阪神淡路大震災の報道の中で、こんな話が小さく掲載されました。
家族のみんなは倒壊した家からなんとか脱出できそうだった。
しかし、老齢の父親が梁か柱かに挟まれて身動きできない。
家族のみんなはその父親を引っ張り出そうと、一丸となり努力するがなかなか成功しない。恐ろしいことに火が迫ってきている。
「もういい、もういい。はやくお前らは逃げろ、はやく」
その老齢の父親は言ったのだそうです。
ドラマのシナリオではない。実話だというのです。
家族は泣く泣くその通りにしました。
わたしはエホバの証人の出版物で掲載される経験談の、真理のために殉教した人たちの話より、何十倍もこのお父さんの話に感銘を受けました。実際に助けられた家族という対象がはっきりしていたからでしょうか。その通りだと思います。実際に数人の家族を救ったから、実際的な価値を持ったから重い意味を持つのだと思います。
殉教したエホバの証人の話は、ただただ恐怖感を受けただけでした。わたしのエホバの証人的来世への信仰が弱かったからでしょうか。いいえ、ロンさんのおっしゃる通り、わたしが「望んでいた事柄に対する保障された期待」が実は何にも保障されてはおらず、「見えない実体についての明白な論証」が実は十分に論じることができなかったからです。殉教したエホバの証人たちは結局何を守ったのでしょうか。みんなは口をそろえて「将来の永遠の命」と答えますが、その根拠について説得力のある説明はできないのです。
十分に説明できない「明白な論証」、はっきりした根拠を提供できないけれども「保障された期待」、そんなもののために目の前で知人が息を引き取ってゆく、この恐怖! エホバの証人の信仰と、その信仰への執着はその恐怖を麻痺させるため、あるいは正当化させるためだけなのです。だからさわやかな思い切りがないんです。
織田の同僚たち、お前らの胸に去来するものは何だ?
キリストの至福に入った仲間への祝福か
それとも自分の内心の空白・空虚への恐怖か。
充実した人生を送ってきた者は決して感じることのない恐怖、
死んで消滅するという現実はお前らにとってはひたすら恐怖だろう。
それはぽっかり開いた巨大なブラックホール、お前らにとって何十万人の信徒たちの命よりも貴重な「長」の名声と地位も呑み込んでしまい、あとかたも残さない。死んだ人間は必ず忘れられる。自分の意思、目標を生きてきた人間は自分の生にそれなりに満足できる。だが他人からの賞賛を追い求めてきたお前らから賞賛を取ったら何にも残らない。生きている人々から忘れられるという恐怖を味わえ。それがお前らへのこの上ない処罰だ。
家族のみんなは倒壊した家からなんとか脱出できそうだった。
しかし、老齢の父親が梁か柱かに挟まれて身動きできない。
家族のみんなはその父親を引っ張り出そうと、一丸となり努力するがなかなか成功しない。恐ろしいことに火が迫ってきている。
「もういい、もういい。はやくお前らは逃げろ、はやく」
その老齢の父親は言ったのだそうです。
ドラマのシナリオではない。実話だというのです。
家族は泣く泣くその通りにしました。
わたしはエホバの証人の出版物で掲載される経験談の、真理のために殉教した人たちの話より、何十倍もこのお父さんの話に感銘を受けました。実際に助けられた家族という対象がはっきりしていたからでしょうか。その通りだと思います。実際に数人の家族を救ったから、実際的な価値を持ったから重い意味を持つのだと思います。
殉教したエホバの証人の話は、ただただ恐怖感を受けただけでした。わたしのエホバの証人的来世への信仰が弱かったからでしょうか。いいえ、ロンさんのおっしゃる通り、わたしが「望んでいた事柄に対する保障された期待」が実は何にも保障されてはおらず、「見えない実体についての明白な論証」が実は十分に論じることができなかったからです。殉教したエホバの証人たちは結局何を守ったのでしょうか。みんなは口をそろえて「将来の永遠の命」と答えますが、その根拠について説得力のある説明はできないのです。
十分に説明できない「明白な論証」、はっきりした根拠を提供できないけれども「保障された期待」、そんなもののために目の前で知人が息を引き取ってゆく、この恐怖! エホバの証人の信仰と、その信仰への執着はその恐怖を麻痺させるため、あるいは正当化させるためだけなのです。だからさわやかな思い切りがないんです。
織田の同僚たち、お前らの胸に去来するものは何だ?
キリストの至福に入った仲間への祝福か
それとも自分の内心の空白・空虚への恐怖か。
充実した人生を送ってきた者は決して感じることのない恐怖、
死んで消滅するという現実はお前らにとってはひたすら恐怖だろう。
それはぽっかり開いた巨大なブラックホール、お前らにとって何十万人の信徒たちの命よりも貴重な「長」の名声と地位も呑み込んでしまい、あとかたも残さない。死んだ人間は必ず忘れられる。自分の意思、目標を生きてきた人間は自分の生にそれなりに満足できる。だが他人からの賞賛を追い求めてきたお前らから賞賛を取ったら何にも残らない。生きている人々から忘れられるという恐怖を味わえ。それがお前らへのこの上ない処罰だ。