本当にそうだと思います。だって、髪の毛一本一本まで知られているのですものね。心配することありません。思い煩うな、です。必要なとき必要な助けがあるものです。誰にだって。義なるものにも、不義なるものにも、雨を降らせ、太陽の恵みを与えてくださっているのです。よく、宣教師から言われました。<頑張らなくてもいいんです>って。私の場合特に、言ってくださいました。頑張らなくていい、神の愛を充分に受けて、ただ感謝すればいいと。どこかで書きましたが、<北風と太陽>の童話がありますよね?結局太陽がコートを脱がせたのですよね。教会の教えって、特に、福音派の教えってこの寓話がぴったりだと思います。それに、太陽でいる方が自分自身も楽なんですよね。そのゆとりが相手の心を溶かしていく、と言うか・・・・
私は、宣教師の態度や教えにこの<太陽>を感じました。特別なアプローチは何もされませんでした。ただ、いつもニコニコしていて、<神様は、私たちを愛してくださっているので、何も心配いりません。>と言って安心させてくれました。神様と言っているのは、勿論イエスキリストのことです。すべてを善意に解釈しています。プラス思考なのです。人を責めないし、裁きません。幼いときから教会の中で愛に育まれてきています。やっぱり土壌の違いみたいなものは感じてしまいましたね。見習いたいと思いました。
私は、宣教師の態度や教えにこの<太陽>を感じました。特別なアプローチは何もされませんでした。ただ、いつもニコニコしていて、<神様は、私たちを愛してくださっているので、何も心配いりません。>と言って安心させてくれました。神様と言っているのは、勿論イエスキリストのことです。すべてを善意に解釈しています。プラス思考なのです。人を責めないし、裁きません。幼いときから教会の中で愛に育まれてきています。やっぱり土壌の違いみたいなものは感じてしまいましたね。見習いたいと思いました。