【家族のなかの孤独】
「昼寝するぶた」を読んだり他のJW系サイトの情報を知ることでJW問題にケリがついて一段落したとします。でもそれだけでは終わらない問題もあるわけです。それが親子問題です。全ての原因がJWであればJWと完全に縁が切れれば問題は全て解決してめでたしめでたしなわけですが、なかなかそうは行きません。
なぜなら、大人になった子供が自分の親のせいで重い問題を抱え込まされたとしたら、その原因は親だけでなく、祖父や祖母の抱えていた心の問題とつながっている場合が多いからです。(JWはそれを利用して信者拡大をしている)
既存の宗教団体にとって心の問題は重要なテーマなので、心の問題の解決方法をそれぞれのやり方で具体的なノウハウを提示しているが、(例:仏教系の「我執を捨てろ」など)ものみの塔という宗教は『それは悪霊に取り付かれたんだからエホバに祈れば解決する。解決しないのはあなたの努力が足りないからだ』とか『楽園になれば全て解決するから、楽園に行くために組織の指示に忠実に従え』として問題を先送り、自分たちの信者拡大のために心の問題を利用している。
しかも世の中は十人十色ですから、私の答えがあなたの答えになるわけはなく、問題解決の参考になっても問題解決の鍵にはならないから話はややこしいわけで、結局自分の問題は自分で全部解決しなけりゃならないわけです。
問題を正面から解決しようと思っても人の心にはそれぞれ限度があって、問題を正面から認識しようとすると頭痛や吐き気や心臓の動悸や腹痛の症状が出たり、自分の潜在意識が自分の心を守るために過去の記憶を飛ばすので正しく問題を認識できないという場合もあります。
こうなると心の専門家(精神科医やカウンセラー)に頼る事になるわけですが、心の専門家は万能ではなく、患者との相性があるので全ての人を治すことが出来ないのが現状です。(カウンセリングは金がかかりますので貧乏人には辛いところです)
問題の解決のためには根本療法と対症療法があるわけですが、精神科医やカウンセラーが行っているのは主に対症療法なわけで、それはそれでものすごく大事な仕事なんですが、精神科医やカウンセラーは自分の恋人じゃないですから、四六時中自分の心の面倒をみてくれませんので、自分の心の問題を根本的に解決をできるのは結局自分しかいません。
私は自分の考え方として、男は一度地獄の底まで落ちて、地獄の鍋の底を見てから自力で這い上がってこい! それが自分の成長につながる。と思う主義ですから、男から相談を受けると、かなりきついことをガンガン言うんですが、女性から相談を受けるとそうも言えず、「うーん・・・なんてアドバイスすりゃいいんだろう・・・困ったな」と思う時がよくあります。女性は基本的に受け身ですから、心の感性が男に比べて繊細に出来ているので、地獄の底まで落ちた場合、運が悪ければ2度とそこから這い上がって来れないのが目に見えてる。
心の問題を解決するには、問題を正しく認識しないと何も始まりません。そのために必要なのが自分の心を見つめ直す作業です。しかし心を見つめ直すには、「基準」が必要です。自分が標準に比べて右なのか左なのか、上なのか下なのか、それがわかって初めて自分が「変だ」と認識出来るわけですが、その基準にしたって目に見えるわけではなく、マスコミが作ったステレオタイプな基準かもしれないわけです。しかも基準は時代と共に変化しますので、基準探しに時間を取られるとまたまた回り道になってしまいます。
私は自分の基準探しのために職場で知り合った人生の先輩達に徹底的に聞きまくるという作業をしました(17歳〜23歳頃まで、100人近く)。そのやり方は、先輩がものごころ付いてから今の自分の年齢までどんな人生を生きてきたか、とにかく詳細に喋ってもらうわけです。(私が20歳で先輩が40歳だとしたら、生まれた時から20歳までの経験を詳細に語ってもらう。そこから先は聞いても無駄だから聞かない)
人間って面白いもので、こういうテーマを先輩に振るとやたら喋りたがるんですよ。(オヤジは若者に説教するのが大好きです)仕事の手が空いた時間や、酒の席で先輩にご高説を賜ると、普段誰も聞いてくれないテーマだから嬉々として若者に人生を語ってくれます。
そういう話は自分にとって初めて聞く話が多く、私も興味津々で聞くわけですが、先輩の話が3巡する頃にはたいてい話を作り始めます(笑)。4巡目になると必ず眉唾話が入って来ますので、聞くだけ無駄なので3巡目で聞くのを止めます。
そうすると、今まで凄いと思っていた人が実はスーパーマンではなく、自分の年まではごく普通の人だったんだなということがわかって自分の視野が広がるのと、先輩からすると「可愛い奴」という事になって、世渡りのコツを教えてくれたり、陰でかばってくれたりして職場の人間関係がスムーズになります。
そんなやりかたで自分の基準を見つけたんですが、この基準は私の見つけた私の基準であって、他人に適用することが出来ない私の基準なわけです。しかし、この基準をベースに話をして相談を受けた人が納得してるんですから大外れではないようです。
でもこれは道草をしながら前に進む「大回り」のやりかたなんですよ。物事には基本と応用があります。学校で先生から習うのは基本です。基本とは応用の中で共通する部分を集めたもので、基本だけでは何も出来ませんが、基本を知っていれば応用は簡単です。逆に基本を知らずに応用だけ知っていれば、その部門ではスペシャリストかも知れませんが、別な部門に行くと素人同然ということになってしまいます。