■キリスト教会の見解
什一献金について"ぐーぐる"で検索かけて調べてみたけど、キリスト教会は教会ごとに見解がバラバラだから、どれが正しい什一献金の解釈なのかさっぱりわからない。検索をかけてこれが一番納得できる意見だったから紹介。

書いているのは、大阪の教会の牧師さん。

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牧師をしていて、よく言われることは、「牧師さん、教会に行ったら献金を払わないかんのでしょう?。」今日、いろんな宗教団体が、信者から多額のお布施を搾り取っているでしょう。医者からも見放され、何とか神にすがってでも癒されたい。どんなにお金が必要でもいい。そしてお金をむしりとられて、癒されないまま絶望に陥る。そのようなかわいそうな人々は沢山おられます。もし、献げるお金が多ければ多いほど、病が癒され問題が解決されるのであれば、それこそ、信仰の世界も金次第となってきます。それが現実に起こっているんです。

さて、キリスト教会はどうでしょうか。献金というものはそもそも、自ら神様に感謝して、喜んで献げるものです。ですから、極端に言えば、気持ちが無ければ一銭も献金しなくていいわけです。クリスチャンの皆様、そしてこれから教会に行ってみようかと思われている方々にお勧めしたいのですが。もし教会で、牧師が講壇から献金ばっかり勧めるようであったら、その教会を去った方がいいです。そして別の教会に行きなさい。世の中いろんな教会がありますから。

勿論、献金が無ければ教会は維持できません。牧師も食べていけないでしょう。また、それぞれの教会によって、献金にも種類があります。「什一献金」(収入の十分の一)・「週定献金」・「月定献金」・「感謝献金」・「イースター献金」・「感謝祭献金」・「クリスマス献金」・「建築献金」・・・・・・・・・まだ他にいくらでもございます。洗礼(キリスト教の信仰告白の儀式・バプテスマとも言う)を受けたならば、強制的に什一献金を命じる教会もあります。

今、上にあげた献金のほとんどは、教会が長い歴史の中で人間が定めたものなのです。教会の伝統と規律は、神様が定めたものではなく、人間が勝手に決めたものです。聖書はそんな事書いていないのです。あくまでも、聖書が基本となるべきです。

人は時に間違いを犯します。しかし、聖書に間違いはありません。ある人は反論すると思います。什一献金は聖書的であり、イエス様も肯定している、と。旧約聖書に登場する什一献金は、そのほかの沢山の律法と共に、イエス・キリストの十字架によって成就されたものなのです。それゆえに、あなたは律法に定められた祭りの日に、エルサレムに行って子羊を捧げなくてもよくなったのです。安息日(土)に仕事をしても罪とはならなくなったのです。あなたがイエス・キリストへの信仰を持つだけで、あなたはすべての律法を守っている者とされているのです。

さて、「献金すれば祝福されます。」と、私達は耳にタコが出来るほど聞かされてきました。私は今、ハッキリと宣言したい。それは献げる者の自己満足である、と。もし「〜〜すれば、神様が〜〜してくださる」という公式が成り立つならば、それこそ律法主義となります。私達が献金するのは、イエス様に感謝するから献金するのです。祝福が欲しいから献金する事は間違いです。あなたに感謝の気持ちが無いなら、別に献げる必要はありません。教会によっては、献金の種類・名前・金額まで、週報に載せ掲示板に張っているところもあります。献金はあくまで匿名の類のものです。神様が知っていたらいいんですから。なぜ人々に見せびらかすんですか。イエス様は、私達の上辺など見られません。心の内側を見つめておられるのです。どうぞあなたが献金をされるのであれば、心をこめてされますように。

私自身、聖書に出てくるパウロという人物が大好きです。教会の指導者達は、みなの献金によって、その生活は支えられていました。ところがパウロだけはそれを拒んだのです。そしてテント職人として、自らテントを縫う仕事をしながら生計を支え、伝道したのです。小さな教会の牧師先生方、教会の献金だけで生活できないなら、アルバイトしたらいいです。私自身、小さな教会ですから、献金だけでは食べて行けません。ですから、結婚式の司式という副業をしております。これがまた、私にピッタリの仕事なんです。一日中教会にいて一体、何人新しい人が尋ねてきますか?「十字架を見てきました」なんて年に数回あればいい方です。

ところが、結婚式に参加する人のほとんどはノンクリスチャンです。そこで思い存分メッセージを語らせてもらう。だれも途中で逃げたりしません。みなおとなしく聞いていてくださるんです。おまけに謝礼までもらえる。伝道の種を豊かに蒔けるんです。牧師として、こんな楽しいお仕事ありませんよ、ホント。数えれば約1300組のカップルの司式をさせて頂きました。平均20名の出席としても、26,000人の人々に伝道できたわけです。驚くべき数字でしょう。また、新郎新婦の新居の住所を聞いておりますので、一番近い教会を紹介しております。後のフォローも非常に大切です。

最後に。いまだに「祝福されるから、献金しなさい。」と講壇で語ってらっしゃる牧師先生方。「聖書にたって、そんなこと言うのもうやめなさい!!」

献金は個人の自由です。自由意志に基づいて献げる者を主は喜ばれるのです。

イエス・キリストはあなたを愛しておられます。

情報ソース:メッセージ11
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