ゆーじさん
ゆーじさんはJW関係の膨大な情報を大変わかりやすく案内してくれるすばらしいガイドさんです!ゆーじさんがこれまでアップしてくださった記述を改めて読ませて頂くたびに感動させていただいております!
ゆーじさんがわかりやすく書いていてくれなければ、いろいろ気づけなかったよな〜と思います!本当にありがとうございます!
今日はJWでは記念式の日ですね。
今晩はteruさんと二人でJWの名残から家でパンは食パン、ぶどう酒は赤ワインをを準備してイエスの死を思い起こし、イエスの贖いを思い、感謝しました。
そこで改めて
@JWがなぜ無酵母パンにこだわり、キリスト教は食パンだったりする。さてどちらが正しい?
AJWはなぜ毎年1回のユダヤ暦ニサン14日だけに記念式を行っている。しかしキリスト教はほとんど今日の今晩を記念式としているところはなく、毎週日曜だったり、月に1回記念式(正餐式)をしている。むしろ復活祭の方がよりキリスト教では盛大に行われている。さてどちらが正しい?
その点をteruさんとテーブルにいろんな聖書を5冊と聖書関係の辞書、参考書数冊を広げて調べてみました。
結果、今晩ちょっと調べただけでも、結構知らないことがあることがわかりました。
teruさんも「知らなかった〜」と言っておりました。
調べたことから
私リミのまとめ
@ひょっとして食パンより、無酵母パンのほうがよりいいのかも。
・イエスは無酵母のパンの祭り(キリスト教では除酵祭)の食事の準備を弟子たちにしなさい。ルカ22:8
・この過ぎ越しの食事を切に願っていたイエス。ルカ22:15
・イエスが亡くなられ、墓に葬られた時のことを「その日は準備の日」とある。ルカ23:54(ルカ22:7は「除酵祭の日が来た」となっている。ルカの記述の日時のつじつまがあわないことが判明。キリスト教の教義としてもこの点が議論となるところらしい)
・聖書参考書によると、無酵母パンの祭り(除酵祭)はニサン15日から7日間。
種なしパンと杯と食し子羊をほふる。詩編を謳う。
イエスが亡くなられたのはニサン14日。無酵母パンの祭りの前日。
teruさんが言うに、「主の晩餐は無酵母パンの祭りの2日ぐらい前だと思うから、準備した無酵母パンを食べずに酵母パン食べたのかもよ。ルカの記述もつじつまあわないところもあるから。」とか。
でも私は「イエスは弟子に除酵祭の食事の準備をさせたのだから、当然、無酵母パンを食べたと思う。」と。
AJWが年に1回のイエスが亡くなられたの満月の日あたりに記念式を行うことは結構聖書の記述と合っていてイメージが浮き彫りになっていいかも。
でも絶えずイエスの贖いの価値を思い起こすことは大事なので、毎週や毎月1回もいいと思う。
他のキリスト教ではほとんど今晩記念式を行っているところはなく、むしろ復活祭は行っていて、聖書参考書では、イエスの死と復活を一緒に祝うとある。
私としては果たしてそれでいいのかどうかまだうまく飲み込めない。考え込んでしまう。。。
死の記念式はそれはそれで意義深く考えたいところ。
イエスの復活を祝うことはそれはそれで嬉しいことだから、祝ってもいいと思う。
ちなみに
teruさんのまとめ
@パンが無酵母とか酵母とかこだわらなくて、意義に注目すればいいと思う。
A死だけでなく、復活も含めて、絶えずイエスの贖いの価値を思い起こしているのが良いと思う。
だそうです。
たしかにそうだと思います。重要なのはそれでいいのだと思います。
皆さんはどう思われますか?
わかる方いらっしゃいましたら教えてください。
ゆーじさんはJW関係の膨大な情報を大変わかりやすく案内してくれるすばらしいガイドさんです!ゆーじさんがこれまでアップしてくださった記述を改めて読ませて頂くたびに感動させていただいております!
ゆーじさんがわかりやすく書いていてくれなければ、いろいろ気づけなかったよな〜と思います!本当にありがとうございます!
今日はJWでは記念式の日ですね。
今晩はteruさんと二人でJWの名残から家でパンは食パン、ぶどう酒は赤ワインをを準備してイエスの死を思い起こし、イエスの贖いを思い、感謝しました。
そこで改めて
@JWがなぜ無酵母パンにこだわり、キリスト教は食パンだったりする。さてどちらが正しい?
AJWはなぜ毎年1回のユダヤ暦ニサン14日だけに記念式を行っている。しかしキリスト教はほとんど今日の今晩を記念式としているところはなく、毎週日曜だったり、月に1回記念式(正餐式)をしている。むしろ復活祭の方がよりキリスト教では盛大に行われている。さてどちらが正しい?
その点をteruさんとテーブルにいろんな聖書を5冊と聖書関係の辞書、参考書数冊を広げて調べてみました。
結果、今晩ちょっと調べただけでも、結構知らないことがあることがわかりました。
teruさんも「知らなかった〜」と言っておりました。
調べたことから
私リミのまとめ
@ひょっとして食パンより、無酵母パンのほうがよりいいのかも。
・イエスは無酵母のパンの祭り(キリスト教では除酵祭)の食事の準備を弟子たちにしなさい。ルカ22:8
・この過ぎ越しの食事を切に願っていたイエス。ルカ22:15
・イエスが亡くなられ、墓に葬られた時のことを「その日は準備の日」とある。ルカ23:54(ルカ22:7は「除酵祭の日が来た」となっている。ルカの記述の日時のつじつまがあわないことが判明。キリスト教の教義としてもこの点が議論となるところらしい)
・聖書参考書によると、無酵母パンの祭り(除酵祭)はニサン15日から7日間。
種なしパンと杯と食し子羊をほふる。詩編を謳う。
イエスが亡くなられたのはニサン14日。無酵母パンの祭りの前日。
teruさんが言うに、「主の晩餐は無酵母パンの祭りの2日ぐらい前だと思うから、準備した無酵母パンを食べずに酵母パン食べたのかもよ。ルカの記述もつじつまあわないところもあるから。」とか。
でも私は「イエスは弟子に除酵祭の食事の準備をさせたのだから、当然、無酵母パンを食べたと思う。」と。
AJWが年に1回のイエスが亡くなられたの満月の日あたりに記念式を行うことは結構聖書の記述と合っていてイメージが浮き彫りになっていいかも。
でも絶えずイエスの贖いの価値を思い起こすことは大事なので、毎週や毎月1回もいいと思う。
他のキリスト教ではほとんど今晩記念式を行っているところはなく、むしろ復活祭は行っていて、聖書参考書では、イエスの死と復活を一緒に祝うとある。
私としては果たしてそれでいいのかどうかまだうまく飲み込めない。考え込んでしまう。。。
死の記念式はそれはそれで意義深く考えたいところ。
イエスの復活を祝うことはそれはそれで嬉しいことだから、祝ってもいいと思う。
ちなみに
teruさんのまとめ
@パンが無酵母とか酵母とかこだわらなくて、意義に注目すればいいと思う。
A死だけでなく、復活も含めて、絶えずイエスの贖いの価値を思い起こしているのが良いと思う。
だそうです。
たしかにそうだと思います。重要なのはそれでいいのだと思います。
皆さんはどう思われますか?
わかる方いらっしゃいましたら教えてください。