協会の出版物は、「この世の人」を表現した写真、挿絵などを見ると、いかにも腐敗してて、ワルそ〜に描かれているように思う。
小、中学生の頃悩みがあると読んでいた、「若い人は尋ねる」の本。目ざめよの、若い人は尋ねるコーナーもよく読んでた。(というか、それと世界展望しか読んでなかったような気もするが)
この世の人って、こんなに腐敗していて汚いんだ、
世の人は、簡単に人を裏切る。人を傷つけて平気な顔してる、って感じた。
世の人に批判されても、「今は忍耐が必要なんだ」って会衆の人や親は言ってた。
信じて耐え忍べば、いつかきっとわかってもらえるし、エホバは祝福してくださる、とも。(こういう時ヨブのたとえをよく持ち出された)
自分がよい見本になるんだーとか思って、嫌なことあっても怒りをあらわにできなかった。(当時でも、ごくたまーにぶち切れていたが)
今は思う、忍耐より、自分の言いたいことをもっと言いたい。
人に何かいやなこと言われたりしたら、嫌だ、やめて、いらない、とか、とにかくNOと言えるようになるんだー!
組織にいた頃は、自分は世の人とちがって、正しいことしてるから最後に勝つのは私だ、と思ってた。
昔ある姉妹から聞いた話
学校に通うある一人のJWが校旗敬礼しないと言う意志を告げると、校長だか教頭だか、(どっちかは忘れた)とにかくえらいさんに呼ばれた。
そして、そのエホ証ともう一人のこの世の生徒に、
「校旗にむかってつばを吐け」
と言った。
この世の生徒はつばを吐いた、でも証人は、
「自分は校旗敬礼はしないが、校旗を侮辱するようなこともしない」
と言った。
学校側は大変感銘を受け、JWに対して理解を示すようになった。
こういうの聞いてると、自分たちは正しい、世は間違ってる、っていう図式がどんどんできあがる。
で、いまでも自分が忍耐して、人によく思われるようなことすればいつかは人はわかってくれるとか思ってるし、
世の中の人は人を傷つけても平気、すぐ人をバカにする、って思いがまだあるなあ〜。
もっと自分の思ってること、感じてること大事にしたい。
まあ人間は不完全、ちょっとずつ進歩すればいいさあー。
JWにいたころ、山上の垂訓(だったかな?)でイエスが
「私のところに来なさい。そうすれば、あなた方をさわやかにしてあげましょう」
とかいうのがあったけど、JWで嫌な思いしてたら一体どこ行けばいいのよ?と思っていたなあ。
小、中学生の頃悩みがあると読んでいた、「若い人は尋ねる」の本。目ざめよの、若い人は尋ねるコーナーもよく読んでた。(というか、それと世界展望しか読んでなかったような気もするが)
この世の人って、こんなに腐敗していて汚いんだ、
世の人は、簡単に人を裏切る。人を傷つけて平気な顔してる、って感じた。
世の人に批判されても、「今は忍耐が必要なんだ」って会衆の人や親は言ってた。
信じて耐え忍べば、いつかきっとわかってもらえるし、エホバは祝福してくださる、とも。(こういう時ヨブのたとえをよく持ち出された)
自分がよい見本になるんだーとか思って、嫌なことあっても怒りをあらわにできなかった。(当時でも、ごくたまーにぶち切れていたが)
今は思う、忍耐より、自分の言いたいことをもっと言いたい。
人に何かいやなこと言われたりしたら、嫌だ、やめて、いらない、とか、とにかくNOと言えるようになるんだー!
組織にいた頃は、自分は世の人とちがって、正しいことしてるから最後に勝つのは私だ、と思ってた。
昔ある姉妹から聞いた話
学校に通うある一人のJWが校旗敬礼しないと言う意志を告げると、校長だか教頭だか、(どっちかは忘れた)とにかくえらいさんに呼ばれた。
そして、そのエホ証ともう一人のこの世の生徒に、
「校旗にむかってつばを吐け」
と言った。
この世の生徒はつばを吐いた、でも証人は、
「自分は校旗敬礼はしないが、校旗を侮辱するようなこともしない」
と言った。
学校側は大変感銘を受け、JWに対して理解を示すようになった。
こういうの聞いてると、自分たちは正しい、世は間違ってる、っていう図式がどんどんできあがる。
で、いまでも自分が忍耐して、人によく思われるようなことすればいつかは人はわかってくれるとか思ってるし、
世の中の人は人を傷つけても平気、すぐ人をバカにする、って思いがまだあるなあ〜。
もっと自分の思ってること、感じてること大事にしたい。
まあ人間は不完全、ちょっとずつ進歩すればいいさあー。
JWにいたころ、山上の垂訓(だったかな?)でイエスが
「私のところに来なさい。そうすれば、あなた方をさわやかにしてあげましょう」
とかいうのがあったけど、JWで嫌な思いしてたら一体どこ行けばいいのよ?と思っていたなあ。