最近エホバの証人の情報を集め始めた人の役に立つ
「エホバの証人の教えの奥義」ちょー入門
何かの縁があってエホバの証人の事を調べ始めた人が、インターネットを使って情報を集め始めると、時間さえかければ必要な情報はすぐに手に入るんですが、調べてもなかなかわからないのは「エホバの証人達は何であんなに熱心に信仰しているのか?」という動機の核になる部分です。「仏教だろうがキリスト教だろうが世の中には信仰を持ちたい人がいるのはわかるが、そろいもそろってエホバの証人達があそこまで信仰に熱心なのは何故なのか?」という疑問が簡単にわかるように、エホバの証人の教えの奥義を簡単にまとめてみました。
※但し、エホバの証人の世界には「奥義」という言葉はありません。単に「教え」と言います。
ものみの塔の現在の活動信者数は全世界で590万人強、日本では22万人弱と言われています。アメリカ、ニューヨーク、ブルックリンに世界本部があり、統治体と呼ばれる十数名の幹部だけによる多数決で全世界の信者の意志決定が行われ、そこで決定した教理と指導方針が各国の支部を通して末端信者に伝達されます。日本では神奈川県海老名市に「海老名ベテル」と言われる日本支部があります。
この世界規模の上意下達式のピラミッド型の信者共同体を【組織】と言います。日本のものみの塔は宗教法人ですが、アメリカのものみの塔は株式会社で、書籍や冊子の出版と布教活動以外に、様々な形で資産を増やすための財テクを行っている出版宗教です。
ノルウェーのWatchtower.Observerによる
株式会社ものみの塔、関連情報 英文
同、ウェブ翻訳サービスによる日本語翻訳
ものみの塔の冊子や書籍を一般人に配布するときは無料ですが、信者は「組織により定められた暗黙の相場」に従って(売れ残りを含めて)仕入れたぶんに相当するお金を正直に寄付しますので、組織は刷れば刷るほど儲かるシステムになっています。印刷は海老名ベテルの印刷工場で行っていますが、ベテラーと呼ばれる労働者達の人件費は食事及び宿泊設備完備で一人あたり月に2万円です。(無償奉仕が建て前なので給料ではなく寄付の割戻金と言うそうです)特別開拓者と言われる全国に500人以上いる専業伝道者に対しては月に6万円支給と聞いています。統治体幹部の個人資産の噂は聞いたことがありませんが、幹部になると、衣食住、高級乗用車貸与、海外渡航費、渡航先の諸費用等を全額組織が負担します。(一般に新宗教と呼ばれる宗教団体はたいてい教祖様や幹部が金持ちなんですが、この宗教団体は組織は金持ちでも、信者は上から下まで金に縁がない、ちょっと変わった宗教団体です。)
エホバの証人とは、聖書を書いてある通りに全部信じるファンダメンタリスト(聖書原理主義者)で、戦争や暴力を否定する平和主義者です。ものみの塔は世間一般で流通している聖書は、聖書を正しく翻訳していない間違った聖書であり、自分たちの翻訳した聖書こそ正しいと聖書であると主張して「新世界訳聖書」という教団独自の聖書を印刷発行しています。(この聖書は聖書の専門家達から聖書の原本である写本を忠実に翻訳していない改竄聖書であると批判されています)
エホバの証人の教理の中で最も最重な点は、聖書のマタイ,24:45のイエスのたとえ話の中にでてくる「忠実な思慮深い奴隷」とは、ものみの塔の統治体の事を言っていて、統治体が末端信者達にその時その時の必要に応じた教理を一方的に与えるとされています。このため組織の教えがころころ変わっても、それは全て聖書に基づいた「新しい光」(教理変更)と受け止め、組織に何か間違いや失敗があっても「人間は不完全だから誰でも間違いはある」と許し、上手く行くと「これはエホバ神のおかげだ」とありがたく信じて、組織の指導を無条件で受け入れます。ですから末端信者と聖書解釈の議論をしても無駄です(きっぱり!)
(但し、相手の頭の中に3年後5年後に花が咲くかもしれない疑問のタネを植えつけるのは効果あり)
”物言えば唇寒し秋の空 ”
正規信者であるバプテスマを受けた兄弟姉妹になった信者が、組織の聖書解釈とは違う、自分なりの聖書解釈をする事は原則禁止されていて、それを自分の腹の中に納めておくぶんには平気ですが、それを周りの信者達におおっぴらに言うと「分派活動をしている」と判断され、注意されても改めない場合は背教者として排斥(破門)される場合があります。
”口は災いの元 "
同じく正規信者であるバプテスマを受けた兄弟姉妹になった信者が、「組織の権威の根幹である「忠実な思慮深い奴隷」と自称している統治体は、果たして本当に聖書に書いてある「忠実な思慮深い奴隷」なのか?」とか、「あいつら統治体は営業トークで勝手にそう主張してるだけじゃねーのか?」なんて言う、「統治体の存在の検証」の話題を他の信者達の前でおおっぴらに展開するのはタブーです。そんな事したらそれこそ背教行為として排斥されかねません。
基本的な教理は、『今の時代は聖書で預言された通り終わりの時代だから、もうすぐハルマゲドンが来て人類は滅ぼされる。しかしその時にエホバの証人は生き残る。ハルマゲドンの後は楽園となり、エホバ神の力により、過去に死んだエホバの証人と、ハルマゲドン以前にエホバの証人の伝道を受けずに死んだ一般人は(ゾンビのように)死後の世界から生き返るが、一度でもエホバの証人の教理を勉んだ人が信者にならずに死んだ場合は絶対に楽園で生き返らない。 楽園では肉食動物の内部構造が変化して草食動物になり、毒蛇は毒がなくなり、エホバの証人は不老不死となって永遠に生きられる。 但し、運良くハルマゲドンを生きたまま通過することができた幸運な一般人や元信者が、楽園でエホバの証人になることを拒否した場合は寿命で死ぬ。』と教えています。
死生観については『死後の世界には天国も地獄も無く、死ぬと人間の肉体と魂が消滅して人間の存在そのものが無くなる。死後の世界とは何も無い滅びの世界である』とされていて、死んで楽園に行けない状態を『死んで滅びる』と表現します。
多くの宗教の死生観は、死んで肉体が無くなった後でも自分自身がこの世に存在している核となっている「自我」は残るとされています。いわゆる天国や地獄という考え方は、生前の記憶と自我を持ったまま死者として生きる世界ですし、輪廻転生という考え方は、前世の記憶がなくなっても自我は存在し続けて次の人生に生まれ変わる連鎖的な自我の存在状態なわけですが、エホバの証人は、人間は死んでも天国や地獄には行かないし輪廻転生も無いと信じていますので、死ぬと自分の自我が消滅してしまう滅びの世界に絶望します。
そのため、「人間は死んだら滅ぼされる、滅ぼされたらおしまいだ」と考え、不老不死となって永遠に生き続ける事ができるとされるハルマゲドン後の楽園の世界に行くことに強烈な願望を持ちます。
死ぬと自我が消滅する滅びの恐怖と、ハルマゲドン後の楽園で不老不死になって永遠に生きられる希望から『もうすぐ来るハルマゲドンでエホバの証人以外の人間はみんな滅ぼされる、それまでに1人でも多くの人に伝道して、神の真理を伝えてエホバの証人になってもらい、無事にハルマゲドンを通過させて、楽園で不老不死にしてあげよう』と考え、人の命を助ける目的で一生懸命真面目に伝道しています。
そういう人を助ける崇高な目的の伝道を受けて、あなたがエホバの証人に興味を持って聖書研究(ものみの塔の教理の勉強)を始めるとします。順調に研究が進み、入信後数年位経って、あなたが完全にエホバの証人の教え信じたと判断されてから本当のこと(奥義)を教えてくれるのですが、実はエホバの証人になったからといって無条件に不老不死になれるわけではなく、エホバ神が一方的な判断で不老不死になれる信者を選別するのだと教えてくれます。
さらに、あなたがエホバ神の真理を知った以上、あなたがその真理を受け入れるのを断ると絶対に楽園に行けなくなり、間違いなくハルマゲドンで滅ぼされて死ぬのだ。と教わることになります。
そして、滅ぼされずに不老不死になりたければ神に対する信仰の表明が絶対に必要で、そのためには伝道や集会に参加して組織の指導に忠実に従うのが何より大事とされ、そうすることによってのみ楽園で不老不死になれる【可能性】があると教わります。(努力したら確実に楽園に行けるとは絶対に言いません)
教理的に言えば、ものみの塔の教えを何も知らない人はハルマゲドンで滅ぼされても必ず楽園で復活出来るので、楽園になって自分が死の世界から復活して、それから信者になっても充分間に合うわけですが、既にあなたはエホバの証人の信者となってエホバ神の本当の真理を知ったので、エホバの証人を辞めれば、あなたは間違いなくハルマゲドンで滅ぼされて死ぬことになりました。それについてあなたが何をどう思おうが後の祭りです。
周りの信者にその事で愚痴を言っても「そういう宗教だから」と言われて取り合ってくれませんし、その頃にはあなたはしっかり教理を信じ込んでいますから、「それじゃ詐欺だ!」と思っても、もう信じちゃってるんですから手遅れです。頭でわかっていても心が信じちゃってるんですから後戻りできません。結局、「そういう宗教だから」とあきらめるしかないわけです。
生きてハルマゲドンを通過して楽園に行って不老不死になるのと、死んで楽園になってから生き返って不老不死になるのとどちらが楽かと言えば、生きて楽園に行く事です。死んでから楽園で生き返る時には必ずエホバ神の審判があり、生前の行いが良くなかった信者は絶対に生き返る事が出来ませんが、生きて楽園に行ければ、組織の言うことさえ忠実に聞いていれば不老不死になれるチャンスがあります。
エホバの証人でもハルマゲドンの時に巻き添えを食らって死ぬ可能性があるわけですから、生きている時の行いを良くしておかないと、運悪くハルマゲドンで死んでしまってから神の審判で裁かれてしまい、楽園で復活出来ずに滅ぼされてしまう可能性があるわけです。なのでエホバの証人の信者をやっていると常にハルマゲドンと楽園を意識して生活することになりますから、ハルマゲドンで滅ぼされたくなければ毎日の行いに注意しなくてはなりません。つーことで毎日毎日の生活で気の休まる暇がなくなります。
エホバの証人の生活の優先順位は、という順番ですから、あなたが楽園に行きたければ組織の指導に忠実に従って一生懸命エホバ神に奉仕しなくてはなりません。
ハルマゲドンはある日突然予告もなく来るとされていますから、一日中伝道して体力切れ寸前になって「あー、今日は限界まで頑張った。もし今日ハルマゲドンだったらきっと楽園に行けるな」と安心した気分になり、体調不良で数日集会に行けないと「やばい!もし今日ハルマゲドンだったら滅ぼされるかもしれない!」と不安な気分になります。不安な気分になるのは誰でも嫌ですから、週3回の集会に参加して、暇さえあれば伝道して、余計なことは考えず、疲れることによって安心した気分になりたがります。
つまりエホバの証人とは、「ここまで努力しても。もしかしたらハルマゲドンで滅ぼされるかもしれない」という『滅びの死』の恐怖と、「ここまで努力したんだから、もしかしたら楽園に行けて永遠の生命をもらえるかもしれない」という『不老不死』の希望という、両極端の世界を常時意識して生活しますので、毎日毎日が不安な精神状態になり、自分の命が惜しかったら、永遠に組織のために努力し続けなければならない、死の恐怖で縛られた究極の御利益追求集団なのです。(だからカルト宗教と言われるわけ)
信者は生真面目な人が多く、いわゆる「いい人」がほとんどです。それは、そういう人間像をものみの塔組織から要求されているのと、そういうタイプの人じゃないと、とてもじゃないけどやってられない世界だからですが、他にもさまざまな行動を制限されていて、ライフスタイル以外に、背広の色、髪型、スカートの丈の長さや柄、シャツやブラウスの色やデザインついて様々なルールがあり、白髪染め以外の目的で髪の毛を染める行為は嫌われます。
19世紀末の創立以来、ものみの塔は様々なハルマゲドン予言を繰り返して来ましたが、それは全てはずれて来ました。最近までは21世紀までに必ずハルマゲドンが来るとされていましたが、21世紀は来ちゃいましたが何も起こらないため、現在はその教理を都合よく変更しています。そのため20世紀末に馬車馬のように伝道してきた信者達も、いつまで待ってもハルマゲドンが来ないために士気が下がり、最近は以前ほど熱心に伝道していないように感じます。
信者になると、組織の巧妙なマインドコントロールシステムにより、世の中は全てサタンの影響下にあると指導されますので、信仰に熱心になればなるほどものみの塔に対して批判的な意見は聞かなくなり、組織の指導と出版物のみが正しく、それ以外は全て間違っていると考えるようになり、ものみの塔に批判的な意見には一切耳を傾けなくなります。(だからカルト宗教と言われるわけ)
また、「インターネットはポルノ映画と同じように注意しなさい」と指導されていますので、信仰に熱心な信者はインターネットを見ません。(以前はテレビを見ることを禁止していました)そのため毎日がエホバの証人の閉鎖的な社会の中だけの生活となり、一般社会で生活していてもそれは仮の姿であり、エホバの証人社会だけが正しく、自分にとってかけがえのない大切な仲間たちであると思うようになり、会衆内(教会内)の人間関係に一喜一憂するようになります。(だからカルト宗教と言われるわけ)
親が熱心なエホバの証人になるとその子供はどういうはめになるかと言うと、親がハルマゲドンの教理を真剣に信じている場合、自分だけが楽園に行けて、子供がハルマゲドンで滅ぼされて死ぬのは耐えられないと考え、子供の宗教教育に一段と力が入ります。そして、ものみの塔組織にとって子供は将来の信者予備軍なので、組織の出版物を通して懇切丁寧に子育てを指導します。
組織により、親は常に子供と行動を共にするように指導され、世の中に染まらないように、世の中に余計な興味を持たないように、大人になったら信仰に熱心なエホバの証人になる以外の人生の選択肢が無くなるように注意深く教育し、子供が余計なことを考えないようにさせるため、親は常に子供に心の動きに注意を怠らず、常時「親の過干渉」状態で子育てをするように様々な指導をしています。
「2世」と呼ばれるエホバの証人の子供達は、週に3回の集会への参加、その集会で答えるための予習、ほぼ毎日行われる信者になるための親と子の勉強、月に何十時間と定められたノルマがある伝道活動に引っ張り回され、大量の時間をものみの塔のために捧げます。普通の子供であればこんなボランティアに参加するなんてめんどくさいですし嫌がるのが当たり前ですから大きくなると自然に親に反発するようになります。
そのため、ものみの塔組織は1964年以来、言うことを聞かない子供のパンツを下ろさせムチでお尻を叩くように指導しています。ムチは子供がエホバの証人の世界のルールを破った場合に行われ、子供が親と組織の言うことを忠実に聞くように、言って聞かせてもわからない子供には無理矢理体で言うことを聞かせる目的で行われます。ムチは男の子も女の子もパンツを下ろさせて、親がムチ棒と名付けられた懲らしめの道具を使って、椅子などにひざまずかせた子供のお尻に何回も何回も有効な打撃を与える体罰を言います。
ムチの道具としては、竹のものさし、水道ホース、ガスホース、布団叩き、鉄製チェーン、木のハンガー、樫の棒、アクリル棒、ステンレス製の靴べら、電気のコードを束ねたもの、自動車牽引用のワイヤーロープ、などがあり、その他にも、手でお尻を叩く、拳で顔を殴りつける、逆さ吊りにして頭から浴槽の水に長時間漬ける、裸にして頭から水をかけて寒空に放り出すなどがあり(要するに子供に効果的な痛みを与えれるものであればなんでもOK)手加減せず力いっぱい子供のお尻に打撃を与えるのが肝心で、ムチのせいで子供が壊れても必ず神が治してくださるとされています。
1960年代のムチの回数は20発と定められていて、王国会館(教会)の中の別室やトイレ、大会会場の女子トイレや授乳室でおおっぴらに行われていましたが、そのうち組織により家庭内でムチを行えという指導に変わってからはムチの回数制限がなくなり、最低100発が当たり前の時代になり、1993年11月に当時4歳の男の子が親のムチで亡くなってしまうという痛ましい事件が起きています。1994年8月8日に日刊紙「赤旗」で報道された記事のコピー
最近のムチは「親の躾」という名目になりましたので、信者が子供にムチをしているのは間違いないんですが、各家庭で状況が異なるのでムチの回数と詳しい実施状況は不明です。ムチで叩かれる時期は幼児が離乳した頃から小学校高学年頃までですが、まれに中学生になってもパンツを下げて親にお尻を叩かれたという人もいます。
ムチは親の信仰の度合いと子供の従順さに関係しますから、子供の中には叩かれた事がない幸運な子供も存在します。(女の子に多い) 最近は日本全国の会衆内でものみの塔の教理解釈が混乱しているようで、会衆によってムチの指導は様々で、ムチの指導をしている会衆もあれば、ムチを禁止している会衆もあるようですが、ものみの塔組織がムチを公式に禁止したという話は聞いたことがありません。
注:エホバの証人の親は子供に対してムチだけを使って宗教を強制していると勘違いしないでください。ムチは親と組織が子供に対して行う宗教教育の中では全体の一部にしかすぎません。それより親と組織から継続的に与えられる精神的なプレッシャーのほうがはるかに大きく、ムチはその中の(重要な)ひとつの手段にしかすぎません。一般的に子供がムチで叩かれるのは、親の命令に忠実に従わない時に行う、親の最後の手段と思っておいて下さい。強制的な宗教教育に素直に従う素質を持つ子供はほとんど叩かれません。
伝道や集会の時にエホバの証人の子供達はいつもきちんとしたかっこうをするように指導されています。そして普通の子供のように、そわそわしたり、奇声をあげたり、うろうろ動き回りません。大人に対して話す時は、相手の目を見ながらはきはきと受け答えします。これはものみの塔組織の子育て指導の成果です。その目的は、大人から見てちゃんとした行動をする良い子は非信者から好感を持たれますので、子供を新規信者獲得のために効果的なマネキン人形にする目的と、将来の有能な伝道者を養成する目的があります。
このように伝道の時に良い子の態度を取り、王国会館でおとなしく椅子に座って勉強している子供を見た何も事情を知らない一般人は「うちの子と違ってエホバの証人の子供はなんてしっかりした良い子が多いんだろう、私がこの宗教に入ったらうちの子供も良い子になるかも?」という錯覚を起こさせる効果があります。
こういう人を疑うことを知らないお人好しは新規信者になるカモですから、エホバの証人の親は子供をムチで叩いて従順にさせているなんてマイナス情報は絶対に教えません。
そのうちにこの人が熱心な信者となり、自分の子育てに悩んでいるとベテランの女性信者がエホバの証人のムチのノウハウをそっと伝授します。すると、ほんのちょっとムチをしただけなのにあっと驚くぐらい素直な良い子に変身します。(子供の心をムチの恐怖で縛るんだから当たり前)するとこのお人好し信者は、自分の子供が急に良い子になったのはエホバ神のおかげと考え、ますます信仰にのめり込みますので、ものみの塔組織にとって子供へのムチは一石二鳥以上の絶大なる効果があるわけです。
なので、今でもものみの塔組織はムチの指導をしています。ものみの塔の機関誌「わたしたちの王国宣教」2002年8月号の中で『親は子供に衣食住を備え続けるのと同じように、神の言葉と調和した教えと懲らしめを与える必要があります』(親は子供にちゃんとメシを食わせて、強制的に宗教教育をして、言うことを聞かない子供にはムチをしなさい)と指導しています。
ムチの指導は信者が大量に増えた1980年代から90年代が一番ひどかったのですが、ものみの塔組織による子供達への肉体的精神的虐待指導でトラウマやPTSD(心的外傷後ストレス障害)になった人がいっぱいて、心療内科やカウンセリング治療に通っている人達がたくさんいます。この原因はムチだけではなく、常に死を意識して生活しなければならない閉鎖社会の中で成長してきたためです。
親によって虐待を受けた人が、また自分の子供に同じ事をしてしまう状態を「虐待の連鎖」と言いますが、子供の頃にものみの塔を辞めて相当な時間が経っているのにもかかわらず「虐待の連鎖」に悩んでいる元2世の親も多いです。
自分の子供が普通の子供らしい行動、つまり、ちゃんとしていなきゃならない時に騒いだりしてじっとしていない、親の言うことを素直に聞かない、怒ったら泣いた、などというエホバの証人の子供としてふさわしくない行動をすると、突然感情的になってしまい、必要以上の体罰を加えたくなり、その理由がわからない人は自分の心の動きに苦しまなくてはならなくなります。
ものみの塔の指導するムチという体罰により、子供の心と体に一生消えない傷を残したり、実際に殺された子供もいるわけですが、組織がそこまで子供を虐待して無理矢理信者として組織に縛り付けようと厳しく育てても、ティーンエイジになる頃には辞める子供はエホバの証人を辞めます。
そのため組織では「世に取られないように」と称して早期にバプテスマを受けることを勧めています。バプテスマというのは神と信者が個人的に結ぶ契約のようなもので、プールで補助者により3秒くらい体を水没させる儀式を言い、早い子供で小学校5年生、普通で中学2年生頃にバプテスマを受けることを勧められています。もちろんこの勧めは任意であって強制ではありません。しかし信仰に熱心な親は子供に徹底的にプレッシャーをかけてきます。
神との契約を破った場合はハルマゲドンで必ず滅ぼされるのが基本教理ですから、とりあえずうるさい親の言うことを聞いてバプテスマを受けた後で気が変わり、エホバの証人を辞めようと思っても、自分の良心が痛んで辞めれない。神が恐ろしくて辞められない。そして無理に辞めたら罪悪感に捕らわれて気が狂いそうになってしまい、心の混乱に耐えられなくなって自殺未遂をしたり精神科に通うはめになりがちです。それを聞いた信者達は自分がエホバの証人を辞めるとどうなるかがわかってさらに信仰に頑張るという悪循環になっています。
そのため最近は「バプテスマを受けたらおしまいだ」という子供が増え、いくら周りから勧められても兄弟姉妹にならないで伝道者止まりでものみの塔信者を辞める人が増えていると聞きます。
バプテスマを受けると、男は兄弟、女は姉妹と言われるようになり、周りから一人前扱いされるようになります。そうなると今度は開拓者になれと勧められて、月に何十時間という決められたノルマを果たす伝道活動をする事になります。
1960年代後半から1997年頃まで、エホバの証人の子供には高等教育は必要ないとされ、大学進学は絶対に禁止されていて、周りの反対の声を押し切って無理にでも大学に進学すると親子揃って会衆内で村八分になりました。当時は中卒で単純労働で働きながら伝道活動をするのが理想とされ、高卒で就職せずにアルバイトで伝道活動している信者がたくさんいました。
21世紀になった現在は教理が変更されて大学院進学もOKになり、組織内でも大卒が優遇されるようになり、当時大学に行きたくてもいけなかった人達は自分の人生の重要な一時期をものみの塔組織により完全に無駄にさせられた結果になりました。
バブルがはじけてからフリーターという職業?が成立しなくなったので組織は伝道時間のノルマを減らしましたが、兄弟姉妹となって正業に就職している人は差別され、コンビニなどでアルバイトをしながら伝道活動をしている兄弟姉妹が尊敬されるという変な差別社会になっています。
信者の男女交際についてですが、原則として信者同士以外の男女交際は禁止です。そして結婚を前提としない男女交際(恋愛)は不品行な行為とされ禁止されています。 信者が非信者の異性知り合って、時間がたつにつれ恋愛感情が芽生え、結婚を前提として正式に交際しようとする場合は、非信者がエホバの証人になるのが交際を認めてもらえる絶対条件で、その人が信者になりそうもないと判断された時点で長老(牧師)と親により男女交際は禁止されます。
また、独身だろうが既婚者だろうが、配偶者以外の異性とSEXすると審理委員会にかけられて排斥になりますので、独身者は結婚するまでSEX厳禁で、男女ともオナニーは禁止されています。(以前は正常位以外のSEXも禁止されていました)
そのため結婚は相手の性格をよく知らないままの一発勝負の結婚になりがちで、不幸にも結婚生活に失敗した場合、浮気以外の理由の離婚は原則的に駄目で、完全な家庭内離婚状態なのに組織が離婚を許可してくれないからという理由で離婚できない夫婦もいます。
信者がものみの塔の定めた決まりを破ると「審理委員会」という弁護士無しの裁判にかけられ、有罪の場合は排斥になります。排斥とはエホバの証人社会から完全に村八分にされる制裁行為の事を言い、街で会っても挨拶も会話も一切禁止で、穢れた物を見るように元の仲間達から徹底的に避けられます。そして排斥された信者の家族もその立場によっては会衆内で制裁を受けますし、排斥者の家族も排斥者とのつき合いにいろいろと制限があります。
そのため自分一人だけが信者の1世信者の場合はエホバの証人を辞めたくなればいつでも容易に辞めることができますが、家族が信者である2世信者の場合は、下手なやり方でエホバの証人を辞めると必ず家族に必ず迷惑がかかるシステムになっています。そのため、不活発という形でものみの塔を離れ、エホバの証人と完全に縁を切りたくても家族に迷惑がかかるからものみの塔と縁を切れないという元信者がいっぱいいます。
また、「牧羊訪問」というシステムにより、精神的に落ち込んだりやる気がなくなったりした信者に長老が個人的な指導をして、また元気にさせてやる気を出させてるシステムがあり、信者同士で「励まし」と呼ばれる独特なやりかたでやる気を出させるシステムがあります。こういう人と人のつながりは一般社会ではまずあり得ないエホバの証人社会独特のウェットな人間関係なため、この人間関係に完全に慣れてしまうと、「もしエホバの証人を辞めると誰も私のことを励ましてくれなくなるから私の心は絶対に耐えられない」という甘えた精神構造になりがちです。
1世と2世を比較すると宗教に対してものすごい意識のギャップがあり、両者のものみの塔とエホバの証人に対する捉え方は全然違います。総じて1世は人を疑いたくないお人好しが多く、2世は他人を信用しない人が多いです。これは2世が長期間にわたる強制的な宗教教育を生き抜くために、親や組織に対して『面従腹背』で生き抜く技術を身に付けて来たからです。そして1世は自分が努力すると楽園に行って不老不死になれるというものみの塔の教理に魅力を感じて信仰していますが、2世は、楽園の希望よりハルマゲドンで滅ぼされる死の恐怖から信仰している人が多いです。
さらに、1世はエホバの証人を辞めると単純に元の一般人に戻るだけですが、2世は元になる世界が最初から無いため、ものみの塔を辞めるということは、外国でたった一人で生活していくような孤独感を感じます。そのため組織を辞めたくてもやめれない人もいるし、辞めてもハルマゲドンで滅ぼされる恐怖からまた組織に戻ってしまう人もいます。
いろいろな理由や事情があって2世の子供達はエホバの証人を辞めるわけですが、辞めたからって簡単にこの宗教とおさらばできるわけではありません。最近はキリスト教の牧師がいろいろと精力的な活動をしてますし、インターネットで様々な情報が手にはいりますので、ものみの塔の教理のおかしな点や明らかに間違っている事や矛盾点を知り、組織に騙されたと気がつき目が覚めた元信者がいっぱいいるわけですが、子供の頃からエホバの証人をやっていた2世は、『太陽が毎朝東の空に出てくるのと同じように、ものみの塔の教理は絶対に正しい!』と体に叩き込まれていますので、牧師やインターネットの情報を知っても、それはものみの塔が間違っているのではなく、ものみの塔の組織運営が間違っているのであって、その教理を作ったものみの塔のエホバ神の教えは絶対に正しい。という矛盾した答えに捕らわれてしまい、簡単にこの宗教の束縛から逃げることができません。この状態から回復するのに軽く10年以上の回復時間がかかります。
私は1959年頃2歳半で入信、1973年に15歳で排斥されましたが、私がものみの塔のくびきから回復するのに15年近くかかっています。私の時代には情報が何もありませんでしたので、キリスト教系の情報は何も役に立たず、仏教系の情報を勉強して、ものみの塔とは違う別の世界の価値観を作り上げ、それを受け入れることでものみの塔のくびきから解放されました。今はインターネットに接続して検索エンジンに「エホバの証人」と入力するだけでいろいろな情報が簡単に手に入る時代になり、ネットの情報を知ることで回復していく人たちを見ていると、私が3年5年とかかった解決の道のりが数ヶ月単位で回復していくようで、いかにインターネットでの情報の共有が大事かがわかります。
にこやかな笑顔で誠意を持って精力的に伝道しに来る人当たりのいいエホバの証人達を、「こんなにいい人達なんだからきっといい宗教なんだろう」などと単純に判断して気楽に入信すると、かげがえのないあなたの人生をどぶに捨てる羽目になります。人間的にいい人の裏には、毎週毎週行われる「神権宣教学校」と「奉仕会」での、実演付き、事後評価点付きの厳しい伝道訓練が隠されています。
ものみの塔では信者個人個人の幸福より組織の存続と発展が何より大事で、100年以上前から、「もうすぐ来る、もうすぐ来る」と言われ続けている楽園のために、信者が宗教を営業することで存在し続ける宗教団体です。
エホバの証人達が人間的にいい人だからものみの塔もいい宗教だろうなんて間抜けな判断はしないでくださいね。あなたが入信して熱心な信者にったあかつきには、交通事故での大量出血とか、出産の際の大量出血で緊急に輸血をしないと命が助からない状況になった時、断固として輸血を拒否して死を選択するようになります。
信者が輸血を拒否して死を選ぶ本当の理由は、「血を食べるな」と聖書に書いてあるからとか言う、取って付けたような屁理屈な理由じゃなくて、輸血をすると『不老不死』になれなくなるからです。
仮に組織が「新しい光(教理変更の発表)が出て、輸血をしても楽園に行けるようになりました」と言えば、信者達はすぐに輸血を受け入れます。
「永遠の生命」と呼ばれる不老不死はハルマゲドン後の楽園でしか手に入りません。そして輸血をすると楽園に行けませんから不老不死になれません。だから不老不死になるために断固として輸血を拒否します。
輸血拒否はエホバの証人にとって究極の信仰の表明です。輸血を断固として拒否して、自分の信仰を貫いて死んだ人が楽園で生き返れなければ、普通の信仰を持つエホバの証人は誰一人として楽園に行けないと考えます。ですから輸血拒否で死ぬのは不老不死を確実に手に入れたのと同じ事になります。
仮に今、緊急輸血をして命が助かっても、輸血をした以上、「永遠の生命」はもらえませんから寿命で死ぬことになります。生きてハルマゲドンを通過したいのは誰でも同じですが、緊急輸血をしないと絶対に命が助からない状況になった時に、信者に選べる選択肢は2つしかありません、
一つは輸血をして、不老不死を手に入れる事をあきらめ、普通の人と同じように寿命で死ぬ道です。もう一つは輸血を拒否して、一度死んで、その後で楽園でゾンビのように死後の世界から生き返って不老不死になる道です。
普通の人がまともな頭で考えたらちょっと信じられない教えだと思いますが、ものみの塔の教えとは、一度信じてしまったら後戻り出来ない特殊な教えですので、気楽に考えず、取り扱いには充分に注意して情報を集めて下さい。
マインドコントロールされた人が、自分はマインドコントロールされていると自覚しているようなら、それはマインドコントロールとは言えません。カエルを煮る時に、熱湯を入れた鍋にいきなりカエルを入れるとカエルは外に飛び出しますが、冷水を入れた鍋にカエルを入れて、弱火でゆっくり煮ると、カエルはそのまま煮上がってしまいます。それがマインドコントロールの基本です。
ここに書いてあるような事は、入信してから数年は経たないと絶対に知ることが出来ない、エホバの証人の教えの奥義にあたります。これを一番最初に一般人に教えたら誰もエホバの証人になんかなりません。なので100年以上の伝統がある組織はそんな間抜けな教育はしません。興味があるからちょっと覗いてみるつもりで気楽に入信すると、いつの間にか「これこそ自分が長い間探し求めていた本当の宗教だ!」ってなっちゃうのが、ものみの塔の優秀な教育システムです。
ものみの塔には『正しいエホバの証人』という見えない鋳型があって、その鋳型が体にぴったり合う人にはとてつもなく幸せな世界ですが、その鋳型にはまらない人には居心地が悪く、毎日が地獄のような世界です。信仰の熱心さは人それぞれですから、全員が全員信仰に熱心なわけではありませんので、中には「あんたそれでもホントにエホバの証人?」と首を傾げたくなるような信者までいるわけですが、この宗教は一度信じたら後戻りできない宗教だから注意して下さいね。
10月12日に上智大学で、日本脱カルト研究会 によるJDCC 第3回公開講座「カルト集団における虐待」という講座が行われ、私もエホバの証人2世のパネリストとして参加したのですが、その際に配布されたレジュメを加筆訂正して公開しました。
上智大学3号館 521大教室にて 13〜17時
● あいさつ 宗 正孝 (カトリックセンター所長、上智大学教授)
● 報 告
高橋紳吾 (精神科医師 東邦大学助教授) 「虐待の精神病理」
紀藤正樹 (弁護士) 「破壊的カルトにおける虐待事例と考え方」
志村 真 (中部学院大学短期大学部助教授 日本基督教団 牧師)「人権侵害的な宗教思想」
● パネルディスカッション
司会
西田公昭 (社会心理学 静岡県立大学講師)
パネラー
統一協会、ズィビィー・パスカル(マインドコントロール研究所長)
オウム、滝本太郎(弁護士)
ライフスペース、男性
ヤマギシ会、女性
エホバの証人、ゆーじ(^ ^;
追記:パネルディスカッションの最後に滝本太郎弁護士より、離婚裁判の証拠物件として提出された、エホバの証人が使う「ムチ棒」を聴衆の前に提示しながらムチについての補足説明がありました。
後日、ムチで叩かれた経験のある元2世に話を聞いたところ(彼の場合はステンレス製の靴べらがムチでした)そのムチは90年以降に主として関西方面で普及したムチで、電気コードを二つに折り曲げて使用するのは、1本で叩くと子供のお尻の皮膚が切れて血が出たり、みみず腫れになるので、2本にすることによりそれを防ぐ効果があり、ムチの長さが普及当時より短い30cm位なのは、親が子供のお尻を力一杯叩いても子供が壊れないようにするためで、会衆内の母親文化の中で長年に渡って培われたノウハウが集約されているムチとのことでした。
2002/10/12