なつみさんの
>私が集会に行かないで悲しむのはエホバです…。
>そして歓ぶのは、会衆の腐った人達とサタンです。
同じように考えていたことがありました。
でも、サタンが喜ぶ、とか、エホバ悲しむとか他人がどうこうという事よりも、
まず、自分がどうしたら幸せなのか?
ということを考えてみてください。
誰でも、自分のしたいことをして幸せになる権利があるのですから。
私は今でも創造者とか、神とかの存在を否定していません。
ただ、考え方や視野が広くなっていけば、エホバorサタン
という2者の構図から抜け出すことが出来ます。
世の中は、エホバかサタンかの2つしかないわけではありません。
自分が目を開いている限り、生きている限り、自分の人生の主人公は
「自分自身」であり、エホバでもサタンでもありません。
創造者の名前を仮に「エホバ」とするならば、
エホバが愛を動機として、愛情深い親が子を愛するように人類を愛しているなら、
エホバが望んでいるのは、あなた自身の幸せであるはずです。
親が子の幸せを望んでこのために人生のレールを敷き、学校を決めたとしても、
子が学校に違和感を感じ、そこにいることに幸せを感じないのであれば、
無理してでもそこにいさせ続けるのが愛のある親のすることとは思えません。
ありのままの自分が素顔のままでいられて、あらゆる経験をして、幸せも不幸せも経験して、自分の責任で大人になっていくことを
愛のある親は望んでいるのではないか?と私は思うのです。
親が子供に過干渉するなら、子供は親から自立できなくなるか、
後から自立しても、親に強い不快な感情を抱くことになるかもしれません。
子の幸せを願うからこそ、子に自由を与え、帰る場所を残しておくのが親ではないんでしょうか?(私の親は違いますが)
だからこそ、普通に育った人は、後で親のありがたみを知るのだと思います。
私は、エホバが愛のある神であるなら、組織を離れていてもいなくても、ハルマゲドンで単純に信者か否かと言う根拠で滅ぼす神ではないことと確信しています。
逆にJWの言うとおりの神なら、そんな神様はこちらから願い下げです。
エホバがJWを是認している証拠などありません。
勝手にそう主張しているだけです。
ご自身の中のエホバを大切になさってください。
>私が集会に行かないで悲しむのはエホバです…。
>そして歓ぶのは、会衆の腐った人達とサタンです。
同じように考えていたことがありました。
でも、サタンが喜ぶ、とか、エホバ悲しむとか他人がどうこうという事よりも、
まず、自分がどうしたら幸せなのか?
ということを考えてみてください。
誰でも、自分のしたいことをして幸せになる権利があるのですから。
私は今でも創造者とか、神とかの存在を否定していません。
ただ、考え方や視野が広くなっていけば、エホバorサタン
という2者の構図から抜け出すことが出来ます。
世の中は、エホバかサタンかの2つしかないわけではありません。
自分が目を開いている限り、生きている限り、自分の人生の主人公は
「自分自身」であり、エホバでもサタンでもありません。
創造者の名前を仮に「エホバ」とするならば、
エホバが愛を動機として、愛情深い親が子を愛するように人類を愛しているなら、
エホバが望んでいるのは、あなた自身の幸せであるはずです。
親が子の幸せを望んでこのために人生のレールを敷き、学校を決めたとしても、
子が学校に違和感を感じ、そこにいることに幸せを感じないのであれば、
無理してでもそこにいさせ続けるのが愛のある親のすることとは思えません。
ありのままの自分が素顔のままでいられて、あらゆる経験をして、幸せも不幸せも経験して、自分の責任で大人になっていくことを
愛のある親は望んでいるのではないか?と私は思うのです。
親が子供に過干渉するなら、子供は親から自立できなくなるか、
後から自立しても、親に強い不快な感情を抱くことになるかもしれません。
子の幸せを願うからこそ、子に自由を与え、帰る場所を残しておくのが親ではないんでしょうか?(私の親は違いますが)
だからこそ、普通に育った人は、後で親のありがたみを知るのだと思います。
私は、エホバが愛のある神であるなら、組織を離れていてもいなくても、ハルマゲドンで単純に信者か否かと言う根拠で滅ぼす神ではないことと確信しています。
逆にJWの言うとおりの神なら、そんな神様はこちらから願い下げです。
エホバがJWを是認している証拠などありません。
勝手にそう主張しているだけです。
ご自身の中のエホバを大切になさってください。