おちつかれたようで、なによりです。
今日は私も、ちょっと嫌なことがあり凹んでいます。
気持ちってお天気みたいにころころ変わりますよね。手なずけるのに一苦労。
>迷惑にも「大変な迷惑」と「些細な迷惑」があるんですよね・・・。「全く迷惑をかけてはいけない」と思うと苦しくなってしまいますが、些細な迷惑なら、謝ったりお礼を言ったりして許してもらえばいいのかもしれないなと思いました。
そうですね。時と場所を選べば、大丈夫だと思います。なかなか難しいけど・・
>異性との関係についても、貴重なお言葉をありがとうございます。ちょっと褒めただけでも、相手は「ぼくの存在は全肯定されている」と思ってしまうようなのです。
みんな何かしらさびしいんだと思います。
悩みを打ち明けられて丁寧に答えたり、元気付けたりすると、人としての親切なのに、異性としての親切だと勘違いされたりしますよね。相手の様子をみて、ほどほどがいいと思います。勿論、性別を超えての友情もアリだと思うから、そのさじ加減が問題ですよね。
>別に身勝手でもなんでもない優しい恋人でも、あまり私が褒め称えてばかりいると、そのうち要求の鬼のようになっていきますから、どこかで「ごめんなさい。できません。」は言わなければならないのです。そのときに私は義務を放棄しているかような後ろめたさを感じてしまいがちですが、あとで人を恨まないためにも、今、勇気を持って自分の価値を信じるようにしようと思いました。
そうですね。それがいいんじゃないかと思います。
でも、相手が要求の鬼になるって、相当ですね。そういった関係に持ち込まないためには、、相手の弱みを握っておくことも必要?かもですね。それとも、もともとそういった素養があったのかも?
ごめんなさい、人の恋人の悪口を。。
よく分からないんですが、一方的に褒めたりせず、人間一長一短ありますから、お互いのいいところ、嫌なところ、つまり全体を認めつつ、かつそれを補い合えるような関係が理想かなと思います。
恋人や家族や友達なら、嫌いなところも指摘しあって、どんどん切磋琢磨していっていいと、私は思ってます。
>ギラギラした欲望を持っていない人もいるということは、私には意外でした。みんな本当はギラギラしているから、誰かが我慢しないことにはうまくやっていけないのだろうと思っていたのですが、どうやら、それは違うみたいですね。私は自己顕示欲が非常に強いのに、何かを優先して普段は抑えているのかもしれません。
うーん。どうなんでしょうねえ。
周りをみると、ぎらぎらしてない人もたくさん居ますよ。
>一世の人は「自分がもっと早くにこの素晴らしい思想に気づけていたら」という思いがあり、家族の無理解に苦しんでいる現状からか、二世が信仰の中に育ってきた環境がうらやましいと言います。
そうですね。私の場合、母がやってるんですが、母はそういいますね。親子でも他人ですから、利害関係の発生は仕方ないかなと思います。なるべくおたがいを尊重しつつ、それぞれの道を歩めたらいいなって思います。
>けれども、二世として会に参加している高校生は、実際に自我の目覚めが遅れて親のいいなりの状態にあるといえます。二世高校生たちは、一世高校生の言動に、なんだか分からない矛盾を感じつつ、一世の情熱的な発言に対して言い返す言葉はまだ持っていませんでした。
>
感覚の問題なので、なかなか言い返せないこともありますよね。
ぼんやりとした違和感。最初はそんな感じでしょうか。
理屈はその後意識的に身につけた感じ。
> 教会が私に及ぼした悪影響は大きく分けて三つあります。権力者の言説を絶対とする物の見方、徹底した男尊女卑、社会への不信感です。カルヴァンの思想は政治に結びつきやすく教会内でも「教会政治」という言葉が頻繁に用いられました。罰を受け可哀想な扱いを受けていた人もいます。そして教会政治に携わるのは男性だけでした。
それは、少なからずあると思います。
女性の権利とキリスト教の関係について研究している人もいるくらいですから。
>エバはアダムが一人でいるのが気の毒だから創造されただけなので、エバはアダムの役に立たなければ意味がない、と私は思っていました(この思い方は、今も本質的にあまり変わらないです)。そして「われわれは社会から迫害されている」という思想により、教会内の政治力を強めていくような思想の流れになっていましたが、このあたりはエホバの証人と似ているようですね。子供の頃、教会の思想のために学校の運動会に参加できなかったことがあり、学校で習うことに反対しなければならないシチュエーションが、私にもありました。ただし、金銭や時間の搾取はありませんでした。ここ数年、児童虐待やアダルトチルドレンという角度から自分の過去を調べてみるうちに解決した問題もありますが、それだけではどうしても解決しなかったところがあります。「なぜか、私は他のアダルトチルドレンとは違うなぁ」という部分がありました。特に罪悪感、加害者に対する寛容さ、精神的自虐性の部分です。このサイトなどを参考にさせていただき、キリスト教二世という立場で考えてみたときに、残りの問題の解決の糸口が得られた気がしたのです。
よかったですね。
私のほうも、宗派とかのくくり関係なく、2世特有の傾向ってあるんじゃないかと考えている者なので、とっても参考になります。
ではでは。
今日は私も、ちょっと嫌なことがあり凹んでいます。
気持ちってお天気みたいにころころ変わりますよね。手なずけるのに一苦労。
>迷惑にも「大変な迷惑」と「些細な迷惑」があるんですよね・・・。「全く迷惑をかけてはいけない」と思うと苦しくなってしまいますが、些細な迷惑なら、謝ったりお礼を言ったりして許してもらえばいいのかもしれないなと思いました。
そうですね。時と場所を選べば、大丈夫だと思います。なかなか難しいけど・・
>異性との関係についても、貴重なお言葉をありがとうございます。ちょっと褒めただけでも、相手は「ぼくの存在は全肯定されている」と思ってしまうようなのです。
みんな何かしらさびしいんだと思います。
悩みを打ち明けられて丁寧に答えたり、元気付けたりすると、人としての親切なのに、異性としての親切だと勘違いされたりしますよね。相手の様子をみて、ほどほどがいいと思います。勿論、性別を超えての友情もアリだと思うから、そのさじ加減が問題ですよね。
>別に身勝手でもなんでもない優しい恋人でも、あまり私が褒め称えてばかりいると、そのうち要求の鬼のようになっていきますから、どこかで「ごめんなさい。できません。」は言わなければならないのです。そのときに私は義務を放棄しているかような後ろめたさを感じてしまいがちですが、あとで人を恨まないためにも、今、勇気を持って自分の価値を信じるようにしようと思いました。
そうですね。それがいいんじゃないかと思います。
でも、相手が要求の鬼になるって、相当ですね。そういった関係に持ち込まないためには、、相手の弱みを握っておくことも必要?かもですね。それとも、もともとそういった素養があったのかも?
ごめんなさい、人の恋人の悪口を。。
よく分からないんですが、一方的に褒めたりせず、人間一長一短ありますから、お互いのいいところ、嫌なところ、つまり全体を認めつつ、かつそれを補い合えるような関係が理想かなと思います。
恋人や家族や友達なら、嫌いなところも指摘しあって、どんどん切磋琢磨していっていいと、私は思ってます。
>ギラギラした欲望を持っていない人もいるということは、私には意外でした。みんな本当はギラギラしているから、誰かが我慢しないことにはうまくやっていけないのだろうと思っていたのですが、どうやら、それは違うみたいですね。私は自己顕示欲が非常に強いのに、何かを優先して普段は抑えているのかもしれません。
うーん。どうなんでしょうねえ。
周りをみると、ぎらぎらしてない人もたくさん居ますよ。
>一世の人は「自分がもっと早くにこの素晴らしい思想に気づけていたら」という思いがあり、家族の無理解に苦しんでいる現状からか、二世が信仰の中に育ってきた環境がうらやましいと言います。
そうですね。私の場合、母がやってるんですが、母はそういいますね。親子でも他人ですから、利害関係の発生は仕方ないかなと思います。なるべくおたがいを尊重しつつ、それぞれの道を歩めたらいいなって思います。
>けれども、二世として会に参加している高校生は、実際に自我の目覚めが遅れて親のいいなりの状態にあるといえます。二世高校生たちは、一世高校生の言動に、なんだか分からない矛盾を感じつつ、一世の情熱的な発言に対して言い返す言葉はまだ持っていませんでした。
>
感覚の問題なので、なかなか言い返せないこともありますよね。
ぼんやりとした違和感。最初はそんな感じでしょうか。
理屈はその後意識的に身につけた感じ。
> 教会が私に及ぼした悪影響は大きく分けて三つあります。権力者の言説を絶対とする物の見方、徹底した男尊女卑、社会への不信感です。カルヴァンの思想は政治に結びつきやすく教会内でも「教会政治」という言葉が頻繁に用いられました。罰を受け可哀想な扱いを受けていた人もいます。そして教会政治に携わるのは男性だけでした。
それは、少なからずあると思います。
女性の権利とキリスト教の関係について研究している人もいるくらいですから。
>エバはアダムが一人でいるのが気の毒だから創造されただけなので、エバはアダムの役に立たなければ意味がない、と私は思っていました(この思い方は、今も本質的にあまり変わらないです)。そして「われわれは社会から迫害されている」という思想により、教会内の政治力を強めていくような思想の流れになっていましたが、このあたりはエホバの証人と似ているようですね。子供の頃、教会の思想のために学校の運動会に参加できなかったことがあり、学校で習うことに反対しなければならないシチュエーションが、私にもありました。ただし、金銭や時間の搾取はありませんでした。ここ数年、児童虐待やアダルトチルドレンという角度から自分の過去を調べてみるうちに解決した問題もありますが、それだけではどうしても解決しなかったところがあります。「なぜか、私は他のアダルトチルドレンとは違うなぁ」という部分がありました。特に罪悪感、加害者に対する寛容さ、精神的自虐性の部分です。このサイトなどを参考にさせていただき、キリスト教二世という立場で考えてみたときに、残りの問題の解決の糸口が得られた気がしたのです。
よかったですね。
私のほうも、宗派とかのくくり関係なく、2世特有の傾向ってあるんじゃないかと考えている者なので、とっても参考になります。
ではでは。