> ちょっと話はそれるのですが、
> 私の知り合いに仏教系グループの信者(オウムではない)がいるのですが、東条英
樹(この字でいいのか?)は、いわゆる解脱をして死んでいったそうです。この事で
何かご存じですか?
いえ全然知りませんでしたけど、検索したら彼は獄中で親鸞の本を読んでいたそうですね。死刑囚、しかもかの戦争の最大の責任者として絞首台に上がることになっていたわけですから、解脱するくらいの心境にならないと冷静ではいられなかったとも考
えられます。でも実際は彼は自殺未遂を図っていますから、解脱の心境ではなかったように思います。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/TOOJOINOUE.html
実際には最高の地位にいたのは天皇ですが、よく俗に語られるのは彼は陛下の身代わりになって一身に責任を負って死ぬことに意義を見出したということですが、それもどうか分かりません。おそらく違うでしょう。
そのような捉えかたをする仏教信者がいても不思議ではないでしょう。でもことさら東条の名前を出すところからすると自民党と結びつきの強い仏教教派の一つなのでは?神道では解脱や輪廻転生は説かないでしょうが、生長の家などそのような見解には
むしろ好意的なのではないでしょうか。
近衛文麿(細川元首相の祖父)のように自殺したり、精神に異常をきたしてしまった戦争指導者もいたわけですから。国家の戦争責任問題など、ややこしい議論は私はよそでやっていますのでここでは出しませんが、当時の昭和天皇や東条をヒトラーやス
ターリン、毛沢東、サダムフセイン、金正日などの独裁者と同視するのはやはり日本人には違和感があるのではないでしょうか。日本人の組織で行われる意思決定がそのような独裁主義体制とは異なっていることは日本人なら肌で知っています。昭和天皇
にさえ最終的に軍部を押さえて戦争を回避する、もしくは早々と降伏する決定を独断で下し行動に移すことが果たしてできたのか、はなはだ疑問です。
http://www.world-reader.ne.jp/renasci/another/s-suzuki-000731.html
日本史でいえばああいうタイプの独裁者といえば織田信長、豊臣秀吉くらいのものでしょうか。まあ江戸時代の犬公方の将軍綱吉とかも随分無茶苦茶だったようですから、同じようなものかもしれませんけど、それでも気に入らない人間を次々に容赦なく殺していったなんてのは戦国時代くらいのものだと思います。
外国だとヒトラーは自殺したしその前の第一次大戦ではドイツ皇帝ウィルヘルム二世は亡命しています。日本では天皇や東条はじめ戦争指導者が外国へ亡命するなどという発想は全くなかったといっていいのではないでしょうか(もし亡命しようとしても
受け入れる国は無かったでしょう)。
ものみの塔に関してはどう考えても最も重い責任を統治体が負っていることは当然のように思いますが、エホバが無謬であるのと同様統治体も無謬であるということが当然とされていますから、今後も責任を取るなどということはありえないのでしょうね。しかも都合がいいときには自分たちは単なるエホバとの仲介人だと言ってしまえばいいわけですし。
> 私の知り合いに仏教系グループの信者(オウムではない)がいるのですが、東条英
樹(この字でいいのか?)は、いわゆる解脱をして死んでいったそうです。この事で
何かご存じですか?
いえ全然知りませんでしたけど、検索したら彼は獄中で親鸞の本を読んでいたそうですね。死刑囚、しかもかの戦争の最大の責任者として絞首台に上がることになっていたわけですから、解脱するくらいの心境にならないと冷静ではいられなかったとも考
えられます。でも実際は彼は自殺未遂を図っていますから、解脱の心境ではなかったように思います。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/TOOJOINOUE.html
実際には最高の地位にいたのは天皇ですが、よく俗に語られるのは彼は陛下の身代わりになって一身に責任を負って死ぬことに意義を見出したということですが、それもどうか分かりません。おそらく違うでしょう。
そのような捉えかたをする仏教信者がいても不思議ではないでしょう。でもことさら東条の名前を出すところからすると自民党と結びつきの強い仏教教派の一つなのでは?神道では解脱や輪廻転生は説かないでしょうが、生長の家などそのような見解には
むしろ好意的なのではないでしょうか。
近衛文麿(細川元首相の祖父)のように自殺したり、精神に異常をきたしてしまった戦争指導者もいたわけですから。国家の戦争責任問題など、ややこしい議論は私はよそでやっていますのでここでは出しませんが、当時の昭和天皇や東条をヒトラーやス
ターリン、毛沢東、サダムフセイン、金正日などの独裁者と同視するのはやはり日本人には違和感があるのではないでしょうか。日本人の組織で行われる意思決定がそのような独裁主義体制とは異なっていることは日本人なら肌で知っています。昭和天皇
にさえ最終的に軍部を押さえて戦争を回避する、もしくは早々と降伏する決定を独断で下し行動に移すことが果たしてできたのか、はなはだ疑問です。
http://www.world-reader.ne.jp/renasci/another/s-suzuki-000731.html
日本史でいえばああいうタイプの独裁者といえば織田信長、豊臣秀吉くらいのものでしょうか。まあ江戸時代の犬公方の将軍綱吉とかも随分無茶苦茶だったようですから、同じようなものかもしれませんけど、それでも気に入らない人間を次々に容赦なく殺していったなんてのは戦国時代くらいのものだと思います。
外国だとヒトラーは自殺したしその前の第一次大戦ではドイツ皇帝ウィルヘルム二世は亡命しています。日本では天皇や東条はじめ戦争指導者が外国へ亡命するなどという発想は全くなかったといっていいのではないでしょうか(もし亡命しようとしても
受け入れる国は無かったでしょう)。
ものみの塔に関してはどう考えても最も重い責任を統治体が負っていることは当然のように思いますが、エホバが無謬であるのと同様統治体も無謬であるということが当然とされていますから、今後も責任を取るなどということはありえないのでしょうね。しかも都合がいいときには自分たちは単なるエホバとの仲介人だと言ってしまえばいいわけですし。