかな?最初の頃はケツの皮剥いてパンツ
が血まみれになって風呂で飛び上がったのを思い出します(^^)
>上陸後、ピンサロに行くのまで一緒。
1分隊はみんな酒好きだもんねぇ。「親睦のために団体行動で鯨飲鯨食」が基本で、
上陸すると各パートごとに半強制的に飲み屋に直行でしょ。自分のプライベートタイム
を何より大事にしていた私は3分隊で良かったと思いましたよ。3分隊は上陸すれば
干渉無しが伝統ですから、プライベートに一切干渉してこないのがありがたかったです。
・戦争する1分隊は体力とチームワークが基本、ごちゃごちゃ理屈を言う奴は嫌われる。
・艦を動かす2分隊はデスクワークが多いので体は楽でもねちねち言葉の暴力がすんごい。
・機械を扱う3分隊は理屈優先でちょっとでもミスするとその場で思いっきり怒鳴られる。
・飯炊きの4分隊は少人数だから和気藹々らしい(全然知らん)。そんな感じでしたね。
>ゆーじさんもちゃんと金杯もってますか〜?
そんなものがあるって聞いた記憶はありますが横須賀じゃくれませんでしたよ。
教育隊の修業アルバムは大事な思い出ですね。それとたぶん誰も持ってないであろう
「後発後期」の懲罰公文書も大事な思い出品です(苦笑)。3分隊は舷門当番に立ちま
せんので必要ないから自前の制服を作りませんでした。なので真面目に官品の制服を
返納したのが悔やまれます。支給された再用古品の旧型冬制服を徹底的に改造してた
んですけどね。(ジョンベラに唐獅子牡丹の刺繍は入れてませんでしたが(^ ^;
今残ってるのは自前の制帽と、員数外だからくれた「海上自衛隊」「第33護衛隊」
「護衛艦あやせ」のペンネント3本だけです。
>二人で自衛隊よもやま話「涙の艦隊勤務」なんて執筆できそうですね(´ー`)
>あまりにコアでディープな話に成り過ぎましたので少し余談を書かせていただきました。
この調子で2人で始めたら入隊してから満期でやめるまでの3年間のエピソードを
延々と書きそうだからこの辺で、久々にコアな話が出来て楽しかったです。
ありがとうございました(^^)
そうだ水測はCIC勤務だけど1分隊だったんだよな。他の分隊の事はすぐ忘れてしまいます。
>少術校出身の若い三曹がいて(19歳程度)海士長になっても、
>こいつらにアゴで使われるという配置が嫌で辞めたのかもしれません。
>私は現在45歳で、ゆーじさんよりは少し年下なんですよね。
てことはまさ吉さんは20歳以上になってから入隊ですか?私は19歳入隊だったから、
中卒で入隊した少年術科学校出の同い年だけど1級下19歳の3曹に命令されてたけど、
1級下でもとりあえず自分と同い年だし、自衛隊はメシの数だからそういうのはしかたが
ないって納得出来たんですが、20歳以上になって入隊すると、年下で純粋培養された
世間知らずの少術校出のバカに命令されるから頭に来ますよね。それが原因で辞め
ちゃうのはよくわかります。当時は曹候補生の第1期と第2期でしたが、全員漏れなく
少術校出にいじめられて、みんな辞めてしまって全滅だったなぁ。
>教育隊の修業式と別れで激しく涙したことを憶えています。彼らは今、どうしているのだろうか・・
本当ですね、特に航空隊に行った奴らなんか完全に別世界ですからねぇ。
私が辞める時に人事課に聞いたら人事課も何人辞めるのか把握してないんだよね。
以前、なだしお裁判の時にTV見てたら同期が証人として呼ばれているのを見つけて
懐かしくなりました。
>二護群のたかつき時代に「特艇員」に選ばれて、2ケ月間、カッターばかり漕いでいました。
>最後には、あのオールをバキバキと何本も折る位まで全員鍛えられていた訳ですから・・・
私は右舷しか漕げないんですよ。カッター漕ぐのは好きでしたけど体力無しですから
カッターは全然駄目でしたね。背が高いからって一番最初にストロークさせられたら、
体力無いからオールがついていけなくて速やかに3番に変更、そしたら1番の奴が
爪竿ともやい索の取り扱いがへたくそで、艇体を痛めるからって事で私が1番に。
おかげでオールが軽くて漕ぐのが楽でしたよ。体力が無かったのでストロークが出来
る奴は人間じゃ無いと思ってました。でも教育隊の最後の頃にはオールを1本折って
班長に誉められたから少しは体力付いたのかな?最初の頃はケツの皮剥いてパンツ
が血まみれになって風呂で飛び上がったのを思い出します(^^)
>上陸後、ピンサロに行くのまで一緒。
1分隊はみんな酒好きだもんねぇ。「親睦のために団体行動で鯨飲鯨食」が基本で、
上陸すると各パートごとに半強制的に飲み屋に直行でしょ。自分のプライベートタイム
を何より大事にしていた私は3分隊で良かったと思いましたよ。3分隊は上陸すれば
干渉無しが伝統ですから、プライベートに一切干渉してこないのがありがたかったです。
・戦争する1分隊は体力とチームワークが基本、ごちゃごちゃ理屈を言う奴は嫌われる。
・艦を動かす2分隊はデスクワークが多いので体は楽でもねちねち言葉の暴力がすんごい。
・機械を扱う3分隊は理屈優先でちょっとでもミスするとその場で思いっきり怒鳴られる。
・飯炊きの4分隊は少人数だから和気藹々らしい(全然知らん)。そんな感じでしたね。
>ゆーじさんもちゃんと金杯もってますか〜?
そんなものがあるって聞いた記憶はありますが横須賀じゃくれませんでしたよ。
教育隊の修業アルバムは大事な思い出ですね。それとたぶん誰も持ってないであろう
「後発後期」の懲罰公文書も大事な思い出品です(苦笑)。3分隊は舷門当番に立ちま
せんので必要ないから自前の制服を作りませんでした。なので真面目に官品の制服を
返納したのが悔やまれます。支給された再用古品の旧型冬制服を徹底的に改造してた
んですけどね。(ジョンベラに唐獅子牡丹の刺繍は入れてませんでしたが(^ ^;
今残ってるのは自前の制帽と、員数外だからくれた「海上自衛隊」「第33護衛隊」
「護衛艦あやせ」のペンネント3本だけです。
>二人で自衛隊よもやま話「涙の艦隊勤務」なんて執筆できそうですね(´ー`)
>あまりにコアでディープな話に成り過ぎましたので少し余談を書かせていただきました。
この調子で2人で始めたら入隊してから満期でやめるまでの3年間のエピソードを
延々と書きそうだからこの辺で、久々にコアな話が出来て楽しかったです。
ありがとうございました(^^)