ゲストブック過去ログ:#1668

昼寝するぶた

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No.1668 不倫反省 投稿者:ろかいゆ(プロテスタント某派元二世) 投稿日:2006/07/26 05:18     30代 
五年間、身体の関係のない不倫をしていた。
心も身体も満たされない、長年の関係だったが、ついに終わりにした。

社会性や将来、自分の心身の満足を犠牲にし、相手に合わせた愛だった。
将来を共に語ろうとしても、相手の口からは不満や愚痴しか出てこない。
未来にヴィジョンは何もなく、過去と苦労しか共有できなかった。

最後には、私は、クラブのママを演じているような気分を味わっていた。
無料奉仕で愚痴を聞かされるだけならば、もう勘弁してほしい、
それが、私の本音だった。彼の話を、楽しんで聞けなくなってしまった。

私は、彼のために無理にでも幸せを感じようとし、喜びや感謝の言葉、
そして、褒め言葉や、おだて、希望の言葉だけを口にしていたけれど、
言葉だけでは、心は癒えないということが、ようやく、分かった。

この恋をとおして、正直でいることの価値に、やっと気づくことができた。
お互いのこれからに希望を持つには、終わりにするのが最善だった。
二人が距離を置くことで、やっと、本当の希望が姿を現すだろう。

しかし、そもそも、不倫などすることになったのは、なぜだろうか。
恐らく二人ともが「家庭」という制度を信頼できずにいたからだろう。
それなら、私はこれから、どのようにして、
「家庭」という社会制度を信頼しなおせばいいのだろうか・・・。

私の育った家庭は厳格なクリスチャンホームで、人格障害者をかかえた、
機能不全家庭だった。私には、明確にアダルトチルドレンの自覚がある。
私の場合、男性観、女性観が、すっかりパウロのそれに基づいていた。
そして、家族観というものは、カルヴァンのそれに、基づいていた。

16世紀に生きたカルヴァンは、元は法律家である。
彼のした仕事は、宗教家というよりも、むしろ政治家のそれに近い。
パウロもカルヴァンも、教会を中心にして、家族を支配しようとする。
家族という最小単位のグループを利用し、機能的に民衆を統制した。
考え方としては、戦時中の「隣組」制度に似ている。

「家族成員は、あくまでも神の道具として支配されなければならない、
そして、家庭を治める長は、あくまでも男性である」、
という思想にどっぷりと浸かって、少なくとも18歳まですごしてきた。
私は、「自分は『神の道具』にすぎない」と、本当に思いこんでいた。
それ以外の考え方を知らなかった。自我について教えられたことはない。

そして、女性は、常に自分自身を「男性の道具」として扱い、
どんなときも、男性に仕えることだけが正しく尊い生き方、と教えられた。
なぜなら、「男性は女性の頭(かしら)だ」と、聖書に書いてあるから。
男性は女性よりも清く「聖別された性」なのだと、固く信じていた。

そんなふうだから、私はこれまでセクシャルな面で、多くの傷を負った。
男性の判断を「神の命令」と思って受け取るから、そんなことになる。
そこに根本的な原因として宗教があることには、ずっと気づかなかった。
「女性は男性に従ってさえいれば、神にも護られるはず」と信じこんでいた。

私は、何百年も前の、特殊な女性観を規範にして、暮らしていたのだ。
そして、それ以外の考え方を「罪深い」と思って、極端に排除していた。
私の身体は、この特殊な女性観ゆえに、何度も傷つけられてきた。

実際に、私の身体の中には、大きな不満や怒りが渦を巻いていた。
男性に従おうとして、何度も何度も、身体的な不満を耐えてきたのだ。
自分の身体がリスペクトされない辛い経験を、何度も耐えてきたのだ。
その上、耐えた怒りに、あとから、恥辱感や罪の意識までも上塗りして、
その辛い感情は処理されないまま、ずっと身体の中に残っていたのだ。

それはセルフアビューズだったのかもしれない、と今ではいえるが、
責任の所在は判断が難しい。私はこれ以上、自分を責めたくはない。
自分の親も責めたくないし、過去の恋人や周囲の男性を責めたくもない。
だから、私は、この罪を、カルヴァンとパウロのせいにするつもりだ。

私は、カルヴァンとパウロに対する反抗心を、無意識化していたから、
結局は、自分と他人を傷つける「不倫」という非常に無責任な方法で、
家庭制度に反抗してしまったのだろう。実際に、悪いことをしたのだ。

今は21世紀だ。女性も、男性と同じように、賢くなければならない。
男性におとなしく従っているだけでは、ろくなことにはならない。
意識して行動し「社会人としての責任」をとることは女性にも要求される。

私は、自分が「長」の役になり、男性を治めるくらいのつもりでいてよい。
強い自己主張能力があるのだから、それを大いに役立てることが必要だ。
私は、これからは、自分の知性や判断に従おう。

私は自分と自分の好きな人を「護ろう」という気持ちでいてよいはずだ。
自分の本性を隠して、無理に「従うのが幸せ」のふりをしてみても、
続かないばかりか、かえって、社会に迷惑をかけてしまう。

実際には、男性というものは、私のあばら骨から創造された人間である。
女性が一人でいるのはよくないから、私のために男性が存在している。
そのように思って眺めてみると、世界の景色は全く違って見えてくる。
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