さて、当時のアメリカ人の子供達って、当時の日本人の子供に比べると遊びを全然知らないんですね。道具無しで遊ぶのは鬼ごっこだけで、後は全部道具を使った遊びです。(今のTVゲームで遊ぶ日本人の子供みたいな感じです)当時の典型的な日本人だった私は、缶ケリだのゴム飛びだの馬飛びだの水雷艦長だのと、当時の子供として知っていてあたりまえの遊びをいろいろ遊びを知っているわけから、彼らに日本の遊びをいろいろ教えるんですが、彼らにとっては生まれて始めて知る遊びばかりで、近所の子供達が全員、目の色を変えて私と遊びたがりました。

その中でも彼らの一番のお気に入りは缶ケリ(かくれんぼの一種)でした。ところが彼らは手加減ってのを知らないんだよね。 缶をケリに行くと、缶が遙か彼方まで飛んでいって他人の家の壁に当たるわけです。 そうするとその家の人が「何事!」って飛び出して来るんですが、子供達がいくら詳しく事情を説明しても、アメリカ人の大人には聞いたことも無い遊びをしているわけですから事情が全然理解できず、サンディ家に苦情が来て、缶ケリは絶対禁止になってしまいました。(これで警告1回)しかしスーザンを除いた3人は缶ケリの誘惑には勝てず、警告を無視してまた缶ケリやったら、今度は3人とも正座1時間にされてしまいました。(苦笑)

当時の米軍立川基地の中には2つ会衆があって、A会衆とB会衆がありました。A会衆が大人35人位、B会衆が大人25人位で、私はB会衆に通っていました。建物は米軍司令部に申請して借りるわけですが、ちゃんとした教会とか、まともな集会場は他の宗教団体に全部取られてしまっていて、B会衆の建物は、外観は洋風、中は和室という、米軍進駐時に日本人から徴発した建物を使っていました。

そして、アメリカ人が全員座布団引いて、女性は横座り、男性はあぐらでしたが、集会が終わるといきなり全員足を投げ出してマッサージし始めるのには笑っちゃいました。

私が参加した時は1年位前に英語版の新世界訳が出たばかりだそうで、みんな新世界訳聖書で勉強していましたが、当時の日本の会衆は「汝ら・・・」って難しい日本語を使う日本聖書教会発行の文語訳聖書使っている時代でした。

また、日本人信者にとってものみの塔はとても大事な雑誌で、姉妹なんかは手作りで作った刺繍付きのブックカバーとか付けて、ものみの塔にしわが付かないようにものすごく大事に使っている人が多かったんですが、米軍基地の中では、ものみの塔を四つ折りにして尻のポケットに入れて来る兄弟とか、子供が鼻をかむのにティッシュが見つからないから、注解が終わって使わなくなったものみの塔をいきなり破いて鼻をかませる母親姉妹とか、日本人信者が見たらその場で卒倒してしまいそうな雑な使い方で、見ていて嬉しくなる、まことに合理的な使い方をしていました。

集会中は全部英語でやりますから、私には何を言っているのか全然わからないんですが、母親は日本語と英語と両方持っていましたから、それを覗いていると何言っているのか雰囲気だけはわかった気になっていました。でも、すぐに母親は英語版だけにしちゃいましたから、私には全然わからない世界になってしまいます。

そうすると退屈だからそわそわし始めて、B会衆には子供が12人位いたので子供同士、目で合図して遊び始めます。ただ、彼らはエスカレートして止まらなくなるんですよね。最初は目で合図だったのが口パクになり、手でジェスチャーが始まったあたりで母親につねられます。握り拳の人差し指と中指の間で太股の皮膚をひねり上げるんだけど、そうすると彼らは「ひぃっ!」って声を上げちゃうんでねす。そうすると会衆内がくすくすして集会が止まってしまって、会衆内がいきなりなごんじゃうんですが、それに母親が怒っちゃってもう一回つねり上げて、子供は両手で口を押さえて悲鳴を押さえるのが何回もありました。(家に帰って正座1時間コース決定!)

B会衆には黒人の母親姉妹もいましたが、下士官の奥さんで、士官の奥さんには気を遣って一歩引いていましたね。白人士官の奥さん姉妹は気にするなって言っていましたが、やはり気を遣っていたのが印象的でした。B会衆では白人家庭はみんな2〜3人の子供がいて、一人っ子の家庭はもう1人作りたいけど出来ないなんて言っていました。また、黒人姉妹の家は5人の子供がいる家庭で、よく遊びに連れて行ってもらいましたが、行けば必ず正座してるか椅子に座って沈黙の罰を受けている子供が1人はいたんですが(そこの家はムチ無し)黒人家庭独特の明るさがあって遊びに行くのは大好きでした。でも、黒人姉妹がどうしても白人側に気を遣うので、白人側が逆に遠慮して行かなくなりましたね。

私はこんな変わった経験をしているから、50年代から60年代のアメリカのJW2世の子供をテーマにした、監督:クリント・イーストウッド、主演:ケビン・コスナーの 「パーフェクト・ワールド」をビデオで見ると、私はあの時代に、あの世界の中で実際に生活していたわけで、主人公のフィリップス君を見ると、「あんなに暗い子なんか米軍立川基地の会衆の中には1人もいなかったぞ、みんなもっともっと明るくてめちゃくちゃ元気だったぞ」って思っちゃうんで、あの映画の主人公にはどうも感情移入できません(苦笑)


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