信仰がないとバプテスマで沈まない:

「信仰がないとバプテスマで沈まない」という教理を作ったのは、1970年に東京競輪場(現東京ドーム)で行われた大会で、東京に住む当時中学3年生の2世が冗談で言い出し、1972年に東京競輪場で行われた全国大会の会場で私たち2世の子供達が作戦を立て、手分けして大会会場の各場所で意識的に広めた冗談。

1972年の全国大会の会場で、言い出しっぺの高2と中2の私と小6までの2世6人位で協力しあって大会会場の各場所で意識的に広めたのがきっかけで全国的に普及した。最初は嘘を言うことを禁止された2世の子供に許されたささやかな冗談だったが、いつの間にか日本全国の教理になった。

さらにその冗談を、それまでそんなことを一切言われていなかった北海道方面に広めた最初の犯人は私。

当時の東京の大会の時のバプテスマ希望者は200〜300人位いて、バプテスマの時に怖がってちゃんと息を吐かない人が多く、肺に浮力が残った状態で沈めるために信者を沈めるバプテスマ係が疲れてしまうため、バプテスマ希望者の列の整理をするバプテスマ会場の場内整理係だった私を含む当時の2世の子供達が作戦を立てて意識的に言い出した。

その日、バプテスマ会場の場内整理係だった私たち2世の子供達の仕事は「バプテスマの時はちゃんと息を全部吐いてください」と並んでいる人たちに言うのが仕事だったが、隣同士でお喋りをしていて人の話を全然聞いていないのと、バプテスマの儀式の時に怖がってちゃんと息を吐かない人が多く、バプテスマ係が疲労困憊してしまい、バプテスマの儀式を管理する役目の兄弟が業を煮やして、「お前達はちゃんと大きな声でバプテスマを受けるために並んでいる人たちに何回も何回も説明しろ!お前達場内整理係は真面目に場内整理の仕事をしろ!」とまで言われてしまい、頭に来た私たち2世の子供達が話し合って、「バプテスマの時にちゃんと沈まないのは信仰がない証拠で〜す! 信仰がない人はバプテスマで沈みませ〜ん! エホバ神はちゃんと見ておられま〜す!バプテスマの時はちゃんと息を全部吐いてくださ〜い! 皆さんお願いしま〜す!」と言い出したらみんな真面目に息を吐くようになり、それからこの冗談がバプテスマの儀式の時に定着した。

それをきっかけに大会の休憩時間になると「バプテスマの時にちゃんと沈まない人は信仰がない証拠なんだよ。君が将来バプテスマ受ける時は大丈夫?君は信仰が危なさそうだから沈まないんじゃないの?」などと2世の子供達が言い広めたせいで日本全国に広がった。

「信仰がないとバプテスマで沈まない」という教理のせいでパプテスマを失敗してJWを辞めた信者がいると聞いてショックを受けたのは私。バプテスマ会場の場内整理係だった当時の2世の子供達が勝手に作った冗談なのに、なんでそれが教理になるの? 聖書にそんなこと書いてないじゃん。

■現役信者への注意事項:

「口は災いの元」「物言えば唇寒し秋の空」「唇破れて歯寒し」この諺をお忘れなく。ここで知った内容を会衆内で公然と言うと。長老団から第2会場に呼び出されて長時間のお説教をされます。それで悔い改めない場合は「分派活動」をしていると判断されて審理委員会にかけられて「背教」で「排斥」されます。

王様が裸でも王様と王様の家来に本当の事を言ってはいけません。


■「昼寝するぶた」という名前について

この名前に特に意味はありません。しいて言えば私のこだわりです。

1995年頃まではエホバの証人2世というのは社会的に存在しないのと同じでした。過去に、大泉実成氏の書いた「説得」という、1985年6月に神奈川県川崎市で起きたエホバの証人の子供の輸血拒否による死亡事件の内幕を書いたドキュメンタリー本の後半で、2世信者の日常生活が詳細に画かれていましたが、2世の存在が世に出たのはそれっきりで、エホバの証人2世の存在というのは誰も注目しないし、世の中に存在しないも同然でした。

それが1997年頃に「エホバの証人の子供達のホームページ」というのが出来てから状況が変わります。

JW2世問題を直接扱ったホームページが出来、それまで社会的には存在しない元2世達が掲示板に集まってきて発言し出したのですが、当時は今のように誰でも簡単に掲示板を立ち上げれる時代ではありませんでしたので管理人になるには相当の覚悟が必要で、それなりのネット知識、プラス、投稿者の法律論を盾にした屁理屈なクレームを論破出来る議論術や「管理人を裁判で訴える!」と言われてもめげない心臓の強さが必要とされていました。(あの時代に個人でHPを立ち上げて掲示板の管理人が出来た秋本さんはマジで凄いと思います。


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