【エホ症用語の基礎知識】
エホバの証人問題初心者の方へ
「昼寝するぶた」は、ある程度エホバの証人について知っている人を前提に作っているサイトです。ここで使っている用語は一応網羅したつもりですが、まだ足りないところがあるかもしれません。とりあえず今はこんな感じで、気が付いたらまた増やします。
【1960年代から現在まで延々と続く、エホバの証人の子供のあるべき正しい姿】
−−−−−−−−−−−−− 親から独立後 −−−−−−−−−−−−−−
そして数十年後・・・・子供が老人になったころ・・・・
組織の判断が間違ったなどと考えてはいけない。全ては自己責任。過去のものみの塔協会の出版物を読めばわかるとおり、協会はあなたに行動を強制した覚えはないしその証拠もないし、組織はそんなドジは踏まない。仮に裁判になったとしても信者は誰もあなたに協力しない。何故なら背教者に協力したら排斥になるから。だから恨むなら自分と自分の親を恨むべき。証拠が無いからものみの塔協会には何の責任もない。自分の判断で選んだ人生なのだから他者を批判してはいけない。「そういう考え方は悪魔サタンに取り付かれた背教者の考え方です」と集会で習ったはず。
そうしないとハルマゲドンで滅ぼされてしまい、楽園に行って永遠の生命をもらえなくなる。だから老後になっても先の事は心配しない。今まで1回も厚生年金を払ったことがなくても生活保護は受けれる。そのノウハウは組織がちゃんと持っている。だから最後まで組織を信じ、自分が墓の中に入るまで組織の教えに忠実に従い行動すること。
これがエホバの証人の子供に求められる正しい生き方。
子供の頃からこんな生き方、あなたに出来ますか?
絶対無理でしょ。
自分の子供時代に出来そうもないことを、自分の子供に求めれますか?
絶対無理でしょ。
でも世の中には自分に出来ないことを平気で子供に求めちゃう親も現実にいるんです。
「親の人生は親の人生」「子供の人生は子供の人生」なのが当たり前ですが、
エホバの証人の子供にそういうことは認められていません。
ものみの塔(エホバの証人)の歴史
ものみの塔の創始者は、アメリカ合衆国 ペンシルバニア州 アレゲーニー(現ピッツバーグ)に生まれたアイルランド系移民の子、チャールズ・テイズ・ラッセル(1852-1916 嘉永5年〜大正5年 )です。
1845〜1849年のアイルランドで主食だったじゃがいもに「恫枯病」という病原菌がついて「じゃがいも飢饉」が起き、約100万人が飢餓で死にます。その時、生き延びるために約150万人のアイルランド人が故郷を捨ててアメリカに移民します。
1846年(弘化3年)ラッセルが生まれる6年前に父親のジョセフ・L・ラッセルもアイルランドからアメリカに移民してきます。ラッセルは3人兄弟の次男として1852年(嘉永5年)に生まれ、9歳の時に母親を亡くしました。
ラッセルは14歳まで学校に通いましたが、父親の事業を手伝うために高校には行きませんでした。
長老派教会の信者として育てられたラッセルは、1868年(明治1年) 16歳の時に会衆派教会に移りますが、すぐに辞めて東洋の宗教(詳細不明)に向かい、17歳の時に、イエス・キリストの再臨を信じる再臨派(アドベンティスト派)の信者になります。(再臨派は後に、アドベンティスト派とセブンスデー・アドベンチスト教団になります)
1870年(明治3年)、18歳の時にペンシルバニアのアレゲーニーに住む6人の若者が集まって「国際聖書学生」というグループを作り、ラッセル達は複数の牧師達からアドベンティスト派の教理の指導を受けるようになります。これがJWの公式活動の開始です。
ラッセルは1876年(明治9年)、23歳の時に、ミラー主義運動という『終末思想集団』の末裔だったアドベンティスト派のネルソン・バーバー牧師の聖書解釈に共感し、バーバーと協力関係に入り、「1874年(明治7年)にイエス・キリストは『見えない形で』再臨した」という説を受け入れます。
11歳の頃から父親の経営する男性用服飾品のチェーン店の経営を手伝っていたために、高等教育を受けたことがなかった裕福なラッセルは、バーバーに資金援助を行い、1877年(明治10年)、25歳の時にバーバーと共著という形で、「三つの世界」という本を出版します(執筆はバーバー)。ラッセルとバーバーは意見対立で別れる1879年(明治12年)まで協力関係を続けました。
1879年(明治12年)、27歳のラッセルはアドベンティスト派を離れ、雑誌「シオンのものみの塔およびキリストの臨在の告知者」(Zion's Watch Tower and Herald of Christ's Presence)を創刊しました。これが現在まで延々と続く「ものみの塔」誌の始まりです。
1881年(明治14年)、29歳の時にラッセルは「シオンのものみの塔冊子教会」という非営利法人を設立します。
その後ペンシルバニア州の法律に基づいて、1884年(明治17年)、32歳の時に、現在の「ものみの塔聖書冊子協会」の前身である「ペンシルバニアのものみの塔聖書冊子協会」が法人組織として登記され、組織化されたものみの塔の基礎が確立されました。
ラッセルはアドベンティスト派やミラー派の教理とフリーメイソンやピラミッド学などのオカルト教理を融合させ、独自の聖書解釈により、現在のものみの塔の教理である。
イエス・キリストは神ではない。神の子であって天使ミカエルである。
三位一体はまちがいで、エホバのみが唯一の神である
もうすぐハルマゲドンが来て人類は滅ぼされ、エホバの証人だけが助かる。
と言う、一般のキリスト教とは全然違う、現在ものみの塔の教えの根幹となるオカルト教理を作りあげ、現在に至ります。
1913年(大正2年)、61歳の時にラッセル牧師はカナダの牧師を名誉毀損で訴えます。
裁判の証言に立ったラッセル牧師は相手側弁護士の尋問により、聖書の専門教育を受たことがないので、聖書の専門家が正しい聖書解釈をする上での基本であるギリシャ語とヘブル語が理解できない、無資格の聖職者だということがばれてしまいました。
1916年(大正5年)、ラッセルは死の間際に「フリーメイソンの服装」を要求した事実が、ものみの塔1916年12月1日号に書かれています。(復刻版6005頁)
つまりものみの塔という宗教は、中卒の学歴しかない20代中盤の裕福な若者が、明治時代初期に独自の聖書解釈で作りあげたオカルト宗教なわけです。
【ネットでよく使われるエホ症用語】
Jehovah's Witnessesの略語。ものみの塔、エホバの証人 の事を言う。
信者が「ものみの塔…」と表現する時は法人部門や出版部門や組織を意味し、「エホバの証人…」と表現する時は信者や組織の事を意味するが、部外者が正しい用語を使い分けるのが非常にややこしいので、「JW」(じぇーだぶ)と言う言葉で表現し、JW、JW信者、JW組織、という言葉で簡略化して使用する。
JWという言葉は非常に便利な言葉で、公衆の面前で会話していて「ものみの塔」とか「エホバの証人」と言う言葉が出ると、周りの人はいぶかしげに「何事!」と注目するが、「JW」と言ってるぶんには誰も気にしないので、人前で気楽に使える便利な言葉。
ものみの塔、エホバの証人 の事を言う(ネット用語)
エホ証という言葉は、1999年初冬に東京の渋谷で行われた、秋本 弘毅 (著) 「エホバの証人の子どもたち>―信仰の子らが語る、本当の姿」出版記念オフ会で、ある2世が「ネットで証人なんて言わせない。僕はこれからエホ証と言う言葉をネットで流行らせる。」と宣言したら、いつの間にか本当に定着しちゃった言葉。(その派生でエホ症という言葉もある)
自分の頭で考えてJWを選択した奇特な人(理解不能)
☆理解不能なんだけどいろいろ考察してみると大きく分けて5タイプいます。
(それが複雑に絡み合ってわけのわからない状態になってるので分類は難しい)
1)いつまでも夢を見ていたい人
注:常に存在します。JWはそのために存在しているのかも?
JWの展開する「ハルマゲドンの滅びと楽園の希望(終末論)」の教理と、楽園で不老不死になる「永遠の生命」の教理は、約3000年前の古代ペルシアの時代から続いている拝火教の教理の焼き直しだが、人間の側に根強い終末論願望があるのでいつの時代にも世の中に何%かの割合で確実に存在している。この手の人達は、世の中を生きているとしんどいので、世の中に対する強烈なリセット願望があり、終末論と不老不死の希望にしがみつき、JWの教えが正しいとか間違っている以前に、自分の夢が覚めてしまうから「何が何でもJWの教えが正しくないと困ってしまう人達」と言える。現実が間違っていて夢が正しいと勘違いしているので、こういう人にJWの隠された真実を無理矢理教えようとすると、現実逃避の夢が覚めてしまう恐怖から目の前の事実を直視出来なくなりパニックに陥ってしまう不思議な人達。
2)JWはこの世の中で絶対に正しい宗教だから信じる人
注:以前は主流派だったが現在は少数派になりつつある。
様々な人生経験をしてきて世の中に絶望し、JWがやっと見つけた世の中で唯一の真理だと思っている人達。苦労してやっと見つけた真理なので、組織の言う事を忠実に守り、自分の信仰のために良くない情報は一切取り入れない。しかしJWが間違っていると気づくとあっさりと辞める人が多い。このタイプの人は理論派で頑固者だから納得するまでやたら時間がかかる。そしてこの手の人達が信者の動向をチェックするお局様であり会衆内での信者達のモラルの牽引役となっている。この手の人達は信仰のために鉄面皮になれるが(新人の母親姉妹に子供をムチで虐待するように苛烈な指導をする)自分が他者を傷つけているのと同じ事を自分にされると、(大きくなった自分の子供に反撃されて家庭内暴力になった時など)簡単に心が傷つく人が多く、「相手の立場に立って物事を考える」というごく当たり前の想像力が欠落している不思議な人達。(私の母親もこのタイプ)幼い頃から過度な虐待を受け重度の心の問題を長期間抱えている2世の親はこのタイプが多い。
3)優柔不断で他人の誘いを断ることが出来ない人
注:以前は少数派だったが現在は主流派になりつつある。
教理の正しさより人間関係優先な人、(布教する側から見れば美味しい『鴨ネギ』タイプ)本人の資質として他人の意見に流されやすく、「子供をムチで叩け」と言われれば素直に叩き、「誰がそんな事を言った、子供をムチで叩くな!」と言われればあっさり止める。基本的に自分の意見というものがなく、他者の意見や指導に従うことに喜びを感じるタイプで、この手の人は普段から悪徳セールスの口車にあっさり騙されやすいタイプでなので、JWが間違っている事を懇切丁寧に教えても難しくて理解できない人が多い。なので一度辞めてもJW側の引き戻し工作を受けるとまた戻るし、JWを辞めたらそのまま右から左に宗教を乗り換えたりする不思議な人達。(めんどくさいことをとことん真剣に考えるのが嫌いなの?)
4)寂しがり屋で依存症な人
注:以前は少数派、現在は増加中?
JWが正しかろうが間違っていようがそんなのはどうでもいい人。寂しがり屋で自分を受け入れてくれる場所をいつも探しているタイプで、JW側が受け入れてくれるからいる人。(受け入れてくれなくなれば別な場所を探す)本人の資質の問題を棚上げして宗教にしがみついてる人なので、こういう人を無理に辞めさせると「私はこれからどうすればいいの?」と言いだして精神に大混乱を起こす不思議な人達。(それは依存症という心の病気ですよ)
5)JWのせいで重い過去を背負っている人
注:少数派。ベテランと管理職に多い。
既にどっぷりとJWにのめり込んでいるので、過去に何十人も信者にしてしまったり、自分のせいで輸血拒否で人を死なせてしまったり、幸せな家庭を何組もぶち壊して大量の離婚家庭を作り出してしまったり、精神的に疲れた人をさらに追い込んで廃人にしてしまった過去を持つので辞めるに辞めれない状態になり、辞めたら「自分の良心」に心が押しつぶされるのがわかっているので怖くて辞めれない心の弱い人達。なのでJWが間違っている事をちゃんとわかっていながら事実に蓋をしてしまい、その心の弱さが新しい悲劇を生み出していることに全然気が付けない、究極の無責任な人達。
問答無用! ものみの塔組織の指導で親により強制的に信者にされてしまった、生まれた家を間違えた運の悪い子供達と、その子供達のなれの果て。
祖父祖母の代からの2世は3世なのだが、混乱するので2世と表現する。アメリカのJWは5世6世というのがいっぱいいる。
上記1世信者から生まれてくる子供は見事に性格や気質がバラバラなので、「2世とはこういう人」と一言で言うのは難しいが、共通しているのは、きまじめ、自分をとことんいじめ抜く過反省、他人を信用しない、素直なんだが自分というものが無い、何故か年齢より5歳若く感じる幼さがある。などなどなどなど・・・いっぱいありすぎてわけわからん。
エホバの証人の信者。(現役JW、現役1世、現役2世、などと言う)
過去にエホバの証人だった人。(元JW、元1世、元2世、などと言う)
昔は熱心だったのに最近は王国会館に行かなくなった人達の総称。信仰があってもいろいろな事情があって集会に行けなくなった人もいるが、ほとんどは実質的な棄教者。
ただし本人は完全にJWを辞めたつもりでも、会衆の書類上ではあなたはいつまでも永遠に現役信者になっている。それが嫌なら正式に断絶届けを出すしかない。
JWの教会の建物を言う、十字架が無いのが特徴
第1会場とは、王国会館で一番広いメイン会場のこと。ここで週3回5つの集会が行われる。
第2会場とは、メイン会場である第1会場に併設された透明ガラスで仕切られた防音設備の整った別部屋のこと。設置されたスピーカーから第1会場の音声を聞くことが出来る。
第2会場が設置された目的は、集会中に幼児が騒いでもメイン会場の人たちに迷惑がかからないようにして、母親と子供が安心して集会に参加できるようにする目的で設置されたらしいが、現実には集会中に子供が騒ぐことは一切許されていない。なので第2会場が設置された本来の目的を誰も知らない。
第3会場とは、普段使わない事務機器や出版物の在庫が置いてある物置部屋のことで、ここにもスピーカーの設備があり第1会場の音声を聞くことが出来る。
1980年代に育った2世の子供達は、トイレ,第2会場,第3会場で、自分の親や、全然関係ない他人にムチでお尻を叩かれたので、トイレ,第2会場,第3会場をムチ部屋とかムチ小屋と表現した。
一つの王国会館に集まる信者の集合体の呼び方。人数が少ない会衆を群れと言う。会衆はいくつかの班に分かれていて、その班を群れと言う。(群れには2つの意味がある、同じ群れでも意味が全然違うので注意)
キリスト教会の牧師や神父に相当する。王国会館の責任者。会衆の信者を監督する中間管理職。一つの会衆には3人の長老がいて、その長老達を「長老団」と言う。
長老の息子や娘を「ちょーむす」と言う。神権家族で長老の息子や娘はとりわけ厳しく育てられる。
親の権力を傘に着るタイプの子供の場合は、会衆内の誰も親に文句が言えないので会衆内の鼻つまみ者になる。「ちょーむす」と言う言葉には、親の権力を傘に着る糞ガキという意味もある。
注:心優しい「ちょーむす」もいるので味噌も糞も混同しないように。
一家全員現役信者の家庭のこと。子供に家庭内での逃げ道がどこにもないので両親に厳しく厳しく育てられる。(離婚した母子家庭は神権家族とは言わないが神権家族並に厳しく育てられる。
長老を補佐する雑用係。
群れの信者達の管理とその雑用係。
バプテスマという水没儀式を受けた正規信者のこと。男性は「○○兄弟」女性は「○○姉妹」と呼ばれる。
まだバプテスマを受けていない組織の教理を勉強中の人、信者予備軍。「○○さん」と呼ばれる
JWに反対している人の事を言う。信者は反対者と会話する事を禁止されていないが、論破されそうになったら逃げるように指導されている。
一度JWの事を学んでから反対者になった人のこと。元研究生であれ元兄弟であれ元姉妹であれ、一度JWのことを学んだ上で反対する人を背教者と言う。
信者は背教者と話し合うことを禁止されている。
未信者のことを言う。世の人でJWに反対している人(未信者の夫など)は反対者なので表面上はにこやかに対応し、腹の中では警戒している。
バプテスマ(献身)とは神と人間の個人契約のことで、それからの人生を神に捧げることを誓った信者が受ける儀式。勉強がある程度進んだら長老にバプテスマを申し込み、長老団による口述試験の後でバプテスマを受けれる。筆記試験の時代もあった。
バプテスマの儀式とは、腰まで水を張ったミニプールで術者が信者に施行する水没儀式で、信者は右手で鼻をつまんで左手で右手首をつかみ。息を大きく吐き、横に立ったバプテスマ係が信者を背中から水没させ、数秒後に引き上げる。
JWの教理では信仰がないと神の力によりプールでちゃんと沈まないと言われ、ちゃんと沈まなかったためにショックを受けてJWを辞めた人もいる。
意外と汚いバプテスマプールの水
大会会場ではバプテスマ用に腰まで水を張ったミニプールが複数用意され、事前のシャワーは無い。そしてバプテスマの儀式は男性が先で女性が後の順番で水に浸かるがそれには理由がある。これは女性がミニプールの水を生理の血で汚す場合があるため。
バプテスマを受けるのは早い子で女の子は小5、男の子は中2くらいからになるが、若い女性は自分の生理の扱いに慣れていないためミニプールの水を生理の血で汚す場合がある。そのためにプールは複数用意され、水が生理の血で汚れた場合はそのプールを使用中止として別のミニプールで儀式を続行する。なので女性達は大量の男性の汗と油で汚れた水でバプテスマを受けることになる。
なお、1度の大会で300人以上がバプテスマを受けた時代はそんなことを言っていると用意したミニプールが全部使えなくなってしまい、全員がバプテスマを受けれなくなるので係員達はプールの水が生理の血で汚れたことをナイショにして儀式を続行した。
バプテスマの儀式が終わった後の水はものすごい汚水で、さまざまな異物が浮いているので、バプテスマを受ける時は早めに列に並んだ方が正解。
布教活動をして、反応があった一般人の家をまた訪問する行為を「再訪問」と言い、再訪問を何回も繰り返して、ものみの塔に興味を持った一般人と組織の出版物の内容を勉強する行為を「聖書研究」と言う。聖書研究する一般人を「研究生」先生になる伝道者を「研究司会者」と言う。
この場合、組織の出版物が教科書で聖書は英和辞典程度になる。聖書そのものの勉強より組織の教理を丸暗記することが何より重要になる。
ものみの塔:JWの教理を一般人に理解してもらう広報目的と、信者がこの中の一部の記事を使って教理を勉強する教科書を兼ねている冊子で、ものみの塔研究という集会で使う教科書。
目ざめよ!:主としてJWのライフスタイルを一般人に理解してもらう目的で出版される冊子で、JW組織の広報と教理の参考書を兼ねている。
書籍:JWの所有する印刷所で印刷製本して出版した各種の本を書籍と言う。聖書研究という集会で使う教科書。
王国宣教:「わたしたちの王国宣教」という名前で、信用できると判断された信者にのみ配布されるJW組織の機関誌。A4版で4〜8ページぐらいのチラシ状のもの。奉仕会という集会で使う教科書
新世界訳聖書:JWの使う聖書は一般に流通している聖書ではなく、JWが独自に翻訳した英語版の聖書を新世界訳聖書と言う。この聖書はJWの教理に合わせて都合良く翻訳している悪翻訳だと聖書の専門家達から批判されている。日本語版の新世界訳聖書は英語版の新世界訳聖書を一語一語の意義を忠実にたどって逐語翻訳した叉翻訳聖書。
出版物:冊子、書籍、機関誌、トラクト(宣伝ビラ)などをまとめて出版物と言う。全ての日本語の出版物は英語版の出版物を逐語的に日本語に翻訳している。ごく一部だけ日本独自の出版物や、日本語翻訳文の中に紛れ込んだ日本独自の記事があるが、その見分けは誰にもつかない。
世界中のJW信者と世界中に分散しているものみの塔協会が融合した集合体。
週に3回,5つの集会が行われる。最近は会衆の統廃合が進み、一つの王国会館を複数の会衆で利用しているので開催曜日と開催時間は一定しないが、本来はこうなっていた。
火曜日:夜7時頃から、聖書研究(以前は聖書研究会)1時間(組織の出版した書籍を使う勉強会)個人の家庭でも群れの信者が集合して行われる。
木曜日:夜7時頃から、神権宣教学校1時間、奉仕会1時間(布教活動のための具体的ノウハウの講演と、姉妹による伝道実演と、外部の人に知られては困る内容を特定の信者にだけ教える勉強会)
日曜日:昼間1時頃から、公開講演1時間、ものみの塔研究1時間(一般人向けの講演会とものみの塔を使った勉強会)
この中で木曜日の神権宣教学校と奉仕会は布教活動の訓練のための集会なので、正式な伝道者にならないと参加できない。(神権宣教学校に参加することを神権宣教学校に入校すると言う)
「わたしたちの王国宣教」(A4版で出来た8ページ程度の印刷物)は奉仕会で使う教科書なので、神権宣教学校に正式に入校を許された信者以外はもらえない。昔は王国宣教をもらえるのはバプテスマを受けた兄弟姉妹だけで、研究生や伝道者はもらえなかった。現在は神権宣教学校に入校を許された信者のみもらうことができる。(以前は王国宣教が神権宣教学校の教科書を兼ねていたが現在は専用の教科書がある)
1世と違い、2世が組織の本質を正確に理解しているのは、2世が幼児の頃から神権宣教学校と奉仕会に参加していて、組織が研究生レベルの信者には絶対に教えたくない組織の内部事情を子供の頃から全部教わっているため。
集会で行われる質問と答えの討議で、手をあげて司会者に指名されて答えを言う行為。事前の予習が必要で、組織の求めていない変な答えを言うとその後で司会者に指名されなくなる。
日曜日の公開講演以外は、司会者の質問に信者が答える「注解」があるので、信者は全員集会の前に「注解」の予習をしてこなければならない。また定期的に「筆記の復習」という名のテストが行われ、信者の信仰の理解度を確認する。
やっと喋れるようになった2世の幼児が集会で注解する時の定番の答え。こうやって子供が答えると周りは賞賛の視線を浴びせ、子供は誇らしくなって一段と信仰に頑張る全国共通の2世の子供のための宗教教育。
要はパブロフの犬と同じ。パブロフの犬は餌を与えられてしつけられ、餌を見ただけでよだれを垂らすようになるが、2世の子供は注解で答えると賞賛の視線を与えられ、さらに賞賛の視線が欲しくなって、次の集会でも注解しようと一生懸命頑張るようになる。1960年代から現在まで続く伝統的な教育方法。
兄弟姉妹になると毎週の集会のプログラムで、兄弟が演壇から喋る講演や、姉妹が2人で演じる実演を受け持たされるようになる。その役目を割り当てと言う。その他には布教活動で自分の伝道する受け持ち区域の事を割り当てと言う。要は組織から短期的に責任を受け持たされる行為のJW的表現
布教活動をする兄弟,姉妹,研究生の総称、2世の子供は伝道者から始まる
研究生でも申し込めば伝道者になれる。伝道者になるにはまず神権宣教学校に入校して、そこで徹底的にものみの塔の伝道のテクニックを伝授され、それから正式な伝道者になれる。伝道者になると「伝道者カード」が作成され、毎月必ず「奉仕報告」を出す義務が発生する。それにより伝道者が1ヶ月に何時間伝道したかが管理する側から一目瞭然になり、伝道者がやる気をなくすと長老からお説教される。
研究生は伝道者にならないと希望しても兄弟姉妹にはなれない。また、たばこをやめることができない研究生は絶対に伝道者になることが出来ない。
つまり、信仰という情熱に燃えた兄弟姉妹希望者は、まず研究生にならなければならない、次にたばこをやめて伝道者にならなければならない、伝道者にならない限りバプテスマを受けた兄弟姉妹にはなれない。そして無事バプテスマを受けた兄弟姉妹になったら補助開拓をしなければならない、さらに兄弟姉妹になったら聖書にはどこにも書いて無いけれどマスターベーションは禁止、タバコを吸ったら排斥、酒は軽くたしなむ程度で泥酔禁止、独身者がセックスしたら排斥(他にもまだまだある)これはJW信者の基本中の基本。
全ての伝道者は毎月伝道した合計時間を報告する義務がある。この合計が毎月の王国宣教で発表されて日本の信者の統計ベースとなる。以前は奉仕報告の最低報告時間は月に1時間だったが、最近は鬱などの個人的事情がある信者のために最低報告時間が月15分に修正された。
2世の場合は自分が完全に棄教していても自分の親が勝手に奉仕報告書に15分と書いて長老に提出するし、1世の場合も自分は既に棄教していても長老が勝手に奉仕報告書に15分と書いて上にあげる場合もある。以前は王国宣教で発表される日本の信者の統計データは全て嘘無しで、完全に信頼出来る数字と言われていたが、最近は数字あわせ優先の水増し報告書になってしまったので、現在の日本のJW信者が本当は何人いるのか誰もわからない。なので正式に断絶届けを出した元信者以外は全員現役信者扱いされていると思ったほうがよい。
2002年12月の日本の奉仕報告提出者数 21万7,295人
・研究生と2世の幼児を除く日本のJWの伝道者の書類上の合計数
2002年度の全世界の記念式出席者数 1,559万7,746人
・記念式に出席した研究生を含めた全世界のJW信者の書類上の合計数
※自分にけじめをつけようと思って断絶届けを出すと、現役信者の自分の親や会衆の友人達があなたと一切口を聞いてくれなくなる。断絶届けを出した断絶者とは完全に絶縁しろという組織の命令があるので断絶届けを出すなら覚悟の上で。
伝道者になって初めて組織の一員になれる。伝道者になると伝道者カードという書類が作成されて、奉仕報告以外に過去のあなたの記録が全て記載されてしまう。要するに伝道者カードとは個人の賞罰&犯罪記録簿のような書類のことで、断絶届けを出して断絶しない限り永遠にあなたに付いて来る魔のカード。
要は海外から日本に帰化申請した人が市役所で新しく戸籍を作ったのと同じ事。日本国民の立場を捨てない限り日本の戸籍は永遠に消えない。それと同じで、断絶をしない限り永遠に伝道者カードは信者について回る。
断絶届けを出して断絶しない限り、排斥されても絶対消えない悪魔のような書類が伝道者カード。一般人が伝道者になる時は、それを充分に自覚してからお申し込み下さいませ。
※私は伝道者カードが出来る前の時代の信者だから大丈夫よん(^^)
見知らぬ家を一件一件突撃営業して宗教という商品を行商する、ものみの塔独特の布教活動の事。
野外奉仕=フィールド・ボランティアだから、信者は伝道の時に「ものみの塔の布教活動に来ました」とは言わずに、「ボランティア活動に来ました」とか「あなたにとって良いたよりを届けにきました」と嘘を言って布教活動を行う。
但し、本人は組織から教わった通りに伝道しているだけだから、嘘を言って伝道しているつもりは無い。
野外奉仕という名の布教活動は、信者が集合しやすい土曜日と日曜日に行われ、前の週の日曜日の集会で、伝道する場所の地図の必要部分だけを切り抜いて葉書大の紙に張った「区域カード」という書類が王国会館の掲示板に張り出され、その指示に従って信者が指定された時間に集合して指定区域を一気に伝道する。
その際伝道集団を誘導するのは兄弟の役目なので、オバサン集団のなかに中学生兄弟が1人しかいなくてもその兄弟が伝道者集団を誘導する。
毎日が忙しい(やる気のない)信者のために最近始まった電話による布教活動。
王国宣教2003年4月号の折込記事より抜粋
電話を用いて研究を取り決める
日中不在の家が増えています。警戒心から見知らぬ人の訪問に応対しない家庭も少なくありません。建設されるマンションの多くはオートロック式です。……関心を示す人と定期的に会うことはどこでも挑戦です。どうすれば効果的に王国の種をまき、水を注ぐことができるでしょうか。電話を活用することです!電話で証言する
・「こんにちは。わたしは__と申します。セールスのためにお電話しているのではありませんのでどうぞご安心ください。経済的なことは誰にとってもストレスの原因になりがちですが、対処するのに役立つ聖書の格言をご紹介しています。不況や失業のことを毎日のようにニュースで見聞きしますので、誰でも先行きに不安を感じるものですが、この聖書の言葉はわたしに(伝道者自身)にとってとても助けになりました[テモテ第一6:7,8節を紹介する]」。次回の約束をする
・「またお電話させていただいてもよろしいですか」と言うなら、家の人は不安に感じ、かかわりを持たないうちに断わっておこうと思うかも知れません。気遣いと大胆さの両方を示すのはいかがですか。たとえば、「__さんにぴったりの(聖書の)言葉を見つけたなら、お伝えします。どうぞ、お体に気をつけてお過ごしください」、あるいは「また、こんな役立つ言葉を見つけたときには、お電話します」と言うことができます。再訪問や研究で電話を活用する
視覚による接触がない分、気遣いを感じとってもらえるように努めましょう。奉仕の記録を見直し、家の人の状況を思い起こしてください。どんなねぎらいの言葉をかけることができるか考えます。次のように近づくことができるかもしれません。
「体調はいかがですか。玄関口まで呼び出して負担をかけては申し訳ないと思い、電話にしました。
「お子さんは元気ですか。電話のほうが子どもから目を離さないで話ができるかなと思いましたので……」。
「よく介護なさっておられるんですね。目を離さないようによく注意しておられると思いましたので……」。
特別にねぎらうことがない場合でも、家の人に個人的な関心を示すことができます。次のように言うことができるかもしれません。
「今日は__さんに、こんな言葉をプレゼントしたいと思います」。
「__さんはとても気遣いを示す方だと感じました。__さんにぴったりの言葉を見つけたのでお伝えしたいと思ったんですよ。この言葉をどう思われますか」。
宗教という商品をセールスする目的でお電話しているのに。「こんにちは。わたしは○○と申します。セールスのためにお電話しているのではありませんのでどうぞご安心ください。」と嘘を言って、組織から教えられた通りに布教活動をするのが電話伝道。
なお未信者の家族を持つ主婦信者の場合は、電話番号の頭に184を付けて、ナンバーディスプレイ非表示で電話をしてくる場合が多い。
☆自分は既に不活発という形で完全に棄教しているのだが、自分の家族が相変わらず信仰に熱心で、毎月毎月「奉仕報告を出せ」とプレッシャーをかけてくるので、あえて家庭内に波風を立てたくない場合は、毎月たった2回のイタズラ電話をするだけで完璧な奉仕報告書が作成できる。
まず最初に時刻を確認してからケータイで、頭に184を付けて適当な電話番号を押し、上記伝道マニュアル通りに伝道を開始して、「ぶちっ」っと切られたら15分待機してもう一度適当な番号に184で電話して同じ内容を喋り「ぶちっ」と切られれば今月の奉仕報告15分のノルマは達成で、家族も喜び、組織も喜び、嘘を言ったわけではないので自分の良心も痛まず、毎月の奉仕報告は完璧。
昼間、やっと子供が寝付いてほっとした頃とか、夜勤明けで熟睡している時にピンポンピンポンピンポン呼び出され、頭に来て「もう2度とうちには来ないでください!」とはっきり言われた時に初めて「訪問拒否された」と判断されて、その後数ヶ月だけは伝道に来なくなる状態を訪問拒否と言う。
しかし、数ヶ月経った頃に「もしかしてあれから気がかわったかもしれない」と判断されて性懲りもなくまた来る。伝道の撃退法は、相手の脳味噌がちゃんと理解出来るように、明確にはっきりと「2度と来るな!」「2度と電話するな!」と言うしかない。
もしあなたにJW経験があるなら「私はだいぶ前に断絶届けを提出して断絶したんだけどいいんですか?」とか「俺、だいぶ前に背教で排斥されちゃったんだよね」などと言うと、あなたは悪霊に取り付かれたサタンの手下だと判断されて2度と来なくなる。(たぶん)
私のうちにもたま〜に来たんだけど、私は信者と友好的にかつ微笑みながら温厚に会話しつつ、「ものみの塔が国連のNGOに加盟したことを知ってますか?聖書に書いてある『緋色の野獣に乗った娼婦』ってどういう意味でしたっけ?私はだいぶ前に組織を辞めてるからもう忘れちゃった」とか「アメリカのものみの塔が株式会社だって知ってますよね。ものみの塔が軍事産業株を運用してて戦争に協力していることをどう思います?」とか「ブルガリアでは輸血が解禁されてるんですよね。当然のことながら日本でも輸血は解禁されたんですよね?」などと言って遊ぶのが好きだからなのか、それ以来うちには絶対来ない。
(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)
組織により定められた一ヶ月の規定時間以上の布教活動をする伝道者達のこと。特別開拓者、正規開拓者、補助開拓者という3つの制度がある。(以前は学生の夏休み用に休暇開拓者(90時間)という制度もあった)
私が現役だった時代は、
『特別開拓者』は月に240時間以上(現在は140時間)の布教活動をする義務があり、240時間を30日で割ると一日8時間の活動時間になり、そのままだとバイトしても食っていけないので、組織から生活補助金として、約2万円の補助金が出る。(現在は6万円程度らしい)
『正規開拓者』は月に120時間(現在は70時間)以上の布教活動をする義務があり、120時間を30日で割ると一日4時間の活動時間になるので、正規開拓者は兄弟しか出来ない。(現在は時間が減ったので姉妹でも出来る)
『補助開拓者』は月に90時間(現在は50時間)以上の布教活動をする義務があり、90時間を30日で割ると一日3時間になる。兄弟姉妹の開拓者入門用に最適。
開拓者希望者は申し込んでから2ヶ月の時間達成実績が必要で、達成できれば3ヶ月目から開拓者と呼ばれるようになる。(現在は申し込んですぐらしい)
特別開拓者はエリート信者,正規開拓者は一応エリート信者とされ、補助開拓者は兄弟姉妹のやるべき当然の義務とされる。兄弟姉妹になって一回も開拓者にならない信者は会衆の成員から白い目で見られ、やがていじめられるようになる。(これは今も同じ)
独身の若者の兄弟姉妹が特別開拓者や正規開拓者になると「必要のある大きいところ」という名目で、信者の少ない過疎地域の会衆に開拓者として派遣される場合がある。これはJWのエリート教育の一環。
派遣された会衆側では若者兄弟姉妹をエリート官僚並に崇めた扱いをしてくれるが、その反面「若造が偉そうに能書き言いやがって」という末端信者の反発ややっかみもすごく、「必要のある大きいところ」に派遣されたせいで精神的に不調になり、ぼろぼろになって元の会衆に帰って来る信者が多い。
そして帰ってきた元の会衆でも「必要のある大きいところから帰って来た偉い人」ということでエリート官僚並に崇め奉るので、さらに精神的にぼろぼろになり、最終的に不活発になる信者もいる。
献金を入れる箱。一般のキリスト教会と違い、集会中に「献金の時間」というプログラムが無いので、信者は好きな時に現金を入れる、
最初はみかん箱の段ボールに白の模造紙を張り、マジックインキで「寄付箱」と大きく書いた箱が一つだけだったが、そのうちもう一つ増えて「書籍代金用寄付箱」が設置された。現在はもう一つ寄付箱が増えて、「世界のJWのために寄付するための寄付箱」が出来て、会衆用,書籍代金用,世界用,という3つの寄付箱になった。最近は寄付箱も木製になり、泥棒よけの鍵がかかるようになった。
当時は「ものみの塔」と「目ざめよ!」誌が1冊50円の有料販売の時代だったので、両冊子の仕入れ価格は、伝道者は8掛けの40円、正規,補助開拓者は7掛けの35円、特別開拓者は3割5分掛けの17.5円だった。
専業伝道者だから出版物の売り上げを生活費に充てることが許される特別開拓者以外の全ての伝道者は、売り上げ金を寄付箱に直行すべきとされていて、信者は真面目に売れ残りの出版物の仕入れ代金+売れた出版物の定価代金を寄付するので、組織はいくら出版物を刷っても刷ったぶんだけ確実に売り上げを確保出来た。
その後アメリカの国内事情の変化により、宗教団体が出版物を有償で販売する行為は課税対象とされ、国に税金を取られるのを嫌った組織が全ての出版物を無償配布とした。そのため組織はあからさまに出版物の仕入れ代金を信者に要求しないが、集会の講演で寄付の励行をあからさまに求めるので、信者は暗黙の相場に従って売れ残りの出版物の仕入れ代+売れた出版物の売り上げ金+αを真面目に寄付するので、組織はいくら出版物を刷っても確実に売上金を確保出来る。
その他にも、不動産,株券,遺産,生命保険の受取人の権利などを組織に寄付する。これは、ものみの塔1985年12月1号で発表されて以来毎年1回掲載され、信者はあらゆるものを組織に寄付する事を求められている。
信者を持つ非信者さん、あなたの知らないうちに財産や生命保険の受取人名義がものみの塔に書き代わっていませんか? ちゃんとチェックしました?
JWの教義は、キリスト教の根本教義である「父と子と精霊」の三位一体の教えを否定し、イエス・キリストは神では無く神の子であり、精霊は御使いであり、唯一の神はエホバ神のみであるとしている。
さらに「旧約聖書の神聖で口にすべからざる神名」を声高に主張する変な宗教でもある。
エホバ [Jehovah]
〔旧約聖書の神聖で口にすべからざる神名 YHWH の伝統的な読み方。近年ヤハウェと読まれることが多い〕⇒ヤハウェヤハウェ [Yahweh]
旧約聖書の神の名。有りて有るもの、の意で、イスラエル民族とともにあることを示す。ヤーウェ。エホバ。キリスト [(ポルトガル) Christo]
〔ヘブライ語「マーシーアッハ(メシア)」のギリシャ語訳 クリストスの転。元来、油を塗られた者の意で、王に与えられた称号だった。紀元後一世紀には、この世の終末に現れる救世主の意味になる〕イエスの敬称。のちイエスそのものをさす。クリスト。〔「基督」とも書く〕せいれい【精霊】
(1)物質的な身体をもたず人格化された超自然的存在や力。草木等に宿るとされる。
(2)死者の霊魂。肉体を離れた死者の魂。
きょうぎ けう― 【教義】
ある宗教で公に認められた真理。また、それを命題化したもの。教理。ドグマさんみ-いったい ―ゐ― 【三位一体】
(1)〔doctrine of Trinity〕キリスト教の根本教義の一つで、三位はすべて本質(ウーシア)において同一であり、唯一神はこの三つをもつ実体であるという考え方。三位一体論。三一論。
(2)三つのものが、一つの物の三つの側面であること。また、三者が心を合わせること。「親と学校と地域が―となって子供を守る」三省堂提供「大辞林 第二版」より
ユダヤ教:旧約聖書+タルムード=神の名はYHWH
イスラム教:旧約聖書+コーラン =神の名はアッラー
キリスト教:旧約聖書+新約聖書 =神の名はヤハウエ
ものみの塔:旧約聖書+新約聖書 =神の名はエホバ
エホバ = ヤハウエ = YHWH = アッラー は同じ神
旧約聖書=新世界訳 クリスチャン ヘブライ語聖書
新約聖書=新世界訳 クリスチャン ギリシャ語聖書
キリスト教≠JW 似てるけど全然違う
エホバの証人は自分たちのことをクリスチャンと主張するが、キリスト教の根本教義である三位一体を否定し、イエス・キリストを神と認めず、イエス・キリストが説いた救いの教えより、エホバ神の説いたハルマゲドンでの滅びの教えを最優先するエホバの証人達が自分たちのことをクリスチャンと主張するのは完全なる間違い。「わたしたちはエホバチャンです」と主張するべきである。
クリスチャン [Christian]
キリスト教の信者。キリスト教徒。キリスト-きょう ―けう 【―教】
イエスを救済者キリストと信じ、イエスの行動と教えを中心に神の愛と罪の赦しを説き、旧・新両聖書に基づき個人と社会の再生を促す宗教。パレスチナにおこり、ローマ帝国の国教となり、さらに世界各地に広まった。現在、各国に多くの信徒を有し、仏教・イスラム教とともに三大宗教の一。東方正教会・ローマ-カトリック教会・プロテスタント諸教会などに大別される。古く、耶蘇教(やそきよう)ともいった。ハルマゲドン [(ギリシヤ) Harmagedon]
〔新約聖書ヨハネ黙示録〕
(1)世界の終末に起こる善と悪との勢力の最後の決戦の場所。アルマゲドン。
(2)転じて、世界の終わり三省堂提供「大辞林 第二版」より
JWの教理では、今は終わりの時代なのでもうすぐハルマゲドンが来て、人類はエホバ神により絶滅させられてしまうとされている。その時にエホバの証人だけは助かり、ハルマゲドンの後に楽園(パラダイス)という状態が来る。楽園になると過去に死んだエホバの証人達が墓からゾンビのように次々に甦って来て、全てのエホバの証人は楽園で永遠の生命という不老不死状態になれる。
らくえん ―ゑん【楽園】
悩みや苦しみのない、幸福に満ちた場所。パラダイス。「地上の楽園」三省堂提供「大辞林 第二版」より
ハルマゲドン後の楽園の世界とは、聖書の創世記に出てくるアダムとエバがいた時代の楽園の再現であり、エホバ神がもう一度再現する楽園の世界のことで、過去の楽園でエホバ神が「おめーらは絶対にこれを食うんじゃねーぞ。」と言ったのにもかかわらず、アダムとエバが知恵の実を食べてしまい、怒ったエホバ神によりアダムとエバ楽園を叩き出され、過去の楽園は閉鎖されてしまったわけだが、過去の楽園運営に失敗したエホバ神が、次回製作予定の新しい楽園のために、人集め組織としてものみの塔組織を作り、統治体という管理者グループを任命した。
なので、神により選ばれた唯一の組織であるものみの塔組織の仕事は、アダムとエバの二の舞を踏まないように、新しい楽園に行ける人間を選別の段階で徹底的に選別して、徹底的に管理して管理された状態に慣れさせ、管理の枠に収まらないバカタレは排斥という形で事前に排除しておくのが仕事で、楽園になったらエホバ神は楽をしながら人間を永遠に管理できる素晴らしい世界になる。
楽園で永遠の生命を得ると、年寄りは若返り、全ての病気が治り、手足の欠損があってもヒトデのように新しく生えてきて、顔が不自由な女性は顔が修正される。
楽園になると全てのエホバの証人の年齢は完全な年齢とされるイエス・キリストが死んだ年齢である30代前半で固定される。年寄りは若返り、若者は成長して全員30代前半のおじさんとおばさんだけの世界になり、子供はやがて産まれなくなり、結婚という制度も廃止され、何のために生きているのかわからないような世界になり、世をはかなんで死のうと思っても死ねない素晴らしい世界が楽園。
ハルマゲドンの後で楽園になると、過去に死んだエホバの証人達は、マイケル・ジャクソンのビデオ『スリラー』に出てくるゾンビのように?死の世界から甦って次々に墓から出てくる。
但し、それは死んだ人と同一人物ではなく別人。まったくの別人物が死んだ人の記憶を持って復活してくる。
*** あなたは地上の楽園で永遠に生きられます 173-4 20 復活―だれのために,どこでありますか ***
神の奇跡
25 人が死んだのち,何が復活させられるのでしょうか。それは死んだのと同じ体ではありません。聖書は天の命への復活を描写する際にこのことを示しています。(コリント第一 15:35-44)地上の命に復活させられる人々でさえ,以前生きていた時に持っていたのと同じ体を受けるのではありません。その体は恐らく腐敗して土に戻ってしまったでしょう。その死体の成分は,時がたつうちに他の生物の一部になったかもしれません。ですから神は同じ体を復活させるのではなく,死んだのと同じ人を復活させるのです。天へ行く人々には,神は新しい霊の体をお与えになります。地上で生きるよう,よみがえらされる人々には,神は新しい物質の体をお与えになります。この新しい物質の体はその人の死ぬ前の体とよく似ているに違いありません。ですから,その人を知っていた人々は,その人だということが分かるでしょう。
26 復活は確かにすばらしい奇跡です。死んだ人は,生涯にわたって豊かな経験と知識を蓄え,多くのことを記憶したことでしょう。そして,かつて生きていた他の人とは違う性格を培いました。それでもエホバ神は,詳細な点まですべて記憶しておられ,その人を復活させる時に,これらのものをことごとく備えた元通りの人を復元するのです。聖書は復活させられる死人について,「彼らは皆,神にとっては生きているのです」と述べています。(ルカ 20:38)人間は人々の声を録音したり,その姿を録画することができます。そしてその人々が死んでから長いあいだたってそれらを再生することができます。しかしエホバは,ご自分の記憶の中で生きている人々をみな生き返らせることができ,また実際にそうされるのです!
JWは創始期から1970年代まで「黒人は聖書に記録された呪われた劣等人種」という教理を教えてきたが、現在は黒人差別の教理を捨てている。
「黒人は人類の不完全な形であり、呪われた劣等人種」という教理があった1970年代までは、黒人が楽園に行くとエホバ神によって過去の罪を許され、人類として不完全な形である黒人から、完全な人類の形である白人になるとされ、全ての黒人は楽園に行くと(マイケル・ジャクソンのように)肌の色が白くなるとされた。
*** ものみの塔誌1898年8月1日230頁 ***
黒色人種は、創世記9:22,25にその特別な堕落の状態が述べられているハムの子孫であると考えられる。
*** 新世界訳聖書 創世記 9:22,25 ***
22 後にカナンの父ハムは自分の父の裸を見,外にいる自分の二人の兄弟にそのことを告げに行った。
25 そこで彼は言った,「カナンはのろわれよ。自分の兄弟たちに対する最も卑しい奴隷となれ」。*** 黄金時代1929年7月24日702頁 ***
ノアがカナンに与えたのろいは、黒色人種の起源でした。ノアが「カナンはのろわれよ。自分の兄弟たちに対する最も卑しい奴隷となれ」と言った時、彼は有色人種の将来を考えていたのでした。黒人は過去にも現在でも召し使いとなる人種です。しかし現代の二十世紀においては、私たちはみな、仕えるということを真の光の中で見ることができるようになり、人生の本当の喜びは他人に仕えることであることを発見しています。世界中で、有色人種のよい召し使いより優れた召し使いはいません。そして忠実に仕えることはこの世の中で最も純粋な喜びの一つなのです。
*** ものみの塔誌1914年4月1日110頁 ***
今しばらくすると、千年王国が開始され、そこでは全ての人類の復元が行われるでしょう。その復元とは、罪によって一時的に失われてしまった、神が「非常によい」とした元の大いなる基準に従って、心も体も形も色も、メシアの王国の力でその完全な形に戻されることです。
JWの創始期から続いた「黒人は人類の不完全な形であり、呪われた劣等人種」という教理は1960年代の集会ではよく取り上げられていたが、1970年代になってアメリカの黒人の地位向上と共に集会で取り上げられなくなり、1980年代になると、JWに黒人差別の教理が存在していたこと自体を否定した。
*** 目ざめよ! 1982年 2月8日号 22-3 聖書は白人の書物ですか ***
カナン人は人種の上では白人でしたから,そののろいはハムの別の息子クシの子孫である 黒人とは全く関係がありませんでした。こうした神の言葉の誤った解釈が,黒人に多大の 辛苦と苦しみを臨ませる原因となってきたのです。(注:例によって他人事)
情報ソース:エホバの証人の人種差別
JW2世のマイケル・ジャクソンが全身整形して白人になったのはそのため?
マイケル・ジャクソンはエホバの証人2世。
1983年に全世界で5,000万枚のセールスを上げたアルバム『Thriller』(スリラー)で審理委員会にかけられ、MTV版スリラーのビデオ化権の収入を放棄することで排斥を免れたが、1987年『BAD』で再び目を付けられ、1988年映画『ムーン・ウォーカー』の頃に審理委員会に呼び出されたので断絶した。(その後復帰したという噂があるが真偽は不明)母親が熱心なJW信者なのでジャクソン・ファミリーは全員JW2世。
情報ソース: マイケル・ジャクソン 今世紀最大のポップスターの悲劇と真実 価格:¥1,748
生まれつき顔が不自由だと思っている人や、生まれつき体の色が気になる人は、楽園に行ければマイケル・ジャクソンのように美しく変身できるかも?
但し、『その復元とは、罪によって一時的に失われてしまった、神が「非常によい」とした元の大いなる基準に従って(塔1914年4月1日)』行われる全身修正なので、その復元結果を自分が気にいるかどうかは「神のみぞ知る」ことになる。さらに、新しく復元された自分の姿が運良く納得できればいいけれど、もし納得できなかった場合は永遠に諦めるしかない。
JW信者が長い間待ち望んだ通りハルマゲドンが来て、望み通り地球人類が滅亡した後で楽園になって、運良く生きてハルマゲドンを通過できた信者と、墓から復活した信者が、「永遠の生命」を得れたと単純に感激するのは甘い!
・楽園で生きる全ての人間は神の裁きを受けなければならない。
*** あなたは地上の楽園で永遠に生きられます 181 21 裁きの日とそのあと ***
16 したがって,裁きの日の期間中に裁かれるのは,復活させられた「死んだ者」だけではありません。ハルマゲドンを生き残る「生きている者」,その人々から生まれてくる子供たちもすべて裁きを受けます。(テモテ第二 4:1)
・全ての人間は、楽園になってから1000年の間続く「裁きの日」の間、JW組織の言うことに忠実に従わなければならない。
*** あなたは地上の楽園で永遠に生きられます 176-7 21 裁きの日とそのあと ***
4 したがって,裁きの日は,文字通り24時間の一日ではありません。聖書は,イエス・キリストと共に裁きを行なう人々について述べる際に,この点を明らかにしています。(コリント第一 6:1-3)「わたしは,数々の座を見た。それに座している者たちがおり,裁きをする力が彼らに与えられた」と聖書筆者は述べています。この審判者たちはキリストの忠実な,油そそがれた追随者たちであり,聖書が続け述べているように,「彼らは生き返り,キリストと共に千年のあいだ王として支配し」ます。それで裁きの日の長さは1,000年です。それは,キリストと14万4,000人の忠実な油そそがれた追随者たちが「新しい天」として「新しい地」を支配する1,000年と同じ期間です。―啓示 20:4,6。ペテロ第 二 3:13。
・さらに、楽園で生きる信者達には1000年間の労働が待っている。
*** あなたは地上の楽園で永遠に生きられます 177-8 21 裁きの日とそのあと ***
6 ハルマゲドンを生き残った人々は,この裁きの日の期間中,地を楽園にするために働くでしょう。死んでいた人々はこの楽園に迎え入れられるのです。(ルカ 23:43)長いあいだ死に別れていた家族が再び一緒になる時の喜びはどんなものでしょう! 平和に暮らし,健康に恵まれ,そして神の目的について教えを受けるのは,どんなにか楽しいことでしょう! 聖書は,「地に対してあなたの裁きがあるとき,産出的な地に住む者たちは必ず義を学ぶ」と述べています。(イザヤ 26:9)裁きの日の期間中,人々はみなエホバについて学びます。そして,エホバに従いまた仕える機会を十分に与えられます。
・そして、1000年の間、JW組織の言う事に忠実に従わないと、神に殺される。
*** あなたは地上の楽園で永遠に生きられます 178 21 裁きの日とそのあと ***
7 イエス・キリストと14万4,000人の仲間の王たちは,そのような楽園の状態の下で人類を裁くのです。エホバに仕えることを選ぶ人々は永遠の命を受ける立場を得ることになります。しかし,そのような最高の環境の下にあっても,ある人々は神に仕えようとしないでしょう。「邪悪な者は恵みを示されることがあっても,全く義を学びません。彼は正直の地で不正の行ないをし,エホバの卓逸性を認めません」と,聖書は述べています。(イザヤ 26:10)ですから,そのような邪悪な人々は,その道を改め義を学ぶ機会を十分に与えられたのち,滅ぼされるでしょう。裁きの日が終わらないうちに死に渡される人々もいるでしょう。(イザヤ 65:20)そのような人たちがいつまでもいて楽園の地を堕落させたり,損なったりすることは許されないでしょう。
・また、エホバの証人の伝道を受けたことがない一般人は楽園で復活できる。しかしJW組織の指導に忠実に従わない一般人は、神によってもう一度殺される。
*** あなたは地上の楽園で永遠に生きられます 180 21 裁きの日とそのあと ***
13 死者は墓から出て来るとき,過去の行ないによって裁かれるのではないことを,わたしたちははっきり学びました。彼らはむしろ,裁きの日の期間中に行なうことに基づいて裁かれるのです。ですからイエスは,「良いことを行なった者」とか「いとうべきことを習わしにした者」と言われた時,裁きの日の期間中に彼らが行なうであろう良い事柄や悪い事柄のことを言われたのです。復活させられた人々の多くは,彼らが行なう良い事柄のために,1,000年の裁きの日の終わりまでには,進歩して完全な人間になるでしょう。ですからその人々が死人の中から戻ってきたことは,「命の復活」となるでしょう。罪のない完全な命に達するからです。14 一方,裁きの日のあいだに『いとうべきこと,または悪いことを習わしにした』人々は,どうなるでしょうか。彼らが死人の中から戻って来たことは「裁きの復活」となるでしょう。これはどういう意味でしょうか。つまり,死に値する者として裁かれる,または宣告されるという意味です。ですから,その人々は裁きの日の期間中かまたは終わりまでに滅ぼされます。彼らは悪いことを行なうからです。義を学び実行することをかたくなに拒むからです。
・JW組織の言うことに1000年間忠実に従うと裁きの日は終わり。その時に生き残った信者だけが本当の意味で永遠に生きれる。なので本当に自分らしく生きれるまで、1000年もの長い間自分を殺して2重人格で生き続けなければならない。そうしないと神によって殺される。
*** あなたは地上の楽園で永遠に生きられます 182 21 裁きの日とそのあと *** 裁きの日のあと 19 イエス・キリストは,神から与えられた事柄をすべて成し遂げたので,「王国 を自分の神また父に渡します」。このことが行なわれるのは1,000年の裁きの 日の終わる時です。そのころまでには,すべての敵が一掃されているでしょう。 最後の敵はアダムから受け継がれた死です。その死も滅ぼされるのです! そ のとき王国はエホバ神の所有となります。エホバ神は王としてその王国を直接 に支配されます。―コリント第一 15:24-28。
1)@JWはハルマゲドンを生き残る。地球を楽園にする作業を行う。
2)A最初に、神に忠実だったモーセやアブラハムなど聖書の有名人が地上に復活する。
3)B次に、組織に忠実だった現代のJWが地上に復活する。輸血拒否で死んだ人は最優先。
4)Cその後で、エホバの証人の伝道を一度も受けた事がない一般人が徐々に復活してくる。エホバの証人の伝道を受けて、それを拒否した人は復活しない。
5)@ABの人たちは楽園にする作業を行いながらCの人たちを教育(聖書研究)する。
6)@ABC全員が徐々に完全にされてゆき、1000年以内には完全になっている。
7)ただし、霊性の低い人は不完全のまま。霊性の高い人は1000年を待たずに完全になっている。(個人差が生じる)
8)1000年間に、もし悪い事を行ったら、あるいはJWでいたくなければ排斥や断絶ではなく神によって殺される。
9)1000年後、啓示の書の預言どおり悪魔サタンが解き放たれて最後の試みがある。
10)試験に落ちた人は根こそぎ神によって殺される。
11)この試験に受かった人だけが楽園で永遠に生きられる。
12)楽園になると「裁きの日」が終わる1000年後まで毎日の生活で気を抜けない。何かドジると神に殺される。本当に安心出来るのは1000年後。
結論:人間が本当の意味で「永遠の生命」を得れるのは、ハルマゲドンで人類が滅びた後に楽園になってから10世紀も過ぎた後。そうまでして長生きしたい人はご苦労さん! 俺は寿命で充分。
イエス・キリストが処刑される前に行った「過ぎ越しの祭り」を偲んで行うJWの唯一のお祭り。一般のキリスト教会が定期的に行う聖餐式(せいさんしき)と同じ儀式で、クリスマスを祝わないJWではこれしかお祭りが無い。
せいさん 【聖餐】
イエスが最後の晩餐でパンと葡萄(ぶどう)酒をとり「これはわたしの身体わたしの血 である」と言い、新しい契約(新約)として弟子たちに分け与えたことに基づく儀式。 パンと葡萄酒を会衆に分かつ(二種陪餐)。聖体拝領。聖餐式。ユーカリスト。
三省堂提供「大辞林 第二版」より
毎年「ニサンの14日」と呼ばれる4月頃のある日の日没後に行われ。イースト菌の入っていない「種なしのパン」が乗った1枚の皿と、1個のグラスに入れられた葡萄酒がバトンタッチ式で信者のまわりをぐるぐるまわり、「あなたは神によって14万4千人の一人に選ばれた」と神から直接命令を受け取った信者以外は食べることができない、「犬のお預け」のような儀式。
主の記念式の集会は1時間程度行われ、長老が延々と30分位講演した後で、聖書を見ながらイエス・キリストに成り代わって「これは私の体です」と言ってから、種なしのパンの乗った皿を参加者全員でバトンタッチ式に順番にまわし、次に15分位喋ってから聖書を見つつ同じように「これは私の血です」と言って葡萄酒の入ったグラスを参加者全員でまわす。
一般のキリスト教会が月に一回程度行う聖餐式では、食パンを小さく切って人数分に小分けしたものと、人数分用意した3cc程度のミニグラスにワインを入れたものが用意してあって、それを2枚のステンレスのお盆に乗せてJWと同じような儀式で信者全員にまわすが、キリスト教会式では自分が希望すればちゃんと飲食させてくれる。しかしJW式では「本当に神から直接命令を受けたえらい人」か「頭の中が完全に逝っちゃっているお花畑の人」以外は絶対に食べちゃ駄目なのが違う。
誰でも一度は、主の記念式でパンと葡萄酒が回って来る時間になると、イースト菌の入っていない小麦粉を水で溶いただけの材料を、油の引いていないオーブンやフライパンでそのまま焼いた、具のないお好み焼きの出来損ないの煎餅のようなかちかちの種なしのパンの乗った皿が自分に回ってきた時に「うむ」とばかりにパンをむんずと手でつかんでバリバリ食い、次にアルコール分をほとんど大気中に飛ばした埃まみれのブドー液のような葡萄酒の入ったグラスが自分に回ってきた時に「よっしゃー!」とばかりに手にとってぐびぐび飲みたい誘惑に駆られるが、みんな正直者だし後が怖いから誰も手を出さない。(おーい誰か勇者はいないのか!)
そしてもし誰かがパンと葡萄酒を飲食すると、記念式が終わった後で長老団に飲食した理由を長時間にわたり詳細に問いつめられるのを知っているから、誰も手を出さず犬のお預け状態で儀式は終了する。(儀式が終わった後でパンと葡萄酒を一部の人が試食できるが私は経験がない)
記念式参加者の人数と、種なしのパンと葡萄酒を正式に飲食した人の人数はすぐに上に報告されて世界レベルの年間統計データに取り込まれる。JWの教理からすればその数がだんだん減って行くはずなのに、いつまでも人数は減らず逆に少しずつ増えていくという魔化不思議な現象が起きている。さらに第2次大戦前のアメリカのJW組織が「あなたは天に行ける14万4千人の一人に選ばれました」という免罪符を発行し終わっていて、既に天に行ける人の受付が終了している事を知っている人はほとんどいない。
JW女性は普段のおしゃれは禁止されているが、この日だけはおしゃれが許される。なので女性達は全員タンスの奥からとっておきのドレスを引っ張り出して来て、普段は派手な化粧をしたことがない人らしい流行遅れの化粧をして、既に期限切れでアルコール分が完全に飛んでしまったんじゃないのかと思うような香水をつけてくるので、王国会館には樟脳と香水の独特の香りが漂う不思議な光景が展開され、記念式が終わった後はドレスや振袖を着た姉妹達が写真を撮りあったりしてぎゃぁぎゃぁ大騒ぎになり、他の信者達が目をひそめるパターンになる。(JW女性達は普段のおしゃれを一切禁止されてるんだから、パリサイ派の現役信者は1年に1回くらいは暖かい目で見てあげようね)
以前は記念式は正規信者だけが参加出来る特別な儀式で、研究生でもある程度のレベルまで教理を理解している人でなければ参加出来なくて、排斥者なんか絶対に参加できない大事な儀式だったのだが、最近はJW信者が減ってきたせいなのか完全に何でもあり状態で、一般人だろうが排斥者だろうが誰でも気楽に参加できるようになった。
この記念式参加者の数字が上に上げられて、世界中の記念式に参加した人数として王国宣教で発表される。信者達は世界中のエホバの証人の総人数をこの数字で推察する。
イエス・キリストが生きていた時代のユダヤ教の一派で、聖書教条主義者、聖 書原理主義者のことで、なんでもかんでも規則を作ってそれを絶対に守らせた がる人や組織のこと。JWという宗教はまさにパリサイ派。
イエス・キリストが生きていた時代の代表的なユダヤ教派
パリサイは 【―派】
〔(ギリシヤ) Pharisaioi 分離派の意〕
(1)紀元前二世紀におこったユダヤ教の一派。律法の遵守を唱えその釈義に傾注し、宗教的な清めを強調、民衆の間に大きな勢力をもった。福音書ではイエスの論敵として描かれ、自己義認の傾向が激しく批判された。パリサイ人。ファリサイ派。
(2)(転じて)偽善者。形式主義者。サドカイは 【―派】
〔(ギリシヤ) Saddoukaioi〕紀元前二世紀から紀元後一世紀頃のユダヤ教の一派。保守的特権階層を代表し、神殿祭儀をつかさどった。予定説、メシア待望、死人の復活、天使や霊の存在などを否定、パリサイ派と対立、政治的には親ローマ。名称は大祭司ザドクにちなむ。エッセネは 【―派】
〔Essenes〕紀元前二世紀頃おこったユダヤ教の一派。財産の共有、独身主義が特色。死海周辺で農業を中心に質素な共同生活を営んだ。死海文書を残したクムラン教団はその一部といわれる。ユダヤ-きょう ―けう 【―教】
紀元前四世紀頃から発達し、モーセの律法を基とし、唯一神ヤハウェを信奉するユダヤ人の宗教。ユダヤ人を神の選民と自覚し、イエスを救い主と認めず、神の国を地上にもたらすメシアの到来を信ずる点でキリスト教と対立。主要聖典は旧約聖書とタルムード。一九世紀末におこったシオニズムの思想的基盤。三省堂提供「大辞林 第二版」より
ムチとは『組織の教えに忠実に従わない悪い子供を持つ親は、自分の子供を、文字通りにムチで叩いて、子供の心の中にいる悪魔サタンを追い出せ』というJWの公式教理とその具体的な指導内容。
1964年5月1日号の御国奉仕(王国宣教)の「懲らしめを与える訓練によって実を結ぶ」という記事の発表により、全ての2世の乳児,幼児,児童,学生,の子供達に、「懲らしめ」「訓練」という名目のムチ教育がJWの重要教理として開始されて現在に至る。過去には組織のムチ指導により死んでしまった子供もいる。
「もし子供がムチで精神障害を起こしても、ハルマゲドン後の楽園になればエホバ神が全て治して下さる。さらに子供がムチで死んでも、ハルマゲドン後の楽園になればエホバ神が必ず墓から生き返らせてくださる。何より悪いのは、2世の子供が組織の指導に忠実に従わず、自分の頭でものごとを考るようになって、自分の考えでエホバの証人のやめる事なので、子供がそう思わないようにムチを使って子供の心を完全に叩き直せ」という考え方。
王国会館や大会会場で子供がムチで叩かれるのは、長時間の退屈な集会に子供が飽きてしまい、そわそわしたり,泣いたり,ぶつぶつ独り言を言って遊ぶからで、1970年代に沼津ベテルの建設が発表された時に、今後新しく建設される王国会館には第2会場も併設されると発表され、防音設備の付いた幼児用に用意された別部屋さえあれば子供達はもう王国会館でムチで叩かれなくなると当時の信者達は真面目に噂しあっていた・・・
が、実際には新しく建設された王国会館に第2会場が出来た後も、集会中にうるさい子は、トイレ,第2会場,第3会場でびしびしムチで叩かれるようになった。なので第2会場とは何のために作られたのか理解不能の状態で現在に至る。
組織により、王国会館や大会会場で子供のお尻をムチで手加減せずにびしびし叩くことが奨励されていたのは1965年5月〜1980年代までで、1990年代からは「王国会館は訓練(ムチ)の場所ではありません、子供は家庭で訓練(ムチ)してから王国会館へ」ということになったので、それ以降は王国会館でムチを使うことはない。(実際はたまにある)
現在は、ムチの指導を会衆の古手の母親姉妹達に全部任せてしまっていて、自分の子供をムチで叩くか叩かないかは親の個人的判断であって、表立ってムチの指導をしない組織には一切の責任は無いとされている。
注意:JW組織は現在も「訓練」と言う名のムチ教育を公式に禁止していない。
一人の研究生が一人の研究司会者と組んでバプテスマまで行く例は少なく、たいていは数人の研究司会者とバトンタッチ式で勉強の仕上げをして行くが、母親研究生の場合は、最初は男性の研究司会者で聖書研究が始まっても、研究が進むにつれ、途中でベテラン母親姉妹と交代する例が多く、その時にムチのテクニックを伝授されるパターンが多い。
ベテランの母親姉妹の全員がムチを使うわけではないが、中には信仰の視野狭窄状態に陥っているすんごい母親姉妹もいるわけで、そういう鬼姉妹と研究することになった母親研究生の子供は間違いなくムチで叩かれるようになる。
研究生がどういう研究司会者と組むかで自分の子供にムチをするかしないのかが決まるというのが現状なので、集会中に少しでもうるさかった子はおうちに帰ってから親のお説教が待っていて、その時に子供にムチを使うかどうかは親の気分次第、研究生時代の研究司会者次第になる。
叩く場所はパンツを下ろした生尻、叩く回数は20回まで。
手、竹のものさし、足踏み式ミシンの皮ベルト、女性用の細いウェストベルト、
男性用の細い皮ベルト、水道ホース(但し、水道ホースは組織指定のムチが手
に入らない場合のみ可)そして私は足踏み式ミシンの皮ベルト。
原則として生尻だが、叩く場所の制限はなし。叩く回数の制限も無くなる。
手、竹のものさし、水道ホース、ガスホース、布団叩き、鉄製チェーン、木のハンガー、樫の棒、アクリル棒、ステンレス製の靴べら、電気のコードを束ねたもの、ビニールコーティングした自動車牽引用のワイヤーロープを短く切ったもの、鉄拳、逆さ吊りして浴槽に漬ける、裸にして頭から水をかけて外に放り出す(その他、子供に効果的な痛みを与えられるものであればなんでもOK)
現在の、乳児,幼児,児童が大人になるまで本当のことはわからない。
・ムチの原則
1)ムチは現在も禁止されていない。組織はムチをやりすぎるなと指導している。
2)現在は王国会館でのムチは原則的に禁止されていて、集会中にうるさかった子は、家庭に帰ってからムチをするように指導している。
3)ムチを実施するかしないかは長老団の判断により変わり、ムチ絶対禁止の会衆もあればムチ奨励の会衆もある。
4)長老によりムチが禁止された会衆でも、組織は出版物で定期的に「懲らしめ」を指導しているし、ムチをする事に罰則はないので、必要があれば長老の指導を無視してムチをする信者が多い。
・新人研究生に対するムチの指導
5)ムチの指導はベテラン女性の研究司会者に任されている。
6)ムチの指導を受けるのは乳児,幼児,児童を持つ母親研究生に限られている。
7)ムチの指導を知る立場にない信者はムチの詳細を知ることが出来ない。
・ムチの現状
8)知る立場にない信者はムチの詳細を全然知らないので、本気で大真面目に「現在のJWにはムチは無い」と思い込んでいる あきめくらで、大間抜けで、大馬鹿者の現役信者(男女)が意外に多い。
9)なので、現在のムチの詳細は子供が大人になるまで誰にもわからない。
※現在のムチに関しては、最近JWを辞めたばかりの母親信者の証言が多数有る。但しその人達はネットで発言してない。
ある程度の年月を重ねたベテラン姉妹は、全ての母親研究生にムチの指導をする義務があるが、どうしてもムチの指導ができない心優しい姉妹も多い。これを「無能な研究司会者」と言う。
無能な研究司会者は長老によりすぐに有能な研究司会者と切り替えられる。ただし、ムチの指導が出来ない無能な信者であってもペナルティは無い。
下図のムチは最近行われた、エホバの証人の母親と未信者の父親の間で行われた離婚裁判の証拠物件として法廷に提出されたムチで、乳児期から幼児期の男の子の体を叩くために母親が使っていた「懲らしめのムチ棒」
JWは現在も「懲らしめのムチ」という児童虐待行為を公式に指導している。
証拠:現在使われている新人研究生用の教科書「永遠の命に導く知識」より引用
参考情報:聖書から『知識』を論じる
*** 知識 146〜149ページ 神に誉れをもたらす家庭を築く ***
神についての知識に従って子供たちを育てる
19 懲らしめ。聖書は愛ある懲らしめの重要性を強調しています。(箴言 1:8)今日,子供たちを導く責任を回避する親たちは,明日,ほぼ確実に悲痛な結果に直面することになります。しかし,親には,他の極端に走ることに対する警告も与えられています。「父たちよ,あなた方の子供をいらいらさせて気落ちさせることのないようにしなさい」と,パウロは書きました。(コロサイ 3:21)子供を矯正する際に度を過ごしたり,子供の欠点をくどくどと繰り返して子供の払った努力を批判したりすることは,親として避けなければなりません。
注:『子供たちを導く責任』とは、親が自分の子供を強制的にJW信者にすること。
『責任を回避する親たち』とは、懲らしめのムチで自分の子供を叩けない親のこと。
『悲痛な結果』とは、エホバの証人の子供が自分の意志でJW信者を辞めること。
20 わたしたちの天の父エホバ神は,懲らしめを与える点で模範を示しておられます。エホバの矯正は決して極端なものではありません。神はご自分の民に,「わたしはあなたを適度に打ち懲らさなければならない」と言われました。(エレミヤ 46:28)親はこの点でエホバに倣うことが必要です。道理にかなった程度を超えて,あるいは矯正と教えを与えるという本来の目的を無視して与える懲らしめは,確かに子供をいらいらさせます。
注:JWによると、エレミヤ記は西暦前647〜580年の事を書いている。JWは2600年前のやりかたで現在のエホバの証人の子供を教育しろと教えている。
*** 新世界訳聖書 エレミヤ 46:28 ***
28 あなたについていえば,わたしの僕ヤコブよ,恐れてはならない』と,エホバはお告げになる,『わたしはあなたと共にいるからである。わたしはあなたを追い散らしたすべての国の民の中で滅ぼし絶やすことをするからである。しかしあなたについては,滅ぼし絶やすことをしないであろう。とはいえ,わたしはあなたを適度に打ち懲らさなければならない。あなたを処罰せずに置くことは決してない』」。
注:このように聖書に書いてあるので、全てのエホバの証人の子供を懲らしめのムチ」で死なない程度に叩いて教育しなければならない。
21 親は自分の与える懲らしめが効果的かどうか,どのように確認できるでしょうか。親は,『自分の与える懲らしめは何を成し遂げるだろうか』と自問できるかもしれません。懲らしめは教えを与えるものであるべきです。お子さんは懲らしめが与えられている理由を理解すべきです。親は矯正が及ぼす影響にも関心を抱くべきです。確かに,ほとんどの子供たちは最初,懲らしめを受けるといら立ちを覚えます。(ヘブライ 12:11)しかし,子供たちが懲らしめを受けておびえたり,見捨てられたと感じたり,自分は生まれつき悪い人間なのだと思い込んだりするようなことがあってはなりません。エホバはご自分の民を矯正する前に,「恐れてはならない……わたしはあなたと共にいるからである」と言われました。(エレミヤ 46:28)確かに矯正は,お子さんが,親は愛と支えを与えてくれる存在であり,自分と共にいてくれると感じられるような方法で与えるべきです。
注:ほとんどの2世の子供達は、親にムチで叩かれることにより、ムチにおびえ、親に見捨てられたと感じるようになり、自分は生まれつき悪い人間なのだと思い込み、劣等感の固まりになり、心に深い傷を残す。そしてその状態に子供の心が耐えられないから親の言う通りにJWの信仰に励むしかなくなる。なので、この文章は子供の精神改造を目的とした児童虐待を正当化するための巧妙な詭弁。
「巧みな指導」を得る
22 わたしたちは,幸福な家庭を築くのに必要な道具をエホバが与えてくださることに感謝できます。とはいえ,道具を持っているだけでは十分ではありません。その正しい用い方を練習しなければなりません。例えば,道具の使い方の悪い癖がついてしまった大工さんがいるとしましょう。その人の幾つかの道具の使い方は完全に間違っているかもしれません。そういう事情であれば,その人のやり方で作られる物はきっと見劣りのするものとなるでしょう。同じように今あなたは,自分の家庭に入り込んでいる不健全な習慣に気づいておられるかもしれません。ある種の習慣は深く染み込んでいてなかなか変えられないこともあるでしょう。それでも,次の聖書の助言に従ってください。「賢い者は聴いて,さらに多くの教訓を取り入れ,理解のある者は巧みな指導を得る人である」―箴言 1:5。
注:『巧みな指導』とは研究司会者が研究生にムチのノウハウを教える事。
『幸福な家庭を築くのに必要な道具』とは「懲らしめのムチ」
『正しい用い方』とはムチの正しい使いかた。
JWの指導する「懲らしめのムチ」は明文化されていないため、会衆ごとに少しずつ違う。各会衆には母親から母親に口頭で伝えられたムチの詳細なマニュアルがある。(例:1980年代は、関東はステンレス製靴べら、関西は電気コード(上図参照)それ以外の地方はゴムホース、ガスホースなど)
研究司会者は、新人の母親研究生の勉強の進行具合を見ながら「懲らしめのムチ」という名の、乳児虐待,幼児虐待,児童虐待のやりかたを具体的かつ詳細に指導する。(母親の研究司会者が自分の子供をムチで叩いて、母親研究生にムチのやりかたを具体的に教える場合もある)
研究司会者の指導する「懲らしめのムチ」という名の、精神矯正を目的とする虐待行為により、ムチで叩かれる子供は毎回毎回怯え、他の子供が叩かれるのを見聞きすると恐怖を覚え、親が強制する運命に抵抗する気力も失せ、やがて自分の人生をあきらめ、JW組織に従順な無気力な子供に育つようになる。(それを見た母親信者は「聖書に書いてある通りだ」と大喜びする)
現在は、大人になってから精神障害を起こして精神科の病院に通っている2世が異常に多い。さらに、親が子育てに失敗したと気が付いても組織は責任を取らない。『組織の子育て指導は正しい。子育てに失敗したのはあなたに問題があるのだ。あなたの信仰がないからそうなるのだ』という理論で納得させよう とする。
親によっては、生まれつきおとなしい子は成人に達するまで1回もムチで叩かれず、生まれつきやんちゃな子は、おとなしい子に変身するまで何回も訓練という名のムチをされる。
2世これにより「面従腹背」「本音と建て前」「何か行動する時は先にいいわけを用意しておく」という2重人格が形成され、それからの人生を生きて行く上での重要な柱となる。
そして、2世の子供が誰でもやらなければならない「自分で自分を騙す」式のセルフ・マインドコントロールによる2重人格形成に失敗した場合は、その後精神障害になり病院に通うことになる。(生まれつきの聖職者タイプの2世はその必要はないが、そういうのは少数派)
エホバの証人の子供は、嘘をつくとハルマゲドンで滅ぼされるので、文字通り絶対に嘘をついてはいけないと教育される。そのせいで大人になってから世渡り下手で苦しむ人が多い。(子供の嘘を見抜けない間抜けな親に育てられた子供は、自分の身を守るために「嘘つき」になる)
東京タワーの近くに建っている5階建ての建物。建物の壁面に大昔のフォントで「ものみの塔」と巨大な文字が縦に書いてある。以前はここが日本支部だったが今は信者の老人ホームになっている。昭和40年代は近所が平屋や2階建てだけだったので立派な建物に見えたが、最近は近所のビル化が進み、どこにでもあるようなみすぼらしい古ビルにしか見えない。
このビルには当時としては珍しい暖房用のボイラー設備がある。1980年代は、この建物に第2会場が無かったので、集会になるとボイラー室に子供が連れ込まれて、みんなムチで叩かれた。
1970年代に静岡県沼津市に建てられたものみの塔の印刷工場。海老名ベテルが出来るまではここで出版物を印刷して世界中に発送していた。日本支部が三田ベテルからここに移動していた時期もあった。現在は売却されて存在しない。
そしてここが王国会館の第2会場発祥の地。沼津ベテルが出来るまでは全国各地で新築された王国会館に第2会場というものはなかったが、沼津ベテルがきっかけとなり、それ以降に新しく作られる王国会館には第2会場が併設されるようになった。
防音設備の整った第2会場が作られた当時は、これで全国の王国会館でムチがなくなると期待した人もいたが、実際には第2会場はムチ専用の部屋となった。なので第2会場が存在する意味を誰も知らない。
日本のJWの総本山。神奈川県海老名市に海老名ベテルという印刷工場が完備された施設があり、ここで数カ国語の出版物を印刷して世界中に送っている。日本の信者全員に命令を送る総責任元である日本支部はここにある。
私が幼児だった時代に一つ年上だった幼なじみが海老名ベテルを建てた時に現場監督見習いをやっていたのだが、建物はゼネコン系建築会社の最低限の職人達と大量の信者達の自発奉仕による無料労働によって建てられた。この建物は3つの建物を一つに融合させた作りになっていて、ハルマゲドンで大地震が来てもちゃんと生き残れる超強力耐震構造になっている。
志願して海老名ベテルでボランティアで働いている人たち。給料は「寄付の割り戻し金」と言って月に2万円程度のおこずかいをもらっている。衣食住無料。収入が少ないので年金の支払いを免除できる書類あり。海老名ベテルで何か変な事をすると即日帰郷になり、自分のいた会衆に送り返される。以前は海老名ベテルの池で泳いだ猛者がいたらしい。当然ながらその人は即日帰郷になった。
会衆が複数集まった「巡回区域」という区域の信者を監督し、長老を直接管理する管理職。気が向けば気楽に長老の首のすげ替えが出来る人事権を持っているので、長老は巡回監督に頭があがらない。
巡回区域が複数あつまった「地域区域」の管理者。巡回監督を管理する管理職。人事権を持っているので、気が向けば気楽に巡回監督と長老の首のすげ替えが出来る。だから巡回監督と長老は地域監督に頭があがらない。
日本支部委員(支部委員):
長老、巡回監督、地域監督と全ての信者を管理する日本のJWの総責任者集団。日本中の全ての信者の人事権を持っているので、日本中の信者は誰も頭があがらない雲の上の人たち。日本の信者の納めた寄付から給料をもらっている人達。
日本で一番偉い人。それまでは、1999年7月2日にハワイの大会で講演中に突然倒れて死亡した統治体メンバー、故ロイド・バリー氏が、25年間も日本支部監督を勤めていた。現在は日本支部監督の座は空位で、日本支部委員の一人が、『支部委員会の調整者』という名で代行している。(今は誰がやっているのかよく知らん)日本の信者の納めた寄付から給料をもらっている人。
世界中にある支部に命令を送る世界のJWの総本山。アメリカ合衆国、ニューヨーク、ブルックリンの一角を占める巨大なビル群を持っている。世界本部の職員の事をベテライトと言う。(ベテルのライター[ベテルの執筆者])日本のベテラーと言う言葉はベテライトの意味が誤って伝わった言葉。
ニューヨーク・ブルックリンのワッチタワー本部にいる10数名のメンバーにより構成されるJWの最高責任者グループで世界中の信者に命令を送る存在。
『忠実で思慮深い奴隷級』とか『油そそがれた残りの者』という表現で自分たちを卑下しているが、実際は、衣食住全て無料、高級乗用車貸与、世界中の旅行経費は相手国の信者持ちという王侯貴族のような高級待遇で、JWで一番偉い老人たち。
JW組織は説明しずらく、説明されてもわかりにくいので、戦前の旧日本陸軍の組織配置図に当てはめると組織の全体像をイメージしやすくなる。
1999年8月末のJW組織構成
世界234ヶ国・地域に591万人、日本のJW信者数:研究生を含めると37万人
統治体13人 ↓ 世界の地帯数40 地帯監督12人 ↓ 世界の支部数109 日本支部員8人 ↓ 海老名ベテル職員650人 地域監督 ↓ 巡回監督200人 ↓ 長老11400人 日本の会衆3800 ↓ 伝道者22万人 ↓ 研究生15万人
日本のカトリック信者 (公称)45万6千人 教会数2056
日本のプロテスタント信者 (公称)45万9千人 教会数5678
(平成11年度宗教年鑑)
部隊名称 幹部指揮命令系統 部隊責任者の補佐役 天皇陛下(エホバ神) 神風(ハルマゲドン) ↓ ↓ × × 大日本帝国陸軍(ものみの塔) 大本営陸軍部,参謀総長(統治体) ↓ 陸軍省(世界本部) 参謀本部(世界本部) 教育総監部(世界本部) ↓ 方面軍(地帯区域) 方面軍司令官(地帯監督) ―――――――――― ☆ 各方面軍(地帯)アジア・オセアニア,ユーラシア,ヨーロッパ,アフリカ,北米,南米 ↓ 師団(日本支部) 師団長(支部委員会) 師団参謀(海老名ベテル) ↓ 連隊(地域区域) 連隊長(地域監督) ―――――――――― ↓ 大隊(巡回区域) 大隊長(巡回監督) ―――――――――― ↓ 中隊(会衆) 中隊長(長老) 中隊長付き(奉仕の僕) ↓ 小隊(群れ) 小隊長(群れの監督) 小隊長付き(群れの補佐) ↓ 班(信者集団) 班長(伝道の先導役の兄弟)班長付き(古手の姉妹達) ↓ 兵士(末端信者)
注:明治憲法では陸軍の統帥権は天皇にあるが、天皇は陸軍に直接命令できないシステムになっている。JWも同じシステム。
※この、末端信者の布教活動管理と普段の生活管理をするための組織全体を「組織」と呼ぶ。JWとは、個人の幸福より組織への忠誠を何よりも要求される全体主義な宗教。
組織から受け持たされる全ての仕事を「特権」という。小は2世の子供に任される集会中のスピーカーの音量調節係から、大は統治体メンバーまで、全ての特権には明確なランク付けがあり、正規信者の兄弟姉妹になると特権を追い求める事を常に求められる。
特権があっても金にはならないが、特権を得ると周りの目が変わり、自分のステータスがどんどん上がって精神的な満足感を得ることができる。支配欲と権力欲の強い人にはたまらなくうれしい制度。
組織はアメリカ的なトップダウン式の仕事社会の人事なので、過去にその人にどんなに功績があっても、上の指示に忠実に従わなかったり、その人が使い物にならなくなった時点で簡単に首を切る。なので日本的年功序列の温情社会に慣れた人がいきなり理由もなく首を切られると、立ち直れないほどの精神的ショックを受ける。(労働組合のない超ワンマン社長の会社の人事のようなもの)
組織内の法律に違反したときに開催される内部裁判の事を言う。裁判官(長老)3人、被告人(信者)1人、弁護士無しの再審請求事実上無理の暗黒裁判のこと。審理は原則として3回行われ、信者に反省の色が見えない時は排斥になる。
組織の教えに違反したり、幹部に刃向かうと言い渡される判決の一種。排斥とは「あんたはもう仲間じゃないよ、もしあんたとこの先道で出会っても誰も口を聞かないからな、2度とここへ来るな!」と言う宗教的死刑判決を言う。いわゆる破門のこと。信者は排斥者と一切のつきあいを禁止され排斥者は村八分になる。
注:村八分は正しい表現ではないのだが、理解しやすいのであえて村八分と表現している。実際には火事や葬式にも付き合わないので、村八部どころか村十部。排斥になると信者と排斥者は親子であっても完全な絶縁状態。 断絶届けを提出した断絶者も排斥者と同じ扱いで絶縁状態になる。
最近は、輸血して排斥されても組織に戻りたいと思う変わり者(復帰希望者)は、王国会館の中で数年間の村八分の後で組織に戻れるという復帰制度あり。
もう少し詳しく解説すると、1977年頃に復帰制度が出来た後も、輸血をした人は絶対に復帰出来なかったのだが、最近は輸血しても復帰出来るようになった。これは、エホバの証人が輸血しても排斥されないと組織から公式発表になった、ブルガリア輸血解禁事件の日本的解決方法ではないかと思っている。
排斥は兄弟姉妹のみ
審理委員会にかけられるのは原則として兄弟姉妹だけで、排斥も兄弟姉妹だけ。バプテスマを受けていない伝道者研究生は大きな悪行なら審理委員会にかけられるが、たいていは助言を受けるだけで兄弟姉妹のように排斥の発表も会衆からの追放もなく研究打ち切りのみ。1980年代は研究生も審理委員会にかけられて排斥になった。
兄弟姉妹が喫煙すると排斥
兄弟姉妹がたばこを吸っているのがばれると審理委員会にかけられて悔い改めないと排斥になる。1980年代はたばこを吸わない兄弟のポケットにたまたまたばこの箱が入っていただけで排斥になった。
研究生が伝道者になってからたばこを吸っているのががばれたら、研究司会者が長老にお説教されて、伝道者は研究司会者と長老にお説教されて、伝道者からただの研究生に格下げになり研究打ち切りもある。
結婚していない独身の兄弟姉妹がセックスすると排斥
特に説明することなし、若い兄弟姉妹はこれで排斥になるパターンが多い。その他には、医師に認められた性同一障害者の同性愛行為も問答無用で排斥。
※排斥の判断基準はローカルルールが多く、地方によって微妙に違うからなんとも言えない。
会衆ごとに教理の実施ルールが違う矛盾状態を表す
ある会衆では集会に参加する兄弟が着るワイシャツは白しか許されない。ところが他の会衆では兄弟が柄物のワイシャツを着て集会に参加しても全然OK。では何故その会衆では白のワイシャツでなければならないのか? 誰もその理由を答えられない。「とにかくうちの会衆では兄弟が柄物のワイシャツで集会に参加するのはふさわしくないから駄目です」という、その会衆独自のルールの事を言う。
その理由は、かつて組織から具体的な指示があったが、それを取り消す具体的な指示が無かったために、そのルールがその会衆で定着してしまい、古い会衆では有効なルールだが、指示された時期に存在しなかった新しい会衆では無効なルールとか、
新しい巡回監督がそれまでのルールを取り消したはいいが、自分の巡回区域で取り消しを徹底しなかったために、取り残された会衆で亡霊のようにルールが生き残っていたとか、
信仰至上主義でお脳に柔軟性の無い長老が、組織に許された長老の裁量権の範囲で好き勝手な事を言いだし、勝手なルールがそのまま会衆に定着してしまって時間が経ち、長老の代も代わり、現在では何故それが必要なのか誰も知らないけれど、「とにかく守らなければならない、うちの会衆の大事なきまり」というような、その会衆だけの独自ルールのことを言う。
それまでのネットでは、会衆ごとに違う独自のルールを表す適切な言葉がなかったのだが、ある2世が2000年2月にその状態を「ローカルルール」と表現したことにより一般化する。
最近はローカルルールの意味も微妙に変わりつつあるが、本来の意味は、聖書や組織の出版物には何も書いていないのに、ある個人の勝手な解釈で会衆の成員を巻き込んで真面目な信者を苦しませる、その会衆だけの独自のルールという意味。
組織が出版物で明確な文章表現を使わないから起きる必然的な矛盾状態。今後も組織が不明瞭な文章表現を使い続ける限り永遠にこの状態が続く。
神権的戦略が翻訳語としては正しいのだが、日本のものみの塔協会が strategy(戦略)を、戦術(tactics)と表現したせいで、日本の信者の間では神権的戦術として知られている。
神権的戦術とは「神の(ものみの塔の)目的を達成するためには法律に触れない範囲で何をやっても全て許される。」という考え方で、「神の目的を達成するためには、必要な場合、異邦人(非信者)を騙してもエホバ神は全て許してくれる」というヨシュア記に出てくる娼婦ラハブを例にしたJWの基本教理。
この教えは、JWの内部情報を知ることが出来る階級のエホバの証人は、下位者(信者と非信者)に対して、必要に応じて嘘やごまかしを言っても良いという教えで、神権的戦術という教理の存在を知らされていない信者は「知る権利のない人たち」ということ。
日本支部から定期的に会衆に送られてくる手紙のこと。会衆宛の手紙は様々な種類があるが、代表的なものは王国会館の掲示板に張り出される「会衆宛の手紙」と信者個人宛に送られてくる「協会からの手紙」と長老団宛に送られてくる「長老団宛の手紙」がある。
この中で「長老団宛の手紙」は閲覧制限付きで長老以外は見ることが出来ない。「長老団宛の手紙」には会衆の信者を指導する具体的な内容が書かれていて、証拠を残さないために定期的に処分命令が出る。
私が現役時代に目撃したのは「何月何日付けと何月何日付けの長老団宛の手紙は必要がなくなったので処分してください。なおこの件は誰にも言わないでください。」という内容の手紙だった。
組織から会衆に命令してくる具体的な指示内容は「長老団宛の手紙」と、巡回監督からの指示、協会からの電話、長老だけに行われる講習などでの指示がメインなので、何か裁判になっても証拠はどこにも残らないないシステムになっている。こういう行為を神権的戦術と言う。
長老になると長老の講習会がある。その時に「長老を降りた時は必ず返却する」という条件で、通し番号が打ってある書籍が貸与される。この本は本文の横に余白がたっぷりある変な本で、長老は長老講習を受けながら、この余白に組織から指示された必要事項を自分で全部記入する。
■『あなたがた自身と群れのすべてに注意をはらいなさい』
長老用の神権宣教学校の教科書。所有権はものみの塔協会に属し、長老の資格を剥奪される場合には、返却の義務がある。エホバ神は長老を「助言者」また「裁く者」としてたてられた。旧約時代の裁き人の一団と同じ立場で奉仕すること、会衆の成員の服装と身だしなみや話し方に関しても規制や矯正措置を講じることなどを勧めている。輸血することは排斥処分に相当する、とみなしている。
情報ソース:新世界訳研究会
この本が排斥の判断基準になる。審理委員会での段取りや尋問のしかた、信者を排斥にする場合の詳細な判断基準など、全てこの本の余白に「組織から言われて自分が書いたコメント」を元にして信者を排斥する。
この本は本文だけを読んでも長老の心得が書いてあるだけで特に問題になるような事は書いていない。だがこの本の余白に「組織から言われて自分が書いたコメント」を本文と突き合わせるととんでもない本に変身する。
しかし、何か問題が起きても、「本の余白にコメントを記入したのは長老個人であって組織ではない。だから何か問題が起きても組織には一切の責任はない。全ては会衆側の長老に責任がある。」という、組織を守るための神権的戦術になっている。
さらに、この本が元長老によって一般社会に流出した場合、「長老を降りた時は必ず返却すると約束したから貸与したのに、何故あなたはそれを守らなかったのか? この本の所有権はものみの塔協会にある。あなたはそんな事をしてタダで済むと思っているのか!」という神権的戦術がたっぷり含まれた、末端信者には入手不可能なこの本が排斥の判断基準になっている。
余白のコメントの記入は長老の個人的資質に左右される。几帳面な長老は一言一句間違えないように忠実に記入するが、「自分は頭がいいから大丈夫」と思い込んでる自信過剰やめんどくさがりやな長老は要点のみ記入するので、あとで現場で右往左往して組織に電話で問い合わせてみたりするから会衆ごとのローカルルールを作る原因になっている。
また、信者は審理委員会にかけられても「悔い改め」れば(「反省」のJW的表現)排斥されない建て前になっているが、信者が悔い改めたかどうかを判断するのは裁判官である長老団3人の主観であり見た目の判断なので、信者が全然悔い改めていなくても迫真の演技のおかげで無罪になったり、感情表現が生まれつき下手なために腹の底から悔い改めているのに「この人は何も悔い改めていない」と判断されて排斥になったりする。
なので審理委員会とは茶番劇であり、迫真の演技をしたもの勝ちだと審理前に認識していない生真面目な信者ほど悲劇に見舞われることが多い。同じ罪を犯しても会衆や信者ごとに判決が違うのはそのため。
審理委員会で一番有利なのは長老の息子。長老の親が逃げ切るコツを教えてくれるから。例えば長老の息子がセックスしても無罪で、末端信者の息子がセックスしたら排斥というパターンもよくある。これはその信者が悔い改めたと判断されたかされないかの違いである。
但し、同じ罪をまた繰り返すと、「結局くちだけで何も悔い改めていない」という証拠になってしまうので問答無用で排斥になってしまう。
【エホバの証人】
基本:一人で聖書を読んでも本当の事は絶対にわからないので集団で勉強する。
1)わからないのが当たり前なので組織の出版物を勉強しなければならない。
2)研究司会者と一緒に勉強したり集会で集団で勉強する。(信者全員必ず)
3)聖書は英和辞典のように確認するだけ。(組織の聖書解釈への信頼)
4)先生役にわからなところがあるとすぐに代わりの人がサポートに来る。
5)統治体の聖書解釈が絶対に正しいことを信じる。(組織崇拝)
結論:世界中の信者がまったく同じ聖書解釈。誰に聞いても同じ答えしか返って来ない。脳味噌のデータベース化。記憶容量の大きい人が偉い。
【キリスト教徒】
基本:基本的にキリスト教信者の聖書解釈は個人の判断に任されている。
1)聖書を勉強したい希望者のみ聖書を自分一人で読んで勉強する。
2)聖書を読む時にJW信者のように単一の聖句で判断せず、文脈の流れから聖書が何を言いたいのかを全体的に読みとる。(JW初代会長ラッセルと同じやりかた)
3)教会に聖書の勉強をするサークル活動があるので出たい人は参加する。
4)その時に牧師や神父にいろいろ質問する。ただし、その時に牧師や神父からすぐに答えが出るとは限らない。(牧師や神父もそのテーマを考え出すから)
5)それ以外にもいろいろな本を読んで、信者が自分の頭で考えて、信者一人一人が自分なりの聖書解釈をする。
6)その理由は、JWは神→組織→信者の関係だが、キリスト教は神→信者の関係だから。
結論:聖書解釈の基本ラインは同じでも、詳細になると一人一人がバラバラ。
注:聖書の勉強量はエホバの証人の方がはるかに多い。常時神学校の生徒並の勉強をしているので、末端キリスト教徒の勉強量の少なさにあきれてしまうエホバの証人が多い。
・エホバの証人
1)最終目的は、もうすぐ来るハルマゲドンを通過して楽園に行き、永遠の生命という不老不死を手に入れるのが目的で、自分が死にたくないから信仰する宗教。
2)自分が努力して「不老不死」になった時が救われた時。努力を止めるとエホバ神に滅ぼされてしまうので、死にたくないから毎日頑張る。
3)エホバ神のみ唯一の神と信じる。イエス・キリストは神ではなく神の子。三位一体は間違い。JWだけが正しい。他の宗教は全て悪魔サタンに支配されていてハルマゲドンでエホバ神に滅ぼされる。
4)最初の人類であるアダムとエバが作り出した人間の原罪を、イエス・キリストが犠牲となって死んでくれたおかげでエホバ神は許してくれたけれど、それだけでは全然足りなかったから相変わらず人間は苦しまなければならない。その取り残しの罪を、自分と身内だけが許されるために毎日頑張る。そして救われる身内を少しでも増やすために毎日頑張る。
5)エホバ神に滅ぼされて死にたくないから、明日のために今を犠牲にする。今を我慢して、組織の指示に忠実に従い、自分が生き残るために一生懸命頑張る。
6)頑張ったからと言って不老不死になれる保証は無いが、頑張らない場合は不老不死になれない事だけははっきりしているので毎日頑張る。
7)エホバ神に滅ぼされて死にたくないから頑張る宗教であり、、努力したご褒美である「不老不死」をエホバ神に求める、究極の現世御利益宗教。
・キリスト教徒
1)最終目的は無い。毎日の生活でイエス・キリストに救われたと感じれて、信じない時に比べて、いつも自分の心がほっと出来るから信仰する宗教。
2)イエス・キリストを神と信じる。三位一体は10世紀位かかった議論の末の人間の解釈なので、そんなややこしい学問は牧師や神父に全部お任せして、とりあえずイメージしやすいイエス・キリストだけを神と信じる。
3)イエス・キリストの存在を信じ、イエス・キリストに自分の全てを委ねることによって、自分の心の悩みや苦しみが救われたと感じることが出来る。
4)真面目にやりたければ真面目に信仰すればいいし、不真面目にやりたければ不真面目に信仰してもいい。不真面目でも神は平等に心を癒してくれる。
5)頑張らない宗教であり、頑張らなくても心が癒される理解不能な宗教。
【エホバの証人の王国会館の存在理由】
義務教育の私立学校で緊急時の避難所という位置づけ。
軍隊がPX(商店)から食事から風呂から床屋から歯医者まで全部持ってるのは、自国が大混乱になって社会システムが完全に機能しなくなった非常時のために、自分たちだけの世界で全部自己完結するようにしておかないと、いざという時に役に立たなくなるから。
JWもハルマゲドンが来た後で自分たちだけが生き残る唯一の組織なわけだから自己完結しているミニ国家宗教と言える。JWも規模は小さいけれどアメリカのペンシルバニアに農場を持っている。教理的に人類が滅んだ後に自分たちだけが生き残る宗教は、自分たちだけの設備で自己完結しなけりゃならない。(実際には全然そうなっていないが、JWの教理を組み立てればそうなる)
JW組織は神によって選ばれた唯一の組織なわけだから、世界中どの王国会館でも同じ事を教えているのが原則なので、キリスト教会のように信者が教会を自由に渡り歩くことは許されていない。会衆を移るには引っ越しや転勤など、それなりの大義名分が必要。
なのでキリスト教会が補習や進学のための塾だとしたら、JWは義務教育の小中学校の位置づけになる。そして牧師や神父が塾の先生だとしたら、長老はうるさい教頭とか風紀委員の先生になり、日本全国の学校を管理する文部科学省は統治体になる。
だからキリスト教会のように礼拝で心が癒されたら金を出せというシステムではなく、「信者は王国会館という義務教育の私立学校に通学しているんだから、おめーらの心が癒されようが癒されまいが俺達には全然関係ないからちゃんと授業料を払え。職員室の海老名ベテルの連中は食わなけりゃ生きていけないんだし、この建物は組織の所有物だから維持管理の費用がかかる。
それに王国会館はハルマゲドンが来た時の避難所になるんだから核シェルターとしての意味もある。核シェルターは自分の会衆だけでいいと思ってるのか。世界中の王国会館に核シェルターは必要だろうが、だから自分の会衆のためと、世界中のJW信者のために寄付しろ。キリスト教会みたいに収入の1割なんてけちな決まりはないからいくらでも自由に寄付していいぞ」という意味で献金の時間がなくて常設の寄付箱が置いてある。
【キリスト教の教会の存在理由】
教会は社会の一部という位置づけ。
現在のような高度情報化産業時代以前の中世の時代を想像すると理解しやすいが、農家が食料を作り、商人がそれを運び、都市生活者がそれを食べ、対価として工業製品を商人に売り、それを商人が農家に運ぶ。
誰かが欲しいと思うものを誰かが提供して(製造者)、その仲立ちをしている誰かが運ぶ手間と在庫を抱えるリスクのために上前をはねて(流通)、それを手に入れたい誰かが納得できる対価を払って(消費者)、対価が製造者に戻ることによって価値が社会を循環して3者がとりあえず満足するのが人間の世界。
しかしそれはあくまでも肉体的な満足であって、精神的な充足感とか心の癒しはどこにもない。そのために必要なのが精神的な癒しの場である教会という位置づけ。
要はハードウェア社会に不可欠なソフトウェアが教会という意味。教会は社会構造の中で必要とされている目に見えない対価を提供する場所で、農家,商人,都市生活者の3者に精神的な満足感とか癒しを提供する場所。
なので「この礼拝でおめーらの心が癒されたのなら金を出せ。俺達も食わなけりゃ生きていけないんだし、この建物はみんなの共有物だから維持管理の費用がかかる。貧乏人は無理しなくていいから収入の1割を上限に出来る範囲で献金しろ」という意味で礼拝の時に献金のプログラムがある。(カトリックは誰がいくら出したか一目瞭然のむき出しのお盆が回り、プロテスタントはいくら入れたか他人に見えないように献金袋とか献金手桶が回る)
逆に言えば牧師や神父の話が下手くそで、その礼拝で精神的な満足感が得られなかったら金を出さなくてもよい。
キリスト教では神と人間は直接的な個人関係で、牧師や神父はその支えをする塾の先生のような存在なのだから、塾の先生の教え方が下手くそなら塾を換える権利は信者側にある。
要するに教会とは世の中の自由競争社会に組み込まれているわけで、教会は自分が生きていくために教会側が努力をしなけりゃならない。なので使えない牧師や神父は指導しても無駄なら稼げないから外される。
キリスト教会は地元密着の個人商店のようなものだから、世界中のどこの王国会館に行っても同じ教科書で教えるJWと違い、世界中で同じ教科書を使って同じテーマの説教を行う教会はどこにもない。(世界共通のカトリックですら神父の裁量権をそれなりに認めている)
キリスト教会は、対仏教,対神道,対統一教会,対キリスト教会など、その教会教会によって地元に合った得意分野がある。対JWの教会は少数だから自分に合った教会を気長に足で探すしかない。
なので一般人がキリスト教会に行くときは、何軒も何軒も教会をまわって自分の性格に合う教会を探す。これがキリスト教会の正しい通い方。
参考情報:
エホバの証人伝道に携わっている団体・教会・個人
じゅういち じふ― 【什一】
(1)十分の一。一割。
(2)井田(せいでん)法で徴収する租税。転じて、土地にかける税。
三省堂提供「大辞林 第二版」より
【JWの「什一」の意味】
寄付も布教時間も何もかも全部ひっくるめて全部エホバ神にささげろという意味
*** ものみの塔 88 7/1 11 「感謝を抱いていることを示しなさい」 ***
14 什一とは,十分の一という一定量を与えることを意味していました。そこには自由選択の余地はありませんでした。同様に今日でも,エホバのすべての僕たちに課せられた明確な命令があり,これにも自由選択の余地はありません。定期的に集まり合い,エホバの王国に関する良いたよりを公に宣べ伝え,キリストの弟子となるよう他の人々を助けなければなりません。―ヘブライ 10:24,25。 マタイ 24:14; 28:19,20。*** 王国宣教 93/6 3 1993年「神の教え」地域大会から十分の益を得る ***
7 イスラエルでは,エホバの崇拝の場所を物質面で支えることも什一に含まれていました。什一は今日,エホバに奉仕したり,王国の業を支えたりするため直接用いる時間やエネルギーや資産を表わしています。什一には集会や大会で過ごす時間,また集会場の維持や清掃のために費やす時間も含まれます。「神の教え」地域大会では,エホバの霊的な倉に什一全体を携え入れる数多くの機会があるでしょう。
JWの正しい什一とは、聖書のマルコ12章に出てくる「貧しいやもめ」の精神。貧しいのにあるだけ全部寄付したやもめの行為が一番正しい什一とされている。(金持ちも貧乏人も持っているものを全部神と組織にささげろということ)
*** 新世界訳聖書 マルコ 12:41-44 ***
41 それから[イエス]は宝物庫の箱の見えるところに座り,群衆が宝物庫の箱の中にお金を入れる様子を見守っておられた。すると,大勢の富んだ人たちがたくさんの硬貨を入れていた。42 そこへ,ひとりの貧しいやもめがやって来て,小さな硬貨二つを入れた。それは価のごくわずかなものである。43 すると[イエス]は弟子たちを自分のもとに呼んでこう言われた。「あなた方に真実に言いますが,この貧しいやもめは,宝物庫の箱にお金を入れているあの人たち全部よりたくさん入れたのです。44 彼らはみな自分の余っている中から入れましたが,彼女は,その乏しい中から,自分の持つもの全部,その暮らしのもとをそっくり入れたからです」。*** 王国宣教 97/8 3 神権宣教学校の復習 ***
質問:貧しいやもめの寄付についてイエスが示した反応から,どんな貴重な教訓が学べますか。(マル 12:42-44)[週ごとの聖書朗読。塔87 12/1 29ページ6節-30ページ1節参照。]回答: わたしたちは皆,物質的な寄付によって真の崇拝を支持する特権を持っているが,神の目に本当に貴いのは,自分にとって,なくても良いものをささげることではなく,自分にとって貴重なものをささげることである。
【キリスト教会の「什一」の意味】
イエス・キリストに対する信仰表明として、収入の十分の一を上限として教会に金を献金しろという意味。
献金の種類(教会によって呼称は異なる)
・月定献金(什一献金)
月毎に収入の十分の一献金する。
・礼拝献金
礼拝・集会での献金。
・感謝献金
祝節献金 バプテスマ,伝道会,誕生,就職,結婚,昇天 etc
指定献金 献金者が用途を指定する献金
特別献金 会堂建築,災害救済,神学生援助 etc
JW組織は、キリスト教会の「什一献金」というシステムを盛んに集会で取り上げて、「キリスト教会には什一献金という寄付を強要するあくどい教理があるからあくどい宗教だ。JWには什一献金という決まりがないから清い、私たちは金に清い宗教だ」と主張している。
*** ものみの塔 92 12/1 15 『十分の一をことごとく倉に携え入れよ』 ***
什一に関してはどうでしょうか。キリスト教世界の一部の教会で行なわれているように,クリスチャンは自分の物質的な収入の十分の一を取り分けておき,それをエホバの組織にささげなければならないのでしょうか。いいえ,そのようなことは要求されていません。クリスチャンがそのような規範を守るべきであるとする聖句はありません。*** ものみの塔 95 3/15 25「パリサイ人とサドカイ人のパン種に気を付けなさい」***
パリサイ人,またはペルーシームは,「取り分けられた者」を意味していたようです。パリサイ人は自らをモーセの追随者とみなしていました。彼らは独自の連盟,つまり兄弟団(ヘブライ語,ハブーラー)を組織しました。その会員になるには,同団体の3人の成員の前で,レビ人の浄さを厳守し,アム・ハーアーレツ(無学な大衆)との親 交を避け,什一をきちょうめんに支払うことを誓約しなければなりませんでした。
せんれい【洗礼】
(1)キリスト教入信の儀式。浸水(身体を水に浸す)または灌水(頭部に水を注ぐ)や滴礼(頭部に手で水滴をつける)によって、新しい信仰生活に生きることを象徴する。バプテスマ。
(2)ある分野や社会に入るために経験しなければならないこと。
(3)初めての大きな、また特異な経験。「砲火の洗礼を受ける」
三省堂提供「大辞林 第二版」より
【JWのバプテスマを受けた兄弟姉妹】
1)「什一」という教理があるので、常に寄付することを求められている。収入の1割までという寄付制限はない。無制限に寄付できる。
2)寄付は兄弟姉妹の義務。
3)常設の寄付箱が3種類ある。
・自分の会衆用,世界のJW信者用,布教活動のために仕入れた書籍代金用
4)キリスト教会の「什一献金」を批判するのがJWの基本教理なので、寄付をしなくても建て前上は誰も文句を言えない。
5)布教活動が兄弟姉妹の義務なので布教活動をしないと必ず文句を言われる。
【キリスト教会の洗礼を受けた信者】
1)「什一献金」という教理があるので、常に収入の1割を献金する事を求められている。
2)献金は洗礼を受けた信者の義務。
3)礼拝中に献金のプログラムがある。
・献金の時間には、むき出しのお盆(カトリック)か、いくら入れたのか絶対にわからないようにした献金袋や献金手桶(プロテスタント)が信者の間を回る。
4)献金強制は教会しだい教派しだい。
5)布教活動をするのはJWの長老にあたる牧師や神父の仕事なので、希望者以外は布教活動をしなくてよい。
【ちゃんとお金を払う人】
・JWの「什一」には寄付の上限がないので、いくら寄付しても精神的に安心できない。なので他人がいくら寄付したのか常に気になる。会衆の寄付の最新相場はいくらなのか常に注意を払わなければならないので他人の財布が気になる。他人の行動が気になる。究極の相互監視社会。
・キリスト教会の「什一」は収入の1割さえ献金すれば自分の義務は果たしたので他人がいくら献金しようが自分には全然関係ない。なので他人の財布に興味がない。他人の行動に興味がない。
【ちゃんとお金を払わない人】
・JWは究極の相互監視社会なので、誰かが誰かの行動を必ずチェックしていて、ちゃんと寄付しない人は周りの誰かに嫌みを言われる。
・キリスト教会は個人の献金金額を詳細に掲示板に張り出す教会もあれば、いくら献金したのか絶対にわからない教会もある。献金のシステムは教会ごと教派ごとに全然違う。
まとめ
・JW:現金を寄付し可能な限り布教活動をするのが信者の義務。両方とも不可欠。布教活動が主で寄付は従。寄付の限度は一切無し。自分の全てを神と組織に捧げる。
・キリスト教会:現金を献金するのが信者の義務。献金の限度は収入の1割まで。
※全てのエホバの証人は、神と組織に感謝の気持ちがあるなら「貧しいやもめ」のように行動することが必要。自分に感謝の気持ちや信仰があることをまわりの信者にちゃんと見せなくてはならない。お金がある人はお金、お金がなければ開拓奉仕。それ以外にも建設奉仕とかいろいろあるので、会衆の人達に自分に神と組織に対する感謝の気持ちがあることをちゃんと納得してもらうために常に何かをがんばらなくてはならない。
※そうしないとやる気がないと判断され、やがて白い目で見られるようになり、いじめられる事もある
意見
私が思うに、什一献金の本来の意味は「金持ちも貧乏人も収入の十分の一以上を教会に献金するな」という寄付制限のはずである。
人間は誰しも見栄がある。他人がいくら寄付したのか気になるのが普通である。もし信仰が寄付の金額に直結してしまうと、金持ちだけが救われて、貧乏人は救われないということになってしまう。それを打破したのが貧乏人の救いの主、イエス・キリストなのだから、「金持ちも貧乏人も収入の1割以上は寄付しなくて良い、それで充分だ」という決まりのはず。
しかし教会側も自分たちの教会を運営するために什一献金の教えで盛んに信者達にプレッシャーをかけるので、什一献金本来の話がねじ曲がって伝わるのはしかたがないと思う。(金にうだうだうるさい教会ならさっさと見切りをつけて別の教会に移るべき)
日本には昔から喜捨という仏教の考え方があるから、余ったお金を無理しない範囲で寺や神社に寄付するという考え方が自然に身に付いているので、什一献金という強制献金思想に感情的な反発を感じてしまうが、世界は広いからラテン系民族に什一献金の制限がなかったら、収入の全部を教会に寄付してしまって破産したり餓死する人が出てくるのではないか。本来の什一献金にはそういう意味があるのではないかと思う。
きしゃ【喜捨】
(名)スル 進んで金銭や物品を寺社や困っている人に差し出すこと。「浄財を喜捨する」
三省堂提供「大辞林 第二版」より
■ものみの塔協会の見解
*** ものみの塔 91 12/1 31 どうすればエホバにお返しできますか ***
エホバの民はすべてをエホバにささげているので,真の崇拝を支えるために金銭的な寄付や他の形の寄付を喜んで行ないます。(コリント第二 8:12と比較してください。)事実,クリスチャンがするような寄付の仕方は,エホバの崇拝に関する深い認識を表わす機会となります。これには什一,もしくは十分の一という制限はありません。ですから,状況によっては,王国の関心事を推し進めるためにもっとたくさん寄付しようという気持ちになることもあるかもしれません。―マタイ 6:33。*** ものみの塔 97 11/1 27-8 『あなたの貴重なものをもってエホバを敬いなさい』―どのように? ***
今日の「自発的な捧げ物」
今日どうすれば,自発的な捧げ物をする喜びにあずかれるでしょうか。現在世界中で進行している最も重要な業は,王国を宣べ伝えて弟子を作る業です。(マタイ 24:14; 28:19,20。使徒 1:8)エホバは,王国の地上の関心事をご自分の証人たちに委ねることをよしとされました。―イザヤ 43:10。エホバの証人が今日行なっている業を賄うために金銭が必要であることは明らかです。王国会館,大会ホール,支部事務所,工場,ベテル・ホームの建設や維持には,お金がかかります。聖書や聖書に基づく出版物をさまざまな言語で出版し,配布するにも費用がかかります。こうした組織上の支出はどのように賄われるのでしょうか。全くの自発的な寄付によってです。
寄付の大部分は,イエスの目に留まったやもめのような,資金のごく限られた人々からのものです。それらの人は,エホバを敬うこの面にあずかり損なうようなことはしたくないので,「彼らの実際の能力に応じて」,時には「実際の能力以上」のことをして少額の寄付をしています。―コリント第二 8:3,4。
使徒パウロはコリントのクリスチャンに,「各自いやいやながらでも,強いられてでもなく,ただその心に決めたとおりに行ないなさい。神は快く与える人を愛されるのです」と述べました。(コリント第二 9:7)快く与えるには,よく計画することが必要です。パウロはコリント人にこう述べました。「週の初めの日ごとに,各自その都合がつくところに応じて,幾らかを別にして自分の家に蓄えておき,わたしが到着したその時になって募金を行なうことのないようにしなさい」。(コリント第一 16:2)同じように,今日,王国の業の促進のために寄付をしたいと願っている人たちは,収入の一部をその目的のために個人として自発的に取り分けておくことができます。
「自発的に」という言葉を使った詭弁
寄付も献金も個人が自発的にするもの。JWだけがやっているわけではない当たり前の事を、わざと「自発的に」と表現して他宗教との差別化を図り、キリスト教会や他の宗教団体は腐っていて、JWだけが清いとイメージさせるための詭弁。
※『時には「実際の能力以上」のことをして少額の寄付をしています。』これは、大金持ちから見ればたいした事がない小額の現金を、貧乏人は全力をあげて支払えという意味。ものみの塔協会は貧乏人に自分の生活を破綻させろと言っている。
こういうのを信者に対する「計画的な寄付の強制」と言う。ものみの塔協会は「キリスト教会が礼拝の時間に献金盆や献金袋を信者の間に回して寄付を強制している」と批判する資格はない。
■キリスト教会の見解
什一献金について"ぐーぐる"で検索かけて調べてみたけど、キリスト教会は教会ごとに見解がバラバラだから、どれが正しい什一献金の解釈なのかさっぱりわからない。検索をかけてこれが一番納得できる意見だったから紹介。
書いているのは、大阪の教会の牧師さん。
牧師をしていて、よく言われることは、「牧師さん、教会に行ったら献金を払わないかんのでしょう?。」今日、いろんな宗教団体が、信者から多額のお布施を搾り取っているでしょう。医者からも見放され、何とか神にすがってでも癒されたい。どんなにお金が必要でもいい。そしてお金をむしりとられて、癒されないまま絶望に陥る。そのようなかわいそうな人々は沢山おられます。もし、献げるお金が多ければ多いほど、病が癒され問題が解決されるのであれば、それこそ、信仰の世界も金次第となってきます。それが現実に起こっているんです。
さて、キリスト教会はどうでしょうか。献金というものはそもそも、自ら神様に感謝して、喜んで献げるものです。ですから、極端に言えば、気持ちが無ければ一銭も献金しなくていいわけです。クリスチャンの皆様、そしてこれから教会に行ってみようかと思われている方々にお勧めしたいのですが。もし教会で、牧師が講壇から献金ばっかり勧めるようであったら、その教会を去った方がいいです。そして別の教会に行きなさい。世の中いろんな教会がありますから。
勿論、献金が無ければ教会は維持できません。牧師も食べていけないでしょう。また、それぞれの教会によって、献金にも種類があります。「什一献金」(収入の十分の一)・「週定献金」・「月定献金」・「感謝献金」・「イースター献金」・「感謝祭献金」・「クリスマス献金」・「建築献金」・・・・・・・・・まだ他にいくらでもございます。洗礼(キリスト教の信仰告白の儀式・バプテスマとも言う)を受けたならば、強制的に什一献金を命じる教会もあります。
今、上にあげた献金のほとんどは、教会が長い歴史の中で人間が定めたものなのです。教会の伝統と規律は、神様が定めたものではなく、人間が勝手に決めたものです。聖書はそんな事書いていないのです。あくまでも、聖書が基本と なるべきです。
人は時に間違いを犯します。しかし、聖書に間違いはありません。ある人は反論すると思います。什一献金は聖書的であり、イエス様も肯定している、と。旧約聖書に登場する什一献金は、そのほかの沢山の律法と共に、イエス・キリストの十字架によって成就されたものなのです。それゆえに、あなたは律法に定められた祭りの日に、エルサレムに行って子羊を捧げなくてもよくなったのです。安息日(土)に仕事をしても罪とはならなくなったのです。あなたがイエス・キリストへの信仰を持つだけで、あなたはすべての律法を守っている者とされているのです。
さて、「献金すれば祝福されます。」と、私達は耳にタコが出来るほど聞かされてきました。私は今、ハッキリと宣言したい。それは献げる者の自己満足である、と。もし「〜〜すれば、神様が〜〜してくださる」という公式が成り立つならば、それこそ律法主義となります。私達が献金するのは、イエス様に感謝するから献金するのです。祝福が欲しいから献金する事は間違いです。あなたに感謝の気持ちが無いなら、別に献げる必要はありません。教会によっては、献金の種類・名前・金額まで、週報に載せ掲示板に張っているところもあります。献金はあくまで匿名の類のものです。神様が知っていたらいいんですから。なぜ人々に見せびらかすんですか。イエス様は、私達の上辺など見られません。心の内側を見つめておられるのです。どうぞあなたが献金をされるのであれば、心をこめてされますように。
私自身、聖書に出てくるパウロという人物が大好きです。教会の指導者達は、みなの献金によって、その生活は支えられていました。ところがパウロだけはそれを拒んだのです。そしてテント職人として、自らテントを縫う仕事をしながら生計を支え、伝道したのです。小さな教会の牧師先生方、教会の献金だけで生活できないなら、アルバイトしたらいいです。私自身、小さな教会ですから、献金だけでは食べて行けません。ですから、結婚式の司式という副業をしております。これがまた、私にピッタリの仕事なんです。一日中教会にいて一体、何人新しい人が尋ねてきますか?「十字架を見てきました」なんて年に数回あればいい方です。
ところが、結婚式に参加する人のほとんどはノンクリスチャンです。そこで思い存分メッセージを語らせてもらう。だれも途中で逃げたりしません。みなおとなしく聞いていてくださるんです。おまけに謝礼までもらえる。伝道の種を豊かに蒔けるんです。牧師として、こんな楽しいお仕事ありませんよ、ホント。数えれば約1300組のカップルの司式をさせて頂きました。平均20名の出席としても、26,000人の人々に伝道できたわけです。驚くべき数字でしょう。また、新郎新婦の新居の住所を聞いておりますので、一番近い教会を紹介しております。後のフォローも非常に大切です。
最後に。いまだに「祝福されるから、献金しなさい。」と講壇で語ってらっしゃる牧師先生方。「聖書にたって、そんなこと言うのもうやめなさい!!」
献金は個人の自由です。自由意志に基づいて献げる者を主は喜ばれるのです。
イエス・キリストはあなたを愛しておられます。
情報ソース:メッセージ11
「信仰がないとバプテスマで沈まない」という教理を作ったのは、1970年に東京競輪場(現東京ドーム)で行われた大会で、東京に住む当時中学3年生の2世が冗談で言い出し、1972年に東京競輪場で行われた全国大会の会場で私たち2世の子供達が作戦を立て、手分けして大会会場の各場所で意識的に広めた冗談。
1972年の全国大会の会場で、言い出しっぺの高2と中2の私と小6までの2世6人位で協力しあって大会会場の各場所で意識的に広めたのがきっかけで全国的に普及した。最初は嘘を言うことを禁止された2世の子供に許されたささやかな冗談だったが、いつの間にか日本全国の教理になった。
さらにその冗談を、それまでそんなことを一切言われていなかった北海道方面に広めた最初の犯人は私。
当時の東京の大会の時のバプテスマ希望者は200〜300人位いて、バプテスマの時に怖がってちゃんと息を吐かない人が多く、肺に浮力が残った状態で沈めるために信者を沈めるバプテスマ係が疲れてしまうため、バプテスマ希望者の列の整理をするバプテスマ会場の場内整理係だった私を含む当時の2世の子供達が作戦を立てて意識的に言い出した。
その日、バプテスマ会場の場内整理係だった私たち2世の子供達の仕事は「バプテスマの時はちゃんと息を全部吐いてください」と並んでいる人たちに言うのが仕事だったが、隣同士でお喋りをしていて人の話を全然聞いていないのと、バプテスマの儀式の時に怖がってちゃんと息を吐かない人が多く、バプテスマ係が疲労困憊してしまい、バプテスマの儀式を管理する役目の兄弟が業を煮やして、「お前達はちゃんと大きな声でバプテスマを受けるために並んでいる人たちに何回も何回も説明しろ!お前達場内整理係は真面目に場内整理の仕事をしろ!」とまで言われてしまい、頭に来た私たち2世の子供達が話し合って、「バプテスマの時にちゃんと沈まないのは信仰がない証拠で〜す! 信仰がない人はバプテスマで沈みませ〜ん! エホバ神はちゃんと見ておられま〜す!バプテスマの時はちゃんと息を全部吐いてくださ〜い! 皆さんお願いしま〜す!」と言い出したらみんな真面目に息を吐くようになり、それからこの冗談がバプテスマの儀式の時に定着した。
それをきっかけに大会の休憩時間になると「バプテスマの時にちゃんと沈まない人は信仰がない証拠なんだよ。君が将来バプテスマ受ける時は大丈夫?君は信仰が危なさそうだから沈まないんじゃないの?」などと2世の子供達が言い広めたせいで日本全国に広がった。
「信仰がないとバプテスマで沈まない」という教理のせいでパプテスマを失敗してJWを辞めた信者がいると聞いてショックを受けたのは私。バプテスマ会場の場内整理係だった当時の2世の子供達が勝手に作った冗談なのに、なんでそれが教理になるの? 聖書にそんなこと書いてないじゃん。
■現役信者への注意事項:
「口は災いの元」「物言えば唇寒し秋の空」「唇破れて歯寒し」この諺をお忘れなく。ここで知った内容を会衆内で公然と言うと。長老団から第2会場に呼び出されて長時間のお説教をされます。それで悔い改めない場合は「分派活動」をしていると判断されて審理委員会にかけられて「背教」で「排斥」されます。
王様が裸でも王様と王様の家来に本当の事を言ってはいけません。
■「昼寝するぶた」という名前について
この名前に特に意味はありません。しいて言えば私のこだわりです。
1995年頃まではエホバの証人2世というのは社会的に存在しないのと同じでした。過去に、大泉実成氏の書いた「説得」という、1985年6月に神奈川県川崎市で起きたエホバの証人の子供の輸血拒否による死亡事件の内幕を書いたドキュメンタリー本の後半で、2世信者の日常生活が詳細に画かれていましたが、2世の存在が世に出たのはそれっきりで、エホバの証人2世の存在というのは誰も注目しないし、世の中に存在しないも同然でした。
それが1997年頃に「エホバの証人の子供達のホームページ」というのが出来てから状況が変わります。
JW2世問題を直接扱ったホームページが出来、それまで社会的には存在しない元2世達が掲示板に集まってきて発言し出したのですが、当時は今のように誰でも簡単に掲示板を立ち上げれる時代ではありませんでしたので管理人になるには相当の覚悟が必要で、それなりのネット知識、プラス、投稿者の法律論を盾にした屁理屈なクレームを論破出来る議論術や「管理人を裁判で訴える!」と言われてもめげない心臓の強さが必要とされていました。(あの時代に個人でHPを立ち上げて掲示板の管理人が出来た秋本さんはマジで凄いと思います。
そのため発言する場を求めている人の数に対して掲示板の数はあまりにも少なく、当時「2世の掲示板」と呼ばれていたその掲示板には、癒されたい系と議論したがり系の、現役1世2世と、元1世2世と、家族が信者の未信者と、JW擁護派と、キリスト教徒と、全然関係ない部外者達が混在していて、一つの掲示板でその人達が掲示板の流れをぶった切るように入り乱れて発言するので、ちょっとしたきっかけで掲示板が大混乱してしまい、そのたびに若い元2世達の心が傷ついていました。(当時は2ちゃんねるが無い時代ですから、今の2ちゃんねらーのような叩かれても叩かれても凹まない心臓の強さは求められていません)
それを見かねた40代の私と30代の2世男女の常連の3人で、「エホバの証人の子供達のホームページ」の管理者であり、『わらび書房刊 エホバの証人の子供たち』の著者でもある秋本引毅氏に、掲示板を増設しろ!とゴネにゴネて、掲示板増設に乗り気じゃなかった秋本さんを口説き落とす形で、「2世専用、陽のあたる場所」という掲示板が誕生します。(「陽のあたる場所」という名前は、Misia(ミーシャ)の陽のあたる場所という曲のイメージから来ています)
そして言い出しっぺの30代の元2世の男女2人が掲示板の管理人となり、40代オヤジの私は2人に頼まれて後見人という立場になりますが、日本初のJW2世専用掲示板の運営に燃える2人はとにかく頑固で、「自分が納得したいから、石橋を叩いてからじゃないと絶対に渡らない」女性管理者と、「理想優先なので、石橋をたたき壊してでも渡らない時は渡らない」男性管理者という頑固な2人の性格。
しかも女性は、「文字通信なんだからしっかりじっくり納得するまで時間をかけて考えてからメールで連絡」主義で、男性は「掲示板が大好きなんだけど、メールを書くのが苦手でなので手っ取り早く電話で連絡」主義なので、お互いの意見調整が大変で、(緊急を要するときに女性管理人の決断が遅いので男性管理人がぶち切れて暴言することがたまにある→暴言にショックを受けた女性管理人はますますメールでの連絡にこだわる)後見人の私が2人の調整役となり、「管理人連絡用掲示板 陽のあたるぶた」を作りますが、たった3人だけでは連絡用掲示板が動かないのと、掲示板運営について第三者的な意見も聞きたいので、「2世の掲示板」の信頼できる常連数名をメンバーとして迎えて、掲示板運営を開始します。
「陽のあたるぶた」という名前は「陽のあたる場所」に対する言葉あそびで、「どこか陽のあたる場所で子豚がのんびり寝っ転がってるみたいに掲示板がいつも平和で何も問題が起きなければいいなぁ・・・」というのんきなイメージから来ているんですが、現実は逆で、毎週毎週あれやこれやで掲示板が大混乱、連絡用掲示板も管理人2人の意見調整のために大騒ぎでした。
また、ぶたのイラストは、この時にメンバーだった「元彼がJW2だった一般人」の女の子にかいてもらいました。
運営を開始した「2世専用掲示板、陽のあたる場所」では、それまでは自分の心の弱さを表に出すと、必ず出てくる、心ないつっこみ発言が怖くて言いたいことが言えなかった元2世達が、2世専用掲示板のおかげで安心してトラウマの話題を展開するようになったので、掲示板増設は大成功で目的は完全に達成されたんですが、
開設わずか1ヶ月目にして元2世達のトラウマ話を受け止めきれなくなった女性管理人が精神的にダウンしてしまい、いきなり管理人を引退します。
そしたら1人になった男性管理人も、結局元2世のトラウマ話を受け止めきれず、掲示板開設4ヶ月目に精神的に病気になってしまい、これまたダウンしてしまって掲示板は管理人不在になってしまいます。
しかたがないから後見人の私が管理人が回復するまでのつなぎとして、一時的に影の管理人となって掲示板の流れを調整していましたが、ごねにごねて掲示板を無理矢理増設させて、開設わずか4ヶ月で管理人不在になるという異常事態は、「エホバの証人の子供達のホームページ」所有者である秋本さんの意に合わず、結局私も2ヶ月で手を引くことになり、以後は秋本さんが掲示板管理を引き継ぎ、現在に至ります。
そういういろいろなごたごたがあって掲示板開設6ヶ月目にして「陽のあたる場所」掲示板から手を引くことになったので、私の所有する「管理人連絡用 陽のあたるぶた掲示板」は、名前がまぎらわしいので、「会員制パスワード入室式掲示板 昼寝するぶた」と名前を変えて運営を続けますが、これまたよくあるメンバーの暴言をきっかけにしたごたごたで、これもわずか1年半ほどで閉鎖になります。
当時は掲示板管理者としてのノウハウが何もありませんでしたから掲示板運営は試行錯誤の連続でした。(でもそのおかげで今は掲示板で何があっても余裕で対処できます。無駄な苦労はしておくもんです)
その後私がホームページを開設するわけですが、私としてはいろいろないきさつがあって閉鎖することになった「昼寝するぶた」という名前に思い入れがあるので、その名前でホームページを作ろう思って2年近く案を練り、2002年2月にホームページ「昼寝するぶた」を開設し現在に至ります。
というわけで、「昼寝するぶた」という名前に意味は全然ありません(^^)
エホ症用語の基礎知識、おわり
■■■■■ ここから先は意味無しですからお暇な人だけどうぞ ■■■■■
世界のコンピューターの発展事情から見た各宗教の相互関係。
コンピューターと言うものが世の中に存在する前の時代に、2進法の神である電脳の神エホバが存在していた。電脳の神エホバは地球上での初めて創造物と して、人類初のコンピューター ENIAC(楽園)を作った。
これは巨大な建物のようなコンピューターで、14万4000本の真空管を使う原始 的なデジタル計算機なので、常に管理者が管理していないとすぐに真空管が切れてしまって動かなくなるため、電脳の神エホバは試作コンピューターの保守 作業を「御使い」という保守グループに任せ、西暦前4026年に楽園の常駐管理人としてアダムとエバという2人の男女を雇う。
ENIAC(楽園)は常時14万4000本の真空管によって熱を発しているので、楽園内でアダムとエバはいつも裸で生活していた。ある日、保守グループのサタンという保守者が、修理用の特殊工具「蛇」を使ってエバをだまし、エバはアダムを説得して、ENIAC(楽園)の心臓部の「知恵の実」という真空管を抜いてしまう。
これによりENIAC(楽園)は致命的なダメージを受け、怒った電脳の神エホバは、常駐管理人のアダムとエバを ENIAC(楽園)から追い出してしまう。さら保守グループ「御使い」の一人であるサタンも首にして、楽園を閉鎖した。その後、「御使い警備社」のケルビムというガードマンに楽園の建物を管理させた。
紀元前
4026年 最初の人類、アダムとエバが、数週間のずれで同時期に誕生する(過去のJWの主張)
3000頃 バビロニヤで算盤(アバカス)を発明
1600頃 最古の数学書、”リンドのパピルス”著される
50頃 ローマに算盤(アバカス)が伝わる
西暦
700頃 インドで”0”が発見される
1200頃 アラビア数字がヨーロッパに伝わる
1500頃 ダビンチ計算装置を設計
1643 パスカル機械式加算機を開発
1673 ライプニッツ、加算・乗算用計算機を開発
1928 IBM、80桁のパンチカードを採用
1946 ペンシルベニヤ大、モークリ、エッカート、世界初のコンピュータENIACを完成
※世界最初のコンピューター ENIAC(エニアック)
世界最初のコンピューターエニアックは、第2次大戦中のヨーロッパ戦線とアフリカ戦線で砲弾の弾道計算を素早くできる機械を必要としていたアメリカ陸軍の資金援助を受けて作られ。1946年にアメリカのフィラデルフィア市の郊外にある米陸軍弾道試験所で開発に成功した。真空管を18,800本も使って作られ、重さ30d、電源スイッチを入れると町全体の三分の一余りの電灯が暗くなったという。さらに当時の真空管の品質は悪く、エニアックが計算を開始すると、18,800本もある真空管は絶えずどれかが壊れてしまい、すべての真空管が1本も壊れずに動いて計算結果を出すことは大変な作業であったという。
高さ9フィートのキャビネット40個に、真空管1万8800本と何マイルもの配線が収まった装置で、消費電力174KW、重量30トンの巨大なデジタル式電子計算機。当時の手回し式計算機で20時間、微分解析機で15分かかる弾道計算をわずか30秒でこなす圧倒的な処理能力で、総開発費用は48万6804ドル也。
コンピューターは少しずつ世に広まり、世界各地で作られ、各国の独自の宗教 (電脳の神と人間の間を取り持つオペレーティングシステム、通称OS)とし て発達していく。当時の宗教の教理は羊皮紙やパピルス…じゃなくてパンチカードという紙製の細くて長い巻物に穴を開けて、一般人が読めない暗号で書いてあり、この暗号を使う宗教を、メインフレーム・コンピューターで使うプログラミング・データ、通称「フォートランやコボルのプログラム」「いつまでも終わらないバグ取り作業」と言った。
パンチカードという一般人が理解できない暗号の巻物を使った宗教の発達を見ていた電脳の神は、一般人が理解できないような宗教はよくないと考え、共通の宗教言語となるべき宗教、UNIXコードを人類にお与えになった。
人類はUNIXという、オペレーティングシステムの旧約聖書とも言える宗教を手に入れてさらに発展していくが、UNIXコードは規則がうるさく、少しでも間違えると、コンピューター本体はフリーズはしないが、コンピューターが自分の相手をしてくれなくなるので専門家以外は扱えなかった。
当時は神殿政治の時代なので、電脳の神に直接アクセス出来るのは神殿(電子計算機室)に出入り出来る神官(プログラマー)だけで、一般庶民がプログラミングを知っていても神殿に出入りするには、高価な電算機を管理する神殿の管理者、パリサイ派の電算機室管理者の許可が必要で、電脳の神と庶民をつなぐ道はどこにもなかった。
それを憂いた電脳の神は、人々のために救い主イエス・キリスト…じゃなかった、当時大学生だったビル・ゲイツという人を遣わして、8080用BASICを開発。マイクロソフト・ベーシックというそれまでにない新しい宗教(OS)を説かせた。これにより一般庶民が電脳の神に直接願い事(アクセス)ができるようになった。
さらに電脳の神はプログラミングが苦手な人々のために、マホメット…じゃなくて、スティーブ・ジョブスという人を使って、イスラム教のコーランとも言うべき新しい宗教、Apple Computer社 APPLE-1を人類にお与えになった。こ れをアップル教と言い、その信者をMAC教信者、またはマカーと言う。
その後ビル・ゲイツは何故か磔にならず、マイクロソフト・ベーシックを発展させ、聖書に出てくる過去の偉人のように活動し、オペレーティングシステム の新訳聖書とも言える、旧約聖書のUNIXを自由に解釈した新しい教理、MS-DOSを発表し人類に広く普及させた。これをマイクロソフト教と言い、その信者をDOS/V信者と言う。
当時のイスラム教であるMAC教信者とキリスト教徒のDOS/V信者はとにかく仲が悪く、さらにNEC PC98信者や富士通FM-TOWNS信者まで加わって4つどもえの十字軍の遠征…じゃなくて、シェア争いという名の宗教戦争まであった。現在は、NEC PC98は消滅してDOS/V信者に転教、FM-TOWNSも消滅してDOS/V信者に転教してしまい、アップル教だけがマイクロソフト教と争っており、科学技術の発達で劣るMAC教信者に不利な状態が続いている。
それまでのメジャーな電脳社会にはマイクロソフト教の教理MS-DOSしかなく、DR-DOSという東方正教会のような教理もあったが、DR-DOSはとかく異端視され、DR-DOSを使うと日本語のコンピューターがまともに動かないという時代が長く続いた。
マイクロソフト教の宗教であるMS-DOSの教理には「1MBの壁」という、持って生まれた構造的な欠陥があったが、それでもMS-DOSを使うしかないという、中世のカトリックのような単一教理の時代が長く続いた。
人々は1MBの壁に苦しめられつつもMS-DOSを使っていたが、ある時、『QEMM』という1MBの壁をかわすソフトが発売された、これを人々は「免罪符」と呼ん だ。QEMMはかなりの高性能だったが、扱うにはそれなりのDOSの知識が必要で、MS-DOSの賛美歌であるconfig.sysとautoexec.batという暗号の楽譜が読めて演奏できる一部の人以外は救われなかった。
人々は、ごく一部の人しか救われないQEMMの免罪符状態に怒りを持っていたが、ある時、マイクロソフト教に勤めるルターというDOS/V信者が、MS-DOSの教理の矛盾点、「1MBの壁」問題糾弾のための質問状、フローチャートをマイクロソフト本社の壁に貼り付けた。
それがきっかけでWindowsという新しい解釈が発生し、Windows3.1というそれまでにはない新しい教理が誕生した。これをプロテスタントと呼ぶ。
さらに、それまでは手書きでこつこつ聖書を書き写すように手間がかかるフロッピーディスクしかなかったのが、印刷機械で一度に何冊も聖書を印刷出来るようなCD-ROMの発達と時期が重なり、フロッピーディスク時代にはWindows3.1の新規インストールをするのにフロッピーディスクが14枚(NEC PC-98は21枚だったかな?)も必要だったのが、CD-ROM1枚で済むようになり、Windows95の発売をきっかけにプロテスタントが大ブームとなり、多くの人々が聖書…じゃなくてパソコンに親しむようになった。これをルターの宗教改革と言う。
それから少し経つと、マイクロソフト教で新しい宗教解釈が試作品として出来上がる。これはウィリアム・ミラーという牧師が開発した画期的な新解釈で、OS/2(おーえすつー)と言うWindows3.1の持つ欠陥を根本的に解消した画期的な新解釈で、多くの人がその将来性に期待したが、カーネルに組み込まれていた西暦2000年問題対策プログラム「1843年3月21日〜1844年3月21日までに必ずハルマゲドンが来る」に修正不可能な根本的欠陥があることがわかり、マイクロソフト教はOS/2の開発を断念して、新たにWindows-NT系の開発を始める。
その後、Windows95系を使う人はプロテスタント系信者と呼ばれるようになり、Windows-NT系を使う人をカトリック系信者と呼ぶようになる。Windows95系とWindows-NT系は最新の教理であるWindowsXPで正式に統合されたが、キリスト教のプロテスタントとカトリックが同じように統合されるかどうかは誰もにわからない。
捨てられたOS/2の持っている優秀性に着目したピラミッド崇拝社の初代会長ラッセルが、OS/2のライセンス権を巧妙にかわして作ったOS/2のコピー宗教であるOS-2エホバを世に送り出す。これをOS-2エホバ教と言い、その信者をJW信者と言う。
OS-2エホバ教はピラミッド崇拝社の作り出した宗教なのに、何故かJW信者達はDOS/V信者を装い、「わたしたちはマイクロソフトちゃんです」と主張するのが信者達の特徴である。
OS-2エホバはWindows95と互換性があったので発売当初は期待した人もいたが、マイクロソフト教の次世代聖書解釈であるWindows98という教理のバージョンアップが行われると、OS-2エホバ教の売りであったマイクロソフト教との互換性が少なくなり、さらにWindows98SE,WindowsME,Windows2000,WindowsXP,と、マイクロソフト教が時代の変化に合わせてバージョンアップを行うと、OS2エホバ教は完全に時代に取り残されてしまい、その後新しく出来たインターネット社会にも乗り遅れ、社会との互換性が完全になくなってしまった。
なので株式会社JWは「インターネットはポルノ映画と同じだから、賢明な人はネットに接続しません」と警告を発している。
OS-2エホバ教はウィリアム・ミラーという牧師の作った宗教解釈をベースにしているので、OS/2の欠陥ソフト「ハルマゲドン予言プログラム」も内蔵している。OS-2エホバはOS/2をコピーして作ったため、「次のハルマゲドンは、1799年,1874年,1914年,1916年,1918年,1925年,1941年,1975年,1982年,1989年,2001年,までに間違いなく必ず来ます。」と主張するのだが、それが全部はずれても、ピラミッド崇拝社はクレームを認めず「それは教理の欠陥ではなく、プログラムのバグです。人間は不完全だから間違いもあります」と、往年のCPU、ペンティアム100MHzのバグ騒ぎの時のインテルのいいわけのような対応を繰り返して現在に至る。
ちなみに私も当時、欠陥CPUのインテル・ペンティアムP100を1個タダで交換してもらっている。インテルの発行した明細書を見たらなんと10万円だった。パソコンはもう撤退してしまったGateway-P100で、本体価格が40万円の時代。全部セットで60万円もかかった。
ピラミッド崇拝社はOS-2エホバ教に社運の全てをかけているので、いまさらWindows軍団に頭を下げてWindows系ソフトの開発をするわけにも行かず、会社の方針としてWindowsに鞍替えしたのがばれると、過去にDOS/V教に転向した富士通やNECの二の舞となり、OS-2エホバの将来性を信じて付いてきた信者達が全員Windowsに寝返ってしまい、ハードディスク事業から撤退した富士通や、プリンタ事業から撤退したNECのように、ピラミッド崇拝社の解散や倒産の可能性もあるので路線変更はできない。
ピラミッド崇拝社は現在も新しい信者を増やそうと、パソコン初心者をメインターゲットにして、商品を購入したユーザーが新しいユーザーを増やすマルチ商法で信者に飛び込み営業をさせている。
さらにパソコンの事を何も知らない初心者に対して「Windowsは大いなるバビロンであり緋色の野獣に乗った娼婦であり悪魔サタンです」とか「ピラミッド崇拝社は電脳の神に選ばれた唯一の経路です」とか「自社製品以外を使ったら排斥です」とか「ピラミッド崇拝社のプログラマー集団『統治体』は電脳の神に選ばれた油そそがれた残りの者だからその判断に間違いは絶対にありません」と言い、「もし間違いがあれば、それは人間が不完全だからです」と言っている。
さらに、「もうすぐハルマゲドンが来てWindowsは全て滅ぼされる、楽園になったら電脳の神エホバの力によって、過去のWindows名作ソフトはOS-2エホバ教の互換性を持って次々に甦り、世の中はOS-2エホバ教一色になり、OS-2エホバ教の時代が永遠に続くから、それまで我慢しましょう」と言っている。
OS-2エホバ教は、19世紀のアドベンチストでミラー派のウィリアム・ミラーという牧師が作った聖書解釈を発展させた宗教だが、ピラミッド崇拝社は「ピラミッドは悪魔崇拝です」と長い間言い続け、それが嘘だとばれると今度は「聖書研究生だったラッセルが過去にピラミッドと関係があったこともありました」などと他人事のように言って、当時を知らないJW信者達を煙に巻いていたが、インターネットの普及により過去の嘘が全部ばれてしまった。この流れは誰に も止められない。
オフコンの時代(オフィスコンピューター)
1957 IBM社、科学技術計算用にFORTRANを開発
1960 ALGOL60、COBOL60を制定(パリ国際会議)
1969 AT&Tベル研究所、UNIXを開発
1969 米国防総省、核攻撃を想定したネットワークARPANET(後のインターネット)を開発
マイコンの時代(マイコンピューター)
1975 ビル・ゲイツ、8080用BASICを開発、 Micro-Soft(後のMicrosoft)社設立
1976 スティーブ・ジョブズとウォズニアックApple Computerを設立 APPLE-1を発表
1979 NEC、日本初のパソコンPC-8001を販売開始。OSはMicro-Soft BASIC
1982 NEC、PC-9801 販売開始。PC-98シリーズの始まり。OSはMicro-Soft BASIC
1982 富士通、FM−7を販売開始。OSはMicro-Soft BASIC
(これが私の最初のパソコン、CPU速度8MHz,メモリ64KB。※MBじゃなくてKB
ソフトを起動する時は毎回カセットテープレコーダでインストール作業)
パソコンの時代(パーソナルコンピューター)
1984 米国IBM社、DOS/Vの原型のPC/ATを発表
Microsoft社、MS-DOS3.0、3.1発表(パソコンで5インチFDDが使えるようになる)
Apple社、Macintoshを発売。
1987 セイコーエプソン、NEC PC-9801互換機PC-286発売、NECが著作権侵害を指摘
Apple社、MacintoshU発表 (全部揃えると200万位した。誰が買うんだ?)
1989 Intel社、CPU 486DX 16MHzを発表 (ペンティアム系CPUの原型)
1990 日本IBM社、PC/AT互換機上で動く日本語MS-DOS4.0/Vを発表 (DOS/V機の始まり)
1991 Microsoft社、OS/2 ver3.0を改名してWindowsNTに
1992 日本Microsoft社、Windows3.1を発表、急速にパソコンが普及する
富士通、それまで富士通を信じて付いてきたFM-TOWNSユーザーを全部を捨て
FMVシリーズを発売、DOS/V路線に転換する
1995 Microsoft社、Microsoft Windows 95を世界に発売
1996 日本IBM社 OS2.Warp発売
1998 Microsoft社、Microsoft Windows 98を世界に発売
1998 この頃に男性一色だったネットの世界に女性が大量進出してきて
ネットの男女格差が一気に是正される(それまでの女性は珍獣扱い)
マイクロソフト教だのピラミッド崇拝社とかいう頭の中が変な話を電波と言う。知ってると思うけどOS2.WarpはIBM社製のオペレーティング・システムです。
OS-2エホバ なんだそれ?
マイクロソフト社が開発途中で断念したOS/2とは別物だろ。IBMの作ったOS2.Warpなら聞いたことがあるよ。
OS2.Warpってマイクロソフト社が開発を途中で断念したのをIBMが再開発してWindows95に対抗して発売したけど、Windows時代に対応できなくて消滅した、DOS/V機用のオペレーティング・システムのことだろ。
2002/01/26
2003/04/27 エホ症用語の基礎知識を詳細に書き換え。