ゲストブック過去ログ:#279

昼寝するぶた

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No.279 楽になりたいのなら... 投稿者:S.榊原 投稿日:2002/12/21 00:26      
死ぬ、ということは恐ろしい事だろうか。もちろんだ。だがそれでも死ぬことを切実に望む人もいる。ガンに伴なう痛みにさいなまれているときには思わず知らず「いっそ楽にしてくれ」という言葉が心に上るらしい。しかし痛みが収まるとただひたすら死への恐怖のためにうら寂しい気分に陥るという。人間はたいがい順応性のある生き物だと思うが、それでもやはり限度はあるものだ。

ぼくも楽になる方法を知っている。
もちろん、死のうとしているのではない。そんな度胸はない。あれば排斥覚悟で今度と言う今度は組織の連中と決着をつけようとするだろう。
そうじゃない。エホバの証人として受けた傷の正体は、これは断言できるが、終戦のときに昭和天皇の言葉をラジオから聞いた日本人の首を垂れたあの姿と同じだ。精魂込めて捧げてきたものに裏切られた衝撃。ふたを開けてみれば中はからっぽだった。いまさら間違いでしたと言われても、じゃ自分はこれから何に依って立てばいいのか...。アイデンティティを粉々にされたあの時の日本人の気持ちがぼくにはよくわかる。これだけは自信を持って言える。「終戦を経験してないのに偉そうに」とはいわせない。エホバの証人として全く同じものをぼくは経験したから。

エホバの証人として熱心に奉仕していたのはぼくも同じだ。誰にもひけをとらなかったとさえ言える、本当に。だが一生懸命になればなるほど同労者であるはずの「仲間」たちが敵意を示しはじめた。「神」に対して捧げていたのならこんなことにはならない。優越さを得ようとしていたか、序列や面子のために奉仕していたのなら説明はつく。挙句の果ては「良心の危機」だ。・・・ラジオの前に両手を地面につけて頭を垂れる日本人のようになった。終戦以来日本人が国粋主義の臭いにさえアレルギーになったのなら、ぼくもやはりエホバの証人の体質にはアレルギーを起こす。一人一人はみんな「いい人」で、「自分から積極的に近づけば良さが分かる人たち」なのに、団体としてのエホバの証人が内部に現役として留まる人たちからさえ批判されるような有り様なのはなぜなのか。エホバの証人という団体の体質に重大な欠陥があるからだ。頭文字Dさんの受け売りではあるが。成員ひとりひとりを批判する事には慎重でいた方がいい。下手をすると中傷になりかねない。なぜならひとりひとりはいい人だから。だがエホバの証人の組織を特徴づける体質は忌み嫌われるべきだ。それは欠陥があるからだ。それでも擁護したいのならここへ来るべきじゃない。病気であることを知らなければ治療はできない。医者は自分が病気だと言うので嫌いだというのであれば、まじない師のところでも、お祓い屋のところへでも行けばいい。ひとりひとりがいい人だと言うことと、組織の体質が健全ではないことの区別がつかないのなら擁護系のHPへ行けばいい。

小ぬか雨っていうのかな。霧のような雨。傘をさしても濡れるっていう雨。12月は偶数月なので、群れの集会はうちで行われる。だから集会が終わるまでぼくはうちへ戻れない。あてどもなく車を流している。お腹が鳴るとコンビニでミルクを買う。小ぬか雨ではワイパーはスローで動く。水滴が吹き付けられたウインドウ、扇形に払うワイパー。ミルクをストローですすりながら黙って眺めている。みじめだった。ひたすら、みじめだった。みじめさも苦痛にちがいない。それもかなり深刻な苦痛だ。のどが渇いているのに、目の前にある水は海水だった、なんていう気持ち。家庭があるのにそこはエホバの証人が占拠している。ぼくは外の雨の中でミルクをすする。

楽になる方法はあるよ。もうエホバの証人と拘わるのは一切やめればいい。足を抜こう。そうすればもうエホバの証人のことを考えずに済むから。楽になる方法はただひとつ。この家庭から足を抜くことだ。エホバの証人と結婚したことは...。

えせヒューマニストの演説にはヘドが出る。単に優越感にひたりたいだけさ。まして評論などうんざりだ。エホバの証人としての人生であきあきするほど受けてきたからね。レスなし板でぶつぶつ言って卑怯だって言われたって平気ですよ。顔が分からないからって、カッコつけようなんて思ってないからね。
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