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> きららねえさんへ
> >なぜ、神さまはこんな風に、選民でない民を皆殺しにするように命じられるのか、理解に苦しみます。
> >というか、このことは、嫌悪感さえ感じるし、一番わからない箇所です。
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> ねえさんが指摘したまさにこれが信仰を論じることにおいて一番重要なことではない?
> どの宗教でもその時々指導者の意志や欲望によって、御心のもとにを建前として犠牲となるものがあるのだから。
> あと500年たって、その時代にエホバ信仰が続いていれば
> 現代をさして、あの時代はわからないよね〜、人々を信仰で縛り苦しめるなんて、ひどいよね〜
> と言っているかも知れない・・
> 「おまえさん、あんまりおまえさんがだれかを崇拝したら、本当の自由はえられないんだぜ。」−ムーミン谷の仲間たちより
> こんなセリフが思い浮かんでくるんです
らんちゃん、こんにちは。久しぶり。どうしているんのかなあ。と思っていたら、こんなことを考えていたのですね。確かにこの掲示板重い時あるよね。デモ、そこが好きだったりする私だけど、私の中で嫌なやりとりが交わされている時には入りません。(当たり前か)
ところで、こういうらんらんさんの質問来て当然だから、私なりに誠実に答えますね。でも、それが、あなたを納得させたり、満足してもらえる自身は全くありません。というのは私は20歳で受洗してから今日に至るまで、全く感覚的にキリストを信じているのであって、それは歴史のさまざまを検証した結果の信仰でもないし、ましてやキリスト教の歴史や情報は本当に無きに等しいのです。ですから、私の説明は本当に主観に基ずくものだし、また、教会にこう答えなさい・・といわれている答でもありません。
信じる自由、信じない自由で、信仰に関しては、議論するものではないと思っています。でも、なぜあなたはこんなものをまっこうから信じているのですか。と聞かれたら、自分の信条を説明するべきだと思っています。だから、私はここで伝道しようと思っているわけではなく、自分の信念について、ありのままに表明します。
キリスト教は歴史の中で、さまざまな時代に政治的に利用されてきた宗教だと思います。芸術や音楽にも影響を与えてきましたよね。で、そうなると、本当にキリストが語っていた教えとはどんどんかけ離れたものになっていって、組織が一人歩きしたり、人間の勝手な解釈によって、微妙なところで違う教えに摩り替えられたりしてしまっていると思うのです。現代でも、テロに対する報復を決断した時に、大統領は神がどうのこうの・・・とのたまわっていた気がします。それで、わたしの中では、ここ2000年の間に繰り返されてきた、キリスト教徒が犯している間違いを悲しんでいるのは、神ご自身だと思っています。ユダヤ人も紀元前には選民と呼ばれ、神から特別扱いされていましたが、キリストの教えでは、外側だけ整える中身の伴わないどうしようもない民と投げ捨てられてしまいました。もしかすると、今のクリスチャンだって、信念と行動が伴わないと、おまえなんて知らない・・・と投げ捨てられてしまうかもね。教会に行っているからってそれだけで、あたしは安心、神さまに擁護されているなんていうこと全然ないと思う。神はその動機をよく知っていると思う。そういうわけで、政治とからんだキリスト教の腐敗とか、虚偽をルターやその他の宗教改革者がこれでは駄目だ!!って叫んだのだと思います。とにかく形骸化しすぎているから。
じゃあ、何で私がそんな悪の温床みたいなキリスト教を信じているかと言うと、今度は理屈じゃあなく、信じているから信じているとしか言いようがないの。これじゃあ誰も納得しないだろうけど。言葉を変えたら、私には必要なものでしょうか。私は潔くなんてないし、心の中は醜いもので、どろどろしています。罪悪感もあるし。自分が嫌いだったり。でも、キリストがこんな私でもいいよって、語りかけていていてくださるから、生きていかれるだけです。お前のしてきた数々の罪はみんな赦すからって言ってくださるし。そのかわり、これからは罪を犯さないように!!て言われている。自分の罪を自分で償いきれないことを、私は処理しきれなかった。だから、クリスチャンは弱い人のものなんだよ、自分の心の尻拭いもできないで、、っていう声が聞こえてきそう。その通りです。私たちは皆自分たちが弱いことを認めたものの集まりです。人間ってもろいものだと思います。そして、自分でさえ自分の心をコントロールできなかったり、ましてや境遇や顔かたちや容姿など、自分の思い通りになんかいかないことだらけ。性格とかも。でも、自分を創ったのは神さまで、なにもかも私のことを知っていてくださると思うと、自分を好きになれるし、相手も認めて、受け入れられる。その人も神さまが創った人
だから。
知識に基ずいて信じているのでなく、身近に日常生活の一こま一こまに神の働きを感じてしまうんです。これには拒否反応や反感絶対にあると思っています。でも、正直に自分の信仰を伝えました。人それぞれですから。