まぁ、おとなしかった子が、JW的に理屈っぽくてこの上ないのです。よく喧嘩しました。しかし、今にして思えばこれは喜ぶべきことなのだと思います。自分の考えを一切言葉に出して言えなかった子が私だけには心を許し感情をぶちまけていたのですから。このことは必要なことでした。言いたいだけ言わせないとだめなんだということに気づきました。その時はそれで良かったのかもしれないのですが、理屈に合わないことを言っていると、私が正そうとするものですから
屁理屈をこねてああでもない、こうでもないと大変でした。これも成長の一つだったのですが、本人は苦しんでいたのです。彼の主張は私が教会に寝返ったことが裏切りだというのです。確かにJW的にはそうですよね。そこで聖書的な話になり、彼は彼で、幼いときからの刷り込みがあるし、私が始めたことなのに今更、何だ!と怒るわけです。当然ですよね。そこで、私は、また、今度はキリスト教の伝道を彼にしようとしてしまうのです。何という母親だ!
可哀想に、今度はこの子の混乱が始まってしまうのです。ですから私は罪深いことに、この子に二重にも、三重にも苦しみを与えてしまったのです。いろいろな本を読みあさるようになっていました。哲学書、聖書の外典、イスラムのコーラン、精神科系、心理学系・・・
その一方で、時として、一時的に社会に溶け込もうとしてアルバイトなどを始めてみるのですが、結局馴染めずに、傷ついて鬱状態に陥って行くのです。社会生活不適応ですね。ああ、辛い、語るの。まだあるんです。
屁理屈をこねてああでもない、こうでもないと大変でした。これも成長の一つだったのですが、本人は苦しんでいたのです。彼の主張は私が教会に寝返ったことが裏切りだというのです。確かにJW的にはそうですよね。そこで聖書的な話になり、彼は彼で、幼いときからの刷り込みがあるし、私が始めたことなのに今更、何だ!と怒るわけです。当然ですよね。そこで、私は、また、今度はキリスト教の伝道を彼にしようとしてしまうのです。何という母親だ!
可哀想に、今度はこの子の混乱が始まってしまうのです。ですから私は罪深いことに、この子に二重にも、三重にも苦しみを与えてしまったのです。いろいろな本を読みあさるようになっていました。哲学書、聖書の外典、イスラムのコーラン、精神科系、心理学系・・・
その一方で、時として、一時的に社会に溶け込もうとしてアルバイトなどを始めてみるのですが、結局馴染めずに、傷ついて鬱状態に陥って行くのです。社会生活不適応ですね。ああ、辛い、語るの。まだあるんです。