9 一緒に住んでいない親族: 「もし排斥された者,あるいは自ら関係を断絶した者が,一緒に暮らしている家族ではなく,別に生活している親族であるなら,事情は異なります」と,「ものみの塔」誌,1988年4月15日号,28ページは述べています。「その親族とはほとんど接触せずにすむかもしれません。たとえ家族の何かの事柄で接触しなければならないとしても……そういうことは最小限に保たれるに違いありません」とも述べています。これは,悔い改めずに罪をおかしている人がいれば,だれであれ『交友をやめる』ようにという神の命令と調和しています。(コリ一 5:11)忠節なクリスチャンはそうした親族との不必要な交わりを避け,仕事上の接触も全く最小限にとどめる努力を払うべきです。―「ものみの塔」誌,1981年11月15日号,28,29ページもご覧ください。

10 「ものみの塔」誌は,生じ得る別の状況に注意を向けてこう述べています。「では家にいない息子や親などの肉親が排斥され,その結果家に帰ることを願っている場合はどうですか。家族は状況に応じ,どうすべきかを決定することができます。例えば,排斥された親は病気で,経済的にも身体的にも自活できない状態にあるかもしれません。クリスチャンである子供には,親の面倒を見る聖書的また道義的責任があります。(テモテ第一 5:8)……どうするかは,親が本当に必要としている事柄や親の態度,家の者の霊的福祉に対する家族の頭の心遣いなどによって決まるでしょう」。―「ものみの塔」誌,1981年11月15日号,27,28ページ。

11 子供についても同じ記事はこう述べています。「クリスチャンの親が,身体的に,あるいは感情的に病気になった排斥された子供をしばらくの間家に戻すこともあります。しかし親は必ずその子の状況を慎重に考慮します。排斥された息子は自活してきたでしょうか。今はそれができないでしょうか。本人が戻りたがっているのは,主に,その方が生活が楽だからですか。本人の品行や態度はどうですか。家庭内に『パン種』を持ち込むことになりますか。―ガラテア 5:9」。

12 エホバに忠節であることの益: 悔い改めない悪行者を排斥して遠ざけるという聖書的な取り決めに協力することには益があります。そうすることによって,会衆の清さが保たれます。わたしたちは聖書の高い道徳規準を擁護する者として際立つことになります。(ペテ一 1:14‐16)腐敗をもたらす影響力から守られます。(ガラ 5:7‐9)また,悪行者は受けた懲らしめから十分に益を得る機会を与えられ,「平和な実,すなわち義」を生み出すよう助けられるかもしれません。―ヘブ 12:11。

13 ある兄弟とその妹は巡回大会での話を聞いて,6年前に排斥された同居していない母親との接し方を変える必要があることに気づきました。大会のすぐ後,兄弟は母親に電話をかけ,自分たちが母親を愛しているとはっきり述べてから,連絡の必要な家族に関する重要な事柄でなければもう話しかけることはできないと説明しました。間もなく母親は集会に出席するようになり,最終的に復帰しました。また,未信者の夫も研究を始め,やがてバプテスマを受けました。

14 聖書に記されている排斥の取り決めを忠節に擁護することによって,わたしたちはエホバへの愛を実証し,エホバを嘲弄している者に返答できます。(箴 27:11)そして,わたしたちはエホバの祝福があることを確信できます。ダビデ王がエホバについて述べているとおりです。『その法令については,わたしはそれからそれることはないからだ。忠節な者には,あなたは忠節をもって行動されます』。―サム二 22:23,26。

[研究用の質問]

1 どんな状況のときにクリスチャンとしての忠節が試みられますか。
2 聖書によると,クリスチャンは,会衆から追放された人にどのように接するべきですか。
3,4 排斥された人や断絶した人とのどんな交友は禁じられていますか。
5 排斥された人は何を失うことになりますか。
6 クリスチャンは,同じ家に住んでいる排斥された親族とすべての交わりを絶つように求められていますか。説明してください。
7 家族の成員が排斥された場合,家庭内の霊的な交友はどのように変化しますか。
8 家に住んでいる排斥された未成年の子供に対して,クリスチャンの親にはどんな責任がありますか。
9 クリスチャンは,同居していない排斥された親族と,どの程度に接触するのが妥当でしょうか。
10,11 クリスチャンは,排斥された親族が家に帰ってくるのを許す前に,どんなことを考慮しますか。
12 排斥の取り決めの益にはどのようなものがありますか。
13 ある家族はどんな変化をしましたか。どんな結果になりましたか。
14 わたしたちはなぜ排斥の取り決めを忠節に支持すべきですか。


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