組織を抜けて15年ほど経つ者です。
母は現役信者で、父は元反対者→現在協力者で、現在は両親と同居しています。
私が辞めたのはバプテスマを受ける前の高校生のころで、JWだけが正しいと思っているまま、どうしても心がついていけない状態で辞めたので、辞めたあともずい分思い悩みました。
私の場合、JWの外の様々な価値観の人たちに触れていくなかで、徐々に偏った価値観から解放されてきたように思います。
このサイトを拝見し、経験も、考え方もいろんな人がいるんだなぁと思いました。ゆーじさんの、辛さをユーモアに変えてしまう勇気にも励まされ、自分はまだましなほうなんだと思いました。
これはあくまでも私の経験なのですが、私の場合、信じていることを「間違っている」と指摘されたときよりも、それに変わるような「優しさ」や「愛」に触れたときのほうが素直に自分の価値観を置き換えられたように思います。
事実を知ることも必要だと思いますが、宗教を持っているひとも、そうでない人も、神の存在を信じる人も、信じない人も、大切なのは一人一人の心のあり方なのではないでしょうか。
と、のんきなことを考えていたら、子供のころに自分を抑えていたせいでPTSDの感情鈍磨症状があることが最近発覚し、現在カウンセリング治療中です。
過去に出せなかった怒りを一度出してしまわないといけないみたいです・・溜め込むのもよくないってことですね。
難しいなぁと思いました・・・。
母は現役信者で、父は元反対者→現在協力者で、現在は両親と同居しています。
私が辞めたのはバプテスマを受ける前の高校生のころで、JWだけが正しいと思っているまま、どうしても心がついていけない状態で辞めたので、辞めたあともずい分思い悩みました。
私の場合、JWの外の様々な価値観の人たちに触れていくなかで、徐々に偏った価値観から解放されてきたように思います。
このサイトを拝見し、経験も、考え方もいろんな人がいるんだなぁと思いました。ゆーじさんの、辛さをユーモアに変えてしまう勇気にも励まされ、自分はまだましなほうなんだと思いました。
これはあくまでも私の経験なのですが、私の場合、信じていることを「間違っている」と指摘されたときよりも、それに変わるような「優しさ」や「愛」に触れたときのほうが素直に自分の価値観を置き換えられたように思います。
事実を知ることも必要だと思いますが、宗教を持っているひとも、そうでない人も、神の存在を信じる人も、信じない人も、大切なのは一人一人の心のあり方なのではないでしょうか。
と、のんきなことを考えていたら、子供のころに自分を抑えていたせいでPTSDの感情鈍磨症状があることが最近発覚し、現在カウンセリング治療中です。
過去に出せなかった怒りを一度出してしまわないといけないみたいです・・溜め込むのもよくないってことですね。
難しいなぁと思いました・・・。