エホバの証人のいちばん悪い点は、世また他者から学ぼうとしない、ということです。「完全」を信奉しているから。
自分たちは完全な神エホバから教えを受けているから。
聖書という完全な知恵を持っているから。
「完全」を理由にして議論を避ける姿って、やっぱり閉じこもることです。固い防壁で遮ってしまう。守るしかできない。話せば自分にも誤解があることが暴かれるから。絶対に自分について譲歩はしたくないって意地になっている。譲歩することが自分を否定されることだって、そう思ってるのよね。そこにきっと治りきらない傷がある、きっと…。
でも侮辱のことばをあいてに投げつけても、誰も屈したりはしないよ。敵意が膨れ上がって自分に帰ってくるだけですよ。攻撃が生み出すのは反撃です。こういうこと続けるのって高ストレスですよ。身体にも心臓にもいいことは何もないです。
欠点があるからおまえはダメなヤツだ、というのは間違っている。こういうことが出来ていないからダメ、ああしていないからダメ…、こういうことを言う人こそ最低の人種です。こんな連中は無視していい。
答えられないこととか、弱点があっても、自分の感じること、思うことを、文章に直して書けばいい、自分はこう感じるんだって。それがうそ偽りないものだったら、誰も書き逃げとは思わない。時間がたってから見ると、それは自分の姿だと気づくから。自分が見えたら、変われるなら変わりたいって欲がでてくるから。
万物は変化しながら、流れている。完璧な形で留まっているものなんて何一つない。人間も変わってゆく。変わろうとして変わることもできる。変わろうとすることが成長することだと思います。
「性格の形成は赤ん坊のときに始まり、死ぬまで続くものです」
…エリノア・ルーズベルト
「気の小さい者は少し批判されただけで立腹する。
だが分別ある者は、
自分を非難した者からも、
自分を叱責した者からも、
殊に『どこが問題かを共に論じ合った者』から、
自分の至らないところを熱心に学び取る」。
…(デール・カーネギー)
自分たちは完全な神エホバから教えを受けているから。
聖書という完全な知恵を持っているから。
「完全」を理由にして議論を避ける姿って、やっぱり閉じこもることです。固い防壁で遮ってしまう。守るしかできない。話せば自分にも誤解があることが暴かれるから。絶対に自分について譲歩はしたくないって意地になっている。譲歩することが自分を否定されることだって、そう思ってるのよね。そこにきっと治りきらない傷がある、きっと…。
でも侮辱のことばをあいてに投げつけても、誰も屈したりはしないよ。敵意が膨れ上がって自分に帰ってくるだけですよ。攻撃が生み出すのは反撃です。こういうこと続けるのって高ストレスですよ。身体にも心臓にもいいことは何もないです。
欠点があるからおまえはダメなヤツだ、というのは間違っている。こういうことが出来ていないからダメ、ああしていないからダメ…、こういうことを言う人こそ最低の人種です。こんな連中は無視していい。
答えられないこととか、弱点があっても、自分の感じること、思うことを、文章に直して書けばいい、自分はこう感じるんだって。それがうそ偽りないものだったら、誰も書き逃げとは思わない。時間がたってから見ると、それは自分の姿だと気づくから。自分が見えたら、変われるなら変わりたいって欲がでてくるから。
万物は変化しながら、流れている。完璧な形で留まっているものなんて何一つない。人間も変わってゆく。変わろうとして変わることもできる。変わろうとすることが成長することだと思います。
「性格の形成は赤ん坊のときに始まり、死ぬまで続くものです」
…エリノア・ルーズベルト
「気の小さい者は少し批判されただけで立腹する。
だが分別ある者は、
自分を非難した者からも、
自分を叱責した者からも、
殊に『どこが問題かを共に論じ合った者』から、
自分の至らないところを熱心に学び取る」。
…(デール・カーネギー)