チーズケーキさん、いつもありがとうございます! こちらこそ焦点の定まらない質問をしてしまったのですが、よく読んで答えてくださって、とても参考になりました。おっしゃるとおり、トラウマをある程度整理した後で、この世の中を見渡してみると、外国に来たような気がします。
私は、物理的にやめて15年ほど経っています。そういえば、最近15年間のことを、私はあまり意識していなかった、と気づきました。チーズケーキさんの場合と違って、私は、教育そのものに対する反発心がなく、反抗期もありませんでした。多少、大胆な行動はしましたが、今までずっと「いい子人生」を選んでいます。15年間に、私は特に3人の先生に感化されました。思えば、その3人の先生はみな、既成の思想や教育、文化に対立する立場をとっている、新しい考えの人たちでした(今までそういう括りで考えたことがありませんでした)。そのうちの一人は宗教家でした。私は15年前には、まだ自分で新しい考えを構築していく力がなかったので、先生の思想をそのまま受け入れたのです。ただ、いつまでも「トラの威を借るキツネ」のようでは仕方がありません。今になって、やっと私は、自分の意思や感情を、本当に必要とするようになったのだと感じています。
私は、幸か不幸か、物心ついた時には、もう宗教教育を受けていて、私のもとの倫理観は、完全にそれ一色で、洗脳の度合いは激しいです。そして15年前から違う思想が入ってきて、聖書解釈がガラッと変わりました。それでも基本的に三位一体のキリスト教の神というのは同じで、そこから出ていくことには潜在的に恐怖も抵抗もありました。そして「キリスト教の神」として私がイメージするのは、やはり幼い頃から慣れ親しんだ「裁きの神」です。私は、最近、自己分析をやっていて、どうしても今では三位一体の神を捨てなくてはならないと感じました。(エホバの証人も三位一体はありますか?)
> 私も、昔の恋人には酷いこと沢山してきました。
そうなんですか。私は、昔の恋人には、酷いことをしてきたのか、されてきたのか、よく分かりません。今では、罪の意識は、それほど大きくはありません。昨日、ゲストブックの投稿を書いていて、四人目の彼と別れるときに、私はひどい傷つき方をして、その恐怖感が癒えていないことに、初めて気づきました。気づけてよかったです。理解することで、今の彼と過去を同一視せずにすむようになるので、ラクになれます。こうして、ひとつひとつ、失敗を糧にして、これからを良くしていきたいです。
缶チューハイって、そうですか。すごいなぁ、チーズケーキさんは、きっとすごく人間ができているんだ、と思いました。私もビールやワインが大好きですが、それは天国の代わりとしては物足りない(笑)。私は、人からの温かい言葉とか、理解とかが欲しいのかもしれないな、と思いました。だから、こうしてお返事をいただけるのは、本当に幸せを感じています。天にも昇る心地とまでいうのは大げさとしても、とても嬉しいです。励ましてくださって、本当にありがとう。
> 労働は、ろかいゆさんのいらしたところでは罪だったのですね。
罪ではなくて、罰(ばつ)ですね。分かりにくい表現をしてしまったかもしれません。忘れていたのですが、私の記憶が間違っていなければ、エホバの証人は、聖典は、たしか新約聖書だけでしょう。旧約聖書の中には、人類の始祖アダムとエヴァが罪を犯したという神話があります。その後、私たちの代まで、その罪は先祖代々、連鎖しているという考えかたがあります。こうして全人類が生まれつき負った罪を「原罪(げんざい)」と呼んでいます。原罪について神が怒り、全人類に課した罰(ばつ)が、男性の労働と女性の出産の苦しみだという話です。囚人が監獄で労働させられるのと同じような意味となります。さらにカルヴァンには「原罪が起こることも、全知全能の神により初めから予定された出来事だった」という教理があります(これが悪名高き「二重予定説」、地獄の教えです)。でも、そんなふうに思うのでは辛いですから、私も少しずつ考え方を変えて、気持ちよく自分の能力を活かし、幸せを実現するために使っていけたらいいなと思います。自信や信用は、私が一番欲しいと思っているものです。「善とは、人間の本来持っている能力を、幸せの実現のために使うことだ」というアリストテレスの言葉は、私にとって、本当に衝撃的で感動的なものでした。
私は、物理的にやめて15年ほど経っています。そういえば、最近15年間のことを、私はあまり意識していなかった、と気づきました。チーズケーキさんの場合と違って、私は、教育そのものに対する反発心がなく、反抗期もありませんでした。多少、大胆な行動はしましたが、今までずっと「いい子人生」を選んでいます。15年間に、私は特に3人の先生に感化されました。思えば、その3人の先生はみな、既成の思想や教育、文化に対立する立場をとっている、新しい考えの人たちでした(今までそういう括りで考えたことがありませんでした)。そのうちの一人は宗教家でした。私は15年前には、まだ自分で新しい考えを構築していく力がなかったので、先生の思想をそのまま受け入れたのです。ただ、いつまでも「トラの威を借るキツネ」のようでは仕方がありません。今になって、やっと私は、自分の意思や感情を、本当に必要とするようになったのだと感じています。
私は、幸か不幸か、物心ついた時には、もう宗教教育を受けていて、私のもとの倫理観は、完全にそれ一色で、洗脳の度合いは激しいです。そして15年前から違う思想が入ってきて、聖書解釈がガラッと変わりました。それでも基本的に三位一体のキリスト教の神というのは同じで、そこから出ていくことには潜在的に恐怖も抵抗もありました。そして「キリスト教の神」として私がイメージするのは、やはり幼い頃から慣れ親しんだ「裁きの神」です。私は、最近、自己分析をやっていて、どうしても今では三位一体の神を捨てなくてはならないと感じました。(エホバの証人も三位一体はありますか?)
> 私も、昔の恋人には酷いこと沢山してきました。
そうなんですか。私は、昔の恋人には、酷いことをしてきたのか、されてきたのか、よく分かりません。今では、罪の意識は、それほど大きくはありません。昨日、ゲストブックの投稿を書いていて、四人目の彼と別れるときに、私はひどい傷つき方をして、その恐怖感が癒えていないことに、初めて気づきました。気づけてよかったです。理解することで、今の彼と過去を同一視せずにすむようになるので、ラクになれます。こうして、ひとつひとつ、失敗を糧にして、これからを良くしていきたいです。
缶チューハイって、そうですか。すごいなぁ、チーズケーキさんは、きっとすごく人間ができているんだ、と思いました。私もビールやワインが大好きですが、それは天国の代わりとしては物足りない(笑)。私は、人からの温かい言葉とか、理解とかが欲しいのかもしれないな、と思いました。だから、こうしてお返事をいただけるのは、本当に幸せを感じています。天にも昇る心地とまでいうのは大げさとしても、とても嬉しいです。励ましてくださって、本当にありがとう。
> 労働は、ろかいゆさんのいらしたところでは罪だったのですね。
罪ではなくて、罰(ばつ)ですね。分かりにくい表現をしてしまったかもしれません。忘れていたのですが、私の記憶が間違っていなければ、エホバの証人は、聖典は、たしか新約聖書だけでしょう。旧約聖書の中には、人類の始祖アダムとエヴァが罪を犯したという神話があります。その後、私たちの代まで、その罪は先祖代々、連鎖しているという考えかたがあります。こうして全人類が生まれつき負った罪を「原罪(げんざい)」と呼んでいます。原罪について神が怒り、全人類に課した罰(ばつ)が、男性の労働と女性の出産の苦しみだという話です。囚人が監獄で労働させられるのと同じような意味となります。さらにカルヴァンには「原罪が起こることも、全知全能の神により初めから予定された出来事だった」という教理があります(これが悪名高き「二重予定説」、地獄の教えです)。でも、そんなふうに思うのでは辛いですから、私も少しずつ考え方を変えて、気持ちよく自分の能力を活かし、幸せを実現するために使っていけたらいいなと思います。自信や信用は、私が一番欲しいと思っているものです。「善とは、人間の本来持っている能力を、幸せの実現のために使うことだ」というアリストテレスの言葉は、私にとって、本当に衝撃的で感動的なものでした。