ゲストブック過去ログ:#1078

昼寝するぶた

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No.1078 幸福とは 投稿者:ヤオ 投稿日:2005/02/23 17:01 元1世伝道者 ♂ 冤罪で排斥でーす 壊れた事はないです 知らない 50代中盤 宗教はもうこりごりな人
私の若いころは若大将シリーズの加山雄三さんや007のショーンコネリーにあこがれていた。あんな世界があるのかと、今の自分の財力では夢のまた夢だと思った。自分の家は貧乏だと思っていた。しかし実際は並以上だったのだと思う。その証拠にお手伝いさんを二人も置いていた時代もあった。最後のお手伝いさんだった阿部さんという老婦人は強く印象に残った人だった。この人は当時のNHK会長の義理の妹さんだった。住み込みのお手伝いさんをしなければならないような人ではなかった。

当然だと思うがNHKの会長だった阿部真之介氏の所から引き取りたいとの申し出が再三にあった。ところがこの婦人は私の家がいいと言って帰ろうとしなかった。私はこの人に言いたい放題だったし、つらく当たることもあったと思うのだが病気をされてどうにもならなくなるまで私の家に留まった。その帰っていくときの寂しそうな顔を今でも忘れることができない。

こう書くと私の家が何かすごく良い家で阿部真之介氏の所がいやな家だったのだなどと単純に考える人が多いと思うが。決してその様なことはない。非常に大切にされていたのだ。
忘れてならないこと、それは人というものは自分を必要としてくれる所にいたいものだという重要な原則だ。

イエスキリストを知り今だから分かるのだが。上げ膳据え膳の会長の家にいるより確かにうちは阿部さんを必要として頼っていた。それが彼女の生き甲斐だった。私としては正月の後でカビのめいっぱい生えたお供えもちまで食べさせられたのはいやだった。目が悪いためカビがとり切れていない餅がお汁粉になって出てきたことがあった。それに苦情を言うと戦時中の食糧難の話をされたものだった。そんなことが出来てそのことを教えることが出来ることが彼女にとって生き甲斐だったのだとつくづく思うのだ。

実に人の幸福とは難しいものがある。上げ膳据え膳の何も心配のない生活。それは困窮している人にとって垂涎の的だろう。しかしその境遇にある人が求めるものは自分の存在意義なのだ。誠実でまじめな人ほどそうなのだろう。

ところでゆうじさん。そう言った意味であなたは幸福な人だと思う。あなたはこれだけ大勢の人から必要とされている。あなたの努力が実を結んでいる。力強くあって欲しい。
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