ゲストブック過去ログ:#585

昼寝するぶた

ここでは、昼寝するぶた掲示板の過去ログを並べています。

No.585 自己紹介・・・その6 投稿者:デイジー 投稿日:2003/12/07 02:43 現役1世姉妹 自然消滅中でーす  A型  
ほんとに あれは一体なんだったのでしょうね・・。
あの時の自分・・。
ゆーじさんのプロフィールの中にもありますように,
私もですが・そして,多分 他の母親もほとんど同じようにして
訓練(?)を子どもに施していたと思うのです・・。

私はその時 どんな顔をしていたのでしょうか・・。
鬼? 
きっと そうに違いありません。
目の前に鏡があったら 自分の姿に愕然となっていたと思います。

組織の教えを全て 一心不乱に信じ込んで
それが神からの教えと称して・・
でも 結果はどれだけの傷を負わせ しかも一生かけても我が子に
償えないことをしてしまった・・。
今の私はそんな気持ちです。

6ヶ月間の時を経て戻ってきた娘はすごい女の子に豹変していました。
あの・・ほんとに私の娘ですか??
そう尋ねたいほどでした。

やっと 出た言葉は
「○○ちゃん お帰り!戻ってきてくれて嬉しいよ」
「ああ・・(投げやり調に)。
あ  そうそう コレね きょうから一緒に住むから よろしく。」
・・男の子と一緒でした。

娘の髪は輝くような金色
目の周りは パンダさんより真っ黒
ピアスは開け放題
肌露出 丸出しのような それはそれは ケバイ洋服
もちろん 超ミニ
タイツは 真っ黒アミアミ
マニキュアは 真っ赤 真っ黒 色々な色

あの 日本人形・・時にはシャーりーテンプル・のような
愛くるしいイメージはもうどこにもなくて・・
私の前にいる娘は 半年間でどんな生活をしていたか
容易に想像できました。
まだその時 娘は17才でした。

わたしは 可哀想でたまりませんでした。
こんなに 荒れていたんだ・・。
目が物語っていました。
空虚な・・何かをつかみたいけど もう無理・・。
どうせ,,私になんて・・。
もうどうでもいい・・。
うまく言えませんが 悲しい目でした。

男の子は彼氏だそうです。
なんでも 娘をいろいろと助けてくれたみたいで
食べ物がない時には家に連れて行ってくれて
優しくそして親切にしてくれたみたいで・・。
ほんとに 感謝しました。その子に・・。
もしかしたら どこかの国に売り飛ばされているかも・・。
そんなことばかり考えていたからです。

だから「一緒に住むから。」と言われても とにかく戻って来てくれたことが嬉しくて・・。
娘が生きていてくれて 呼吸をしてくれていることに嬉しくて
だから構いませんでした。

その男の子と一緒の生活は 丸1年続きました。

今は もう違う子です。
やはり ほとんど一緒の生活です。
でも 私が感じるのは
なぜ いつもこんなに誰か一緒じゃなくてはいけないのでしょうか・・。
分かるような 分からないような・。
肌のぬくもり・・これなんでしょうか・・?

時々 娘は「記憶がなくなる・・。」と言います。
そして 注意力がとても散漫だったり
どうして? っていうような事をしたり 言ったり・・。
けど思い当たる節もあります。

私が 「イスに腰掛けなさい!」て 娘にお説教が始まると
娘の目は うつろになって 空をさまようような今にも
目がつぶれそうになって 全く話しを聞いていない。
そんな状況でした。
そういう娘にますます 腹が立ってお説教が何時間にも
なっていくのです。
でも考えたら 異常ですよね。。
大人でもきついですよね。
そんな状況って。
話しばかり聞かされ続けたら イヤになりますよね。
そんな事が多かったから 娘の頭は思考していく
エネルギーが続かないのでしょうか・・。

「うん 分かった・・。○○はがんばるからね!
だから むちはしないでね。
ママのこと大好きだからね。」・・って一生懸命 訴えていた・・
でも それを無視してしまっていた あの頃の私です。
そして そんな母親を支えようとして
幼いのに必死に気を使って生きてきた娘に 今,私が出来ることは
ただ・・幸せを願うことだけです。
そして今度は私が見守ってあげたいと決意しています。

今 娘は少しずつ社会に適応しようと
がんばっています。
バイトも見つけてきました。
家事の手伝いもしてくれます。
自分のしてみたいことも みつけて 今 ネイルスクールに通って
相変わらず爪を綺麗にしています。
作品ができると嬉しそうに笑いながら 見せてくれます。
その時の娘の笑顔は 幼い頃の あの可愛い笑顔です。
こんな娘は すごい進歩です。
笑顔が少しずつ出るようになったからです。

弟の方は 神権宣教学校をやめてから 一見,自由になったようです。
本人が言うのには「ストレスの分だけ,口と耳にピアスを開けて・・」
います。
学校の制服はすごい格好で行っていますが
家ではおしゃればかりして 自分のファッションを確立すると
がんばっています。
でも 服の袖をまくれば 自傷行為のあとだらけです。
この傷後も 何かの思いの痕跡なのでしょうか・・。。

二人の子どもは なにを見て感じて訴えて生きてきたのでしょうか。。
幼すぎてまだ十分に自分の気持ちも伝えられない子どもに
私がしてきたことは 一体 何だったのでしょうか。

私にとっては ずっと続きます。
この問題。
これから修復してあげられるところは
してあげたいです。
そして 娘も息子も生まれてきて良かった。
そのように感じられる日がくればいい。
心からそう願っています。

私のこどもは 今 こんな状況です。
書ける範囲で書きました。

きょう 娘と買い物に行ってJWの話しを
しました。
「社会に適応できないのが 辛いかな〜・・・。
あと 友達ができない。 って言うかできにくいよね。」
・・と言ってました。
「ママのせいじゃないよ。 でも ママがJWじゃなかったら
きっと今頃 私もみんなと同じように 大学もしてられてたかもしれない・・。ふつうでいられたかもね。」

そうだね。
母もそう思います。
そして 私もJWをしていなかったら また別の生き方をしていたことでしょう。

ですが こどもは組織から離れても私はバプテスマを
受けた者として 何があっても離れないように
しなくては・・。
そう思っていたのですが ある日 ぷつんとそれが
切れてしまいました。

6つ目にもなってしまって・・。
でも あと1回書かせて下さい。
私がJWをやめたい・・って 決意したきっかけです・・。
読んでいただいて・・
ありがとうございました。  デイジー
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