会衆ごとに教理の実施ルールが違う矛盾状態を表す
ある会衆では集会に参加する兄弟が着るワイシャツは白しか許されない。ところが他の会衆では兄弟が柄物のワイシャツを着て集会に参加しても全然OK。では何故その会衆では白のワイシャツでなければならないのか? 誰もその理由を答えられない。「とにかくうちの会衆では兄弟が柄物のワイシャツで集会に参加するのはふさわしくないから駄目です」という、その会衆独自のルールの事を言う。
その理由は、かつて組織から具体的な指示があったが、それを取り消す具体的な指示が無かったために、そのルールがその会衆で定着してしまい、古い会衆では有効なルールだが、指示された時期に存在しなかった新しい会衆では無効なルールとか、
新しい巡回監督がそれまでのルールを取り消したはいいが、自分の巡回区域で取り消しを徹底しなかったために、取り残された会衆で亡霊のようにルールが生き残っていたとか、
信仰至上主義でお脳に柔軟性の無い長老が、組織に許された長老の裁量権の範囲で好き勝手な事を言いだし、勝手なルールがそのまま会衆に定着してしまって時間が経ち、長老の代も代わり、現在では何故それが必要なのか誰も知らないけれど、「とにかく守らなければならない、うちの会衆の大事なきまり」というような、その会衆だけの独自ルールのことを言う。
それまでのネットでは、会衆ごとに違う独自のルールを表す適切な言葉がなかったのだが、ある2世が2000年2月にその状態を「ローカルルール」と表現したことにより一般化する。
最近はローカルルールの意味も微妙に変わりつつあるが、本来の意味は、聖書や組織の出版物には何も書いていないのに、ある個人の勝手な解釈で会衆の成員を巻き込んで真面目な信者を苦しませる、その会衆だけの独自のルールという意味。
組織が出版物で明確な文章表現を使わないから起きる必然的な矛盾状態。今後も組織が不明瞭な文章表現を使い続ける限り永遠にこの状態が続く。
神権的戦略が翻訳語としては正しいのだが、日本のものみの塔協会が strategy(戦略)を、戦術(tactics)と表現したせいで、日本の信者の間では神権的戦術として知られている。
神権的戦術とは「神の(ものみの塔の)目的を達成するためには法律に触れない範囲で何をやっても全て許される。」という考え方で、「神の目的を達成するためには、必要な場合、異邦人(非信者)を騙してもエホバ神は全て許してくれる」というヨシュア記に出てくる娼婦ラハブを例にしたJWの基本教理。
この教えは、JWの内部情報を知ることが出来る階級のエホバの証人は、下位者(信者と非信者)に対して、必要に応じて嘘やごまかしを言っても良いという教えで、神権的戦術という教理の存在を知らされていない信者は「知る権利のない人たち」ということ。
日本支部から定期的に会衆に送られてくる手紙のこと。会衆宛の手紙は様々な種類があるが、代表的なものは王国会館の掲示板に張り出される「会衆宛の手紙」と信者個人宛に送られてくる「協会からの手紙」と長老団宛に送られてくる「長老団宛の手紙」がある。
この中で「長老団宛の手紙」は閲覧制限付きで長老以外は見ることが出来ない。「長老団宛の手紙」には会衆の信者を指導する具体的な内容が書かれていて、証拠を残さないために定期的に処分命令が出る。
私が現役時代に目撃したのは「何月何日付けと何月何日付けの長老団宛の手紙は必要がなくなったので処分してください。なおこの件は誰にも言わないでください。」という内容の手紙だった。
組織から会衆に命令してくる具体的な指示内容は「長老団宛の手紙」と、巡回監督からの指示、協会からの電話、長老だけに行われる講習などでの指示がメインなので、何か裁判になっても証拠はどこにも残らないないシステムになっている。こういう行為を神権的戦術と言う。