> やはり焦点がぼけていたみたいで、ごめんなさい。
そんなことないんですよ。こうして言葉を交わしていく中で、いろいろな気づきがあって、とても助けられています。
> 私もです、卵子の頃から(笑)
あはは! 卵子といえば、卵子の発見は以外に遅く、19世紀になってからのことなんだそうです。それまでは、男性の種によってだけ、子供が授かると思われていたんだとか・・。その発見の遅れを、キリスト教思想と絡めて述べてある文章を、どこかで読んだことがあります。
> でも反応は反対みたいですね。面白いですね。
本当にそうですね。
> 私は、先生と名のつく人は大嫌いでしたよ。偉そうに!とかって思って。だから、誰かに心酔したりとか、そういうのはなかった、逆に誰のいうことも聞くもんか!て感じでしょうか。まったく、今思うと困ったちゃんですね。
それは、きっと自立心に富んでいたんですよ。私も中学生のころ、教会の偉いさんを質問責めに遭わせた経験があります。偉い立場に立っている人って、案外よく考えもせずに物を言っているんだなぁ、と、その時は思いました。自分のことしか分からないくせに、人類全般に当てはまるような言い方をされると、アタマに来ますね(笑)。
> 私の記憶では、三位一体ではなかったと記憶しています。
教えてくださって、ありがとうございます。私にとっては、神が「一であり多である」のは当然のようにも感じますが、「三位一体」という定義づけを、みんなで共有することはとても難しいし、特にこの教えは、親子関係のよくなかった人には向かないのではないかと思っています。
> 神様を捨てるのも、信じ続けるのも、ご自身の自由な選択だと思いますよ。私の場合は捨てちゃいましたけど、スタンスはそれぞれだと思うし、要は自分が何を選ぶかだと思います。
そうですよね。私は、今、探しているんだと思います。「神」という用語にはトラウマがありますが、何らかの指針は必要なのです。老子は神のことを「本来、名づけようのないものだが、ここでは道とよぼう」と言っていますが、とても共感するところがあります。アダルトチルドレンの「ハイアーパワー、ハイアーセルフ」という言葉は、とてもいいと思っています。でも、そういう言葉も、変な使われかたをすることもあります。最近では、私は夢見を信じています。夢分析をマスターすると、自分の近未来を、ぼんやりと予測できるので、少し自信がつきます。でも、どんな夢を見たか、人に話したりは、あまりしません。
> 恋愛って、(というか親子も友達も、とにかく人付き合いって)傷つき傷つけられって感じだと思うんです。その分いいこともたくさんたくさんあるんだと思いますよ。
本当に、いいことはたくさんあるし、傷こそがチャンスだとも思います。数年前まで、私は人生模様の絵画の上に一様にバラ色の絵の具を塗りたくってしまうようなことをやっていたのですが、今では、その絵の具をはがして絵画を修復し、少しずつ本当の模様をみようとしています。たぶん、全体的には、うまくいっているんだと思います。
> いやいや、ただ小さいのです。
そういうふうに謙遜に自己評価をなさるところも含めて、私はチーズケーキさんを尊敬していますよ。お金を大事にして、堅実に生活していくことは大事ですよね。小さな幸せに満足を感じることって、人として最上の徳なんじゃないかと、私は思っています。
> 私はあまり真剣にやってなかったみたいで、たくさん教育を受けた割りにちっとも教理を覚えてないんですよね。
むしろそのほうがよかったのかもしれませんね! 私は理屈がすきで、弁証法的に発展する道を選んできたのかな、とも思います。でも究極的には、自分の好きなことを知る自分の感覚だけが、本当のことに辿り着く道しるべになるんだと、最近は思うのです。チーズケーキさんとお話しするうちに、「なるほど、すべてを知っていなくても、仕事をして生きることには、とくに問題はないのだ」ということが分かりました。まぁ、こんなことは当たり前なのかもしれません。「学を捨てれば憂いなし」という言葉もあります。私は、物事を突き詰めて問題化する性格傾向のようです。「ほどほどに」というアドバイスをもらうことが、よくあります。おかげさまで、今、自分のやっておいたほうがいいことが何なのか、だいたい分かってきました。ありがとうございます。
そんなことないんですよ。こうして言葉を交わしていく中で、いろいろな気づきがあって、とても助けられています。
> 私もです、卵子の頃から(笑)
あはは! 卵子といえば、卵子の発見は以外に遅く、19世紀になってからのことなんだそうです。それまでは、男性の種によってだけ、子供が授かると思われていたんだとか・・。その発見の遅れを、キリスト教思想と絡めて述べてある文章を、どこかで読んだことがあります。
> でも反応は反対みたいですね。面白いですね。
本当にそうですね。
> 私は、先生と名のつく人は大嫌いでしたよ。偉そうに!とかって思って。だから、誰かに心酔したりとか、そういうのはなかった、逆に誰のいうことも聞くもんか!て感じでしょうか。まったく、今思うと困ったちゃんですね。
それは、きっと自立心に富んでいたんですよ。私も中学生のころ、教会の偉いさんを質問責めに遭わせた経験があります。偉い立場に立っている人って、案外よく考えもせずに物を言っているんだなぁ、と、その時は思いました。自分のことしか分からないくせに、人類全般に当てはまるような言い方をされると、アタマに来ますね(笑)。
> 私の記憶では、三位一体ではなかったと記憶しています。
教えてくださって、ありがとうございます。私にとっては、神が「一であり多である」のは当然のようにも感じますが、「三位一体」という定義づけを、みんなで共有することはとても難しいし、特にこの教えは、親子関係のよくなかった人には向かないのではないかと思っています。
> 神様を捨てるのも、信じ続けるのも、ご自身の自由な選択だと思いますよ。私の場合は捨てちゃいましたけど、スタンスはそれぞれだと思うし、要は自分が何を選ぶかだと思います。
そうですよね。私は、今、探しているんだと思います。「神」という用語にはトラウマがありますが、何らかの指針は必要なのです。老子は神のことを「本来、名づけようのないものだが、ここでは道とよぼう」と言っていますが、とても共感するところがあります。アダルトチルドレンの「ハイアーパワー、ハイアーセルフ」という言葉は、とてもいいと思っています。でも、そういう言葉も、変な使われかたをすることもあります。最近では、私は夢見を信じています。夢分析をマスターすると、自分の近未来を、ぼんやりと予測できるので、少し自信がつきます。でも、どんな夢を見たか、人に話したりは、あまりしません。
> 恋愛って、(というか親子も友達も、とにかく人付き合いって)傷つき傷つけられって感じだと思うんです。その分いいこともたくさんたくさんあるんだと思いますよ。
本当に、いいことはたくさんあるし、傷こそがチャンスだとも思います。数年前まで、私は人生模様の絵画の上に一様にバラ色の絵の具を塗りたくってしまうようなことをやっていたのですが、今では、その絵の具をはがして絵画を修復し、少しずつ本当の模様をみようとしています。たぶん、全体的には、うまくいっているんだと思います。
> いやいや、ただ小さいのです。
そういうふうに謙遜に自己評価をなさるところも含めて、私はチーズケーキさんを尊敬していますよ。お金を大事にして、堅実に生活していくことは大事ですよね。小さな幸せに満足を感じることって、人として最上の徳なんじゃないかと、私は思っています。
> 私はあまり真剣にやってなかったみたいで、たくさん教育を受けた割りにちっとも教理を覚えてないんですよね。
むしろそのほうがよかったのかもしれませんね! 私は理屈がすきで、弁証法的に発展する道を選んできたのかな、とも思います。でも究極的には、自分の好きなことを知る自分の感覚だけが、本当のことに辿り着く道しるべになるんだと、最近は思うのです。チーズケーキさんとお話しするうちに、「なるほど、すべてを知っていなくても、仕事をして生きることには、とくに問題はないのだ」ということが分かりました。まぁ、こんなことは当たり前なのかもしれません。「学を捨てれば憂いなし」という言葉もあります。私は、物事を突き詰めて問題化する性格傾向のようです。「ほどほどに」というアドバイスをもらうことが、よくあります。おかげさまで、今、自分のやっておいたほうがいいことが何なのか、だいたい分かってきました。ありがとうございます。