じゃぁ私が見本で5発叩くから後はあなたがやりなさいと言うことになり、サンディさんの奥さんは私に承諾を求めてきましたが、私は、この罰はサンディ家と取り交わした契約と考えて完全に納得してましたから、どっちにしろ逃げれないんだからどうでもいいよって承諾言って叩かれたんですが。5発叩かれたら、目をつぶっていたのに目の前にオレンジ色の火花が4回出ました(笑)
そして、サンディさんの奥さんの叩き方なんですが、ちゃんと一発一発の間にかなりのインターバルをおくんですね。こういうのは叩かれて始めてわかるノウハウなんですが、痛みが拡散してから次のムチが来ますので、叩かれた場所の痛みが抜けるのが早いんですよ。
次に母親のムチですが、5回叩かれて1回しか目の前に火花が出ませんでした。しかし、ろくにインターバルを全然取らずに急いで叩くから、終わった後に痛みがいつまでも残りました。
後でサンディさんの奥さんに聞いて確認したんですが、サンディさんの奥さんも子供の頃ムチで叩かれて育ってますから、正しいムチの使われ方を自分の体で覚えているんですね。そして私の母親はそんな体験を一回もしていませんから、ただ私のお尻をムチで叩いて痛みを与えておけばいいと思っているだけでした。
自分が実際にムチで叩かれて痛みを経験しているサンディさんの奥さんの叩き方は、ムチとは罰の一種であって必要以上に痛めつけるものではないという考え方でインターバルを置いて叩きます。しかし、一回もムチで叩かれた経験の無い母親は、ムチとは罰なんだからとにかく痛めつけなくては効果がないと考えます。
こういうのは実際に自分が叩かれてみないと絶対にわからないんでしょうね。TVの「大草原の小さな家」でムチで子供のお尻を叩くシーンが出てきますが、かなりインターバルおいて叩いてるでしょ、あれがアメリカ人のムチのノウハウですね。
事実、サンディさんの奥さんに叩かれた部分は熱を持っていますが痛みは1時間位で引きますが、母親に叩かれた部分は次の日の朝になって熱は抜けても痛みが抜けませんでした。次の日、それを正直に母親に話したところ、次回ムチで叩かれた時に楽をしたいからだろうと言って私の話を一切聞きませんでした。昔から私の母親は絶対に子供の意志を尊重しない性格の人だから、またかと思ってそれ以上言いませんでした。
後で、母親がサンディ家を離れるきっかけになったのは、私に対するサンディさんの奥さんの放った5発のムチがどうしても許せなかったと聞いた時には笑っちゃいましたね。
この時点では日本のJWではムチの実施命令がまだ出ていない無い時代ですから、母親も後でアメリカ式のムチの専門家として会衆内の姉妹達のムチ指導に当たるなんて思っていませんでした。そして、日本のJWの中で唯一アメリカ式ムチを知っている貴重なムチの専門家とは、実は貴重なモニターの報告を一切聞かない性格の人でありました(苦笑)
そしてこの時私は泣きまくっているわけです。私は母親に抱いてもらおうと思って母親の所に行こうとして、母親も私を抱こうとします。その時サンディさんの奥さんが断固として私を抱くのをやめさせます。ムチの時はそれが一番良くないと言うわけです。ムチには罰の他に子供の独立心を養う目的がある。しかしムチの後すぐに抱くと子供に独立心を持たせる事が出来ない、かえって依頼心増えてが逆効果になるから絶対に抱いては駄目だと言うのですが、母親は無視して私を抱きしめます。
私は抱かれながらサンディさんの奥さんと目が合ったんですが、サンデイさんの奥さんは「もうこの子は駄目だな」って顔をしているんですよ。あの目は忘れられませんね。その目を見たら急に覚めちゃって「もういい」と言って抱かれるのを拒否しました。
私はあの目のおかげで私の心の中に最初の独立心ができあがったような気がします。だからサンデイさんの奥さんには今でも感謝していますね。そのころ自分でも危機感を感じていたんですよ。母親に女性的な男の子に育てられている自分がこの先どうなるかものすごく不安だったんですよ。その時点ではどうにもならない状況でしたが、この経験が強い印象になってずっと心の中に残りました。
私がサンディ家にいた1年4ヶ月の間にムチで叩かれた数は、サンディさんの奥さんに5発、母親に25発の計30発でした。2回目ムチの後、母親はムチで私を叩くのを嫌がるようになり、その後は手でお尻を叩くようになりました。
しかし、それがサンディさんの奥さんにはどうしても許せず、よく母親と議論していましたが、結局この「手でお尻を叩くのは野蛮人だ」議論がサンディ家を離れる原因になります。この後、母親はサンディさんの家を離れ、都内の母子寮に移ります。そして私も小学校を転校してB会衆から日本の会衆に移る事になります。