排斥後一年未満の初心者です。 JW観てて思うのはキリストのイメージよりは儒者のイメージの近いってこと。 特に長老は儒者そのものですね。 ”子曰く”の話者が神様なり聖書筆者であれば納得もできるものの、長老個人の意見にさえ”絶対服従”が要求される。 何せ私がポアされた契機は、とある長老が演壇に上がると必ず繰り返す自慢話と成員個人に向けての攻撃(嫌味、批判)を聞くのが嫌で、その間トイレに立つようにしていたこと。 自分の前にラッパを吹くような話を聞きたくないのでトイレに立っていたら、それを分派の推進と解釈され突然の聴聞委員会の開幕!!! で、友人の長老数名に相談したところ”とりあえず、はいはい言って反省を示せば済む”ということであったので、”はいはいモード”で出向いたわけですが、これが逆に災いしまして、動機も理由も調査されずただ一方的に”悪いと思っているのか!!”と迫ってくるばかりであり、加えて余罪追求の如き展開となり、しかも動機は一切吟味されず断罪大前提で審理(まあ、宗教裁判ですね)が行われ、悔い改めが明らかでないとのことで、再度審理となり、あまりにバカバカしいのですっぽかしたところ、”排斥デース!!”という大会の発表風の電話が掛かり、さすがに上訴したが、上訴委員会というのは”審理委員会時の訴えが無効な場合と審理委員委員会における悔い改めの確認のみを扱う”そうで、ここでもまあ、けられてしまい、あえなく排斥となりました。
***排斥者が教える排斥されないコツ】
審理委員会では悔い改めの姿勢が何より大事です。審理委員会では自分に正直なお人好しほど馬鹿を見ます。、、****
とありますが、冤罪系の場合はやはりですね”はいはい”モードはだめで、きっちり内容なり動機なりを説明するべきだと感じます。
といっても、説明を反論と解釈され一方的に断罪される可能性もあるので断言はできませんかねえ、、、、
私は最初から”はいはい”言って早めに済ませようと考えてましたからね。 それで、どう見ても排斥になるようなネタでもない容疑で排斥になってしまいました。
JW全体がどうかは別としても、JapaneseJW(JJW)は相当に儒教的な長老が多い変種なのではと感じます。 まあその、儒教的であるのはJJWに限らず日本人はかなりがそのとおりですね。要するに物事を正直に観察して真っ当に答えを出す能力の欠けた人間が寄り集まって長老団を形成しているわけです。聖書にも”賢いものは多くなく”と述べているので、頭の不自由な人が他人の業績を審議裁判するという恐ろしいことが生じえるのです。 排斥になって少なくとも一つだけ良いことがある。 それは、あのおかしな冤罪製造裁判なる審理委員会に呼ばれずに済むということ。 あの場面を思い出すと今でも腸が煮え繰り返るような苦痛を感じます。
***排斥者が教える排斥されないコツ】
審理委員会では悔い改めの姿勢が何より大事です。審理委員会では自分に正直なお人好しほど馬鹿を見ます。、、****
とありますが、冤罪系の場合はやはりですね”はいはい”モードはだめで、きっちり内容なり動機なりを説明するべきだと感じます。
といっても、説明を反論と解釈され一方的に断罪される可能性もあるので断言はできませんかねえ、、、、
私は最初から”はいはい”言って早めに済ませようと考えてましたからね。 それで、どう見ても排斥になるようなネタでもない容疑で排斥になってしまいました。
JW全体がどうかは別としても、JapaneseJW(JJW)は相当に儒教的な長老が多い変種なのではと感じます。 まあその、儒教的であるのはJJWに限らず日本人はかなりがそのとおりですね。要するに物事を正直に観察して真っ当に答えを出す能力の欠けた人間が寄り集まって長老団を形成しているわけです。聖書にも”賢いものは多くなく”と述べているので、頭の不自由な人が他人の業績を審議裁判するという恐ろしいことが生じえるのです。 排斥になって少なくとも一つだけ良いことがある。 それは、あのおかしな冤罪製造裁判なる審理委員会に呼ばれずに済むということ。 あの場面を思い出すと今でも腸が煮え繰り返るような苦痛を感じます。