はじめまして。
過去に10年程、集会・奉仕・会衆の交わり等に参加していた経験があります。母親は現役姉妹、父は反対者で集会後の暴力は日常でした。もちろん校歌は歌わないし、学校でも結構つらかったけど、いじめにあったことは無くむしろ友達が守ってくれたので恵まれていました。それでも母がJWで無かったら幸せなのに・・・と思っていました。
母は聖書の原則に従って私達を育てたと言っていますが、いわゆる「ムチ」は無かったし、JWより私達をより重要に思ってくれていたのかな、とこのHPを見ていて思いました。本当に熱心な信者ですが感覚は狂っていない気がします。
宗教は、同じ教義でも、結局受け取る人によってだいぶ解釈が変わってくるのだなとつくづく思います(例えば「王国を第一にしなさい」という言葉の意味ひとつとっても、家族を犠牲にしてまで守ろうとする人もいれば家族を大事にすることこそがエホバの原則に従うことで結果、「王国を第一にする」ことになるのだと思う人もいるといった具合に)。経験によっては親やJW自体を激しく恨むことにもなってしまうのですね。
過去に10年程、集会・奉仕・会衆の交わり等に参加していた経験があります。母親は現役姉妹、父は反対者で集会後の暴力は日常でした。もちろん校歌は歌わないし、学校でも結構つらかったけど、いじめにあったことは無くむしろ友達が守ってくれたので恵まれていました。それでも母がJWで無かったら幸せなのに・・・と思っていました。
母は聖書の原則に従って私達を育てたと言っていますが、いわゆる「ムチ」は無かったし、JWより私達をより重要に思ってくれていたのかな、とこのHPを見ていて思いました。本当に熱心な信者ですが感覚は狂っていない気がします。
宗教は、同じ教義でも、結局受け取る人によってだいぶ解釈が変わってくるのだなとつくづく思います(例えば「王国を第一にしなさい」という言葉の意味ひとつとっても、家族を犠牲にしてまで守ろうとする人もいれば家族を大事にすることこそがエホバの原則に従うことで結果、「王国を第一にする」ことになるのだと思う人もいるといった具合に)。経験によっては親やJW自体を激しく恨むことにもなってしまうのですね。