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神権的戦術 後編、国連NGO問題








神権的戦術という人を「だます」ための教理

神権的戦術 前編 1975年10月のハルマゲドン予言













ものみの塔組織が『組織』として存在している理由と目的は、ものみの塔の組
織は神に選ばれた唯一の真理の道への経路であり、エホバの証人がハルマゲド
ンを通過して楽園に行って永遠の生命を得るために神が授けてくれた唯一の道
だからです。


エホバの証人の教えを信じていない一般人がものみの塔の教えを聞くと「はぁ?
馬鹿言ってんじゃねーよ、このタコ! 永遠の生命なんかあるわけねーだろが!
お前ら馬鹿じゃねーの? お前らはいつまでも来ない夢を見てろ!」って思う
わけですが、ものみの塔の教えを真剣に信じている信者達はものみの塔組織の
展開する聖書の世界を他人が何を言おうと真剣に信じているわけです。


ですからものみの塔の世界を信じている人達にとって組織は唯一の存在であり、
組織が信者に対していいかげんな事をすると信者達は今後の自分の人生にかか
わってくる大問題に直結するので非常に困るわけですが、その割には組織が過
去に言ってきた事はご立派だけど実際にやってきた事は信者に対して不誠実す
ぎると思いませんか?


過去にものみの塔組織がやってきたことはネットで調べればすぐにわかってし
まいます。他人の人生と命をこれほどもて遊んできた組織は終わりの日になっ
たら間違いなく一番最初にエホバ神に滅ぼされると確信していますが、組織側
は「自分たちは間違いはあっても嘘は言っていない」と胸を張って信者達に主
張しています。


国連NGOに参加することで聖書に書かれている「緋色の獣に乗った娼婦」にな
ったものみの塔組織。児童性的虐待を起こして裁判になった被告を組織ぐるみ
でかばう組織。戦争には中立を保つと言いながら株で戦争協力する組織。もう
なんでもありでぼろぼろ状態なんですが「自分たちには間違いはあっても嘘は
言っていない」と胸を張って信者達に自分たちの行為を正当化して説明します。


これは言っている組織側にすれば本心からそう思って信者に言っているわけで、
決して信者に嘘を言っているわけではありません。では何故信者に嘘を言って
いるにもかかわらず嘘ではないと主張できるのか?


それがエホバの証人になったら誰でも必ず習う、聖書のヨシュア記に書かれて
いる、娼婦ラハブの行動を手本にした神権的戦術という教理です。これは、
エホバの証人をある程度の期間やっていれば、神権的戦術という正式な名称は
知らなくても、誰でも必ず習う重要な教理です。


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神権的戦術:theocratic war strategy
神権的戦略が翻訳語としては正しいのですが、日本のものみの塔協会が
strategy(戦略)を戦術(tactics)と表現したせいで日本の信者の間では
神権的戦術として知られています。

大辞林第二版より
■[戦略] せんりゃく 〔strategy〕
 長期的・全体的展望に立った闘争の準備・計画・運用の方法。
 戦略の具体的遂行である戦術とは区別される。
■[戦術]せんじゅつ
1)個々の具体的な戦闘における戦闘力の使用法。
  普通、長期・広範の展望をもつ戦略の下位に属する。
2)一定の目的を達成するためにとられる手段・方法。[例:牛歩戦術]

注:これは誤訳とは断定できません。計画を立案して命令する統治体の立場
から見れば戦略であり、それを受けて実行する末端信者の立場から見れば戦
術ということです。ですからここでも組織の指導に従った末端信者の立場か
ら見たと技法と言う意味で、当時の日本の信者によく知られた言葉である、
神権的戦術と表記します。

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エホバの証人が伝道の時に、明らかに宗教の布教行為をしに来たのに「これは
宗教の勧誘ではありません。私たちはボランティア活動をしています」とか、
「このあたりを一件一件まわって奉仕活動をしています」と嘘を言って布教活
動をするように指導されるのは神権的戦術です。


神権的戦術とは「神の(ものみの塔の)目的を達成するためには、法律に触れ
ない範囲で何をやっても全て許される。」という考え方で、「ものみの塔の目
的を達成するためには、必要な場合、異邦人(非信者)を騙しても、エホバ神
は全て許してくれる」という教えです。


しかし、エホバの証人の信者達は、神権的戦術とは自分たちが必要に応じて非
信者に使うものであって
、ものみの塔協会に神権的戦術を使われて、自分たち
が組織にだまされるとは考えていません
。これがものみの塔協会が信者たちに
使う神権的戦術の応用戦術です。


その応用戦術とは、JWの内部情報を知ることが出来る「知る権利のある」階
級のエホバの証人は、下位者(信者と非信者)に対して、必要に応じて偽りを
言って良いという教えです。そして、神権的戦術の応用戦術を知らされていな
い末端信者は「知る権利のない人たち」です。


それがわかる人は「エホバの証人はだまされている」と言い、当のエホバの証
人たちは「エホバ神の真理は斬新的に民に伝えられる。神の組織に何かまちが
いがあっても、人間は不完全だから間違いはある。だから私たちは正しい。
一日も早くエホバの証人にならないとみんなハルマゲドンで滅ぼされる。それ
までに一人でも多くの人に神の真理を伝えなくては。」と思い込んでいます。




神権的戦術とは何か


情報ソースはものみの塔聖書冊子協会が希望する信者達に提供している、
過去のJWの出版物をデータベース化したソフト Watchtower Library
19971999 日本語版です。

このソフトはCD-ROM1枚で供給される無償のソフトウェア(寄付ウェア)で、
JW信者だけが手に入れれる限定配布のソフトですが、コピープロテクトが
何もかかっていないという優れものでもあります(^^)



このソフトの「索引 1951-1985」で、『戦略』と入れると『戦い(霊的な)』
と出てきます。その中の『戦術』を選択する次の4つが出てきます。

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塔83 6/1 17-21 p,17,「戦列に群がり集まる」
        p,21, 真理に反対する人たちに対して
           わたしたちはどんな立場を取りますか

塔60 298  (この出版物は Watchtower Library に含まれていません)
塔57 213  (この出版物は Watchtower Library に含まれていません)
塔56 195-94(この出版物は Watchtower Library に含まれていません)
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最近JWに入った信者が過去のことを調べようと思った時には、Watchtower
Libraryは必携で、これがあるから過去の出版物のことを簡単に調べれるわけ
ですが、「この出版物は Watchtower Library に含まれていません」では神権
的戦術に興味を持った信者が詳しく知りたいと思ってもなかなかわからないよ
うに作ってあります。


ものみの塔の日本語版が発行されたのは1951年からだそうですが、一般に出回
ったのは1956年頃からです。Watchtower LibraryのCD-ROMの容量は334MB、CD-
ROMの容量一杯で650MBですから容量が足りないわけではありません。そして英
語版のWatchtower Libraryにはその時代の出版物がちゃんと入っています。


しかも、【Watchtower Library-1999 日本語版】では、1975年のハルマゲドン
予言の事を検索しても『出てこない!』という信じられないような優れた検索
機能を持っています。



これこそ神権的戦術なんですが、Watchtower Library-日本語版で、
【この出版物は Watchtower Library に含まれていません】として
隠された部分はこうなっています。




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塔56 195-94(この出版物は Watchtower Library に含まれていません)

・日本語版の現物は手に入りませんでした。
・Watchtower Library英語版で同一記事と確認しました。
・この時期の「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌は翻訳作業
 のために英語版より1ヶ月以上遅れて発行されています。
 そのため日本語版ではページ数のみの表示になっています。


*** Watchtower 1956 Feb 1 pp.88-89 Cautious as Serpents Among Wolves ***

*** 塔56 195-94 狼の中にいて蛇のごとく用心深くありなさい ***
  (ものみの塔 1956年 195ページ 94節)

45 We dare not lie against God's Word, adding to it or taking away from
it, reading into it what it does not say and denying, passing over or
explaining away what it does truthfully say. "Every word of God is tried:
. . . Add thou not unto his words, lest he reprove thee, and thou be
found a liar." (Prov. 30:5, 6, AS) We may not tell untruths in his name,
for that puts God in the light of a liar. "Let God be found true, though
every man be found a liar." (Rom. 3:4, NW) In Jeremiah's day the false
prophets prophesied lies in Jehovah's name and lied against his purpose,
foretelling in his name what he had not foretold. Therefore Jehovah was
against them. He executed judgment against them at Jerusalem's destruction
in 607 B.C. (Jer. 23:25; 27:15) Religious liars like them today cannot
escape a like judgment but will meet a like end at Armageddon.

45 私たちは、僭越にも、神のみ言葉に付け足したり、取り去ったり、語
っていないことを読み込んだり、それが真に語ってることを否定したり、
省略したり、言葉巧みにごまかしたりして、神のみ言葉に対して偽って
はなりません。「神のことばはすべて精錬されている。[神]はご自分の
もとに避難する者たちの盾である。その言葉に何も付け加えてはならな
い。[神]があなたを戒めることのないため、あなたがうそをつく者とさ
れないためである。」(箴言30:5.6)私たちは、神の名において、
真実でないことを語ってはなりません。なぜならそうすることによって
神が偽る者であることになるからです。「断じてそのようなことはない
ように! むしろ、すべての人が偽り者であったとしても、神は真実であ
ることが知られるように。「あなたが言葉において義なることが証明さ
れ、裁かれる際には勝つため」と書かれているとおりです。」(ローマ
3:4新世界訳)エレミヤの時代には、偽預言者達がエホバの名のもと
に偽りの預言を語り、エホバのご意志に反して偽りを語りました
。つま
り、エホバの名のもとに、エホバご自身が語られなかったことを予言し
たのです。それゆえ、エホバは彼らに敵対されました。エホバは紀元前
607年のエルサレム崩壊で、彼らに対する裁きを執行されました

(エレミヤ23:25;27:15)今日、信仰上の事柄について彼ら
のように偽りを語る者は、同様の裁きを免れることができないばかりか、
ハルマゲドンで、同様に滅びることでしょう



46 Never swear falsely in Jehovah's name. Jehovah declares that at his
temple he will be a "swift witness against . . . the false swearers."
(Mal. 3:5, AS) Never take an oath in his name and then tell lies as a
sworn witness. Rahab of Jericho was under no oath in Jehovah's name to
tell the facts to the king's officers and hence was not a false swearer
or a false witness. "A faithful witness will not lie; but a false witness
uttereth lies." (Prov. 14:5, AS) A faithful witness does not love a false
oath. So he tells the truth as he swore to do. What he does speak will
be the truth. If he speaks at all he will tell the truth. To the extent
that he chooses to talk he will state the truth. If for conscientious
reasons he refuses to tell everything he will be willing to suffer the
consequences if he be judged deserving of a penalty. He refuses to tell
everything, not to escape punishment, but facing punishment for
conscientious reasons. Even Jesus kept silent before Pilate, refusing
to answer though knowing Pilate's power.-John 19:8-11.

6 エホバの御名において、偽りの誓いをしてはなりません。エホバは、
ご自身の神殿で「偽りの誓いを立てる者に対し...速やかな証人」
(マラキ3:5)となると、明言されています。エホバの御名において、
誓いを立てたうえで、宣誓証人として偽りを語ってはなりません。エリ
コにいたラハブは、王の役人に事実を語るという誓いを、エホバの御名
のもとに立ていませんでした。それゆえ、偽りの誓いをしたわけでもな
く、偽証人だったことにはなりません
。「忠実な証人はうそを言わない。
しかし、偽りの証人はただうそを吐く。」(箴言14:5)忠実な証人
ならば、偽りの誓いを好みません。ですから、宣誓の通りに真実を語り
ます。その人が語ることは真実となるでしょう。もし、人前で話すなら
ば、その人は真実を語るでしょう。その人がある程度までを選んで話そ
うとするならば、その人は真実を提示することになります。もし良心的
な理由で全てを話すことを拒否するならば、その人は、たとえ刑罰に価
するという判断がされる場合でも、その結果を進んで受け入れるでしょ
。その人が全てを語ることを拒否するのは、罰を逃れるためではなく、
良心的な理由によって罰を受けるためです。イエスでさえも、ピラトの
権力を知りつつも返答を拒否し、彼の前で沈黙を守られました
。−ヨハ
ネ19:8−11

注:引用聖句は全て日本語版新世界訳です

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塔57 213  (この出版物は Watchtower Library に含まれていません)


ものみの塔1957年6月1日号 213ページ


ものみの塔1957年6月1日号 213ページに書かれている「神権的な戦略を用い
なさい」を要約すると、非信者にものみの塔の布教活動をする時は、

1)神の御国の良いたよりを伝道せよ、といういましめを成しとげる唯一の
  方法は、神権的戦略(嘘偽り)を用いることによるのです。

2)霊的な戦(布教)のときには真相をかくすこと(不正行為)により敵を欺
  いて良いのです。それは無私の気持ちでなされています。誰も害しません
  しかえって多くの善をなします。

3)クリスチャン(エホバの証人)が証言台に立つとき(裁判で証言する時)、
  時には(必要な場合)、兄弟達のこと(組織のこと)や神の業のことを知
  らせる(その場を利用してJWの布教活動をする)よりも、語るのを拒絶
  してその罰を受ける方を選ぶこともできます。(拒絶しろと言っている)


つまり、禁令下や迫害下ではものみの塔の布教活動に嘘偽りと不正行為が必要
不可欠であり、神の名のもとに無私の心で行う不法行為は誰も害さないから正
しい行いだとして、偽証という違法行為を神権的戦術という名で正当化してい
ます。


こういう考え方は非信者の人達にはショックかもしれませんがJW経験をして
いると特に不思議にも思わないごく当たり前の考え方です。これは自分たちの
教えは絶対に正しくて他の考え方は全て間違っているという考え方で、民主主
義は絶対に正しくて共産主義は絶対に間違っているという考え方に共通します。

注:共産主義も選挙で党員を選ぶ民主主義なわけですから、資本主義対社会主義、
あるいは個人主義対全体主義と言うのが正しいわけですが、一般認識としての民
主主義対共産主義と言う意味です。


では自分たちの仲間であるエホバの証人同士に対してはどうかと言うと、

4)クリスチャン兄弟達(バプテスマを受けた男性達)に対しては、戦略を用
  いる必要はありません。兄弟たちには真相を語るか、又は兄弟の知りたい
  と思うことは兄弟に関係するものではない、ということと巧みに告げます。


ものみの塔という宗教は今時珍しい女性蔑視宗教で、その女性にどんなに能力
があったとしても女性信者は管理する側にはなれません。管理できるのは能力
的に無能であっても男性の兄弟だけです。伝道の際に集団を誘導するのが兄弟
の役目で、男性が中学生で残りが全部おばさん集団の伝道であっても集団を誘
導するのは中学生兄弟の仕事です。




そしてこの後で神権的戦術についてもう少し詳しい説明が組織から出ます。


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塔60 298  (この出版物は Watchtower Library に含まれていません)

ものみの塔 1960年8月1日号298ページ「読者からの質問」

特定な状況によっては、クリスチャン(注:エホバの証人)が真実の事を語
らねばならぬという義務に例外が設けられていますか
、という質問の手紙が協
会に時折り送られてきます。その質問に対する答えをいたします」

神のみ言葉は次のように命じています
「おのおの隣人にたいして、真実を語りなさい」(エペソ、4:25、新口)
しかし、誰でも彼でも、その尋ねること全部に答えねばならない、という意味
ではありません。知るべき立場と資格を持つ人には真実のことを言わねばなり
ません。しかし、その資格を持たない人には、言わなくてすみます。しかし、
嘘を言ってはなりません
。(中略)

しかし、クリスチャンが常に留意しなければならぬ一つの例外があります。キ
リストの兵士であるクリスチャンは、神権的な戦争を行っています。それで、
神の敵に接する際は、いっそうの注意を払わねばなりません。聖書の示すとこ
ろによると、神の側の益を守るために神の敵から真実を隠すことは適当です。

このことについての聖書的な一例は、娼婦ラハブの例です。彼女は、イスラ
エル人の神エホバを信じていたのでイスラエル人の間諜をかくしました。彼女
は、その行いと言葉によってこのことをいたしました。エホバがその行いを是
認されたことは、ヤコブが彼女の信仰を誉めている事からわかります−ヨシュ
ア2:4、5.ヤコブ2:25

このことは、1956年5月15日号の「ものみの塔」内に(注:上記の英文)
説明されているごとく「戦術」ということであり、また、狼の中にいて「蛇の
ごとく用心深く」しなければならぬ
というイエスの助言とも一致するものです。
クリスチャンが証言台に立って真実を語ると宣誓させられる場合、発言するな
らそれは真実のものでなければなりません。発言して兄弟たちを裏切るか、あ
るいは発言しないで法廷侮辱罪を受けるか、そのどちらかを選ばねばならない
とき、円熟したクリスチャンは自分の福祉よりも兄弟たちの福祉の方を重んじ
ます
。イエスの次の言葉を記憶しているからです「人がその友のために自分の
命を捨てさること、これよりも大きな愛はない」−マタイ10:16

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ヨシュア記に書かれている娼婦ラハブの例について

(この記事は Watchtower Library に含まれています)

ものみの塔1993年12月15日号 25ページ

*** 塔93 12/15 25 ラハブ―信仰の業によって義と宣せられた ***
ラハブが斥候の追っ手たちをだましたことについてはどうでしょうか。神はラ
ハブの行動を是認なさいました。(ローマ 14:4と比較してください。)彼女
は神の僕を守るために危険を冒し,自分の信仰を表明しました。悪意のある偽
りはエホバの目に悪いことですが,人は聞く権利のない者に真実の情報を明か
す義務はありません
。イエス・キリストでさえ,不必要な危害を招く恐れがあ
った場合,事の詳細を述べたり,直接答えを述べられたりはされませんでした。
(マタイ 7:6; 15:1-6; 21:23-27。ヨハネ 7:3-10)敵の役人たちをだました
ラハブの行動も,明らかにそのような見地に立って見るべきでしょう


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ものみの塔 1960年8月1日号「読者からの質問」
知るべき立場と資格を持つ人には真実のことを言わねばなりません。
しかし、その資格を持たない人には、言わなくてすみます。しかし、
嘘を言ってはなりません



つまりエホバの証人は「情報を知るべき立場と資格を持つ」上位の階級の信者
(長老以上の階級者)には一切の事実を言わなくてはならないが、「知るべき
資格を持たない」自分と同じ階級か自分より下の階級の信者には本当の事を言
ってはならないとされ、信者同士での嘘は良くないが必要な場合は「沈黙しろ」
とされました。そして聞く資格が無いのにやたらと聞きたがる信者は組織にと
って要注意人物ですから信仰レベルが落ちた危険人物と判断され、ますます情
報から遠のく事になります。


研究生の男性がバプテスマを受けて正規信者になると会衆内で様々な責任を持
たされます。その際に長老からしつこく念押しされるのは、知った情報の取り
扱いの注意についてです。軽々しく知った情報を漏らすと他の信者達の信仰レ
ベルが下がる場合があるので、相手の信仰に影響を与えるような事のないよう
に情報の取り扱いには細心の注意を払うように指導を受けます。これも神権的
戦術です。


「それは昔のJWの話でしょ、今は全然違うんじゃないの?」そう思う人が中
にはいるかもしれません。しかしJW組織の体質は昔から何も変わっていませ
ん。120年以上の伝統がある出来上がった組織の体質がそんなに簡単に変わ
るわけがないです。















「個人のプライバシーに関する情報と仲間の兄弟や会衆全体の権益に不利な影
響を及ぼすと思われる事柄」は、仲間に対する愛ゆえに漏らしません。

わたしたちは、「外部の人に対しつねに知恵をもって」接し、「蛇のように用
心深く……ありなさい」という忠告に従います。(コロ4:5。マタ10:16)



「蛇のように用心深く……ありなさい」 これは前掲した ものみの塔 1960年
8月1日号298ページ「読者からの質問」の「狼の中にいて蛇のごとく用心深くし
なければならぬ」とまったく同じです。

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ものみの塔 1960年8月1日号298ページ「読者からの質問」

しかし、クリスチャンが常に留意しなければならぬ一つの例外があります。キ
リストの兵士であるクリスチャンは、神権的な戦争を行っています。それで、
神の敵に接する際は、いっそうの注意を払わねばなりません。聖書の示すとこ
ろによると、神の側の益を守るために神の敵から真実を隠すことは適当です。
このことについての聖書的な一例は、娼婦ラハブの例です
。彼女は、イスラ
エル人の神エホバを信じていたのでイスラエル人の間諜をかくしました。彼女
は、その行いと言葉によってこのことをいたしました。エホバがその行いを是
認されたことは、ヤコブが彼女の信仰を誉めている事からわかります−ヨシュ
ア2:4、5.ヤコブ2:25

このことは、1956年5月15日号の「ものみの塔」内に(注:前掲の英文)
説明されているごとく「戦術」ということであり、また、狼の中にいて「蛇の
ごとく用心深く」しなければならぬ
というイエスの助言とも一致するものです。
クリスチャンが証言台に立って真実を語ると宣誓させられる場合、発言するな
らそれは真実のものでなければなりません。発言して兄弟たちを裏切るか、あ
るいは発言しないで法廷侮辱罪を受けるか、そのどちらかを選ばねばならない
とき、円熟したクリスチャンは自分の福祉よりも兄弟たちの福祉の方を重んじ
ます
。イエスの次の言葉を記憶しているからです「人がその友のために自分の
命を捨てさること、これよりも大きな愛はない」−マタイ10:16

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そしてこの長老団宛の手紙の内容はものみの塔の教える神権的戦術そのもの
です。現在のものみの塔組織も「知る権利のある」日本全国の会衆の長老達
に対して、自分たちの布教活動を完遂するために、神権的戦術を使って日本
の官憲を騙せと明確に命令しています。








1960年代の日本のエホバの証人達は嘘が言えない馬鹿正直集団でした。構成員
が数千人程度だったことと、当時は教理の変更がほとんどなく、あっても追加
や補足の教理だけで教えが首尾一貫していたという理由もありますが、とにか
くみんな嘘が言えない正直者揃いで、組織にとって都合が悪いことは微笑みな
がら沈黙するという組織の指導通りの対応をしていました。長老も組織の情報
を末端信者達には漏らしませんが、末端信者に言ってはまずいことには微笑み
ながら沈黙するという組織の指導通りの対応をしていました。


それが変わったのは1975年のハルマゲドン予言がはずれてからです。1975年の
10月にハルマゲドンが来ると組織が予言し、当時の信者達の多くはそれをまと
もに信じて伝道に血道をあげてその日を待ったわけですが、結局その日が来て
も何も起こりませんでした。それにより大量に信者が辞めていきました。


自分たちの教理が間違っていた事を絶対に認めたくない組織は「我々は最初か
ら予言などしていない」と強引な強弁を繰り返し、さらにそれを隠すために教
理がころころ変わるようになり、今日と昨日の言うことが全然違う朝令暮改状
態になってしまいました。そして首尾一貫した対応をとれなくなった組織は神
権的戦術の悪用を始めます。


それが「アダムが生まれてから6000年目は1975年10月である」とする1975年の
ハルマゲドン教理の代わりに作られた、「エバが生まれた時はわからない」
する新しい教理と「1914年を見た世代がいなくなるまでにハルマゲドンが来る」
という教理とその運用方法です。

それ以前は、ものみの塔1968年8月15日号499ページで、『エバが生まれた
のはアダムが生まれた年と同じ西暦前4026年であり、アダムが生まれてか
ら2〜3週間後あるいは2〜3ヶ月後にエバが作られた』と明確に主張してい
たのにです。



1975年の嘘予言を生き残った古い世代の信者と、1975年の事を何も知らない新
しい世代の信者達は、21世紀までに間違いなくハルマゲドンが来るからと必死
になって伝道して信者拡大に勤めました。その結果、1976年以降に入信してき
た新しい世代を中心となって組織が大ブレイクして組織は大躍進を始めますが、
1976年に入信しても組織にいる間は1975年の事を何も知らなくて、JWを辞め
てから1975年のハルマゲドン予言のことを初めて知った元信者も普通にいまし
た。これが組織が始めた神権的戦術の悪用です。


1975年以前の教理と新しく始めた教理が首尾一貫していないから組織は信者か
らの質問にまともに反論できない。反論できないから外部には沈黙して内部に
は「我々は間違っていない、間違っているのは外部だ」と勝利宣言して「世の
中の情報は全てサタンだ」と情報閉鎖しテレビを見ることまで禁止して信者を
囲い込み、組織の対応に不満を持つ信者は「腐った林檎」だとして次々に審理
委員会にかけて排斥して組織の引き締めと粛正を始めます。(悪夢の80年代
の排斥の嵐はこうして始まりした)


その後21世紀が近づき、1914年を見た世代がいなくなるまでにハルマゲドンが
全然来そうもないので、焦った組織は1995年に教理を突然変更して、ハルマゲ
ドンは「夜の盗人のように突然来る」とか「常にハルマゲドンを意識して生活
して、その日に備えましょう」とか、わけのわからんことを言い出して現在に
至ります。





ではJW組織は1975年のハルマゲドン予言で信者をだましのか?


結論から言うとJW組織は信者をだましたつもりはありません。なぜなら組織
は1975年10月までにハルマゲドンが来ると本気で信じていたからです。そして
聖書に「神の名を騙って偽りの予言をするな」と警告してあるにもかかわらず、
全てをかけて勝負して、見事に予言がはずれて自爆してしまい、ものみの塔協
会は聖書に書かれている『偽預言者』であり『偽りの宗教』であると自らが証
明してしまったわけです。

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申命記 18:20〜22 (新世界訳)

20 「『しかし、話すようにとわたしが命じたのではない言葉をあえて
  わたしの名において話し、あるいは他の神々の名において話す預言者、
  その預言者は死ななければならない。

21 そして、あなたが心の中で「エホバが話されたのではない言葉を
  どのようにして知るのか」と言う場合であるが、

22 もし預言者がエホバの名において話しても、その言葉が実現せず、
  そのとおりにならなければ、それはエホバが話されなかった言葉である。
  その預言者はせん越にそれを話したのである。あなたはその者に
  恐れ驚いてはならない」。


※1975年のハルマゲドン予言をした統治体の責任者、JW3代目会長 ネイサン・
 ノアは、予言がはずれた2年後の1977年6月8日に72歳で死亡しました。

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当時、ガキんちょ2世だった私が見た1975年

当時、何故あれほど信者達は1975年のハルマゲドン予言を真剣に信じて燃え上
がったのか? この時代を経験したことがない人には本当の理由を理解するの
は難しいでしょう。その事情を私がリアルタイムで現場にいて実際に経験した
ことで説明すると、1960年代のJWの教理では「終わりの日には天の見えない
しるしがある」とされていました。(当時は米ソの冷戦時代でベトナム戦争も
ありましたが国際的な大紛争は無く日本は全体的にのんびりした時代でした)


当時の出版物からはなかなか読みとれないんですが、当時の講演では「終わり
の日のしるし」とは、「聖書理解を現代に当てはめると、14万4千人という
が天のしるしのはずだ」と言われていました。その時に「終わりの日のしるし」
と考えられたのが全世界のエホバの証人のバプテスマを受けた兄弟姉妹の年間
単位の合計数です。

注:これは予言ではないです。「聖書解釈を現代に当てはめて論理的に考察すれば
そういう結論にならざるを得ない(どこがじゃ!)」という信者向けの教理解釈です。



当時は全世界のバプテスマを受けた信者の合計数はJWの出版物には掲載され
ず、大会の後にバプテスマを受けた信者の集計がまとまった数ヶ月後に、木曜
日の夜の集会の時に「この発表は外部に漏らさないようにしてください」と注
意した上で口頭で発表されるわけですが、1960年代後半の世界中のバプテスマ
を受けた兄弟姉妹の合計は8万人程度でした。


しかし協会側は大会や公開講演で「ハルマゲドンが来るのはバプテスマを受
けた兄弟姉妹の合計数が14万4千人を超えた時である」とは言わないわけです。
暗にそう言うだけで、言質を取られないように注意深く講演するわけですが、
協会が教える話を組み立てると「終わりの日のしるしとは全世界のバプテス
マを受けた兄弟姉妹の合計数が14万4千人になった時であり、その時にハルマ
ゲドンが来て楽園になるはずだ」となるわけです。


当時は神権的戦術という話はたまに取り上げられていましたので、信者達はこ
れは組織が研究生や外部向けに行う神権的戦術の一つと考え、「統治体は間違
いないと断定出来るほどの確信はないが、状況からしてその可能性は極めて高
いと思っている」と受け止めました。そして研究生は早く楽園になるために、
一日も早く兄弟姉妹になりたがったわけですが、当時は兄弟姉妹になるための
ハードルは高く、最低でも2年の聖書研究期間が必要で、さらに会衆の成員の
半分が研究生だったため、兄弟姉妹の貴重さは今で言う開拓者並でした。


当時は、特別開拓者240時間、正規開拓者120時間(但し兄弟のみで姉妹は駄目)
補助開拓者90時間の時代で、夏休み用の学生用に休暇開拓90時間なんてのもあり
ました。休暇開拓以外は開拓を申し込む前に2ヶ月の奉仕時間の実績が必要で、
3ヶ月目にやっと開拓者と呼ばれる時代でした。(今は楽だよねぇ、遊びじゃん)


信者達は「あと少しがんばればきっと叶う夢」と受け止めて必死になって伝道
していたわけですが、14万4千人を超えてもなかなか楽園の兆しが見えなくて、
やる気をなくしかけた頃に燦然と現れたのが「アダムが生まれてから6000年目
は1975年である」「1975年10月までに間違いなくハルマゲドンが来る」という
春髷丼予言です。


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当時、毎週火曜日の夜に行われる集会『聖書研究会』(当時の呼び方)
で学ぶために使われていた書籍

(この出版物は Watchtower Library に含まれていません)

◆『宗教は人類の為に何を成したか?』(1955年)2歳半〜
  エジプトをはじめとする古代の宗教から、ヒンヅー教、仏教、儒教、回教、
  キリスト教などについて解説している。例えば、21章は、キリスト教は
  2世紀から3世紀にかけて、三位一体という異教の教えに感染されてできあ
  がった宗教であると教えている。(私の母親はこれでバプテスマ)

※この間に1冊あるかも? まったく記憶にない

◆『御心が地に成るように』(1963年)小学校1年〜
  主の祈りの一節に基づいて、旧約聖書時代を出発点として、1914年にはじ
  まる終末の時代にいたるまでの歴史を明らかにしている。69年の『とこし
  えの命に導く真理』の出版までは、研究生は本書によってものみの塔の信
  仰を学んだ。

◆『神が偽ることのできない事柄』(1966年)小学校4年〜
  3聖書の歴史を通して、神が人間にどのような生活を望んでおられるかを、
  時代を追いながら扱っている。70年から81年頃までの間、バプテスマを受
  ける人は、バプテスマの準備のためのテキストとして学んだ。
  (私はこれを勉強して中3でバプテスマ)

◆『神の自由の子となってうける永遠の生命』(1967年)小学校5年〜
  神に違反した人間は本来死を経験しなければならない。ところが、神はみ
  子によってその死から解放し、自由にしてくださる。その自由を受けた者
  はどのように生きたらよいのか、結婚、政府に対して、血に対する姿勢な
  どについて扱っている。人類の歴史の一覧表(31-35頁)は1975年を6,000
  年の終わりとしている。

◆『とこしえの命に導く真理』(1969年)中学2年〜排斥まで
 『あなたも地上の楽園で永遠に生きられます』が出版されるまでは、本書が
  研究生の学びに用いられた。「この本はあなたとご家族が聖書の基礎的な
  教えを学ばれるのに役立ちます。キリスト教世界(教会)の宗教が幾世紀
  もの間、教えてきた誤りを明らかにし、あなたを永遠の生命の喜びに導く
  真理を知らせます」と序文で紹介されているとおり、多くの人が本書によ
  ってエホバの証人になった。本書の表紙が青いところから、「青い爆弾」
  と呼ばれたりした。(読んでてつまんないし悪翻訳だし内容が難解だし
  この本には泣かされました。後編で解説している、結論から逆に読んで
  文章が言いたい内容を推察する読み方はこの本で学びました)

情報ソース新世界訳研究会

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「皆さん、次の大会は楽園でお会いしましょう!」

これが、後に統治体メンバーになった当時の日本のJWの総責任者で日本支部
監督の故ロイド・バリー氏が、1972年の夏に東京競輪場(現東京ドーム)で行
われた「1972 エホバの証人の全国大会」の最終日に発言したセリフです。
(その時私は中学2年生でした)


信者達はその数年前から「楽園はもうすぐだ、あと少しだ」と煽りに煽られて
いましたが、いつまで待っても楽園は来ないわけで、その欲求不満から意気消
沈状態になっていたんですが『神の自由の子となってうける永遠の生命』とい
う書籍を学び出してから少しずつ将来に希望を持つようになってきました。


毎週火曜日の聖書研究会で『神の自由の子となってうける永遠の生命』を少し
ずつ学習していきますが、その時に組織の公式見解が出ます。先を読んで自習
するのは個人の自由ですが、組織の教えとは、「本に書いてある内容+その時
に司会者から解説される組織の公式見解」が本当に学ばなければならない内容
ですから、学ぶ内容が「アダムが生まれてから6000年目は1975年である」に近
づくに連れ期待感が高まってきました。「もしかしたら今度こそ本当かもしれ
ない」「でも協会は慎重だからそんなに簡単に楽園の期日を認めるわけがない」
そう信者達は噂しあっていました。


そして「1972 エホバの証人全国大会」で、金曜日のプログラムの昼休み前の
最後の講演である若い兄弟が講演したんですが、その兄弟の講演で「アダムが
生まれてから6000年目は、これこれこういう理由で1975年の10月26日です」と
具体的な「日付」の重大発言をしました。そして講演が終わる時の最後のセリ
フで「皆さん、次の大会は楽園でお会いしましょう!」といきなりぶち上げま
した。


具体的な日付の発表でびっくりしていたところに、1年後の全国大会までに楽
園が来るの可能性があると言い出したわけですから、その瞬間大会会場はどよ
めいたんですが、よく意味のわかって無い人もたくさんいて、会場の半分の聴
衆は興奮状態でしたが、残りの半分の聴衆は意味がよく理解できず、????
状態でした。


この頃の大会は全4日行われ、初日の木曜日は開拓者以上のみ出席で(要は
大会前のミーティングということ)一般信者は金,土,日の3日間の参加です。


その後の昼食で(当時は自発奉仕による昼食提供があった)食事を食べるため
に競輪場の2階の廊下で並んでいる長老クラスらしい兄弟達が興奮状態で話し
あっていて、その廻りにいた姉妹達と子供達(含む私)は耳をダンボにして話
を聞いていたわけですが、その長老クラスの兄弟達の話の内容を総合すると、
「講演内容から言って、アダムが生まれてから6000年目に間違いなく楽園にな
ると言い切れるのか?あの兄弟が講演の最後に言った『皆さん、次の大会は楽
園でお会いしましょう!』のセリフは、あの兄弟1人の暴走発言だったのでは
ないのか」「確実なのは支部監督のロイド・バリー兄弟の発言にかかっている
のではないのか」と話しあっていました。


そうこうしていると、日本支部監督のロイド・バリー兄弟が日本支部員2人と
取り巻きの兄弟4人位を引き連れて早足で近づいてきて、普段怒った顔を見せ
ないロイド・バリー兄弟が血相変えて大声の英語でガンガン一方的に取り巻き
の兄弟達に話しかけ、その兄弟達も厳しい顔つきで「はいっ、はいわかりまし
た!すぐそうします!」と日本語で返事しながら急いで通過して行きました。


それを見た並んでいた長老クラスらしい兄弟達は「ほら見なよ、やっぱりそう
だ、あれはあの講演した若い兄弟が暴走発言しちゃったんだよ。ロイド・バリ
ー兄弟が本気で怒ってるみたいだから、あの講演した若い兄弟はこれからたっ
ぷり大目玉貰うんだよ、かわいそうにねぇ」「あの講演した若い兄弟は巡回監
督?」「さぁ?聞いたことがない名前だよ、あの兄弟は今回の大会で2回目の
講演だと思うよ。たぶん初めて重要なプログラムを任されて講演で舞い上がっ
て暴走発言しちゃったんじゃないの」と話していました。


それから午後のプログラムが始まり、講演の最後のセリフを全員注目していた
のですが、午後いちの講演では発言無しで、「あらら、やっぱりあの兄弟の1
人の暴走発言だったんだな」と思っていたら2番目の講演の最後に「皆さん、
次の大会は楽園でお会いしましょう!」とぶち上げました。その瞬間会場はど
よめいたんですが、会場の全員が演壇近くにいたロイド・バリー兄弟に注目し
ました。


遠くで見るわけだから表情がよく見えませんが、どうも苦虫をかみつぶしたよ
うな表情をしていましたから、「どうやらこれもこの兄弟の暴走発言だな」と
思っていると、次の講演では発言なし、やっぱりなと思っていたらその次のプ
ログラムで「皆さん、次の大会は楽園でお会いしましょう!」「どわーっ!」
と大歓声になり、全員大満足で宿舎に帰りました。


その次の土曜日の午前中のプログラムでも「皆さん、次の大会は楽園でお会い
しましょう!」「どわーっ!」となり、午後には、普段は自分から発言しない
はずの姉妹までもが最後に「あの・・・すみません、私は本当は喋ってはいけ
ないんですけど、どうしてもこれだけは言わせてください。皆さん、次の大会
は楽園でお会いしましょう!」「どわーっ!」っとなり、それ以降は聖書劇以
外全部「皆さん、次の大会は楽園でお会いしましょう!」大会になりました。


金曜日のプログラムではいきなりだったのでよく理解できない状態だったんで
すが、土曜日には全員理解していて、その日の大会が終わってから信者達は大
興奮状態で宿舎に帰ったわけですが、ある兄弟達が「支部監督のロイド・バリ
ー兄弟の表情が明るくなかったから、明日の日曜日の午後のプログラムでロイ
ド・バリー兄弟が講演の最後に言うセリフで全てが決まるね。もしロイド・バ
リー兄弟が『皆さん、次の大会は楽園でお会いしましょう!』と言えば協会は
本気でそう思っているんだし、もし言わなかったら今回の大会は記録に残るよ
うな大暴言大会だったって事になるね」という結論になりました。


そして最終日。日曜日の午後のプログラムで日本支部監督のロイド・バリー兄
弟の講演が終わり、最後のセリフの時間になりました。兄弟は少し沈黙して時
間を開けてから、おもむろに「ミナサンー・・・ツギィノォー、タイカイハ、
・・・ラックエンデ・・・オアイ、シマショウ」と発言しました。


その瞬間、東京競輪場が揺れたのではないかと思うほどの大歓声が45秒位続
きました。(その時間を計っていた私って絶対変だよね。その時に思ったのは
歓声を上げて少し時間が経つと取り乱した自分に気が付いて、すぐに冷静にな
るのはエホバの証人的だなぁって思いました)


演壇を降りる時にロイド・バリー兄弟は吹っ切れたような顔をして周りの兄弟
姉妹と笑顔で握手しまくっていて、その表情から「これで協会の見解ははっき
りした。1975年10月までに間違いなく楽園になる!」と2世の子供達は確信し
ました。


この大会をきっかけにして全国各地の大会にこのセリフが伝染し始め「皆さん、
次の大会は楽園でお会いしましょう!」が講演最後の決めゼリフになっていき
ます。これにより全国の信者達の信仰心は大爆発状態になりました。1975年の
ハルマゲドン予言を受け入れる下地は数年前からの組織の地道な指導により充
分に条件は整っていて、後は誰かが火を付けるだけだったわけです。


その火を付けたきっかけが日本支部監督ロイド・バリー兄弟の発言した「皆さ
ん、次の大会は楽園でお会いしましょう!」でした。それにより「今まで協会
は確信を持てなかったようだが今度は違う!今度の新しい光は間違いない、協
会は本気だ!」と受け止め、信者達は真剣に1975年のハルマゲドン予言を信じ
たわけです。


その後会衆に対して、普段は年に1回来るか来ないような貴重な珍品であった
巡回監督の訪問講演がやたらと増えて、木曜日の夜に行われた特別講演の集会
でこの話をするようになりました。ただし巡回監督の訪問講演では1975年にハ
ルマゲドンが来るって明確に言わないんですよ。


講演では「時にはしるしがある」「時になれば楽園は必ず来る」「アダムが生
まれてから6000年目は1975年10月です」とまでは言うんですが、講演が終わっ
てから「質問をどうぞ」と言うので、ある女性の研究生が「質問です。アダム
が生まれてから6000年目の1975年10月は天のしるしですよね?」と聞くと「そ
うです、その通りです」と答えるんですが、「では、1975年10月までに楽園は
必ず来るんですね?」と聞くと「私は今の話でそんな事を言いましたか?」っ
て切り返してくるんですよ。「でも大会ではそう言ってましたよ。兄弟も大会
には参加したでしょう。『皆さん、次の大会は楽園でお会いしましょう』って
言ったのを聞いたじゃないですか」って言うと「そうですねぇ、あれには私も
興奮しました」と言うわけです。


さらに研究生が突っ込むと巡回監督は困った顔をして沈黙してしまい、見かね
た司会者が「○○さん、あとで、あとで終わってからお話しますから、今は後
にしましょ」と言って講演は再開されました。


こういう禅問答は集会では毎回の事ですから、「あぁ、これもいつもの神権的
戦術か」と受け止めて、「この人は発言できる立場ではないのだな」納得して
組織の新しい発表を待つしかないわけです。言質を取られないように言語明瞭
意味不明な講演のするわけですから、重要な発表は大会での発表だけで、会衆
での発表は期待できないものでした。


次の年の1973年に東京競輪場で行われた東京大会では、金曜日のプログラムの
最後はほぼ全部「皆さん、次の大会は楽園でお会いしましょう!」でしたが、
土曜日になってから状況が変わり、協会側から言うなと指示が出たようで、講
演者が言う前にだいぶ躊躇してから『えーい、怒られてもいいや』と開き直っ
たように数回、午後一番はあきらかに講演者への連絡ミスで1回、その後は言
われたけど俺には関係ない、俺は言いたいんだって顔で1回、そして日曜日は
1回も無し。たったそれだけしか「皆さん、次の大会は楽園でお会いしましょ
う!」を聞けませんでした。


1973年の東京大会のプログラムは金曜日の午後の講演が一番派手で、ハルマゲ
ドン予言の詳しい解説があり、土曜日、日曜日になるにつれ内容がいつも通り
の地味なプログラムになって行ったため、特に記憶に残るような講演はありま
せんでした。なので妙にしらけて帰った記憶が大きいです。




そして、ものの見事に1975年10月のハルマゲドン予言ははずれてしまいます。


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参考資料:全世界のエホバの証人のバプテスマを受けた兄弟姉妹の合計数

バプテスマを受けた人数
1960年: 69,027
1961年: 63,070
1962年: 69,649
1963年: 62,798
1964年: 68,236
1965年: 64,393
1966年: 58,904 ←この頃に天のしるしは14万4000人という「数」の解釈が非公式に出る
1967年: 74,981
1968年: 82,842
1969年:120,805 ←14万4000人の「数」の目標達成まであと少し! みんな頑張った
1970年:164,193 ←ここで14万4000人の「数」の目標を達成! 楽園の期待が高まった
1971年:149,808 ←1年待っても楽園が来ないからやる気をなくしかける
1972年:163,123 ←夏の全国大会で1975年10月のハルマゲドン予言,公式発表!
1973年:193,990 ←みんなが燃え上がって伝道した成果
1974年:297,872 ←さらに燃え上がってどんどん増える
1975年:295,073 ←研究生は『バスに乗り遅れるな』と競い合うようにバプテスマを受ける
1976年:196,656 ←予言がはずれたから減り出す
1977面:124,459 ←さらに減る
1978年: 95,052 ←どん底 
1979年:113,672 ←1975年の事を何も知らない世代で急に増え出す 

※この頃から非公式に、次は1982年,今度こそ1989年,いや21世紀までに必ずと、
懲りずに7年周期でまた同じ事を言い出す。それにより80〜90年代は信者の大増産


情報ソース:「良心の危機」 P44 P267 (矢印のコメントは筆者)
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私は30年前に実際にあった事実を記憶だけで書いています。当時起きた事実
は確信を持って書きましたが、小学校から中学校時代の話ですから当時のJW
の教理解釈では思い違いもあるかもしれません。当時の教理がらみの話なら、
当時の長老のほうが話が間違いないし確かです。




日本の末端幹部が見た1975年
金沢文庫『事件簿』より
北海道・広島会衆の長老だった金沢司氏の話

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9章 1975年狂想曲

(1) 1975年ー人類創造の六千年

 ものみの塔協会が、ハルマゲドンの特定の年を指定して物議をかもしたのは、
1975年が最初ではない。大きな騒動となった年としては、1975年の他
にも1914年と1925年がある。

 新しいエホバの証人は、1914年はラッセルの預言の外れた年ではなく、
聖書預言が劇的に成就した年だと信じている。総合的な情報が全く与えられて
いないので、預言の外れた年だといわれると驚くに違いない。ほとんどの人は、
外れたといって騒いだのは背教者だぐらいにしか思っていない。1925年に
ついて知っている人はたぶんいないはずである。最近の記事では、1925年
について取りあげたものは一つもない。ラザフォードは「1925年は191
4年よりも確かかもしれません」と発言したのであるが、予言が外れてしまっ
た後で、「馬鹿なことをしてしまった」と後悔したと伝えられている。こうい
うことは、組織が正直さの自己宣伝に使えると判断しないかぎり、雑誌に登場
することは絶対にないので、新しいエホバの証人は全く知らないのである。

 次第に、1975年も1925年の仲間入りをしそうになっている。時の経
過と共に、1975年の出来事を知らないエホバの証人が増えているからであ
る。ただ、1975年には、1925年と比較すると人類創造の6000年と
いう教義上の意義があるので、簡単に消えてしまうことはないと思うが、もの
みの塔協会がうやむやにしてしまう可能性は強い。1975年の様々な問題を
明確にしておくことには、それなりの意義があることと思われる


《彼らは確かに予言をした》
 一部のエホバの証人が勝手に騒いだのではない。1975年騒動の責任は、
確かにものみの塔協会の側にある。騒いでもおかしくないような記事が数多く
出版されているし、大会でもその種の発言が少なくなかったからである。

 おそらく、1975年狂想曲を奏でる点で、最も貢献したのは巡回監督たち
であろう。彼らは諸会衆を回っては終わりの日を強調して歩いた。テープに取
ってあるわけではないので物的証拠ははないが、当時を知っている人であれば
よく覚えているはずである。(もっとも、吹聴して歩いた人は忘れてしまった
かもしれないが。)特に1972年、1973年はそういう意味では非常に顕
著な年であった。その地方によって多少は異なるかもしれないが、1975年
フィーバーが最も白熱したのはそのころであったように思う。

 ものみの塔協会は1975年の予言が外れたあと、「私たちは一度も197
5年にハルマゲドンが来るとか、終わりが来るというようなことは述べていま
せん」と断言したのであるが、この発言の真偽は意味合いによって異なってく
る。直接そういうことを述べていないということであれば、確かにそれはその
とおりである。また、彼らが預言をしなかったというのも事実である。

 しかし、間違いなく予言はしたのである。そう受け取られても仕方のないよ
うな発言はかなりの数に上る。

 それは以下の資料に見る通りである。

「神の自由の子となって受ける永遠の生命」より
   エホバ神がこの第七の千年紀を休息と解放の安息の期間とし、全地の住
民に自由をふれ示すための、大いなるヨベルの安息にされるのは、全く適切な
ことではありませんか。・・・人類の前途には、・・・キリストの千年統治が
あるからです。・・・「安息日の主」イエス・キリストの支配が、人間生存の
第七の千年期と時を同じくしていることは、単なる偶然ではなく、エホバ神の
愛の目的によるのです。」(p.30,43節)

 ご存知のように、安息日の律法とは6日働いて1日休むという制度のことで
あり、ヨベルの律法とは、50年ごとに奴隷の解放や負債の免除、所有地の回
復などをふれ告げる律法のことであった。イスラエルの民にとって、ヨベルの
年は大いなる解放の日、自由の年となった。(ただし、イスラエルの歴史では、
この律法が満足に守られたことは一度もなかったとされてはいるが。)

 一日を千年とする神の基準でいえば、人類にとっての大安息は千年間、それ
は大いなるヨベルの年、キリストの千年統治に相当するというのが「自由の子」
の説明である。

 確かに、1975年にハルマゲドンが起きるとは書いていないが、ハルマゲ
ドンは『千年統治の前』に生じることになっているので、「1975年は人類
創造の六千年の終わる年、千年統治は第七千年期」とはっきり書いてあれば、
1975年までにハルマゲドンが起きると考えるのはむしろ当然であろう。事
実、当時のエホバの証人はほとんど皆そのように受け止めたのである。

 さらに、目ざめよ誌1969年1月8日号には、次のような思わせ振りな記
述が載せられていた。

  「わたしたちが、『終わりの日』の最後の数年に生きていることを証明す
るもうひとつの方法があります。・・・

   これは前記の証拠が(アダムがBC4026年に創造されたということ)、
一九七五年を、この事物の体制の終結の時として明示しているということです
か。聖書が明確にそう述べていない以上、だれにもそう言うことはできません。
しかしこれだけはたしかです。それは一九七○年代に、人間がいまだかつて経
験したことのないきわめて重大な危機が訪れるということです。

 この記事には、終わりに日の『最後の数年』と確かに書いてある。「数年」
という以上普通は2、3年、仮に最大限譲歩したとしても9年までである。こ
の記事が正しければ、終わりは1978年までに来ていなければならなかった
のである。

「人類がいまだかつて経験したことのないきわめて重大な危機」とは何であろ
うか。この当時の感覚でいえば、エホバの証人なら誰でも大患難、ハルマゲド
ンのことだと考えた。もちろん、執筆した人もそのことは知っていたはずであ
る。

 この他にも、まだまだたくさんの資料がある。代表的なものとしては、19
68年8/15日号、1970年1/1日号、1974年3/15,5/1,9/
15日号などをあげることができる。

 ものみの塔協会が終わりまでの期間を指定し、1975年について多くのこ
とを予言していたのは、間違いのないことである。


《エホバの証人の反応》
 なかには冷めた人もいなかったわけではないが、そういう人は非常に珍しい
存在で、体制側からは霊的に未熟な人、信仰の弱い人という評価がなされてい
た。全体的には、熱病にかかっているような雰囲気があった。あれが一義的な
教理の作り上げる特殊心理状態なのかもしれない。純粋で熱心な人ほど感染し
やすく、組織の宣伝の影響を大きく受けたのである。特に若い人々がそうであ
った。

 若い成員の多くは、未信者の親に反対されながらも、大学へ行くよりは必要
の大きな地へ開拓者として赴くことが神の使命であると考えた。ものみの塔協
会も、「開拓奉仕は二度と繰り返されない業です、機会を逃すべきではありま
せん」といって若い人々をけしかけたのである。大学をやめ、仕事をやめてそ
のようにした人もいた。

 また、大患難が迫っているのだから、子供を設けるのはふさわしいことでは
ありませんとか、結婚は新秩序へ行ってからすべきですという発言もなされて
いた。今はそのようなことより、宣べ伝える業に専念すべきだというわけであ
る。なかには、伝道から注意をそらすものはみなサタンだ、と主張する人まで
いた。

 1975年狂想曲は多くの人に様々な影響を与えた。人生の方向が全く狂っ
てしまった人は少なくない。

(2) 神の組織にふさわしい責任の取り方?
 ものみの塔協会も、1975年にハルマゲドンが起きるのではないかと本気
で信じて、真剣に人々に警告したというのなら、まだ罪は軽いと思う。少なく
ともそうであれば、動機そのものに偽りはないからである。残念ながら予言は
外れたとしても、自分は使命感に従って行動した、神に対して正直な良心は守
ったという自覚は残るはずである。

 しかし、もしそうでないとすれば、それは理解不足とか、熱心さのあまり判
断を早まってしまったというレベルの問題ではなくなってしまう。クリスチャ
ンとしてはもっともっと深刻な問題になる。それは根本の動機が腐っているこ
とを意味している。

 はたして、ものみの塔協会の幹部はどちらであろうか。エホバの証人には気
の毒であるが、ものみの塔の幹部の場合は動機に欠陥があるというパターンの
方である。彼らの責任の取り方が、何よりもその点を雄弁に物語っている。


《防衛線を張る》
 ただひたすら1975年フィーバーをあおっていたものみの塔協会が、手の
平を返したように豹変し出したのは、1974年の夏の地域大会からであった。
「終わりは近い。今よりも緊急な時はありません。滅びは迫っています。もは
や、残されている時は尽きようとしています。エホバが行動を起こされる時は
に迫っています。キリストが諸国民を一掃する時はすぐそこまできています。
わたしたちの救出の日は戸口までやって来ています」といった具合に、言葉を
尽くして終わりを強調していたのが、一変してしまったのである。

 今度は、「私たちは決して特定の日や年に献身したのではありません。生き
ているかぎり、そして永遠までもエホバに仕えることを決意したのです。例え
1975年に終わりが来なくても、私たちはエホバに仕えることを止めたりは。
特定の日に重きを置きすぎていた人々がいるなら、今すぐ直ちに理解と信仰を
調整すべきです」というふうになった。

 1974年の大会でこういう種類の話を聞いたとき、終わりの日はいったい
どこへいったのかと、考え込んでしまったことを思い出す。東北地方で197
5年フィーバーに非常に貢献したある巡回監督がいた。地域大会の会場でその
巡回監督と話をする機会があった。

 大会の主旨が、その巡回監督が教えて歩いたこととはあまりにも異なってい
たので、「兄弟、終わりの日はどうなってしまったんでしょうね。1975年
には、もうハルマゲドンは来ないということでしょうか。」と聞いてみた。こ
ちらとしては多少皮肉のつもりもあったのだが、「終わりの日はいつ来ても、
エホバに仕えていればそれでよいということではないでしょうか」と、明るい
顔で返事をしたのが非常に印象的であった。

 自分が何を教えて歩いたのかという自覚が全くなかったのである。まだほん
の数カ月しかたっていないのに。これは実に驚くべきことであった。今思えば、
あれがものみの塔協会の典型的な体質だったのかもしれない。巡回監督にして
みれば組織が言ったことだからという意識であろう。自分の発言に責任を感じ
ないということは、そういう背景でしかとらえようがない。

 水をさすような大会のプログラムにもかかわらず、たいていの人はまだ組織
の真意に気がついてはいなかった。今に決定的な発表があるのではないか、何
か特別な集会の発表があるのではないかと期待していたのである。そういう非
公式の手紙や噂は、かなり活発に組織内を飛び交っていた。

 やがて待望の1975年がやって来た。しかし、何かが起きるような気配は
全くなかった。春がすぎ、夏が近づくころには、もうハルマゲドンは来ないの
ではないかと、たいていの人は思うようになった。そういう雰囲気を組織も察
したのであろう。その年の夏の大会で、1975年にはハルマゲドンはあり得
ないという決定的な講演が行なわれた。


引用おわり

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この1975年の夏に大阪の万博公園で行われた「大阪全国大会」ですが、私は既
に組織を離れていましたのでこの大会の詳細は何も知りません。この大会に参
加した、当時子供(含む幼児)だった元2世たち複数から聞いた話では、

1)やたらと暑かったこと、

2)万博公園の池で水浴びしたこと、

3)大会の最後に講演者が言った、「皆さん、次の大会は楽園でお会いしましょう!」
  のセリフと、その後の大歓声が強烈な印象となって残っている

と口を揃えて言っています。


つまりJW組織はある時期、はっきりと・確かに・疑う点もなく、1975年10月
のハルマゲドン予言をして、後でそれを明確に否定しなかったため、組織が予
言をしたことは事実になったわけです。(この時期までは「組織」とは言わず
「協会」と言いました)


その後、ものみの塔の統治体は1975年10月のハルマゲドン予言がはずれたこと
に対して、1976年1月に機関誌「王国宣教」で組織としての公式な見解と今後
の指導方針を発表します。

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王国宣教 1976年1月

*** 宣 76/1 3-6 すべての長老団へ ***
すべての長老団へ

1975年12月1日

親愛なる兄弟たち:

わたしたちはみなさんが『あなたがた自身と群れのすべてに注意を払い,神が
ご自身のみ子の血をもって買い取られた神の会衆を牧させるため,聖霊があな
たがたを群れの中に監督として任命』したことを認めておられると確信してい
ます。(使徒 20:28)今は重大な時期であり,兄弟たちや彼らの霊的福祉に対
する必要や益のために非常に思慮深い注意が必要です。

わたしたちは,使徒パウロの時代のクリスチャンの監督たちのように差し迫っ
た背教に直面していないことを感謝できます。(使徒 20:29,30)しかしなが
ら,わたしたちは試練や試みや危険に直面しており,確かに今は群れのすべての
ためにわたしたちの警戒を怠るような時ではありません。わたしたちは霊的パ
ラダイスを楽しんではいますが,使徒パウロがコリント第二 11章28,29節で述
べている通り,兄弟たち,それも特に弱い人々に対する同じ配慮を払うべきです。
―ローマ 15:1。

このような配慮を示すのは毎日の事柄です。しかしながら,会衆の長老たちが
一団となって集まる機会は,会衆全体の福祉に対して特別な配慮を示す時です。
それでわたしたちは長老の集まりについて,またどうしたらこれらの集まりが
すべての人の益となるか,地上の神の業の繁栄となるかに関していくらかの提
案をしたいと思っております。

巡回監督訪問中の長老の集まり

二つの集まりを一緒にまとめた方が良いと思われる十分な理由があるのでない
限り,この特別の集まりが3か月ごとの長老の集まりとは別に特別な集まりとし
て計画されます。他の長老の集まりと同様,現在の主宰監督が司会者として奉
仕します。

この集まりを準備し司会する際に,巡回監督の訪問は特別の機会となるという
ことを思いに留めるのは良いことです。巡回監督は訪問している一長老として
この集会に出席しますが,その訪問は目的を持ったものなのです。こうした人
々に対する正しい態度はヨハネ第三 5-8節に示されています。巡回区で奉仕す
るこれら長老たちはこのような立場で働く任命を統治体から受けており,普通,
神の奉仕において多くの経験を持っているのです。これら訪問する兄弟たちを
受け入れるに際し,長老たちはもちろん,使徒の霊感された助言を思いに留めた
いと思うでしょう。「兄弟愛のうちに互いに対する優しい愛情をいだきなさい。
互いを敬う点で率先しなさい」―ローマ 12:10。

このことを考慮に入れて,巡回監督が参加するこの集まりの協議事項は会衆の
必要を中心に発展されるべきです。巡回監督は実際的な提案や観察を提供して,
会衆の必要に助けとなると考えられます。巡回監督は他の会衆の同様の集会で
多くの時間を費やしていますし,その経験が有益なことは明らかです。巡回監
督は役立つ例や,他の会衆で学んだ事柄を述べることができるでしょう。わた
したちは会衆内と野外の両方における神の業を推し進めるために助けとなる提
案や新鮮な考えを受け入れるために常に心を開いているべきです。―使徒 13:15。
「組織」の本82,83ページ参照。

【中略】

わたしたちは兄弟たちみなさんが担っておられる重い責任を高く評価します。
そしてみなさんが群れに仕える時,「あなたがたの愛が,正確な知識と十分な
識別力に伴って,いよいよ満ちあふれるように」祈っています。「それはあな
たがたがより重要な事がらを見きわめるようにな」るためです。神のみことば
と聖霊の力をしっかりと思いに留めてください。そして,何か独断的な規則を
課すことよりも,みなさんの健全な教えにより,それらが群れを熱心な活動と正
しい生き方をさせる力となるようにしてください。このようにして,みなさん
すべては「イエス・キリストによる義の実に満たされて,神の栄光また賛美と
なる」でしょう。―フィリピ 1:9-11。

群れの必要に目ざとくあり,分別,理解そして親切をもって牧することに機敏で
あってください。巡回監督が訪問する時,他の長老たちに十分認識されていな
かったことで群れの霊性に影響を与えていることを巡回監督は察知するかもし
れません。または,巡回監督は長老たちがある問題をよりはっきりと見るよう
助ける上で貴重な援助となるでしょう。わたしたちは,頭であるイエス・キリ
ストが会衆に対する奉仕と益のために会衆に与えてくださった人々の一人と
して,巡回監督の与える親切な援助をみなさん長老たちが正しく評価し活用な
さることを確信しています。―エフェソス 4:11-16。

神の群れを引き続き忠節かつ忠実に世話してゆかれるみなさんに,わたしたち
の心からの愛とあいさつを送ります。

エホバの証人の統治体



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つまり予言がはずれたことを認めたくない統治体は、1975年10月のハルマゲド
ン予言は最初から無かったことにして、巡回監督を使って長老団を引き締め、
それをてこに信者達を引き締めようと画策したわけです。



さらに1993年に出版された「ふれ告げる」という本ではこう言っています。

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・『エホバの証人−神の王国をふれ告げる人々』(1993年)
エホバの証人の歴史、活動状況を詳しく紹介している書物。むろん組織を美化
しており、都合の悪い事柄についてはほとんど触れていない。しかし、これま
で外部から批判されてきたいくつかの間違いについては、認めるかのような書
き方をしている。例えば、ラッセルがピラミッド学を用いて聖書研究をしてい
たこと、ベテル本部でさえ1926年まではクリスマスをお祝いしていたこと、雑
誌の表紙には十字架が描かれていたことなどである。しかし、ピラミッド学は
オカルトと関係があること、十字架はフリーメイソンの紋章だと主張していた
ことは覆い隠している。従って、正確な歴史書ではなく、組織が会員に宣伝す
るために記された弁明書である。
情報ソース新世界訳研究会


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「ふれ告げる」
*** 告 104 8 たゆみなく良いたよりを宣明する(1942-1975年) ***
「この1975年という年が何を意味しているのか,教えてください」

エホバの証人は長い間,人類史の6,000年に続いてキリストの千年統治が行なわ
れると信じていました。しかし,人間が存在するようになってからの6,000年は
いつ終わるのでしょうか
。1966年に開かれた一連の地域大会で発表された「
の自由の子となってうける永遠の生命
」(英文)という本は,1975年を指摘
していました。兄弟たちはその新しい本の内容をよく調べたので,まさにその大
会で1975年に関する多くの論議が巻き起こりました。

メリーランド州ボルティモアの大会で閉会の話を行なったF・W・フランズはこ
のように話を切り出しました。「私が演壇に上る直前に,一人の若者が近づいて
来て,こう言いました。『この1975年という年が何を意味しているのか,教えて
ください』」。それからフランズ兄弟は,その新しい本の資料は1975年までにハ
ルマゲドンが終わり,サタンが縛られるということを意味しているか,という点
に関して生じた数多くの質問に言及しました。要約すると,兄弟はこう述べまし
た。『そうなることもあり得ます。しかし,私たちは断言しているのではあり
ません
。神にとってはすべてのことが可能です。しかし,私たちは断言してい
るのではありません
。ですから,皆さんのうちのだれも,今から1975年までの
間にこれこれのことが起こるなどと明言してはなりません
。しかし,親愛
なる友である皆さん,最も重要なのは,時は短いという点です。時は尽きよう
としています。そのことに疑問の余地はありません』。

1966年以降,エホバの証人の多くは,この諭しの精神と調和した行動をとりまし
た。しかし,この点に関してはほかにも幾つかの陳述が公表され,中には,適切
であるというよりも断定的なものもあったようです。そのことは,「ものみの
塔」誌の1980年6月15日号(17ページ)で認められました
。しかし,それに加え
てエホバの証人は,おもにエホバのご意志を行なうことに専念するように,また
早い救いに関する日付や期待に過度の関心を寄せないように,という注意
を与えられました


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お見事です。
リアルタイムで1975年10月のハルマゲドン予言の現場を見た人以外は
この説明をそのまま信じてしまうでしょう。この説明は嘘です。




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*** 目72 4/22 27 休息と回復の時は近い ***

[27ページの図]

(正式に組んだものについては出版物を参照)

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目ざめよ! 1972年4月22日 27ページ






情報ソース:【ものみの塔の予言・教理の移り変わり】




1972年に東京競輪場(現東京ドーム)で行われた全国大会で、後に統治体
メンバーとなった、日本のJWの総責任者、日本支部監督ロイド・バリー氏
が、全国大会大会最終日の日曜日午後の講演の最後に聴衆に別れのあいさつ
として言った言葉は、


「皆さん、次の大会は、楽園でお会いしましょう!」です。






これがJW組織が信者に対して大がかりに始めた神権的戦術の始まりです。
1975年10月のハルマゲドン予言が外れてから日本のJWは体質が変化して
行きます。そして1980年代になってからの組織の主張は、

わたしたちには組織が必要です。

わたしたちの組織は大事です。

これは私たちの組織です。

と変化して、JWは組織崇拝宗教に変質しました。


それまでは組織のことを信者達は「協会」と表現していましたが、ものみの塔
協会側が組織組織と言い出してから、信者達は協会と言わず「組織」と表現す
るようになりました。




当時育った私たち2世の子供達は全員、神権的戦術を使う時以外は「文字通り、
絶対に嘘を言うな」と教わりました。もし嘘を言うと「必ずハルマゲドンで滅
ぼされる」と習いました。そのため正直すぎて馬鹿を見たし、正直すぎていら
ぬ波風たくさん立てて苦い思いをしてきました。それは組織に「エホバの証人
の子供は、絶対に、文字通り、嘘を言うな。嘘を言うとハルマゲドンで滅ぼさ
れる」と教育されてきたからです。



1975年10月の偽予言はまだいいでしょう。組織は一時期本気でハルマゲドン予言
を信じていたわけですからね。1975年10月までに本当にハルマゲドンが起きてい
れば、組織は間違いなく神に選ばれた本当の預言者になれたのです。


しかし、予言がはずれた場合は信者達に対し『中には,適切であるというより
も断定的なものもあったようです。そのことは,「ものみの塔」誌の1980年6月
15日号で認められました。』などと他人事のようにふざけた対応をするべきで
なく、誠意を持って信者と元信者に謝罪するべきでしょう。何故なら、当時の
組織の予言を真剣に信じて、結果として人生の道を踏み外した人達がたくさん
いるからです。


創立時にJWと同じミラー派の末裔であるセブンスデー・アドベンチストがハ
ルマゲドンを予言してはずれた時、当時の指導部は信者達に自分たちが予言し
たことを謝罪しました。そのためセブンスデー・アドベンチストが予言を外し
たことは歴史的事実として残っていますが、それをいま問題にする人は少ない
です。


JWは意地でも予言を外したことを認めないからいつまでも問題にされます。
どうやらハルマゲドンが来た時に真っ先に滅ぼされてしまうのは、申命記18:20
〜22に書かれているように、神に公式に認められた偽預言者、ものみの塔組織
のようです。



ものみの塔の使う神権的戦術は現在も生きています。そして世界規模の神権的
戦術がJW組織が1991年から2001年まで国連に加盟していた国連NGO問題です。


前編終了





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【おまけ】

あんたどのくらい聖書研究してきたんだいという質問があったため

私がJWで聖書研究した順番

1,『失楽園から復楽園まで』幼児の頃。私が寝る前に母親が毎日おはなし。

  「昔々ある所に、アブラムという羊飼いがいました。アブラムは一人息子
  のイサクを連れて山に行きました。山に着いてからおとうさんのアブラム
  は息子のイサクを祭壇にあげて、イサクの目を手で覆い隠してから、包丁
  で自分の息子のイサクを刺し殺そうとしました。

  その時急にエホバ神が現れて『アブラムよ待ちなさい。私はエホバである。
  お前の神である。私はお前の信仰を試したのだ。お前の信仰が本当なのは
  わかったから息子のイサクを殺さなくてよい。代わりに私が犠牲の羊を用
  意したからそれを使いなさい。そしてお前はこれからアブラハムと名乗る
  がよい。』こうしてイサクはエホバ神のおかげで助かりましたとさ、めで
  たしめでたし」

  「ねぇ、おかあさんの信仰がないと僕はおかあさんに殺されちゃうの?」
  「さぁ?そこまでわかんない。じゃぁお休みなさい」「・・・・・うん」

  夢の中で自分がイサクになって、いちばん肝心な時にエホバ神が現れなく
  て、そのまま親に殺されてしまう夢を、うなされつつ何回も何回も見た。
  組織の指導に忠実に従った母親の最高の情操教育。

2.『見よ!』小1で正式に「親と子の聖書研究」開始。小2の始めにJWで
  ムチが使われ始め、聖書研究を拒否する子供や研究中の態度が悪い子供は
  みんなムチで叩かれるようになる。

3.『失楽園から復楽園まで』これを2回学ぶ

4.『神が偽ることが出来ない事柄』小4の頃。これが半分終わった時に、
  私が心の底からエホバ神の真理を受け入れていないのが母親にばれる。

5.『見よ!』怒った母親により「見よ!」から聖書研究再開。

6.『神が偽ることが出来ない事柄』これが全部終わった頃には2重人格でう
  まく母親の質問から逃げるコツを覚える。

7.『宗教は人類の為に何を成したか』小6の頃、年齢的にバプテスマはまだ
  早いから、それまでということで半分までやる。最初からいきなりアイン
  シュタインの相対性理論とか出てきてたまげる。

8。『神が偽ることが出来ない事柄』1972年の全国大会で1975年10月のハルマ
  ゲドン予言が発表され、死にたくないからバプテスマを申し込む。長老に
  「真理」と「神が偽ることが出来ない事柄」のどっちを試験に取るか聞か
  れて、迷わず慣れた「神が偽ることが出来ない事柄」を指定。

9.『バプテスマの口頭試問』試験は12問だったかな?20問だったかな?
  試験を受けたらたったの4問で合格。拍子抜けしちゃった。元小学校教師
  の母親のハードな質問の嵐からうまく逃げるコツをおぼえてたから、長老
  団をごまかすのなんか簡単すぎて拍子抜け。

10.中3。1973年夏の東京大会でバプテスマを受けてからは神権宣教学校で
   第2の割り当て(5分)。この頃は真剣に本気で真面目に超熱心な兄弟
   をやってました。

11.噂では聞いていたが、兄弟になったら親と聖書研究をしないですむのは
   本当だったと知って「あー、こんなことなら早くバプテスマ受けるんだ
   った」としみじみ思う。

12.元々やる気がないから親と聖書研究しないぶん信仰心レベルがどんどん
   下がる。結局熱心な兄弟だったのはたったの半年だけ。

13.中卒で就職したら「おーっ、世の中って自由なんだぁ!」って初めてわ
   かって信仰レベルがさらに下がる。

14.世の中は自由なのに自分は自由じゃないからノイローゼになる。
   落ち込んで自殺未遂を何回もするようになる。

15.15歳、6月に背教で排斥。これでやっと自由になれる。「ばんざーい!
   これでやっと自由だぁ!!!」でも1975年10月のハルマゲドンまであと
   2年の命。

16.そしてついに来た運命の1975年10月……1976年になってもな〜んにも起こらない。
   あの時あれだけ大騒ぎしたのに、世の中はいつもどぉぉぉ〜〜〜り平和そのもの。

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   神権的戦術 後編、国連NGO問題







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2003/04/06公開