次に,私たち全部を裸にして,さらに打ち叩きました。それから,10人ほどの一群の若者が私をわきへ押しのけ,私は他の人たちから離れた所に連れてゆかれ,数人の者たちに手足を押えられたうえ,他の者たちによって強姦されました。

私は8人の者がひとりずつかわるがわる私を犯すのを見ました。それら一群の人たちの中には私たちの知っている人はひとりもいませんでした。彼らは私をさんざん打ったあげく,私たちを放置して去ってゆきました。あとでわかったのですが,私たちのグループの他の4人の姉妹たちもやはり強姦されました」。

● リロングウェのニヤンクフ村のフナシ・カチパンディは彼女の経験をこう述べています。「1972年10月1日,エホバの証人が襲われているという報告を聞いたので,私はザンビアに逃げることにし,直ちに,19歳になる娘デイルズ・カチパンディを連れて家を出ましたが,ほどなくして見知らぬ若者たちの一団につかまりました。彼らは党員カードを見せるよう要求しましたが,私たちは見せることができませんでした。彼らは私たちを連れ戻して,チレカ市場の近くの自分たちの事務所に連行しました。

そして,私の目の前で5人の若者がかわるがわる私の娘を輪姦しました。ついで,そのうちのひとりが私をつかまえて,地面に倒したのです。私は妊娠9か月の身重で非常に弱っていましたので,私を犯すようなことをしないでほしいと訴えましたが,その男は一片の人情も示してはくれず,私の娘の目の前で私を強姦しました。

それから,彼らは私たちを置いて去って行きました。私はこれらのことを警察に報告しました。警察側は私たちの述べたことを記録に取っただけで,何もしてはくれませんでした。翌朝,私は子どもを生み,それから同じ日のうちにザンビアに向かい,途中何度も休んで,ようやくザンビアに着きました」。

他の多くの事件の場合,犠牲者は暴徒の名前を知っていました。その中には,マラウィ会議党の要職者もいました。

● カムフィンガ村ではグゥズィ村のマティリナ・チツロはマラウィ会議党の支部の議長カチゴンゴによって強姦されました。1972年10月2日,ムコムベ村ではベレニカ・ホスィテニが,同党地方支部の議長と書記の手で同党の事務室に一晩中監禁され,そのふたりによって強姦されました。その同じ事務室で,ネゼリヤという名の別の証人は7人の男によって輪姦されました。ザンビアにのがれたそのふたりの女性は,こうむった身体的な虐待のため入院して手当てを受けました。

繰り返して述べますが,これらの事件は例外的なものではありません。記録された何百件もの事件のほんの一部にすぎないのです。

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東アフリカのマラウイのエホバの証人達は、ものみの塔協会の指示により、当時の一党支配政党(マラウィ政府ということ)の党員カード(身分証明書ということ)を買うことを拒否したため、1964年、1967年、1972年、1975年と次々に迫害された。

一回目では家を焼かれたり壊された家族が千八十一、作物を壊滅状態にされた農地が五百八十八という被害が発生した。

二回目の1967年には千人を超える女性が強姦された。ある母親が六人の男に暴行を受け、その十三歳の娘が三人に陵辱されたケースもあったと報告されている。 これらの女性のうち少なくとも四十人が流産したという。

殴る蹴るの暴力、拷問、さらには殺人さえもが当局の介入もほとんどないままに行なわれ、ついには何千もの家族が家や土地を離れて近隣諸国に逃げ出すに至った。

「良心の危機」158ページより

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(画像)
『エホバの証人の年鑑 1985年版』153ページ
「どうしてこのような残虐行為がなされたのでしょうか。それはエホバの民が政治に対して厳正中立の立場を保ったからです。(中略)それは,わたしたちが党員カードを買うのを拒んだためです」

アフリカのマラウィのエホバの証人達がものみの塔協会の指示を忠実に守り、政治に対して厳正中立の立場を貫き、党員カードの受け取りを拒否した為に、マラウィのエホバの証人達は暴行を受け、千人以上の女性信者達が強姦され、大勢の子供達が殺されているまさにその同じ時期に、メキシコのエホバの証人達はものみの塔協会会長の公式な指示により、メキシコ軍の将校を買収して1年間の軍事教練を逃れて軍務終了証明書を手に入れ、エホバの証人として予備軍に編入されることは、全て個人の問題であり何も問題は無いとした。

(画像)
『ものみの塔の予言・教理の移り変わり』153ページ
"If the consciences of certain brothers allow them to enter into such an arrangement for their ... freedom we have no objection.
「たとえ、信頼できる兄弟たちの良心が、自分たちの自由を保ち続けるためにこのような取引に関わることを許したとしても、私たちに異論はありません。」

"but it is their conscience, not ours, that has allowed them to take the course of action that they have taken."
「しかも、それは彼らの良心であって、私たちの良心ではありません。このことは彼らが自分たちの取るべき行動の方針を取ることを許すものです。」

「メキシコの証人たちが軍の将校を買収し、軍事訓練を逃れることは個人の良心の問題である。・・・」

(画像)
レイモンド・フランズ著「良心の危機」158ページ
「まず少し背景を説明しなければならない。(中略)一回目では、家を焼かれたり壊されたりした家族が千八十一、作物を壊滅状態にされた農地が五百八十八という被害が発生した。二回目の一九六七年には千人を超える女性が強姦された。ある母親が六人の男に暴行を受け、その十三歳の娘が三人に陵辱されたケースもあったと報告されている。これらの女性のうち少なくとも四十人が流産したという。殴る蹴るの暴力、拷問、さらには殺人さえもが当局の介入もほとんどないままに行われ、ついには何千もの家族が家や土地を離れて近隣諸国へ逃げ出すに至った。


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