わたしが小3から小6ぐらいまでの間、(71年から74年)うちでもときどき「目覚めよ」や「ものみの塔」をとっていました。「失楽園から復楽園まで」でキリスト教の歴史を学び「偉大な教え手に聞き従う」も何度もよみかえしました。夜中に嵐でめがさめれば「いよいよハルマゲドンだ」とおもいました。「永遠に生きるって退屈だろうな、でもしぬのもイヤだな」と悩んだこともあります。あのころ1975年にハルマゲドンがおこるといわれていたのは知りませんでした。
結局母もJWにははいらず、JWとの接触は母子とも本だけでおわりました。その後最近まではキリスト教とは縁のない生活をおくってきました。
あのとき母がJWにはいっていたら僕の人生はどうなっていたでしょうか。今でも宣教にはげんでいたでしょうか。う-んもともと俺は素直な性格じゃねえからなあ・・・
ただ正直にもうしまして、カトリックなどよりはイエス本来の教えに近いとおもいます。キリスト教は「最後の審判」で永遠の生命をあたえられるのが目的で、しんですぐ天国へいけるというのは俗説なんでしょう?「いつ主が復活してもよいようにそなえておけ」とは一般プロテスタント教会でも説教してることです。ただいついつハルマゲドンがくるなんてのは、わからないって福音書にかいてあるよ。
新約聖書を読んで、教会いってゴスペル聞いてもイエスさんの復活がしんじられない僕です。イエスさんが神だとはおもってない。それはJWもいっしょでしたっけ。
結局母もJWにははいらず、JWとの接触は母子とも本だけでおわりました。その後最近まではキリスト教とは縁のない生活をおくってきました。
あのとき母がJWにはいっていたら僕の人生はどうなっていたでしょうか。今でも宣教にはげんでいたでしょうか。う-んもともと俺は素直な性格じゃねえからなあ・・・
ただ正直にもうしまして、カトリックなどよりはイエス本来の教えに近いとおもいます。キリスト教は「最後の審判」で永遠の生命をあたえられるのが目的で、しんですぐ天国へいけるというのは俗説なんでしょう?「いつ主が復活してもよいようにそなえておけ」とは一般プロテスタント教会でも説教してることです。ただいついつハルマゲドンがくるなんてのは、わからないって福音書にかいてあるよ。
新約聖書を読んで、教会いってゴスペル聞いてもイエスさんの復活がしんじられない僕です。イエスさんが神だとはおもってない。それはJWもいっしょでしたっけ。