また、また出しゃばる横レスかもしれませんが・・・
ベコイチさん、どうも・・・。
>そしてとうとう私は神に祈ってしまったのです。エホ証がするように長い祈りではなく、自分の努力の及ばない不安から守ってくれって言う祈りでした。思わず知らず出てきた祈りの言葉でした。
私はむしろ、祈りとは本来この様なものでよいのだとさえ思います。だって私たちは弱い人間なのですから・・・。まさに、これはマタイ7章7〜11章辺りで、イエスキリストご自身が言っておられることと一致すると思います。それに、JWの長い祈りは当時のパリサイ人がしていたような見せかけの祈りと同じですよね。長く祈る必要はないのですもの・・・。正直な真実の祈りを真の神はお聞きになると思います。
> してみると宗教というのはやっぱり現実逃避か気休めなのでしょうか。
> でもあの祈りが口をついて出てきたときは、不思議に気持ちはさっぱりとして、なるようにまかせよう、という気持ちになれました。私は宗教のあるべき在り方はこのようなもので良いのではないかと思います。
どうしても、JW生活が長いとJW的な祈りというこだわりから脱しきれないところがありますが、私が思うに、これは、やはり真の神が
ベコイチさんに働きかけて、真の祈りをさせたとしか思えません。
真の神は確かにおられて、ベコイチさんを救ってくださったのです。
>確かに宗教は気休めかもしれないけれど、現実逃避にならなければ>良いのではないかと思います。不安や自信が持てない時に、気持ち>を整理できればそれでよいのではないかと。エホ証の間違いは在り>もしない王国の救いを信じ込ませ、業を行う事で救いを確実にでき>ると信じ込ませ、信者の生活や精神を管理・支配しようとすること>です。みんなに終わりの日ぎりぎりの時代にいるという信念を生活>を作り変えさせることで演出し、大勢の人が終わりの日ぎりぎりの>時代に暮らしているという認識を行動で表していますという演出さ>れた状態を目の当たりにしてさらに終わりの日預言を信じ込もうと>いう気にさせる・・・こういうのがエホ証のマインド・コントロー>ルではないでしょうか。なんだか混乱した内容になってしまいまし>た。ふと思ったことでした。
そうですよね〜。ベコイチさんもこの様に解放された考えを持つことが出来て良かったですね。私が思うに、JWの聖書解釈が正しくないだけで、確かに神はおられるし、私たちを助けてくださると思います。私もJWを離れた直後は、JW的に生きていないと神から見放されていると言う考えを抱き、自暴自棄に陥っていましたが、徐々に開放されていきました。
ヤコブ5章13節には、ただ単にこうあるだけです。
「あなた方の中に、苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。」
ものみの塔研究など必要なく、聖書さえ読んでいれば私たちは慰められ、また、生きる勇気をいただけるのです。余計な事柄はいらないのです。・・・と、私は思います。
ベコイチさん、どうも・・・。
>そしてとうとう私は神に祈ってしまったのです。エホ証がするように長い祈りではなく、自分の努力の及ばない不安から守ってくれって言う祈りでした。思わず知らず出てきた祈りの言葉でした。
私はむしろ、祈りとは本来この様なものでよいのだとさえ思います。だって私たちは弱い人間なのですから・・・。まさに、これはマタイ7章7〜11章辺りで、イエスキリストご自身が言っておられることと一致すると思います。それに、JWの長い祈りは当時のパリサイ人がしていたような見せかけの祈りと同じですよね。長く祈る必要はないのですもの・・・。正直な真実の祈りを真の神はお聞きになると思います。
> してみると宗教というのはやっぱり現実逃避か気休めなのでしょうか。
> でもあの祈りが口をついて出てきたときは、不思議に気持ちはさっぱりとして、なるようにまかせよう、という気持ちになれました。私は宗教のあるべき在り方はこのようなもので良いのではないかと思います。
どうしても、JW生活が長いとJW的な祈りというこだわりから脱しきれないところがありますが、私が思うに、これは、やはり真の神が
ベコイチさんに働きかけて、真の祈りをさせたとしか思えません。
真の神は確かにおられて、ベコイチさんを救ってくださったのです。
>確かに宗教は気休めかもしれないけれど、現実逃避にならなければ>良いのではないかと思います。不安や自信が持てない時に、気持ち>を整理できればそれでよいのではないかと。エホ証の間違いは在り>もしない王国の救いを信じ込ませ、業を行う事で救いを確実にでき>ると信じ込ませ、信者の生活や精神を管理・支配しようとすること>です。みんなに終わりの日ぎりぎりの時代にいるという信念を生活>を作り変えさせることで演出し、大勢の人が終わりの日ぎりぎりの>時代に暮らしているという認識を行動で表していますという演出さ>れた状態を目の当たりにしてさらに終わりの日預言を信じ込もうと>いう気にさせる・・・こういうのがエホ証のマインド・コントロー>ルではないでしょうか。なんだか混乱した内容になってしまいまし>た。ふと思ったことでした。
そうですよね〜。ベコイチさんもこの様に解放された考えを持つことが出来て良かったですね。私が思うに、JWの聖書解釈が正しくないだけで、確かに神はおられるし、私たちを助けてくださると思います。私もJWを離れた直後は、JW的に生きていないと神から見放されていると言う考えを抱き、自暴自棄に陥っていましたが、徐々に開放されていきました。
ヤコブ5章13節には、ただ単にこうあるだけです。
「あなた方の中に、苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。」
ものみの塔研究など必要なく、聖書さえ読んでいれば私たちは慰められ、また、生きる勇気をいただけるのです。余計な事柄はいらないのです。・・・と、私は思います。