さて、6番目の線を引くなって話ですが、何故かと言うとJW経験者さん達は線を引くのが大好きだからなんですよ。読んでて感銘を受けるとすぐに線を引いちゃいます。本が真っ白だと落ち着かないってすごい人までいますよね。

でも、この本は駄目です、JW経験者は絶対に線を引かないで下さい。

その理由は、線を引くと、自分は本の内容を全然理解していないのに、ちゃんと理解したと勘違いする錯覚を防ぐためと、線を引くと、それ以外の文章が目に入らなくなって、何回も何回も読み返す事によってにじみ出てくる、文章の中に隠されている、著者が本当に言いたい本来のメッセージを読めなくさせる、心の錯覚を応用したJWのマインドコントロールテクニックの影響を避けるためなんですよ。

人間って、受け入れきれない程の大量の情報を短時間に詰め込ませると、前に詰め込んだ情報をすぐに忘れちゃうでしょ。それは、人間の一時記憶領域のメモリー容量は小さいから、覚えていれるのは最新の記憶だけで、以前の記憶はすぐに忘れるように出来ているからなんですよ。言ってみれば容量設定の小さいブラウザのキャッシュみたいなもんです。

この書籍に線を引かせるやりかたを考えた当時のJWの頭のいい人は、きっと今頃墓の中だと思うんですけど、実にうまいやりかたですよね。

みなさんは現役時代にあれほど聖書勉強してるのに、勉強した内容をすぐに忘れませんでしたか? あんなに勉強してるのになんでだろって不思議に思いませんでしたか?

それは、自分の頭が完全に理解する前に線を引くから、自分が理解したと錯覚してるだけなんですよ。現役時代、注解の予習はするけど、毎日の現役生活が忙しいから、復習まで手が回らないでしょう。だから線を引いてもすぐ忘れるんだと思いますよ。

本来、線を引く目的は復習のためですよね、予習で線を引くのって変だと思いませんか? 本来は予習する時はざっと本を読んで、授業当日に先生の話をよく聞いて、話を理解しながら大事なところに線を引いて、その本で復習できるようにするのが、本に線を引く本来の目的でしょ。それを、まだ何も学んでないうちに、習う当日のために線を引くのって変でしょ? JWのシステムがそうなっているから変だって言ってもしかたが無いんですが、でもやっぱり変なものは変です。

そして、自分が研究生の時、司会者にものみの塔とかに線引けってしつこく指導されさせんでしたか? そしてキャリアの長い兄弟姉妹の持っている本って、赤ペン青ペン使って壮絶に凄いでしょ。

あれは、そうしないとものみの塔の注解ができなくなっちゃうから、しかた無しにやる目的もあるんですけど、実は、見る人があの線を引いた箇所を見るだけで、その人が霊的にどのくらいのレベルにあるか一目瞭然でわかるんですよ。

研究生の線を引っ張っている箇所と、ベテラン兄弟姉妹達の線の引っ張っている箇所と、長老レベルの人が線を引っ張っている箇所って微妙に違いますよね。あれって、その人がどのくらいの霊的レベルにあるのかを客観的に判断できる、簡単で便利な方法なんですよ。(知ってた?)

その上、ものみの塔誌には2種類のメッセージが隠されていますよね。一つは一般人向けの普通の出版物として読んでもらう広報誌としてのものみの塔の性格。もう一つは、JWの教義の教科書としてのものみの塔誌の性格です。

日曜日のものみの塔研究で使う記事がありますよね。兄弟姉妹クラスにとっては、そこが ものみの塔の中で一番大事な場所なわけで、他のページで変な事が書いてあっても、それは一般人向けのメッセージだからどうでもいい記事なんですよ。仮に教義に矛盾した変な記事があっても「あ、世の人向けの神権的戦術の記事ね」でおしまいです。

よくネットで、過去のものみの塔の記事を一部引用して、「見ろ!ものみの塔の記事はこんなに矛盾してる!」って頑張る人がいますが、あれってちゃんと、日曜日の ものみの塔研究で取り上げられた記事の場所使ってるんですかね? そうじゃない場所だと現役に対してなーんにも意味が無いと思うんですけど、どうなのかな?

現役が、ネットで引用されたものみの塔の矛盾記事を見てショックを受けて、自分の家にある過去のものみの塔で確認して、赤ペン青ペンでいっぱい線を引っ張っている場所で矛盾してたら大ショックだと思います。でも全然線を引っ張っていない場所なら「ふふふ、こいつはJWの資料はいっぱい持ってるけど、JWの本質をなーんにもわかってないんだな」って思うはずなんですけどね。

まぁ、現役側にはそんな考え方もあるんだよってつもりで書いたんですけど、私はJWの教義の正当性とかに全然興味が無い人だから、そういうJW側のお家の事情なんてどうでもいいんです。

だけど、「道は開ける」を、JWの出版物のつもりでがんがん線を引っ張られたら困るんですよ。「俺が自分の金で買った本だ、どこに線を引こうが俺の勝手だろう」って言うのなら、まぁ無理に止めませんがね。

「道は開ける」って本は、
初めて読んだときに感銘を受ける場所があって、
2度目に読んだときに感銘を受ける場所があって、
3回目に読んだときに感銘を受ける場所があって、
半年後に読んだときに感銘を受ける場所があって、
1年後に読んだときに感銘を受ける場所があって、
3年後に読んだときに感銘を受ける場所があって、
5年後に読んだときに感銘を受ける場所があって、

と言うように、読んだ自分がだんだん成長していくに連れて、線を引くべき場所が変わっていく不思議な本なんです。だから読むときは、しおりだけにして、自分にしか見えない線を心の中に引いてください。

1回目をざっと読んだだけで「ここは大事だからチェーック!」って赤ペン青ペンで線を引っ張っちゃうと、1回目に「道は開ける」を読んで成長した、今までとは違う自分が引くべき2回目の線の場所がわからなくなります。3回目なんて絶対に無理です。人間の目って、どうしても線を引いた場所を注目するように出来ています。最初に線を引くと1回目の線を引いた場所から自分が成長出来ません。


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