巡回訪問の時巡回監督が、「実家に帰ると世俗の仕事をしている親族の中でとても居辛いんです。」って言っていました。その時は、(そんな中で巡回監督さんは自己犠牲払ってくださっているんだ。)などと能天気なこと考えていました。公に批判は出来ませんでしたからね。
その巡回監督のお話印象的だったのはマリアとマルタのお話。マリアの霊的必要を重視した姿勢も大切だけど、マルタが物質的食物をイエスの為に備えたってことを強調していました。
でも、それっておかしくありませんか?
自分の家族の必要も考えていない指導者が指導する組織です。その監督の言葉に一喜一憂する長老もほとんどが開拓者でした。巡回監督のお言葉って巡回監督崇拝者みたいな人たくさん見たけどそれってちょっとおかしかったですよね。霊的、物質的って言いながら物質的なことを自分では会衆の人達に求めながら自分で備える方法を実践してないのです。2世長老が増えるとそういった苦労知らない指導者が多くなるのは目に見えています。平衡を保つって客観的に見て平衡を保っていた現役の人って会衆ではあまり目立たなかった気がします。私には巡回監督や開拓者長老が平衡の取れたクリスチャンとはどうしても思えませんでした。
その巡回監督のお話印象的だったのはマリアとマルタのお話。マリアの霊的必要を重視した姿勢も大切だけど、マルタが物質的食物をイエスの為に備えたってことを強調していました。
でも、それっておかしくありませんか?
自分の家族の必要も考えていない指導者が指導する組織です。その監督の言葉に一喜一憂する長老もほとんどが開拓者でした。巡回監督のお言葉って巡回監督崇拝者みたいな人たくさん見たけどそれってちょっとおかしかったですよね。霊的、物質的って言いながら物質的なことを自分では会衆の人達に求めながら自分で備える方法を実践してないのです。2世長老が増えるとそういった苦労知らない指導者が多くなるのは目に見えています。平衡を保つって客観的に見て平衡を保っていた現役の人って会衆ではあまり目立たなかった気がします。私には巡回監督や開拓者長老が平衡の取れたクリスチャンとはどうしても思えませんでした。