みけさん
>神そのものをどのように思われてます?
JWの教える神という概念はまったく信じていません。神に対する概念は時代
と共に少しずつ変化しているわけですが、18世紀末には最先端だったJWの
教義は今や完全に時代遅れになったと思っています。だけどJWって超保守的
な宗教だから昔の最先端を今に合わせて変えないんですよね。例えば、JWは
エルサレム陥落は紀元前607年って言ってるけど、現在は最先端科学によって
エルサレム陥落の年は考古学的に再検証されて紀元前587年ってなってますよね。
でもJWは絶対変えないでしょ。JWの教義って今の時代について行けないんで
すよ。
んで、神についての概念ですが、私は人間より上位の存在はあるんだろうなと
思っています。人間のレベルではわからない、何かの意志があったから宇宙が
存在して、地球があって、そして人間が存在しているって感じですね。
私はその存在は人間より上位の存在だから上様(かみさま)と呼んでいます(笑)
だから、エホバ(ヤハウエでもGODでもいいけどさ)という上様がいたら、
当然それより上位の上様の存在があってしかるべきだという考え方をします。
エホバより上位の【かみさま】が、混沌としていたアラブ地方に妬みと破壊の
神であるエホバを遣わして、ろくに警告もしないでソドムとゴモラを滅ぼした
り、イスラエル人に敵対する部族は神の命令により男も女も片っ端に虐殺して、
多神教の神様レースに勝って、それまでにない一神教という概念をアラブ地方
にもたらして、イスラエル人にユダヤ教という救いを提供した。
そのうち時代状況が変化してきたから、「あんたはもういいよ」ってエホバは
【かみさま】に退場させられて、次に愛による救いという概念を持つイエス・
キリストが出てきて、ヨーロッパ方面にキリスト教による救いを提供した。
それを見た【かみさま】が「これは使えるかも」ってアラブ地方にアッラーの
神を使わして、アフリカ、アラブ、東南アジアにイスラム教による救いをもた
らした。って考え方です。
聖書を読むときに神と同じか神より上位の視点で見るといろいろ考えれて面白
いですよ。「エホバはこうした、でもそれは絶対に変! 俺が神ならこうする」
って考え方をすると自分の視点が広がって楽しいです(^^)
>存在すると考えたり、信じることって、逃避だと思います?
信仰心=依頼心と思ってますけど、依頼心=悪とは思っていません。問題はバ
ランスだと思っています。人間生きてりゃいろいろ悩みがあるわけですが、い
くら悩んでも解決出来ないときに神に頼ると救われる部分もあると思います。
でも、問題を直視しないで現実逃避するために信仰という名目で神や宗教に逃
げるのは問題外だと思います。
依頼心というのは自然な感情ですけど、依頼心ゼロで生きるのはしんどいし、
依頼心100%で生きるのは馬鹿だと思います。何事もやりすぎはよくないで
すよね。人間の種類として神を必要とする人はいるし、神を必要としない人も
います。信仰が必要な人は適度なバランス感覚を持って神に頼りすぎずに中道
で生きるのがベストだと思っています。
要は自分に合ったライフスタイルを見つけることだと思いますよ。人間が動物
と違って考える頭があるのは、いろいろと考えるために存在していると思って
います。だから寿命で死ぬまでに自分に合った自分なりの答えが見つかればい
いやって気長に考えています。
>うざったいこと質問してすいませんが。
こういう話は好きなんでオフではしょっちゅう喋りますけど、
掲示板で正面切って質問されるとけっこう照れますね(照
こんな答えでいいかな?
>神そのものをどのように思われてます?
JWの教える神という概念はまったく信じていません。神に対する概念は時代
と共に少しずつ変化しているわけですが、18世紀末には最先端だったJWの
教義は今や完全に時代遅れになったと思っています。だけどJWって超保守的
な宗教だから昔の最先端を今に合わせて変えないんですよね。例えば、JWは
エルサレム陥落は紀元前607年って言ってるけど、現在は最先端科学によって
エルサレム陥落の年は考古学的に再検証されて紀元前587年ってなってますよね。
でもJWは絶対変えないでしょ。JWの教義って今の時代について行けないんで
すよ。
んで、神についての概念ですが、私は人間より上位の存在はあるんだろうなと
思っています。人間のレベルではわからない、何かの意志があったから宇宙が
存在して、地球があって、そして人間が存在しているって感じですね。
私はその存在は人間より上位の存在だから上様(かみさま)と呼んでいます(笑)
だから、エホバ(ヤハウエでもGODでもいいけどさ)という上様がいたら、
当然それより上位の上様の存在があってしかるべきだという考え方をします。
エホバより上位の【かみさま】が、混沌としていたアラブ地方に妬みと破壊の
神であるエホバを遣わして、ろくに警告もしないでソドムとゴモラを滅ぼした
り、イスラエル人に敵対する部族は神の命令により男も女も片っ端に虐殺して、
多神教の神様レースに勝って、それまでにない一神教という概念をアラブ地方
にもたらして、イスラエル人にユダヤ教という救いを提供した。
そのうち時代状況が変化してきたから、「あんたはもういいよ」ってエホバは
【かみさま】に退場させられて、次に愛による救いという概念を持つイエス・
キリストが出てきて、ヨーロッパ方面にキリスト教による救いを提供した。
それを見た【かみさま】が「これは使えるかも」ってアラブ地方にアッラーの
神を使わして、アフリカ、アラブ、東南アジアにイスラム教による救いをもた
らした。って考え方です。
聖書を読むときに神と同じか神より上位の視点で見るといろいろ考えれて面白
いですよ。「エホバはこうした、でもそれは絶対に変! 俺が神ならこうする」
って考え方をすると自分の視点が広がって楽しいです(^^)
>存在すると考えたり、信じることって、逃避だと思います?
信仰心=依頼心と思ってますけど、依頼心=悪とは思っていません。問題はバ
ランスだと思っています。人間生きてりゃいろいろ悩みがあるわけですが、い
くら悩んでも解決出来ないときに神に頼ると救われる部分もあると思います。
でも、問題を直視しないで現実逃避するために信仰という名目で神や宗教に逃
げるのは問題外だと思います。
依頼心というのは自然な感情ですけど、依頼心ゼロで生きるのはしんどいし、
依頼心100%で生きるのは馬鹿だと思います。何事もやりすぎはよくないで
すよね。人間の種類として神を必要とする人はいるし、神を必要としない人も
います。信仰が必要な人は適度なバランス感覚を持って神に頼りすぎずに中道
で生きるのがベストだと思っています。
要は自分に合ったライフスタイルを見つけることだと思いますよ。人間が動物
と違って考える頭があるのは、いろいろと考えるために存在していると思って
います。だから寿命で死ぬまでに自分に合った自分なりの答えが見つかればい
いやって気長に考えています。
>うざったいこと質問してすいませんが。
こういう話は好きなんでオフではしょっちゅう喋りますけど、
掲示板で正面切って質問されるとけっこう照れますね(照
こんな答えでいいかな?