JW女性は普段のおしゃれは禁止されているが、この日だけはおしゃれが許される。なので女性達は全員タンスの奥からとっておきのドレスを引っ張り出して来て、普段は派手な化粧をしたことがない人らしい流行遅れの化粧をして、既に期限切れでアルコール分が完全に飛んでしまったんじゃないのかと思うような香水をつけてくるので、王国会館には樟脳と香水の独特の香りが漂う不思議な光景が展開され、記念式が終わった後はドレスや振袖を着た姉妹達が写真を撮りあったりしてぎゃぁぎゃぁ大騒ぎになり、他の信者達が目をひそめるパターンになる。(JW女性達は普段のおしゃれを一切禁止されてるんだから、パリサイ派の現役信者は1年に1回くらいは暖かい目で見てあげようね)

以前は記念式は正規信者だけが参加出来る特別な儀式で、研究生でもある程度のレベルまで教理を理解している人でなければ参加出来なくて、排斥者なんか絶対に参加できない大事な儀式だったのだが、最近はJW信者が減ってきたせいなのか完全に何でもあり状態で、一般人だろうが排斥者だろうが誰でも気楽に参加できるようになった。

この記念式参加者の数字が上に上げられて、世界中の記念式に参加した人数として王国宣教で発表される。信者達は世界中のエホバの証人の総人数をこの数字で推察する。

パリサイ派:

イエス・キリストが生きていた時代のユダヤ教の一派で、聖書教条主義者、聖書原理主義者のことで、なんでもかんでも規則を作ってそれを絶対に守らせたがる人や組織のこと。JWという宗教はまさにパリサイ派。

イエス・キリストが生きていた時代の代表的なユダヤ教派

パリサイは 【―派】
〔(ギリシヤ) Pharisaioi 分離派の意〕
(1)紀元前二世紀におこったユダヤ教の一派。律法の遵守を唱えその釈義に傾注し、宗教的な清めを強調、民衆の間に大きな勢力をもった。福音書ではイエスの論敵として描かれ、自己義認の傾向が激しく批判された。パリサイ人。 ファリサイ派。
(2)(転じて)偽善者。形式主義者。

サドカイは 【―派】
〔(ギリシヤ) Saddoukaioi〕紀元前二世紀から紀元後一世紀頃のユダヤ教の一派。保守的特権階層を代表し、神殿祭儀をつかさどった。予定説、メシア待望、死人の復活、天使や霊の存在などを否定、パリサイ派と対立、政治的には親ローマ。名称は大祭司ザドクにちなむ。

エッセネは 【―派】
〔Essenes〕紀元前二世紀頃おこったユダヤ教の一派。財産の共有、独身主義が特色。死海周辺で農業を中心に質素な共同生活を営んだ。死海文書を残したクムラン教団はその一部といわれる。

ユダヤ-きょう ―けう 【―教】
紀元前四世紀頃から発達し、モーセの律法を基とし、唯一神ヤハウェを信奉するユダヤ人の宗教。ユダヤ人を神の選民と自覚し、イエスを救い主と認めず、神の国を地上にもたらすメシアの到来を信ずる点でキリスト教と対立。主要聖典は旧約聖書とタルムード。一九世紀末におこったシオニズムの思想的基盤。

三省堂提供「大辞林 第二版」より

ムチ、訓練、懲らしめ、懲らしめのムチ棒:

ムチとは『組織の教えに忠実に従わない悪い子供を持つ親は、自分の子供を、文字通りにムチで叩いて、子供の心の中にいる悪魔サタンを追い出せ』というJWの公式教理とその具体的な指導内容。

1964年5月1日号の御国奉仕(王国宣教)の「懲らしめを与える訓練によって実を結ぶ」という記事の発表により、全ての2世の乳児,幼児,児童,学生,の子供達に、「懲らしめ」「訓練」という名目のムチ教育がJWの重要教理として開始されて現在に至る。過去には組織のムチ指導により死んでしまった子供もいる。

「もし子供がムチで精神障害を起こしても、ハルマゲドン後の楽園になればエホバ神が全て治して下さる。さらに子供がムチで死んでも、ハルマゲドン後の楽園になればエホバ神が必ず墓から生き返らせてくださる。何より悪いのは、2世の子供が組織の指導に忠実に従わず、自分の頭でものごとを考るようになって、自分の考えでエホバの証人のやめる事なので、子供がそう思わないようにムチを使って子供の心を完全に叩き直せ」という考え方。

王国会館や大会会場で子供がムチで叩かれるのは、長時間の退屈な集会に子供が飽きてしまい、そわそわしたり,泣いたり,ぶつぶつ独り言を言って遊ぶからで、1970年代に沼津ベテルの建設が発表された時に、今後新しく建設される王国会館には第2会場も併設されると発表され、防音設備の付いた幼児用に用意された別部屋さえあれば子供達はもう王国会館でムチで叩かれなくなると当時の信者達は真面目に噂しあっていた・・・

が、実際には新しく建設された王国会館に第2会場が出来た後も、集会中にうるさい子は、トイレ,第2会場,第3会場でびしびしムチで叩かれるようになった。なので第2会場とは何のために作られたのか理解不能の状態で現在に至る。

組織により、王国会館や大会会場で子供のお尻をムチで手加減せずにびしびし叩くことが奨励されていたのは1965年5月〜1980年代までで、1990年代からは「王国会館は訓練(ムチ)の場所ではありません、子供は家庭で訓練(ムチ)してから王国会館へ」ということになったので、それ以降は王国会館でムチを使うことはない。(実際はたまにある)

現在は、ムチの指導を会衆の古手の母親姉妹達に全部任せてしまっていて、自分の子供をムチで叩くか叩かないかは親の個人的判断であって、表立ってムチの指導をしない組織には一切の責任は無いとされている。

注意:JW組織は現在も「訓練」と言う名のムチ教育を公式に禁止していない。


戻る 前ページ 次ページ