【日曜日の王国会館、2時間30分体験記】
インターネットのJW関連サイトの掲示板で、現役JWさんと私が議論している時、私のようにJWを辞めてから30年も経ってる古い奴をへこますのに使える便利な言葉があります。
それは、「今は昔と違うんですよ。」という言葉です。
それに対する言葉として、「それはあなたの会衆だけの話じゃないんですか?」という言葉もあります。
「今は昔と違うんですよ。」って言われちゃうと私はぐっと言葉が詰まっちゃってね。「もしかしたら、そうかもしんない」って思っちゃうんですよ。でも、いろいろな元JWさん達から最新のJW内部情報を聞いていると、JWって昔と全然変わっていないんです。
でも、もしかしたらJWが昔と変わっているのは事実かもしれないわけです。そうなると私は、今のJWの現実を知らない限り、JW関連サイトの掲示板には安心して参加出来なくなっちゃうんですよ。
てことで、「こりゃ1回は王国会館に遊びに行かなきゃならないな。」と思うようになりました。
でも、それまでの私にとって、王国会館とは怒りの対象であり、そこにあるだけで頭がぶち切れそうになる心がむかつく存在だったわけです。だから「心の健康に悪いから、ここはさっさと通過しよ。」って思うだけで、今まで王国会館に対して興味が全然なかったのですが、どうも今後の自分のネット活動を考えると、逃げるわけにもいかない気持ちになって来ました。
そして、私はへそ曲がりですから、自分が王国会館に行ったときに、自分の心がどう騒ぐのか? それは何故か?と言う、自分の心の状態にも興味が出てきました。
私は、自分の心のJW問題を完全に解決したつもりなんですが、いくら考えても理詰めで絶対に解決できないどうしようもない問題には、「臭い物には蓋」式の解決もアリだと思ってますから、今まで見ないようにしてきた部分もあるわけです。
それは、問題の原因である過去を改めようと思っても、過ぎた時間を取り戻すことは絶対に不可能なわけです。だから、どこかで自分の心の見極めをしなくてはなりません。その時に、今の時点で完全に解決出来なくても、問題を先送りにして、時期が来たときに完全に解決するという考え方もあるわけです。
だから、私はとりあえずの解決方法である「臭い物には蓋」式解決も一つの立派な解決だと思っています。そんな、自分で「とりあえずの解決」をした部分の「根本的解決」につながるならそれも面白いと思って、とある秋の日曜日に、以前から見かけた王国会館に遊びに行く事にしました。
日曜日の公開講演の開始時間は入り口近くの看板に書いてありますので、開始30分位前に王国会館近くの路上に路上駐車して一服していました。すると、開始20分前位からぼちぼち信者さん達が集まって来るのですが、これが男性も女性も1発でわかるエホ症ファッションなんですよ。
なんでかな?って良く見ると、今の季節は秋なのに、信者さん達はみんな春物の服を着ているんですね。春物ファッションって明るいさわやかな色合いで出来ていますから、見た目は華やかでいいんだけど、今は木枯らしが吹く寒い秋だぜおい(苦笑)
で、私は新参者ですから、開始10分位前になって、のこのこ王国会館に行きました。すると、昔は[どななたでもご自由にお入り下さい]って看板が立っていたんですが、今は無いんだなーなんて思いながら近づくと、入り口に若い兄弟らしき人がいるから「すみません、興味があるから、見学させてくれませんか?」って言うと「どーぞどーぞ」っていきなり右手がにゅっ!
『あれ?』って思ったけど、『あ、そーか握手か、昔と同じか』と気が付いて握手すると、『あれ? この握手のしかたは昔と同じだな』って気が付きました。手と手の間に若干の空間を作って、握りしめても痛くないように注意しつつ力を加え、上下に数回振り、その時に、相手と目を合わせて微笑みながら少しうなずく。いきなり私は30年前にタイムスリップした感覚に捕らわました。
そしたら、昔と同じように不審人物に対しての質問が始まったから、別に隠す事もないので「昔、信者をやっていた2世で、ちょっと通りがかって興味が湧いたから王国会館をのぞきに来ました」って正直に言いました。
実はこれ、半分本当、半分嘘なんだよね。王国会館に興味が湧いてのぞきに来たのは事実なんだけど、『私は排斥された元2世の兄弟です。』なんて正直に言ったら、「あなたは帰って下さい!」って言われかねないから、そこらへんは適当にごまかしつつ、相手に勝手に「研究生止まりの2世」って思わせておきました。
でも嘘ついたわけじゃないからね。聞けばちゃんと答えたけど、誰もちゃんと私に聞かないんだもん。だから私は完全に潔白です(藁
で、少し無駄話をして不審人物通行許可をもらったので、王国会館の中に入ると、『あいやー、たまげた、』昔とまったく同じ光景が展開しています。通路の両側に人が並び、入ってくる人全てと、男性は握手で女性は微笑みのお辞儀で歓迎する、先に来た人が後から来た人を歓迎する、JW独特の大歓迎儀式は30年前と何も変わりません。(つーか私が現役だった時より派手になってます)
『そうか、これがラブシャワーって言われている光景なんだな』なんて、始めて感じる1世の研究生になった気分で進むと、全員が『うわー、新人さんだぁ、ようこそようこそ』って握手と微笑みの歓迎の嵐です。そして握手とお辞儀をしながら歓迎の列を進むと最後の列が長老で、「ようこそいらっしゃいました」ってまた握手。
『そうか、この教育された歓迎システムの事を何も知らなきゃ、始めて来た人は誰でも興奮するよなぁ・・・』なんてクールに見つめている2世兄弟だった自分がいて、1世の研究生と2世兄弟の自分が中に同時に存在する2重人格を久々に経験しました。
で、その時みんな同じ事を聞いてきます。「どなたの研究生ですか?」ってね。私は、これも昔と同じだなぁって思いながら、「何十年前も前に信者をやっていた2世で、ちょっと通りがかって興味が湧いたから王国会館をのぞきに来ました」って正直に言いました。
すると、一般の信者さん達は、「それはそれはようこそ」って、すぐに歓迎してくれるんですが、さすがに最後列の2人の長老は違います。思いっきり警戒ムード丸出しで、私の事を、反JW活動家が組織の内情をスパイしに来たのではないかって質問してきます。
でも、私は元々そういう活動は好きじゃない人だし、この時点ではあくまでも、自分の心の問題として王国会館に遊びに来ていたわけで、当時は王国会館に限らず、カトリックやプロテスタントの教会をぐるぐる回って、「キリスト教の本質っていったい何?」って自分でキリスト教の勉強していた時期でしたので、きわめて正直に、長老にそんな私の心の事情の話をして、キリスト教会を一回りしたから、もう一度王国会館も確認したくなって、何十年ぶりに王国会館に遊びに来たって言いました。(マジだよ)
そうしたら、その2人の長老はなんとか納得してくれたみたいでした。
で、そろそろ私を会場整理係の姉妹が誘導して、私の座る場所を指定するはずなんだけど、どこに行ったのかな?と思っていたら、いましたいました、さっきから私の半径5m以内から絶対に離れなかった笑顔の姉妹がそうでした。
その姉妹が昔と同じように、全員から見える場所に私を座らせて、会衆内の全員に、私の存在と、講演を聞いている時の私の態度を確認できるように、最前列に座るように指示するので、それじゃあ私が会衆内の雰囲気を見に来た目的が達成できないので、断固として優しく拒否。
私は最後列じゃないと「やだ」「じゃないと今すぐ帰る!」ってだだをこねて、信者全員を見渡せる中央最後尾の位置に座りました。
でも、まだ新人さんに対するラブシャワーは終わりません、来る来る、来る来る握手(男性)と微笑みのお辞儀(女性)の連続。 うーむ、新人さんには必ずそうしろって木曜日の夜の神権宣教学校と奉仕会で教育されているとはいえ見事です。ここまで歓迎されて心が動かない新人さんがいたら、そういう人は絶対に人間じゃないですね。はっきり言って「鬼畜」です。この歓迎システムを考え出した昔の人は天才だと思います。
でも、私は元2世兄弟だから、そういうJW内部の事情が全部読めちちゃう「鬼畜」な人ですから特に感動する事もなく、ただひたすら感心しながら、初めての1世の研究生の気分を味わいつつ、2世兄弟だった30年前の昔と何も変わって無いなぁって思って見ていました。
で、椅子に座った後、横にいる人がいろいろ話しかけて来るわけです。日本人って言うのは一般的に恥ずかしがり屋さんだけど、物見高くて野次馬根性旺盛な人が多いんですが、この、恥ずかしがり屋さんがネックになって、あまり他人には話しかけないものですが、JWでは、そう言うときはどうすればいいかを、聖書をベースに信仰の大義名分をつけて教育しますので、誰も恥ずかしがらずに私は何者かと好奇心丸出しでガンガン聞いてきます。
そして物見高くて野次馬根性丸出しで聞いてきますから、そういうのに慣れてない人は、自分の事にこんなに興味を持ってくれる人たちに出会ったのは生まれて初めてだって大感激するか、『いいから俺のことはほっといてくれーっ!』って思うかのどちらかでしょうね。
で、横に座った人と話していると、20代中盤の兄弟が近づいてきて、「すみません、ちょっとここ。」とだけ言うんです。そしたら私の横に座っている人が、何も言わずに阿吽の呼吸で移動して、すぐに席を入れ替わったんですよ!
おおっ! 昔のJWの常識だった、会衆内の以心伝心、阿吽の呼吸は生きていた! もう時代が変わってとっくの昔に廃れたと思っていたが、日本の伝統芸能のように組織の中で生き続けていたのか! と大感動してしまいました。
私は現役時代、会衆内の以心伝心、阿吽の呼吸を読むのは得意中の得意でした。このJW的以心伝心、阿吽の呼吸と言うのは、相手の立場に立ってものを考えると言う発想をしないと絶対に身に付かないものですが、私は子供の頃からこれを母親にしつこく叩きこまれてきましたので、今でも自分の頭のスイッチを[一般人モード]から、[お人好しモード]に「かち」って切り替えるだけで済む簡単な作業です。
で、頭のスイッチを「かち」って切り替えて会衆内を見渡すと、見えてくる見えてくる人の動きが、もう笑っちゃいます。信者全員が、30年前の私のいた会衆内の団体行動パターンとまるっきり同じ行動を取っています
。世代が変わっても、現役1世は元々普通の日本人なわけですから、団体行動のパターンは昔と何も変わらないんですね(苦笑)
つーことは、今、私の後ろで私の事についてうわさ話をしているはずだなと思って、ひょっと振り返ると、案の定3mも離れていな所で、そこに立っている人達全員が、私は何者かとひそひそ声で情報交換をしています。
普通は、当人のすぐ後ろで、その人のうわさ話をするのはものすごく失礼な行為なんですが、JWさんは基本的に世間知らずが多いから、そんなのは全然気にしません。それに、日本人は群れると付和雷同して傍若無人に振る舞うのが本性ですから、群れた状態ではそういうのが失礼な行為だなんて考えつくはずもありません。
そして、何故彼らがそんな事をやっているかと言えば、一つ目はワイドショー的興味から来る行動、2つ目は、うまく行けば、労せずして私を新人研究生として払い下げてもらえるからなんですよ、そのために必要な基本情報の交換をやっているわけです。
私が苦笑いしていると、横に座った20代中盤の兄弟が、「すみませんね、新しい人は珍しいからみんな興奮してるんですよ。」なんてわかりきった嘘を言うから、コノヤロと思って「違うでしょ、あなたの腹ひとつで、私が誰と研究をするかが決まるから、私が何者か、みんなで情報交換をしているんでしょう」と言うと、目を丸くして、「よくわかりますね」と言うので、「昔やってましたからね」って笑っておきました。
それから、その20代中盤の兄弟といろいろ話して、お互いに2世だったとわかったあたりで、不思議なことに、あれほど挨拶しに来た人たちが誰も来なくなりました。『あれ? つーことはこの兄弟は年は若いけど偉いわけ? 補佐の兄弟(奉仕の僕)クラスかと思ったけど、もしかして長老クラス? MTS出ってやつ?』なんて事を思っている時、講演開始となりました。
そして、演壇に30代初めの講演者が上がってきたとき、私はいきなりぶっ飛びました。明るい紺色の春物のスーツに縞模様のネクタイ、延びきった七三分けの髪の毛をサイドだけ全部刈り上げた独特なヘアスタイル。温厚で優しそうな雰囲気だけど、優しさの中に厳しさも感じて、目は情熱に輝いていて意志の強さを感じる・・・・・
この兄弟は、30年前の私のいたJWの世界から、たった今タイムマシンで来たばかりって雰囲気なんですよ。『おいおい、今時こんな人っているの? 嘘だろぉ! この人天然記念物じゃん』ってまじまじと見てしまいました。
で、JWの講演では基本的に一番最初に題と結論を言いますので、今日は何かなと思っていると、寄付の重要性について話すとのことで、ふんふん、と思って、昔を思い出して、昔はみかん箱の段ボール箱に白い紙を貼って寄付箱と書いたのが1つだけだったけど、途中から書籍代金用の寄付箱って2つになったんだっけ、今は3つになったと聞いたけどどれかなって見ると、木で出来た、小鳥用の鳥小屋みたいなかわいい寄付箱が3つ。『ふーん、今はかわいいんだなぁ』って思いつつ、
そう言えば私のいた頃は、カトリック教会では礼拝の最後の献金の時間になると、むき出しの献金盆が信者の周りを回って、誰がいくら献金したか一目瞭然のやりかたをするので、そういう、あからさまに献金を強用するやりかたは汚いやりかたで、それに比べてJWは寄付箱が置いてあるだけで献金を絶対に強用しないから、JWとはいかに清い宗教かって説明するのがパターンだったな。
そして、その時の話のお決まりのクライマックスは、ローマカトリックとは大いなるバビロンであり、エホバ神に滅ぼされる宗教だって話を展開していくのがいつものパターンだったよなぁって思っていると、30年前そのまんまの話が展開していきます。
『おいおい、30年前の話そのまんまじゃねーか、30年前の原稿を使っているのか? それじゃ何の進歩もないだろう。せめて、プロテスタント教会はカトリックと少しやりかたが違って、余計なことは何も言わずに献金の時間になると黒い献金袋が黙って回ってきて、いくら金を入れたか絶対にかわからないシステムになっているくらい言うんだろうな。』と思っていると、そういう話は一切無しでした(苦笑)
地下鉄サリン事件のオウム真理教の話しとか、ミイラ事件でおなじみのライフスペースの話を加え、あくまでもカトリックと破壊的カルトとJWとの比較話が続きます。穏健な宗教とか仏教の話は何も無しで、30年前と同じ話の展開をしていきます。
で、今日は不審人物の私がいるから、誰が聞いてもわかるようにカトリックの事を喋っているけれど、「カトリック」と言質を取られるような言葉を絶対に言わないのも昔とまるっきり同じで、話のクライマックスになると「大いなるバビロンの宗教」って言ってお茶を濁すのも昔と同じで、30年前と何も変わって無いなぁって思いました。
で、全体的にこの兄弟の講演はへたくそで、話の展開が遅いのと、聴衆が飽きてきたら話をわざと脱線させて聴衆の眠気を吹き飛ばし、興味を持たせてから再度複線させるのがパターンなんですが、(当時、認められた脱線は3回まで)この兄弟は脱線するとどこかに行ってしまって自分で戻せなくなり、無理矢理話題を切り替えて複線させるから話の筋に無理があり、その上、使う例えが適切じゃない例えを使うので、おもわず『それは例えの意味が違うだろ』って、つっこみを入れたくなる講演内容でした。
これじゃぁ聞いている人たちはつまんないだろうなって思って回りを見回すと全員真剣そのもので聞いています。『あれま、そんなへそ曲がりな事を考えるのは俺だけか』って思っていると、子供は正直だからむずむずしているし、居眠りして船を漕いでいる大人もいます。
子供は飽きてむずむずしてるけど、それなりにぴしっとしていて、さすがは、未来の2世兄弟姉妹なんですが、やっぱり飽きて来てむずむずしすぎると、親が子供に小さい声で何か言います。すると、いきなり子供が「ぴしっ!」とするのは何故? まさか私の時代と同じように、「帰ったらムチだからね」なんて言ってないよね?(^^)
そして、『あ、やっぱりつまんないのは俺だけじゃないや』って安心して聞いていましたが、なにしろ現役時代より話しに集中して講演を聞いているわけだから肩が凝るし、講演を聞いていて、常に『それは話が違うだろ、おめーは勝手なことを言ってるんじゃねーよ』って反発しちゃうから頭の芯が疲れるわで、たったの50分でしたが、久々に頭と体がぐったり来ました。
JWって金に清い宗教なのは昔から知っていましたが、カトリックとプロテスタント教会に遊びに行った事のある私の経験から言わせて貰うと、JWとは、「寄付しろ」「寄付しろ」「とにかく寄付しろ」って、金にやたらと五月蠅い宗教だったんですね。これは私にとって今まで気がつかなかった新しい発見でした。
いつ終わるかと思った50分の講演がやっと終わり休憩に入ります。それまで会衆にいる人たちの3分の2と挨拶したから、残りの3分の1が挨拶しに、第2のラブシャワーが始まるなと思っていると、来る来る来る来る、残りの人たち。もう大歓迎です。やっぱりここまで歓迎されたら感激しなくちゃ人ではありません、そんな奴は絶対に「鬼畜」です。
で、「鬼畜」な私は、頭の芯が完全に疲れてますから、無意識に体が現役兄弟をやってしまいます。後でそういう自分にあきれましたが、雀百まで踊り忘れずとはよく言ったもんで、30年前に体で覚えた事は絶対に忘れないんですね。
それは何かと言うと、握手のやりかたです。私が兄弟だとして、あなたが未信者の男性だとします。私はあなたの目を見つめて微笑みながら、「ようこそ」と言いながらさっと手を出します。あなたは握手に慣れてないから、手を少し出すけど迷っています。そんな時は、私は両手であなたの手を、ぐいっとつかんで二人の中央に持ってきて、あなたの手が痛くならないように手の中に空洞を作ってぐっと手を握り、元気に手を上下します。その時に相手の目を見つめて、微笑みながら軽くうなずきます。これがJWの兄弟が未信者にする正しい握手のしかたです。
男性信者同士の場合は西部劇の決闘と同じです。相手の肩がぴくって動いたら、お互いにさっと手を出し、二人の中央でぴったりドッキングして、ぐっと手のひらに力を入れて、男同士が目と目で見つめ合って微笑んで軽くうなずいて、力強く数回握手。絶対にこれが出来なきゃだめです。これができない奴は、カンの鈍いとろい奴と思われてしまいます。
そういう30年以上前に日常的にやっていた握手を、頭の芯が疲れているから、体が無意識に動いて自動的にやっちゃうんですよね(苦笑)
すると、相手は怪訝な顔をするわけです。この握手はJW独特の握手だから、一般人はまず知らないはずですから、『こいつは何者?』ってなるわけです。でも、周りの人に「この人は2世だよ」って言われると、『ああそう』ってなるんだけど、なんか変だなって思うんでしょうね。みんな怪訝な顔をしています。
だって、疲れてきたのと、会場に慣れて来たので、私の出す雰囲気が兄弟そのものなんだもん(爆)
10分の休憩時間が終わり、ものみの塔研究に入ります。当然私は持ってませんから、隣にいる兄弟に借りるわけです。で、ものみの塔の記事を読むと・・・
ぜんぜんわからん!(笑)
いや、日本語で書いてあるから、ものみの塔の内容はわかるんですよ。でも注解の答えが全然わからないんです。30年前は注解の答えを探す時は頭のスイッチを「かち」って切り替えて、熱心な現役モードにするんですが、昔、JWを辞めた時に、スイッチごと脳細胞から引きずり出してドブに叩き込んだので、頭の中にスイッチそのものがないんですよ。
だめだこりゃ、注解は全然わかんないから回りを見てようと思って回りを見ると、注解のやりかたは昔とまるっきり一緒なんですね、手を上げると真っ先に指名される新しい人、一回答えたら司会者の予定していた流れに逆らうことを言い出したから2度と指名されない人、注解の目的を理解しているから、新しい人の手が上がらなくなってから手を上げて、話をまとめる役割を持つベテランの兄弟姉妹達、それでも司会者が注解の答えに満足しない時は、組織の求めている答えと違うわけですから、最終的に話をまとめる係の、組織の指導文書を見ながら補足注解をする偉い人。昔と同じで、ものみの塔研究の注解とは全て予定調和の世界です。
この独特の世界について来れない人は、いずれ全てパージされるんですが、それも一緒なのかな? とにかく30年前の私が会衆にいた時とまるっきり同じやり方で注解は進みます。
で、私の横に座っていた若い兄弟は偉いんですね、マイクをあっちに持って行け、こっちに持って行けって指示するし、組織の指導文書を見ながら注解のまとめをする係の人でした。私が30年前に会衆にいた時は、この役目は会衆でナンバー1がナンバー2の長老の役目でしたが、そうなるとこの若い兄ちゃんはMTS出身の長老って奴なの?
で、ものみの塔の注解が終わり、またこのMTS出身の長老らしき20代中盤の若い兄ちゃんとお話するんですが、私のいた30年前なら第3のラブシャワーが始まる時間です。「最後まで聞いてくれてありがとう、少し疲れたでしょう」って、最初は不審人物だったけど、今度は2時間付き合った仲間だって言う、仲間意識を出して、帰りがけに再度歓迎の挨拶をして「また来てくださいね」って言って、これに懲りずにまた王国会館に来てもらうのが目的なんです。
ところが、最近はアーメンダッシュで速攻で帰る人が多いと聞いていましたが、早い早い。あっという間に3分の1が帰ります。でも帰り際にちゃんと私に挨拶して、野外奉仕の地図をチェックしてからですよ。そして途中で寝ていた若い茶髪の2世らしき兄ちゃんは、私に何も挨拶しないで、一番最初に猛ダッシュで帰りました。あの人はもうすぐ不活発間違いなしだなって思いましたね。
で、そのころになると私のメッキも剥げてきて、別に隠す気もないし、ここに2度と来ることも無いだろうと思っていますから言いたい放題言っていたんですが、超古手の姉妹が、私をにらみつけながらいきなり「あなたは兄弟ですよね!」って言って来たのはたまげました。
さて、なんて返事をしようかな? 出来れば嘘はつきたくないし、私にも排斥されたそれなりの事情があるわけだから、そういう話の順番も無しにいきなり、「そーです排斥された兄弟でーす。」って言うのも胸くそ悪いし、この姉妹にどう言おうか?って考えていると、その姉妹はすぐにどこかに行っちゃいました。カンの鋭い女性はどこにでもいるものです。
そしたら今度は、私の払い下げを待ちきれない姉妹が、MTS長老兄弟の存在を無視して、私とお話を始めてしまい、MST兄弟の逆鱗に触れて「ちょっと!」の一言でおもいっきり傷ついて、泣きそうな顔をしながら去って行きました。
私は当然この20代中盤のMTS長老兄弟が、自分がやりすぎて傷ついた姉妹の心のフォローをするものだと思っていたら、なんかご本人様はご自分の心の怒りを抑えるのに一生懸命らしくて、自分が傷つけた姉妹の存在は完全に無視、『おいおい、あんたそれでいいの? あんたは会衆内で指導する立場でしょ』って思っていると、
MTS長老兄弟が私に、『あの馬鹿姉妹はどうしようもないなぁ』って顔をするから、「しかたないんじゃないんですか、みんな時間を入れるのは大変だし」って言うと、びっくりした顔をして「なぜそう思うんですか」って言うから、「あなたの顔にそう書いてありますよ、あの馬鹿姉妹はどうしようもないって」と言うと黙り込んでしまいました。
で、少し立ってから「時間がすべてじゃないんですけどね」って言うから、「でも、努力の結果は時間でしか評価されないんでしょ」って言うと、「まぁ、そうなん・・・・いや違いますよ、そんなことはありません!」って言っていました。 あなたは否定する時に「絶対」って言わないのね(笑)さて正解はどっちなんでしょう?
このMTS長老兄弟は2世だからやたら口が堅くて、1世ならカマをかければぽろっと言うことも2世だから絶対に言いません。 私はそれがわかるから余計悔しくて、MTS出てる長老なんでしょって、カマをかけながら相手の目を見て聞くと、いきなり2世独特の死んだ魚の目に切り替えて、お前は知りたがりすぎ、もう絶対に何も教えてあげないよって雰囲気になってしまいました。
あ、だめだこりゃ、こうなったら絶対に何も教えてくれないや、もう限界だなって思って、そろそろ帰りますの以心伝心を伝えると、あっさり了解したみたいです。
で、私の膝の上には、MTS長老兄弟から借りた1冊のものみの塔があるわけですが、JWの以心伝心の世界では「それ、差し上げますからどうぞお持ち帰り下さい」なら、また来てね。「あ、そうでした忘れてました」って回収したら、お前は2度と来るなよ。なんですが、見事に回収されてしまいました(爆)
まぁいいけどさ。
公開講演開始10分前に王国会館に入場して、もう来るなって叩き出されたのが終了20分後、結局2時間30分の経験でした
てなわけで、今のJWって、教理の変更はいっぱいあっても、組織運営や人間関係の部分では30年前と何もかわっていなかったと確信できたのでこれからもネットで安心して発言して行けます。
もし今度現役に「今は昔と違うんですよ」って言われたら、「それはあなたの会衆だけの話じゃないんですか?」って言い返す自信がつきました。
JWを辞めて時間が経っている人は一回遊びに行くと面白いですよ。昔は絶対に見えなかったものが見えてきます。そんな経験も自分の心のこだわりの解決の役に立ちますね。
私は王国会館に遊びに行ったおかげで、長い間の心のわだかまりが、また一つ消えてすっきりしました。JWがアメリカ発の宗教であっても、組織を運営するのが日本人である限り、やっぱり中身は日本的な宗教になっちゃうんですね。
この日は私にとって面白い貴重な経験でした。
JW経験者にとって、日曜日の集会はごくごく当たり前の日常風景ですが、そういう日常をこんなふうに見る奴がいるなんて考えもしなかったでしょ。私はそういうへそ曲がりな奴なんですよ(^^)
2002/02/15
【2003/09/24 追記】
公開講演とものみの塔研究の間の約10分間の休憩時間についてですが、約30年ぶりに王国会館を訪れた私にとって休憩時間とは普通にあるものだと思ったので特に疑問も持たずに書いたわけですが、休憩はありえないという突っ込みが入ったので説明します。
私が王国会館に行ったのは2000年の秋です。場所は横浜市にある国道沿いの王国会館で、当時5つの会衆が2つの建物を使用している会衆のなかの一つです。(それ以上は相手に迷惑がかかるから教えない)
1978年3月までの公開講演とものみの塔研究は休憩ありでした。
*** 塔70 1/15 58ページ 初めて御国会館を訪れる人々へ ***
日曜日の集会
まず最初に,聖書の公開講演が行なわれます。司会者は講演の主題と講演者を紹介します。そして講演はおよそ1時間ですが,講演者が発表された主題に基づいて聖書の話を進めるあいだ,聴衆は自分の聖書を開いてその論議についてゆくことができます。この講演には,聖書の原則に従った家庭生活に関する話や,復活,楽園のための神のご準備,聖書の何章かを1節ごとに解説するなど教義を取り上げる話もあります。講演会に引き続いて,「ものみの塔」誌の聖書研究用の資料に基づき,聖書を用いて1時間の研究が行なわれます。この集会は賛美の歌をもって始まり,ついで奉仕者のひとりが祈りをささげます。そして「ものみの塔」誌の各頁の左欄にしるされている質問が読まれます。
注:御国会館とは王国会館になる前の名前です
公開講演:55分
休憩:5分
歌と祈り:5分
ものみの塔研究:55分
祈り:2分
合計:約2時間5分位
という、休憩(トイレットタイム)ありの2時間強の集会でした。
1978年4月以降は開催方法が変更になり、
*** 宣 78/4 8ページ 集会の予定に対してなされる調整 ***
4月から,会衆での公開講演の長さは45分に短縮されます。巡回監督が会衆を訪問する際行なわれる公開講演もそのようになります。この調整は毎週の会衆の公開集会と「ものみの塔」研究の全部の時間が,前後の歌と祈りを含め2時間になるという意味です。これは「ものみの塔」研究に約1時間を残すものとなるでしょう
歌と祈り:5分
公開講演:45分
歌:5分
ものみの塔研究:1時間
歌と祈り:5分
合計:2時間
という段取りで、休憩(トイレットタイム)無しの2時間の集会になったそうです。
しかし私が行った会衆は公開講演とものみの塔研究の間に約10分の休憩がありました。
歌と祈り:約5分
公開講演:45分
集会開始50分頃公開講演終了
休憩:約10分(正確には7〜8分位)
歌:ものみの塔研究開始2〜3分前
ものみの塔研究:1時間
歌と祈り:約5分
合計:2時間5分位
JWの内部資料によると集会の時間配分はこういう扱いになっています。
王国宣教学校教科書 (長老用のマニュアル)
『あなたがた自身と群れのすべてに注意をはらいなさい』
47ページ下段〜48ページ上段
これを見ればわかるように、公開講演の45分という講演時間は「協会の筋書きに示されている合計45分という時間配分に固くつき従うべき」もので、絶対に守らなければならないものであり、集会の合計時間は「2時間という割り当て時間内で終わるようにすべき」努力目標であることがわかります。
「公開講演に筋書きなんかねーよ」という意見に対して、
【公開講演の筋書き】
講演者はものみの塔協会より発行された筋書きに従って45分の講演をします。公開講演の筋書きは150種類ぐらいあり、新しい筋書きが出ると古い筋書きと差し替えます。会衆によって持ち出し禁止の会衆があれば、お持ち帰り自由の会衆もあり、その管理は一定していません。
これは2000年8月に発行された輸血拒否を題材にした公開講演用の筋書きです。
↑ 8/00 は2000年8月発行という意味
自分が過去に経験してきた集会で休憩時間がなかったから日本全国の会衆で休憩時間は絶対に無いと思うのは勝手ですが、1978年3月までの公開講演とものみの塔研究の間には、毎回数分とはいえ必ず休憩時間がありましたし、私が遊びに行った会衆でも休憩時間がありました。