マイクロソフト教の宗教であるMS-DOSの教理には「1MBの壁」という、持って生まれた構造的な欠陥があったが、それでもMS-DOSを使うしかないという、中世のカトリックのような単一教理の時代が長く続いた。

人々は1MBの壁に苦しめられつつもMS-DOSを使っていたが、ある時、『QEMM』という1MBの壁をかわすソフトが発売された、これを人々は「免罪符」と呼んだ。QEMMはかなりの高性能だったが、扱うにはそれなりのDOSの知識が必要で、MS-DOSの賛美歌であるconfig.sysとautoexec.batという暗号の楽譜が読めて演奏できる一部の人以外は救われなかった。

人々は、ごく一部の人しか救われないQEMMの免罪符状態に怒りを持っていたが、ある時、マイクロソフト教に勤めるルターというDOS/V信者が、MS-DOSの教理の矛盾点、「1MBの壁」問題糾弾のための質問状、フローチャートをマイクロソフト本社の壁に貼り付けた。

それがきっかけでWindowsという新しい解釈が発生し、Windows3.1というそれまでにはない新しい教理が誕生した。これをプロテスタントと呼ぶ。

さらに、それまでは手書きでこつこつ聖書を書き写すように手間がかかるフロッピーディスクしかなかったのが、印刷機械で一度に何冊も聖書を印刷出来るようなCD-ROMの発達と時期が重なり、フロッピーディスク時代にはWindows3.1の新規インストールをするのにフロッピーディスクが14枚(NEC PC-98は21枚だったかな?)も必要だったのが、CD-ROM1枚で済むようになり、Windows95の発売をきっかけにプロテスタントが大ブームとなり、多くの人々が聖書…じゃなくてパソコンに親しむようになった。これをルターの宗教改革と言う。

それから少し経つと、マイクロソフト教で新しい宗教解釈が試作品として出来上がる。これはウィリアム・ミラーという牧師が開発した画期的な新解釈で、OS/2(おーえすつー)と言うWindows3.1の持つ欠陥を根本的に解消した画期的な新解釈で、多くの人がその将来性に期待したが、カーネルに組み込まれていた西暦2000年問題対策プログラム「1843年3月21日〜1844年3月21日までに必ずハルマゲドンが来る」に修正不可能な根本的欠陥があることがわかり、マイクロソフト教はOS/2の開発を断念して、新たにWindows-NT系の開発を始める。

その後、Windows95系を使う人はプロテスタント系信者と呼ばれるようになり、Windows-NT系を使う人をカトリック系信者と呼ぶようになる。Windows95系とWindows-NT系は最新の教理であるWindowsXPで正式に統合されたが、キリスト教のプロテスタントとカトリックが同じように統合されるかどうかは誰もにわからない。

捨てられたOS/2の持っている優秀性に着目したピラミッド崇拝社の初代会長ラッセルが、OS/2のライセンス権を巧妙にかわして作ったOS/2のコピー宗教であるOS-2エホバを世に送り出す。これをOS-2エホバ教と言い、その信者をJW信者と言う。

OS-2エホバ教はピラミッド崇拝社の作り出した宗教なのに、何故かJW信者達はDOS/V信者を装い、「わたしたちはマイクロソフトちゃんです」と主張するのが信者達の特徴である。

OS-2エホバはWindows95と互換性があったので発売当初は期待した人もいたが、マイクロソフト教の次世代聖書解釈であるWindows98という教理のバージョンアップが行われると、OS-2エホバ教の売りであったマイクロソフト教との互換性が少なくなり、さらにWindows98SE,WindowsME,Windows2000,WindowsXP,と、マイクロソフト教が時代の変化に合わせてバージョンアップを行うと、OS2エホバ教は完全に時代に取り残されてしまい、その後新しく出来たインターネット社会にも乗り遅れ、社会との互換性が完全になくなってしまった。

なので株式会社JWは「インターネットはポルノ映画と同じだから、賢明な人はネットに接続しません」と警告を発している。

OS-2エホバ教はウィリアム・ミラーという牧師の作った宗教解釈をベースにしているので、OS/2の欠陥ソフト「ハルマゲドン予言プログラム」も内蔵している。OS-2エホバはOS/2をコピーして作ったため、「次のハルマゲドンは、1799年,1874年,1914年,1916年,1918年,1925年,1941年,1975年,1982年,1989年,2001年,までに間違いなく必ず来ます。」と主張するのだが、それが全部はずれても、ピラミッド崇拝社はクレームを認めず「それは教理の欠陥ではなく、プログラムのバグです。人間は不完全だから間違いもあります」と、往年のCPU、ペンティアム100MHzのバグ騒ぎの時のインテルのいいわけのような対応を繰り返して現在に至る。

ちなみに私も当時、欠陥CPUのインテル・ペンティアムP100を1個タダで交換してもらっている。インテルの発行した明細書を見たらなんと10万円だった。パソコンはもう撤退してしまったGateway-P100で、本体価格が40万円の時代。全部セットで60万円もかかった。


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