28 懲らしめるとき,理由をあげて教え諭すのはよいことですが,子供と議論するのは通常賢明ではありません。子供がある仕事をすることについて文句を言ったとき,ある母親は「あなたがそれをしてしまったら公園へ行きましょう」とだけ言いました。公園へ行くことは子供がその日に楽しみにしていたことでした。割り当ての仕事を終えるまでは楽しみや外出はおあずけになっていました。母親は調べに来て仕事がまだ終わっていないと,「あら,まだ終わってないの。ではそれが終わったらでかけましょうね」と言うようにしました。母親は議論はしませんでしたが,思い通りの結果を得ました。

29 悪いことをしたあとのおもしろくない結果を身に感じると,子供は正しい原則の知恵を学ぶようになります。子供が物をちらかしたときなど,自分でかたづけさせると子供はちらかしてはいけないことを肝に銘ずるでしょう。子供がずるいことや乱暴なことをしたとき,あやまらせるなら,悪い傾向は大いに改善されるかもしれません。子供は怒って物をこわすこともあります。十分大きな子供であれば,働いて弁償させることもできるでしょう。子供によっては,しばらくの間何らかの特権を奪うと,必要な教訓を肝に銘ずるでしょう。クリスチャン会衆では,悪行者に恥ずかしいという気持ちを起こさせる一つの方法として,親しい交わりを禁じます。(テサロニケ第二 3:6,14,15)子供たちの場合も,少しの間家族から仲間はずれにするのは,おしりをたたくよりも効果的なことがあります。しかし,家にかぎをかけて子供を締め出すような極端な処置は,愛から出た行為とは言えないでしょう。どんな方法を用いるにせよ,子供は,自分の素行から生じた結果に対しては自分で責任を負わねばならないということを教えられる必要があります。子供たちはそれによって責任を取ることを学びます。

愛をもって懲らしめる

30『上からの知恵は道理にかなっている』ことを念頭に置いて,『より重要な事がらを見きわめて』ください。(フィリピ 1:10。ヤコブ 3:17)子供たちはエネルギーのかたまりでそのはけ口を求めており,学ぶことや探検すること,新しいことを試すことなどに飢えています。制限や指針を設ける際には判断力を働かせ,よく選択しましょう。大切な事柄とそうでない事柄との平衡をうまく保つことも大切です。ですから,制限を設けたならそのあとは,細かな点まで逐一支配しようとせずに,子供がその範囲内で自信を持ってのびのびと動きまわれるようにしてやりましょう。(箴 4:11,12)そうしないと,子供は『いらいらし』,「気落ち」することでしょう。そして,親の方は実際にあまり重要でない事柄を問題にするために,気づかぬうちに疲れ果ててしまうでしょう。

31 ですから,親のみなさん,『望みのあるうちにあなたのお子さんを懲らしめて』ください。しかし愛を動機として,神の方法で,それを行なってください。神を見倣ってください。『エホバはご自分の愛する者を戒められるからです。それは,父が喜びを見いだす子にそうするのと同じです』。創造者の懲らしめと同様に,あなたの懲らしめを非常に有益で価値のあるものにしてください。なぜなら,そうした『懲らしめの戒めは命の道だからです』。―箴 19:18; 3:12; 6:23,新。

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こうやって幼児の頃から「暴力」と「詭弁を使った聖書的知識」でがんじがらめにされて育つのがエホバの証人の子供です。エホバの証人の子供はものみの塔を離れた後もマインド・コントロールが解けず、回復には時間がかかります。

現在は1世の母親研究生が激減していますし、昔のようにムチを教えるとすぐにやめてしまうので、ムチは2世の親が3世の子供を叩く時代に移行してきています。

そして2世の親は幼いときからムチで叩かれた経験しかありませんので、ムチは「虐待の連鎖」になっています。

また、子供はみんな親が大好きですから、親が不利になるようなことは聞かれても言わないものです。ですので現在の事実が表に出るのは、子供が大人になってからになります。

エホバの証人の子供達を一言で言えば、ものみの塔の信者拡大方針の犠牲者です。


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