こんにちは。
チーズケーキです。
もしかして、ろかいゆさんの言われてる内容と方向性がずれてしまっていたらごめんなさい、と前置きさせていただき、コメントします。
宗教をやめるということは、そこでの価値観を捨てて、新しい価値観を自力で構築していくということだと思います。つまり、物理的にやめてから、精神的な苦しみが始まるのではないでしょうか?
たとえばアメリカで生まれて暮らしてたひとが、日本に来て日本人として暮らすようなものなのかな??(しかも外見は日本人)
私は15年ほどいたので、やめてから15年ほどで、そういった自分なりの「落としどころ」が見つかればいいかなと思ってやってきました。自分の価値観のなかに、どの程度宗教で教わったことが含まれているか、点検して、余計なものは排除し、あたらしいものを注入していくことが必要なのかな?と思います。そうしないと、せっかくやめて自由を手にした意味がなくなってしまうかもしれないからです。
私の場合は、やめてしばらく数年は、教育や指導などにものすごい抵抗感を感じ、大人の言うことが信じられませんでした。また、JWでいけないとされてきたことをどんどんやりました。(もちろん、殺人とか、警察沙汰になるようなことはしてませんが)タバコ、お酒、友達を沢山つくること、親に逆らい自己主張することなど。また実家にいると信者の親と衝突して辛いので、一人で暮らしました。なんか、可愛いもんですね。
私も、昔の恋人には酷いこと沢山してきました。その人達には、大変申し訳なかったと思います。でも、その過程で、どうすればうまくいくか、自分なりのセオリーを見出せたと思ってます。(相手を実験台にするような感じで酷いなあ・・)失敗は糧にしちゃえば結果的にはノープロブレムかなと思います。でも彼らには私の生い立ちは関係ないので、ほんとに失礼なことをしたと思います。
そうしていろいろもがくうちに、自分のことを自分で決めて、人の言うことにそんなに左右されなくなりました。ただ、必要だと思ったことはどんどん取り入れますけど。
今の私の自分への報酬は、小さいことですが、仕事の後に飲む缶チューハイです。新製品がほぼ毎月出て、飲みきれないくらい。楽しいです(^^)。もう少し頑張ったときは、ダンナと美味しいものを食べに出かけます。もっともっと頑張ったときは、生活を潤す道具(たとえば空気清浄機とか、塩素を除去するシャワーヘッドとか。。)を買いますね。なんだかふつーすぎるけど、とにかくまあそんな感じです。
何よりも、やっぱり、悩んでしまう自分をさらに責めないことが大事かなと。いい時期も悪い時期も、いろいろあると思うので。私もいつどんな時期を迎えるか分からないので、油断せずやっていこうと思います。
親や生まれ育った環境は変えがたいですが、自分は変われます。
今は大人になって、自由と責任を手にして、本当にうれしいな、よかったなと思います。
労働は、ろかいゆさんのいらしたところでは罪だったのですね。
でも、現実問題生きていくにはお金が必要だし、お金は生活を快適にするのに有効な道具だと思いますので、あって困ることはないですよね。また仕事を持っているほうが経済的に自立でき、行動範囲を広げられるし、社会に貢献して、自信や信用を得やすいかなと思います。また仕事を通していろいろな人や出来事に遭遇して勉強になることも多いと思います。私は仕事で出会った上司やいろいろな人と交流して、いろいろな価値観を学んだ気がしています。(もちろん、家事子育ても無償ですがたいへん立派な仕事ですね。今回は論点から外させていただきますが)
長くなりましたが、このへんで。
チーズケーキです。
もしかして、ろかいゆさんの言われてる内容と方向性がずれてしまっていたらごめんなさい、と前置きさせていただき、コメントします。
宗教をやめるということは、そこでの価値観を捨てて、新しい価値観を自力で構築していくということだと思います。つまり、物理的にやめてから、精神的な苦しみが始まるのではないでしょうか?
たとえばアメリカで生まれて暮らしてたひとが、日本に来て日本人として暮らすようなものなのかな??(しかも外見は日本人)
私は15年ほどいたので、やめてから15年ほどで、そういった自分なりの「落としどころ」が見つかればいいかなと思ってやってきました。自分の価値観のなかに、どの程度宗教で教わったことが含まれているか、点検して、余計なものは排除し、あたらしいものを注入していくことが必要なのかな?と思います。そうしないと、せっかくやめて自由を手にした意味がなくなってしまうかもしれないからです。
私の場合は、やめてしばらく数年は、教育や指導などにものすごい抵抗感を感じ、大人の言うことが信じられませんでした。また、JWでいけないとされてきたことをどんどんやりました。(もちろん、殺人とか、警察沙汰になるようなことはしてませんが)タバコ、お酒、友達を沢山つくること、親に逆らい自己主張することなど。また実家にいると信者の親と衝突して辛いので、一人で暮らしました。なんか、可愛いもんですね。
私も、昔の恋人には酷いこと沢山してきました。その人達には、大変申し訳なかったと思います。でも、その過程で、どうすればうまくいくか、自分なりのセオリーを見出せたと思ってます。(相手を実験台にするような感じで酷いなあ・・)失敗は糧にしちゃえば結果的にはノープロブレムかなと思います。でも彼らには私の生い立ちは関係ないので、ほんとに失礼なことをしたと思います。
そうしていろいろもがくうちに、自分のことを自分で決めて、人の言うことにそんなに左右されなくなりました。ただ、必要だと思ったことはどんどん取り入れますけど。
今の私の自分への報酬は、小さいことですが、仕事の後に飲む缶チューハイです。新製品がほぼ毎月出て、飲みきれないくらい。楽しいです(^^)。もう少し頑張ったときは、ダンナと美味しいものを食べに出かけます。もっともっと頑張ったときは、生活を潤す道具(たとえば空気清浄機とか、塩素を除去するシャワーヘッドとか。。)を買いますね。なんだかふつーすぎるけど、とにかくまあそんな感じです。
何よりも、やっぱり、悩んでしまう自分をさらに責めないことが大事かなと。いい時期も悪い時期も、いろいろあると思うので。私もいつどんな時期を迎えるか分からないので、油断せずやっていこうと思います。
親や生まれ育った環境は変えがたいですが、自分は変われます。
今は大人になって、自由と責任を手にして、本当にうれしいな、よかったなと思います。
労働は、ろかいゆさんのいらしたところでは罪だったのですね。
でも、現実問題生きていくにはお金が必要だし、お金は生活を快適にするのに有効な道具だと思いますので、あって困ることはないですよね。また仕事を持っているほうが経済的に自立でき、行動範囲を広げられるし、社会に貢献して、自信や信用を得やすいかなと思います。また仕事を通していろいろな人や出来事に遭遇して勉強になることも多いと思います。私は仕事で出会った上司やいろいろな人と交流して、いろいろな価値観を学んだ気がしています。(もちろん、家事子育ても無償ですがたいへん立派な仕事ですね。今回は論点から外させていただきますが)
長くなりましたが、このへんで。