自己紹介と言いながら4つ目のカキコミになってしまって・・。
なんだか,一体私って・・。と感じていますが
きょうもよろしかったら読んで下さい。
王国会館ではいつも皆さん JWの顔をして
席に腰掛けています。
もちろん私もでした。
でも あまりにもきつくて,顔をまっすぐ上げて
生きていくということに疲れてしまった私は 王国会館の中で
心を穏やかに保つのが難しくなりました。
ある時 耐えきれなくなってお手洗いで泣き崩れてしまい,
その頃から,もうここにはいたくない。って考えるように
なりました。
次にどこに行けば霊的な平安と命を確保できるのだろうか。
毎日そのことを祈っていました。
二人のこども達は その時すでに 不登校で
学校には行けなくなってしまっていました。
車で1時間かけて 児童相談所まで通いました。
そこに行けば学校出席として下さるのです。
家庭の中ではそんな状況
JWとしての私は 相変わらずストーカーをやめてくれない姉妹との
闘い・・・。
その姉妹は ほんとにおかしかった!!!
最後の方では 私までがヒステリックに叫んでいましたから・・。
その姉妹の夫は 奉仕の僕でしたから長老達には
上手に隠していました。
そんな妻のことを・・。
そして 私に個人的に会いにきては自分の苦しみを
玄関先で 大きくつぶやくのです。
そんな BRをみていると 私の方が被害者なのに
可哀想になって(ほんとにバカです。わたし)
元気になってもらわなくては・・。とか
思ってしまいました。
そういえば ベテルで奉仕していた・・って言ってました。
そんなこと 今はどうでもいいんですが・・。
私の失敗は 誰にも相談ができなかった・。ということかなと
今は思います。
二人は一人に勝る・・・。
大好きな聖句です。
だから たとえ実生活では一人で決定をしないといけなくても
相談できる誰か。。がいてくれたら
もう少し変わっていたかもしれません。
でも 巡訪ですでに私は長老に対して幻滅を感じ,
姉妹たちは 今週はどこのレストランのランチにする?
みたいな会話で・・・・。
はっきり言って仲間に入れませんでした。
いつも笑顔と裏腹に心は孤独でした。
もうここにはいたくないって思いましたから
次の移転先をどこにしようか。。。
そればかり考えていましたら
ある日 元の会衆の信頼していた姉妹から 電話がかかってきて
「○○姉妹? あのね 会衆が分かれることになったよ。
分会なんだって。」
「えっ? じゃあ ○○BRはどこになるの?」
「あ〜・・。あのBRはいま ほとんど来てなくて
今 何をしてるか 知らないよ。」
!!!やった!!!
帰れる!!!
また元の生活に戻れるかもしれないっ!
そう思ったわたしは 元の場所に戻ることを
決めていました。
1年6ヶ月・・という とても短い避難先でした。
でも 実際はどうだったのかな・・。
避難先だったのかな・・。
18ヶ月の間に こんなに疲れさせてくれた
避難先でした。
実際は 引っ越し費用もありませんでしたし
落ち着く場所の 敷金・権利金・なども
ありませんでした。
でも!!
帰れる見通しがついたんです。
なにが何でも帰ります!!
頼りたくなかった両親にお願いして
全ての費用を援助してもらった私たち親子は
元の会衆にもどってきました。
皆さん ほんとに親切にして下さり
戻れて良かった・・。
今度こそは 新しい気持ちでがんばる!!
そして エホバにお返しできることは
していこう・・って決意しました。
その時 小6の娘はバプテスマを受けていない伝道者。
小5の息子は神権宣教学校に入っていました。
こちらに戻ってきて仕事も始まり
月に生活できるほどの収入はすぐ得られました。
もちろん マーガリンもバターも買えました。
お菓子も焼きました。
たくさん たくさん!!
交わりもしました。
出し惜しみなんてしませんでした。
これまで 交わりをしたくてもできない日々でしたから。
その反動はすごいものがありました。
でも 実はすでに壊れていってたんです。
こどもたちが・・・。
私はそれに気がつきませんでした。
順調!!それしか感じませんでした。
きょうは 今から仕事がまたあるのでここで・・。
何だか 厚かましいですね・・。
私って・・。
でもこうして書いていくと 見たくなかったものを
直視しないといけなくて・・。
これを乗り越えないと・・て 書きながら感じています。
ありがとうございました。 デイジー
なんだか,一体私って・・。と感じていますが
きょうもよろしかったら読んで下さい。
王国会館ではいつも皆さん JWの顔をして
席に腰掛けています。
もちろん私もでした。
でも あまりにもきつくて,顔をまっすぐ上げて
生きていくということに疲れてしまった私は 王国会館の中で
心を穏やかに保つのが難しくなりました。
ある時 耐えきれなくなってお手洗いで泣き崩れてしまい,
その頃から,もうここにはいたくない。って考えるように
なりました。
次にどこに行けば霊的な平安と命を確保できるのだろうか。
毎日そのことを祈っていました。
二人のこども達は その時すでに 不登校で
学校には行けなくなってしまっていました。
車で1時間かけて 児童相談所まで通いました。
そこに行けば学校出席として下さるのです。
家庭の中ではそんな状況
JWとしての私は 相変わらずストーカーをやめてくれない姉妹との
闘い・・・。
その姉妹は ほんとにおかしかった!!!
最後の方では 私までがヒステリックに叫んでいましたから・・。
その姉妹の夫は 奉仕の僕でしたから長老達には
上手に隠していました。
そんな妻のことを・・。
そして 私に個人的に会いにきては自分の苦しみを
玄関先で 大きくつぶやくのです。
そんな BRをみていると 私の方が被害者なのに
可哀想になって(ほんとにバカです。わたし)
元気になってもらわなくては・・。とか
思ってしまいました。
そういえば ベテルで奉仕していた・・って言ってました。
そんなこと 今はどうでもいいんですが・・。
私の失敗は 誰にも相談ができなかった・。ということかなと
今は思います。
二人は一人に勝る・・・。
大好きな聖句です。
だから たとえ実生活では一人で決定をしないといけなくても
相談できる誰か。。がいてくれたら
もう少し変わっていたかもしれません。
でも 巡訪ですでに私は長老に対して幻滅を感じ,
姉妹たちは 今週はどこのレストランのランチにする?
みたいな会話で・・・・。
はっきり言って仲間に入れませんでした。
いつも笑顔と裏腹に心は孤独でした。
もうここにはいたくないって思いましたから
次の移転先をどこにしようか。。。
そればかり考えていましたら
ある日 元の会衆の信頼していた姉妹から 電話がかかってきて
「○○姉妹? あのね 会衆が分かれることになったよ。
分会なんだって。」
「えっ? じゃあ ○○BRはどこになるの?」
「あ〜・・。あのBRはいま ほとんど来てなくて
今 何をしてるか 知らないよ。」
!!!やった!!!
帰れる!!!
また元の生活に戻れるかもしれないっ!
そう思ったわたしは 元の場所に戻ることを
決めていました。
1年6ヶ月・・という とても短い避難先でした。
でも 実際はどうだったのかな・・。
避難先だったのかな・・。
18ヶ月の間に こんなに疲れさせてくれた
避難先でした。
実際は 引っ越し費用もありませんでしたし
落ち着く場所の 敷金・権利金・なども
ありませんでした。
でも!!
帰れる見通しがついたんです。
なにが何でも帰ります!!
頼りたくなかった両親にお願いして
全ての費用を援助してもらった私たち親子は
元の会衆にもどってきました。
皆さん ほんとに親切にして下さり
戻れて良かった・・。
今度こそは 新しい気持ちでがんばる!!
そして エホバにお返しできることは
していこう・・って決意しました。
その時 小6の娘はバプテスマを受けていない伝道者。
小5の息子は神権宣教学校に入っていました。
こちらに戻ってきて仕事も始まり
月に生活できるほどの収入はすぐ得られました。
もちろん マーガリンもバターも買えました。
お菓子も焼きました。
たくさん たくさん!!
交わりもしました。
出し惜しみなんてしませんでした。
これまで 交わりをしたくてもできない日々でしたから。
その反動はすごいものがありました。
でも 実はすでに壊れていってたんです。
こどもたちが・・・。
私はそれに気がつきませんでした。
順調!!それしか感じませんでした。
きょうは 今から仕事がまたあるのでここで・・。
何だか 厚かましいですね・・。
私って・・。
でもこうして書いていくと 見たくなかったものを
直視しないといけなくて・・。
これを乗り越えないと・・て 書きながら感じています。
ありがとうございました。 デイジー