> >ゆーじさんはエホバの存在は信じてらっしゃるのでしょうか。
> JWで言う「全知全能の神エホバ」という意味ではなく、宇宙や地球や人間を作った
> 「意思(創造者)」は存在するだろうなと思っています。私はその存在とは人間より
> 上位の存在だから「上様(かみさま)」という呼び方をします。
>
> そして「上様(かみさま)」の中の1人がエホバでありイエスである。と考えます。
> だからエホバより上位の上様もいる。上位の上様から見ればエホバも御使いの
> 1人という考え方をします。
>
> 私は過去のJW経験のせいで、エホバ(ヤハウエ)という存在に生理的嫌悪感しか
> 持たないんですよ。さらにイエス・キリストが神の子である以上、私の心は「坊主
> 憎けりゃ袈裟まで憎い」という状態になりますから、私の心はキリスト教では絶対
> に救われません。
>
> さらにJWに限らず人が集まる宗教には教団が不可欠です。教団運営を人間が
> やる以上、宗教教団には必ず弊害があります。簡単に言うと、本来「努力目標」
> であったはずの教理が、いつのまにか「絶対目標」にすり替わるのが世の中の
> 宗教の現実ということです。
>
> 元々の宗教の教理が「頑張りましょう」という努力目標であれば「よくできました」
> と自分で自分を誉めることができます。しかしこれが宗教教団のせいで努力目標
> が絶対目標にすり替えられると、「お前は何故やらないのか、やって当たり前だ、
> 出来て当たり前だ、お前は何をやっても駄目な奴だ」という心のプレッシャーに
> なってしまい、自分で自分の心をいじめる事になります。
>
> これは私にとって他人に生き方を強制される嫌な生き方です。だから私は宗教
> にも宗教教団にも頼らない、自分一人だけで生きていける宗教観を時間をかけて
> 探し出しました。
>
> 自分の心が納得するためにたくさんの本を乱読し、他人の考え方を片っ端から聞き、
> そうやって知った考え方を実体験で検証して、自分の心が納得出来る自分だけの
> 考え方を作り出しました。これは他人に勧めるものではなく自分だけのものなんですが、
> 考え方としては仏教の世界観に近い考え方ですね。
>
> それは、聖書のように神とかサタンという「2分法」ではなく、「両極端の中間に本当の
> 道がある」という仏教で言う「中道」という考え方を基本にして組み立てた自分だけの
> 考え方です。それは既成仏教に当てはまらない自分だけの考え方ですから、私は
> 「自分仏教」と呼んでいます。(日本の仏教はJWで言う偶像崇拝なので、自分が仏教
> の信徒になろうと思っても生理的嫌悪感が先に出てくるので絶対に信徒になれない)
>
> その「自分仏教」ですが、そういう考え方は自分1人だけの考え方だと長く思っていた
> のですが、「ブッタとシッタカブッタ」を読んで、著者の考え方と私の考え方がまったく
> 同じ人がいたのでびっくりしました。私は仏教を系統立てて学んだことがないのでその
> 思想が仏教のどのジャンルなのか正確に言えないんですが、「ブッタとシッタカブッタ」
> の解説で、この本は法華経のわかりやすい解説書というコメントがありましたから、
> どうやら私の見つけた考え方は法華経のジャンルに入る考え方のようです。
>
> 私の持つ宗教観の解説はそんなんでいい?
>
> >別の掲示板に移動します。
> 続きがあれば議論ぶたでね。
>
> >これからもがんばって運営を続けてください。
> ありがとうございます。
> これからも自分の行動に信念を持って、自分のペースで続けて行きますです(^^)
>
というのを過去ログに見つけました。こんに長い引用あり?デモ、私が短縮して再現するよりもそのままの方が良いと判断しましたので、これを元に最近私が貴掲示板を読ませていただいている感想などつらつらと書きたいと思ったので、気楽じゃない話は、もう一つの掲示板に移ります。
> JWで言う「全知全能の神エホバ」という意味ではなく、宇宙や地球や人間を作った
> 「意思(創造者)」は存在するだろうなと思っています。私はその存在とは人間より
> 上位の存在だから「上様(かみさま)」という呼び方をします。
>
> そして「上様(かみさま)」の中の1人がエホバでありイエスである。と考えます。
> だからエホバより上位の上様もいる。上位の上様から見ればエホバも御使いの
> 1人という考え方をします。
>
> 私は過去のJW経験のせいで、エホバ(ヤハウエ)という存在に生理的嫌悪感しか
> 持たないんですよ。さらにイエス・キリストが神の子である以上、私の心は「坊主
> 憎けりゃ袈裟まで憎い」という状態になりますから、私の心はキリスト教では絶対
> に救われません。
>
> さらにJWに限らず人が集まる宗教には教団が不可欠です。教団運営を人間が
> やる以上、宗教教団には必ず弊害があります。簡単に言うと、本来「努力目標」
> であったはずの教理が、いつのまにか「絶対目標」にすり替わるのが世の中の
> 宗教の現実ということです。
>
> 元々の宗教の教理が「頑張りましょう」という努力目標であれば「よくできました」
> と自分で自分を誉めることができます。しかしこれが宗教教団のせいで努力目標
> が絶対目標にすり替えられると、「お前は何故やらないのか、やって当たり前だ、
> 出来て当たり前だ、お前は何をやっても駄目な奴だ」という心のプレッシャーに
> なってしまい、自分で自分の心をいじめる事になります。
>
> これは私にとって他人に生き方を強制される嫌な生き方です。だから私は宗教
> にも宗教教団にも頼らない、自分一人だけで生きていける宗教観を時間をかけて
> 探し出しました。
>
> 自分の心が納得するためにたくさんの本を乱読し、他人の考え方を片っ端から聞き、
> そうやって知った考え方を実体験で検証して、自分の心が納得出来る自分だけの
> 考え方を作り出しました。これは他人に勧めるものではなく自分だけのものなんですが、
> 考え方としては仏教の世界観に近い考え方ですね。
>
> それは、聖書のように神とかサタンという「2分法」ではなく、「両極端の中間に本当の
> 道がある」という仏教で言う「中道」という考え方を基本にして組み立てた自分だけの
> 考え方です。それは既成仏教に当てはまらない自分だけの考え方ですから、私は
> 「自分仏教」と呼んでいます。(日本の仏教はJWで言う偶像崇拝なので、自分が仏教
> の信徒になろうと思っても生理的嫌悪感が先に出てくるので絶対に信徒になれない)
>
> その「自分仏教」ですが、そういう考え方は自分1人だけの考え方だと長く思っていた
> のですが、「ブッタとシッタカブッタ」を読んで、著者の考え方と私の考え方がまったく
> 同じ人がいたのでびっくりしました。私は仏教を系統立てて学んだことがないのでその
> 思想が仏教のどのジャンルなのか正確に言えないんですが、「ブッタとシッタカブッタ」
> の解説で、この本は法華経のわかりやすい解説書というコメントがありましたから、
> どうやら私の見つけた考え方は法華経のジャンルに入る考え方のようです。
>
> 私の持つ宗教観の解説はそんなんでいい?
>
> >別の掲示板に移動します。
> 続きがあれば議論ぶたでね。
>
> >これからもがんばって運営を続けてください。
> ありがとうございます。
> これからも自分の行動に信念を持って、自分のペースで続けて行きますです(^^)
>
というのを過去ログに見つけました。こんに長い引用あり?デモ、私が短縮して再現するよりもそのままの方が良いと判断しましたので、これを元に最近私が貴掲示板を読ませていただいている感想などつらつらと書きたいと思ったので、気楽じゃない話は、もう一つの掲示板に移ります。