あまり関係ないかも知れませんが、横レスして済みません。
結局、何がどうあれ、信仰って言うのは個人の問題だと思うのです。
組織がどうであれ、その人個人がその組織のあり方を真に受け入れることが出来、自分独りだけが抱えて行かれればいいことだと思うのですがJWの場合は個人では済まないところに問題があると思うのです。結局、家族を巻き込んで、本人の希望も問わずに(幼くて決定能力はない)特殊な世界に取り込んでいってしまう・・・コレが迷惑を掛けている宗教なのです。
<鰯の頭も信心から>という言葉がありますが何を信じようと個人の自由だと思います。ところが、家族を巻き込んでしまう、本当は離れたいのに、何だか恐れを感じて離れられない気持ちになり、表の顔と裏の顔を持ってしまう、こう言うところがカルト宗教の恐ろしいところなのだと思います。
組織のことを論じるまでもないことなのです。そのことを受け入れられる人は留まり、感謝して信仰生活を送ればいいのです。受け入れられないで陰で不平不満を言っているくらいなら、その人は、もうJW組織には付いて行かれないのだから、四の五の言わずにさっさと離れればいいだけのことなのです。JW組織の事なんて知ったこっちゃありません。後は野となれ山となれです。なにを言ったって、JW組織の腐った根性は変わり様もないのですから・・・。支離滅裂で済みません。
結局、何がどうあれ、信仰って言うのは個人の問題だと思うのです。
組織がどうであれ、その人個人がその組織のあり方を真に受け入れることが出来、自分独りだけが抱えて行かれればいいことだと思うのですがJWの場合は個人では済まないところに問題があると思うのです。結局、家族を巻き込んで、本人の希望も問わずに(幼くて決定能力はない)特殊な世界に取り込んでいってしまう・・・コレが迷惑を掛けている宗教なのです。
<鰯の頭も信心から>という言葉がありますが何を信じようと個人の自由だと思います。ところが、家族を巻き込んでしまう、本当は離れたいのに、何だか恐れを感じて離れられない気持ちになり、表の顔と裏の顔を持ってしまう、こう言うところがカルト宗教の恐ろしいところなのだと思います。
組織のことを論じるまでもないことなのです。そのことを受け入れられる人は留まり、感謝して信仰生活を送ればいいのです。受け入れられないで陰で不平不満を言っているくらいなら、その人は、もうJW組織には付いて行かれないのだから、四の五の言わずにさっさと離れればいいだけのことなのです。JW組織の事なんて知ったこっちゃありません。後は野となれ山となれです。なにを言ったって、JW組織の腐った根性は変わり様もないのですから・・・。支離滅裂で済みません。