ゆーじさんのプロフィールを読んでびっくりしました。いるんですね。同じような境遇の方が。
わたしの場合、両親は離婚せず比較的裕福だったため、まだましだったかもしれませんが、それでも両親がいつ離婚するのかわからない状態でつらかったですよ。結局、今も離婚せずですけどね。
1965年、5歳で母が入信し16歳でなんとか逃げ出すまでの11年間、失望とどうしようもないほどの閉塞感の中で生きて来ました。
古い人しか知らないだろう「御国奉仕」と言う言い方、なつかしく思いました。
三人姉弟のまん中で、始めから全然エホバは信じられず、集会も伝道もいやで、無駄な抵抗をくり返していました。
姉はもともと優等生ぶるのが好きでしたからまんざらでもないようできちんと活動していました。おかげでずいぶん姉と比較され、駄目だと言われ続けてすっかり自信のない、ひねくれた子になってしまいました。
小学校の卒業式では校歌斉唱のための起立を拒まなければなければならない事になって、先生に泣きながら話しに行きました。
信仰のないわたしは結局起立してしまって、そのときの母の鬼のような顔は忘れられません。くどくどと叱られながらの帰り道、頻繁にトラックが通っている車道に母を突き飛ばし、殺してやろうかと思ったほどです。母が幼い弟を抱いていなかったら実行していたかも...
そうそうムチもありました。その時の交わっていた(この言い方大嫌い)会衆では犬の首輪が、長さが手ごろということで流行ってましたね。エホバの証人の2世に人権はなんてないのですから。
バプテスマも中1で無理矢理受けさされました。1つ年下の子が受けたいと申し出た時、当時の監督が順番があるから、と言い出してなぜか受けなければならなくなりました。信仰に年功序列があるとは...
大会のプールにつかった時、身を汚されたと思い悲しくなりました。それでも親や兄弟たちには逆らえなかったんですよね。
今では姉弟三人とも無事やめて平和に暮らしています。弟が止める時は大変だったのですが...
1975年に終わりが来ると信じていた母も今は71歳、現役でまだやってます。35年間、家庭の不和をまねきつつ信じ続ける母の人生を思うと悲しくなります。
わたしの場合、両親は離婚せず比較的裕福だったため、まだましだったかもしれませんが、それでも両親がいつ離婚するのかわからない状態でつらかったですよ。結局、今も離婚せずですけどね。
1965年、5歳で母が入信し16歳でなんとか逃げ出すまでの11年間、失望とどうしようもないほどの閉塞感の中で生きて来ました。
古い人しか知らないだろう「御国奉仕」と言う言い方、なつかしく思いました。
三人姉弟のまん中で、始めから全然エホバは信じられず、集会も伝道もいやで、無駄な抵抗をくり返していました。
姉はもともと優等生ぶるのが好きでしたからまんざらでもないようできちんと活動していました。おかげでずいぶん姉と比較され、駄目だと言われ続けてすっかり自信のない、ひねくれた子になってしまいました。
小学校の卒業式では校歌斉唱のための起立を拒まなければなければならない事になって、先生に泣きながら話しに行きました。
信仰のないわたしは結局起立してしまって、そのときの母の鬼のような顔は忘れられません。くどくどと叱られながらの帰り道、頻繁にトラックが通っている車道に母を突き飛ばし、殺してやろうかと思ったほどです。母が幼い弟を抱いていなかったら実行していたかも...
そうそうムチもありました。その時の交わっていた(この言い方大嫌い)会衆では犬の首輪が、長さが手ごろということで流行ってましたね。エホバの証人の2世に人権はなんてないのですから。
バプテスマも中1で無理矢理受けさされました。1つ年下の子が受けたいと申し出た時、当時の監督が順番があるから、と言い出してなぜか受けなければならなくなりました。信仰に年功序列があるとは...
大会のプールにつかった時、身を汚されたと思い悲しくなりました。それでも親や兄弟たちには逆らえなかったんですよね。
今では姉弟三人とも無事やめて平和に暮らしています。弟が止める時は大変だったのですが...
1975年に終わりが来ると信じていた母も今は71歳、現役でまだやってます。35年間、家庭の不和をまねきつつ信じ続ける母の人生を思うと悲しくなります。